蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

ミュンヘン

2006年12月31日 | 映画の感想
どの程度実話に基づいたストーリーなのかは知りません。
スピルバーグの作品なので少なからずイスラエル寄りなのかもしれません。
そのせいかどうか、イスラエル側の暗殺チームがかなり素人くさく描かれています。
モサドの暗殺者というと、私なんかはデューク東郷みたいなプロ中のプロみたいな人ばかりだと思っていたのに、映画の設定では、信用できなさそうなブローカーの情報に頼りきりだったり、主な暗殺手段である爆弾の製造者はオモチャ屋(作る方)出身だったり。
ゴルゴ13みたいな人がどの国にもウヨウヨいたら大変困ったことになるのも確かで、CIAだのFBIだのKGBだの中身が見えないからこそ虚像がでかくなっているだけで、実態はこの映画のように案外行き当たりばったりなのかもしれない、とも思いました。イラクでのCIAの活動なんかもかなり寒いものだったみたいだし。

以前「宇宙戦争」の感想でスピルバーグは、自分が作りたい映画と商売のための映画を画然と区別しているのではないか、と書きました。本作は前者なのでしょうけれど、どちらがより見たいかというと、私は後者の方かも。
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失なはれる物語

2006年12月30日 | 本の感想
失なはれる物語(乙一 角川書店)

著者がまだあまり注目されていなかった頃の著作(すでに文庫に収録済)の4編と書き下ろしの1編を集めた短編集。各短編同士のつながりは余り感じられない。
文庫収録済のものをハードカバーで再出版というのは、それを知らずに買った人は少々鼻白む事態ではないだろうか。そのせいかハードカバーの装丁は相当凝っている。特に見開き部分がミラー状になっていて鏡文字でタイトルを見せるというのは、初めて見た。(なお、この本自体も今年文庫化されている)

最初の「Calling You」がすばらしい。学校で誰にも相手にされない少女は(それゆえにか)携帯電話を持っていなかった。しかし携帯電話(で話ができるような友を持つこと)にはあこがれがあり、頭の中で自分の携帯電話を詳細に想像する。ある日その頭の中の携帯へ電話がかかってくる。恐る恐る出て見ると、実在する男の子と話ができた。相手も想像力で作り上げた携帯から電話してきたのだった。いつでも通話できる「脳内携帯」で仲良くなった二人はやがて実際に会って見ようということになり、空港で待ち合わせするが・・・

この脳内携帯電話にはある特長があって、それがオチへとつながっている。オチはそれほど意外なものではなく、誰でも予想できる内容ではある。それでも深い悲しみとせつなさを感じさせられた。

「Calling You」は、もともとライトノベルとして発表された作品である。これは私の偏見なのだが、ライトノベルを熱心によみふける中高生というのは、あまり友達がいない、孤独な生活を送っている人が多いのではなかろうか(自分自身がそうだったのでそういう偏見を持っているだけで、そうでない人には申し訳ない)。

「Calling You」の主人公の女の子は、休み時間になると教室で会話をしてくれる人がおらず居心地が悪いので、図書館へ逃げ込んで同じ本を何度も読み返す。このエピソードに私は深く共感できた。というのは私の高校時代そのままだから。休み時間になると図書館で新聞を読んでいた。

乙一さん自身が、この種の人なのかどうかわからないが、少なくとも、こうした「さびしい人」たちの気持ちを理解し文章に表現しようとする人なのだろう。そしてその結果「さびしい人」たちの人気を博しているのではないかと思う。(ファンの方、すみません。繰り返しになりますが私の偏見です)
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南極物語(Eight below)

2006年12月23日 | 映画の感想
主人公は、南極基地でソリを引く犬たちと仲良く暮らしていたが、突如襲ってきた大嵐を避けるため、人間だけが飛行機で脱出せざるを得なくなり、犬たちは基地に取り残されることとなってしまった。罪の意識に苦しむ主人公は、かって基地で命を救った学者や基地のメンバーの援助で基地に戻り、南極の冬を耐えぬいた犬たちと再会する。

とても有名なタロとジロの物語をリメイクしたアメリカの映画。主人公は(最初は)誰の助けも借りず自分一人で南極への渡航ポイントへ出かけてしまう。このあたりの設定が日本とは発想が違うなあ、と思った。

主人公も南極基地のメンバーも陽気でカラっとしててさわやかな印象の映画だった。
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マイレフトフット

2006年12月17日 | 映画の感想
主人公(クリスティ)は脳性小児マヒのため左足を除いて手足を自由に動かすことができない。言葉も十分にしゃべれないが、熱心な女医の治療により四肢の機能がかなり回復し会話も可能になった。左足の指で筆を持って描く絵が魅力的で個展を開くまでになるが、女医が結婚することを知って激しく動揺する。クリスティの苦しみと、貧しいながらも彼を支え続けた家族を描く。

私の息子(8)が見ていて、クリスティの役の人の演技があまりにリアルで、初めのうちはおびえていたが、最後まで見終わった後は(ハッピーエンドということもあって)「クリスティ良かったね」と言っていた。

この手の映画だと主人公を美化しすぎるキライがあるが、クリスティは善人や天使のような人として描かれているわけではなく、エゴや欲望や不満がむきだしの場面もあります。特に女医が結婚することがわかった時の場面がすごい。

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イン・ザ・プール

2006年12月16日 | 本の感想
イン・ザ・プール(奥田英朗 文藝春秋)

不定愁訴、被害妄想、依存症、強迫神経症等に悩む人が、総合病院の神経科に治療に行く。
そこの医者(伊良部)は、大金持ちの医者の惣領息子だが、注射フェチで言動が常識はずれであるため、親が経営する総合病院の地下倉庫のようなところに押し込められて神経科を営んでいる。
患者は初めは伊良部の破天荒な治療(?)にあきれてしまうが、次第に彼を頼りに思うようになり、やがて治癒につながっていく。

“知る人ぞ知る”くらいの知名度だった著者を一気にブレイクさせた作品で、いまさら感想を書くのも気がひけますが、せっかく読んだので書いてみます。

小説家は、一人で部屋にこもって黙りこくったまま長時間根を詰めて行う仕事なので、精神的な疾患を抱えている人が多いようです。そのためか傍目には順風万帆に見えた人が自殺したりします。(最近では野沢尚さんとか)
奥田さんが書いたエッセイを2冊読んだことがあります。いずれもユーモラスな語り口なのですが、その陰に「この人は精神的に追い詰められているのではないか」と感じさせるものがありました。(ひとりよがりな印象にすぎませんが)

「イン・ザ・プール」では患者が、伊良部の滑稽な行動(たいてい患者のおかしな行動をデフォルメして再現している)を観察することで、自分の病気の原因や悩みを客観視できるようになり、それが治療となっています。
著者はこの作品を通して同じような症状に悩む、あるいは、そこまではいかないが「やがてこうなるのでは」と不安を抱えている読者に「あなたの病気(悩み)はそうたいしたもんじゃないよ」と呼びかけているのではないかと思います。そしてこの作品を書くことで、著者自身をもそのように納得させようという望みを持っていたのではないでしょうか。

私も強迫神経症(例えば、家を出た後、鍵をかけたか異常に気になり、家までもどって確認するまで安心できないような症状)気味なので、「いてもたっても」(この本の最後の短編)を読んで自分の不安のバカバカしさみたいなものが見えたような気がしました。
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