蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

ワセダ三畳青春記

2011年06月18日 | 本の感想

ワセダ三畳青春記(高野秀行 集英社文庫)

私が大学生のころ、「大学は人生の夏休み」などとよく言われた。

約30年近く経って今思うと「確かに夏休みだったなあ」と思えるし、人生の中で(短い時間の喜怒哀楽は別として)一番楽しかった時期だった。
学問とか専門的技能の習得は全くできなかったけれど。

授業にはでないけれど、校舎に行って、いつ倒壊してもおかしくなさそうなボロボロの建物にある部室に行くと、誰かヒマを持て余している人がいるので、マージャンに行ったり、人数が揃わないとコーヒーを飲みに行って、飲むのが酒に変わっても、くだらないおしゃべりをえんえんと何時間もして、そのうち白々と夜が明けてくるので、誰かの下宿に行って昼間で寝て・・・バイトがない限りその繰り返し。

本書は、そういう人生の夏休みが10年以上も続いちゃって30歳すぎまで早稲田の3畳(のち4畳半)という、90年代では絶滅に瀕していた広さの下宿ですごした著者の、くだらないこと限りないのに、どこかうらやましい交友記。

その古びた木造建築の下宿屋には、早大探検部のメンバの他に、司法試験の万年浪人なのにやたら明るい人、守銭奴と呼ばれるドケチといった変人が多く住んでいるのだが、極めつけは大家のおばちゃんで、このおばちゃんのエピソードで何度か大笑いした。

 著者は早大探検部に所属して世界中の辺境を旅していて、その体験記を私も1冊読んだ事があるけれど、さほど面白くは感じられなかった。それは著者の体験があまりにも私の日常からかけ離れたものだったからだと思う。

一方、本書は、電車の中で読んでいるのに、何度も大笑いしそうになって抑えるのが大変なほど楽しく読めた。
この本に書かれているような、いわゆる「青春の思い出」は、私も共有することができたからだと思う。

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100年の難問はなぜ解けたのか

2011年06月16日 | 本の感想

100年の難問はなぜ解けたのか(春日真人 新潮文庫)

有名な難問:ポアンカレ予想をめぐる数学界の流れを解説した本。          

やはり有名な難問であったフェルマーの最終定理は、一見簡単そうに見えるし、私たちが学校で習ったような数学に近そうだな、と思われるものがあるが、ポアンカレ予想は、その内容自体が数学とは思えない(一休さんの頓知問答みたいな感じがした)ものだし、この本の中でも解き方を少しだけ解説しようとしているが、もちろん理解できない。

ポアンカレ予想には、アメリカの研究所によって(解法を発見した人に100万ドルあげるという)懸賞がかけられていた。ところがポアンカレ予想を解決したロシアの(経済的には貧しい)数学者ペレリマンは、数学界最高の栄誉のフィールズ賞を辞退したばかりか懸賞金も受け取ろうとはせず、世間から身を隠してしまった(結果的にこの俗人離れした行為によってペレリマンは世界中から注目されるという、本人の意図とは逆の状態になってしまうのだが)。

数学の問題に懸賞をかければ、数学者をめざす人が増えるだろうというアメリカらしい発想に対して、もともとペレリマンは、数学という学問が汚されたように感じていたという。本当の数学者の喜びは金銭でも名誉でもなくて、問題が解けたという喜びにしかないから、というのがその理由。

なかなか解けないパズルがあって、どれだけ考えても解けないのに、翌日になってパズルとは関係がないことをやっている時にふと解答(やヒント)が頭に浮かんだりすることがあるが、その瞬間は確かに快感がはしる。だから、あらゆる学者が束になっても解けない難問が解けた時(あるいは解けそうになった時)の気持ちよさは想像を絶するものがあるのだろう。

