のりたまと煙突(星野博美 文藝春秋)
通勤途中で寄ることが多い上野の本屋で、文庫版が出版された時薦めていたので読んでみた。
「のりたま」というのは「のり」と「たま」という飼い猫の名前で、「煙突」というのは近所の銭湯のそれだが、著者には火葬場の煙を連想させるものとして描かれている。なかなかタイトルの付け方がうまい。飼い猫の話題を中心にしたエッセイ。
「族長の死」という題のエッセイは、祖父の葬儀を描いたもの。この祖父の葬儀はマフィアの大親分のそれを思わせるような一族総出の華やか(?)なものだったそうだが、著者の周辺の死はやたらと劇的なものが多い。(例えば、海外留学先から一時帰国して郷里の大阪に帰ろうとキャンセル待ちして乗ったのがJAL123便だった友人とか)
「赤い手帳」は、郊外のミスドに行った時の話。二人の子供連れの父親がいて、自分は何も頼まず、子供が残したドーナツは袋をもらって持ちかえろうとしていた。気の毒に思った著者は手元にあったポイントカード(集めるとミスドの手帳がもらえる)を父親に譲る。父親は喜んで自分のそれと合わせて手帳をもらうが、子供どうしが一冊しかない手帳を奪いあいしてしまう。
著者は、この親子を貧しくてぎりぎりの生活をしている、と見ている。しかし、そうだろうか。いつも金に困っているような人は、倹約から遠く離れた生活をしているから金に困っているわけで、この父親のように、「自分は我慢する」「見栄をはらず袋をもらって残りものを持ち帰る」ことができる人は、実は裕福(だけどケチ)なことが多いような気がする。
多くのエッセイで、最後の2~3行でいわずもがなの説教臭い結論が書いてあるのが少々気になった。
通勤途中で寄ることが多い上野の本屋で、文庫版が出版された時薦めていたので読んでみた。
「のりたま」というのは「のり」と「たま」という飼い猫の名前で、「煙突」というのは近所の銭湯のそれだが、著者には火葬場の煙を連想させるものとして描かれている。なかなかタイトルの付け方がうまい。飼い猫の話題を中心にしたエッセイ。
「族長の死」という題のエッセイは、祖父の葬儀を描いたもの。この祖父の葬儀はマフィアの大親分のそれを思わせるような一族総出の華やか(?)なものだったそうだが、著者の周辺の死はやたらと劇的なものが多い。(例えば、海外留学先から一時帰国して郷里の大阪に帰ろうとキャンセル待ちして乗ったのがJAL123便だった友人とか)
「赤い手帳」は、郊外のミスドに行った時の話。二人の子供連れの父親がいて、自分は何も頼まず、子供が残したドーナツは袋をもらって持ちかえろうとしていた。気の毒に思った著者は手元にあったポイントカード(集めるとミスドの手帳がもらえる)を父親に譲る。父親は喜んで自分のそれと合わせて手帳をもらうが、子供どうしが一冊しかない手帳を奪いあいしてしまう。
著者は、この親子を貧しくてぎりぎりの生活をしている、と見ている。しかし、そうだろうか。いつも金に困っているような人は、倹約から遠く離れた生活をしているから金に困っているわけで、この父親のように、「自分は我慢する」「見栄をはらず袋をもらって残りものを持ち帰る」ことができる人は、実は裕福(だけどケチ)なことが多いような気がする。
多くのエッセイで、最後の2~3行でいわずもがなの説教臭い結論が書いてあるのが少々気になった。