しかし、その快感を求めて何年も、へたしたら何十年も一つの問題にかかりきりになって数学者としてのキャリアを棒にふってしまう人もあるのだとか。

著者は、NHKのディレクターとしてポアンカレ予想を解いたペレリマンを探す番組を制作したのだが、結局ペレリマンには会えずじまい。本の中でのポアンカレ予想の解説もあまりうまくいっているとはおもえなかったが、それでも本書は、謎に挑む数学者たちの情熱みたいなものをうまく表現していてとても楽しく読めた。

蛇足だが、あとがきで紹介されている、数学者の服装がとてもラフ、という話が印象に残った。

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世界経済のオセロゲーム

2011年06月11日 | 本の感想
世界経済のオセロゲーム(滝田洋一 日本経済新聞出版社)

本書の奥付けを見ると、初版が2011年3月8日で、この手の本の出版タイミングとしては最悪だったろう。
震災もさることながら、ストロスカーンに触れた箇所があり、「会見を終えて、専務理事(=ストロスカーン)は女性たちとのツーショット写真に笑顔で応じていた」というフレーズには笑えた。(それ、「応じていた」じゃなくて「強要していた」じゃないの?みたいな・・・)

表題は、一瞬にして主役が入れ替わる世界秩序を表したもの。
まあ、今に始まったことではなくて、ソ連という重石がなくなって以降、そういう状態が20年くらい続いているようには思うが。

日本経済の低迷の原因は、資源価格高騰による交易条件の悪化で、それを輸出型企業の努力で補っているはいるものの本格的回復には及ばないとする。
一方で、国内消費が盛り上がらないのは企業の分配が足らないからだとするが、その前の、企業努力でなんとか持っている日本経済、という部分と矛盾があるようにも感じられる。

アメリカの金融緩和によるデフレとバブルの同時進行、その裏側で繰り広げられる中国とアメリカの経済覇権争い、国家の過大債務、など現状の問題点を並べるが、まあ、なんというか新聞のダイジェストを読んでいる感じで、読んでいてなるほどと思わせるような解説はあまりなかった。

日本経済への処方箋は「モノづくりは日本の稼ぎの大元と理解したうえで、「貿易+投資立国」を目指すとともに、「環境・省エネルギー」と「経済成長」を両立させる」(P201)だとするが、その実現へのプランも、まあ、ありきたり(日経の記者という立場で、自社から出す本で、あまり奇抜なことを書くのは難しいのだろうけど)だった。
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ヴィヨンの妻

2011年06月11日 | 映画の感想
ヴィヨンの妻

太宰治の小説の映画化。
主人公は、貞淑で貧乏に耐えて子育てをしている妻(松たか子)を全くかえりみず、たまに自宅に帰ってはなけなしの金を引き出しからくすねていく始末。
行く先々の女に手を付けますが、そんな男に妻も愛人も心底ほれているという話(いいな~)。

太宰自身がモデルらしき主人公を演じるのが浅野忠信さん。
浅野さんというとワイルドでロック?な役が多いような気がしますが、本作では、繊細で不安が強く、軟弱でひとでなしの文豪という、いつものイメージとは反対の役をとてもうまく演じています。
コップ酒を飲み干すシーンなど、黙って酒を飲んでいるシーンが特に印象に残りました。

松さんの、本作での演技は高く評価されているようですが、素人がこんなこと言うのもなんですが、「そうかな~」と思っちゃいました。
どんな役でも同じような演技に見えてしまうのは、人気者ゆえ方々でよく見かけるせいなのでしょうか。
太宰が心中をはかった後のクライマックス?な場面では、さすがと思わせるものがありましたが。
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駅までの道をおしえて

2011年06月11日 | 本の感想
駅までの道をおしえて(伊集院静 講談社)

野球絡みの話にするという、シバリの短編集。
無理矢理、野球と結びつけたようなものもあるが。

もう一つ、多くの短編で共通する特長は、深刻な病気を抱えている人が登場することで、「野球」と「闘病」というのが著者の大きなテーマであることを示している。

「チョウさんのカーネーション」がよかった。20ページくらいの短さなのだけれど、古典落語のような味わいがあって、普通なら「そのオチはちょっと」と思えるような結末もそれなりに納得性というか小さなカタルシスがあった。
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