蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

ハウルの動く城

2006年02月26日 | 映画の感想
この作品を見るまで、宮崎駿さんが作ったアニメの私のベスト3は
1. カリオストロの城
2. 天空の城 ラピュタ
3. アルバトロスの翼
だったが、ベスト1が何十年かぶりに交代して「ハウルの動く城」になった。
「ハウル」の素晴らしさは、「説明をしない」「筋らしい筋がない」ことにあると思う(皮肉ではありません)。

主人公のソフィーの行動は、物語の登場人物としては不可解で脈絡がない。あるいは、魔法により老婆にさせられたのに急に若返ったりする。
そうしたことに対する説明は一切ないのに、映画を見ている者には、彼女の行動・彼女の容貌の変化がなぜか納得できる。

「もののけ姫」・「千と千尋」は、大筋が宮崎さんのアニメに共通したもので、説明も過剰なほどであり、見ている方としては、よく言えば安心して凝った細部の絵を安心して見ていられるが、悪くいえばマンネリだ。
これらの作品に比べると「ハウル」は、見る者を少々突き放している。多少頭を働かさないとついていけない。
ソフィーが属する国は戦争の真っ最中だが、戦争の背景、勝ち負け、終末も語られない。
タイトルである「動く城」の見かけはひどく醜く猥雑で最初は不快感を催させるほどだ。
しかし、戦争により国が揺さぶられている感じ、国民の不安感みたいなものは、非常に強く伝わってくるし、「動く城」が崩壊していくさまや、崩壊後に残った城の残骸の姿はとてもユーモラスになる。

例によって、メカや建造物に関する細部にいたるまでの描写は健在で、おもいっきりお金をかけたおかげで、画面のすみずみにまで手抜きなく丁寧に絵が描かれていた。CGが発達して「アニメでしか描けない場面」というのはなくなりつつある。だから、アニメであることの必然性は「絵であることの美しさ」にあると思うが、そういう意味では世界最高峰だろう。ピクサーのアニメは総合的に素晴らしい作品が多いが、あれは絵とは言えないと、私は思う。

さて、ジブリの次回作は「ゲド戦記」らしい。2作続けて外国の小説を原作にするのは輸出を考えてのことだろうか。
もし、私が何十億円も無駄遣いできる人だったら、宮崎さんにタイガーI戦車が主役で豚の兵隊が活躍する「タイガー戦記・クルスク(もしくはアフリカ)編全30分」を作ってもらって公開をせずに、同好の士だけにこっそり配って「伝説のアニメ」にするんだけどなあ。

余談だが、第一次大戦ころのヨーロッパを背景にして超能力者同士のサイキックウォーズという「ハウル」によく似た背景の小説:「天使」「雲雀」(佐藤亜紀 文藝春秋)がある。私は傑作と思うのだが、多少とっつきにくいせいかあまり売れていないようだ。「ハウル」が気に入った人なら、面白く読めると思う。
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魔王

2006年02月19日 | 本の感想
「魔王」(伊坂 幸太郎 文藝春秋)

閉塞感が漂う日本に、真の意味でのカリスマ政治家が出現し、政権を獲得し、憲法を改正しようとする。そのやり口にムッソリーニのようなファシズムの臭いを感じた兄弟が、自らの超能力(他人に自分が思ったとおりのことをいわせる、1/10までの確率を自由に操作できる)を使ってそれに対抗していこうとする。

超能力者と政治家の対決場面などはなくて、兄弟の日常が中心なのだが、国がその針路を大きく変えようとする時代の、漠然としてしかし黒々とした不安を、宮沢賢治の詩作をBGMにして描く。ファシズムと宮沢賢治の組み合わせというのが意外感があってインパクトが強い。

伊坂さんの作品を読むといつも途中で、“今までこんな小説は読んだことがない”という違和感を抱く。そこが大きな魅力なのだが、「魔王」はメッセージ性が強いせいか、そういう違和感みたいなものが弱かった。


かつて日本が二十年にも及ぶ戦争に明け暮れる時代に突入したのは、富国強兵を国是とした明治政府の政策から起きた必然のように思っていたのだが、その直前の大正時代には、いわゆる大正デモクラシイといわれるムードが充満したことがあって、軍人は街中を軍装で出歩けないほど肩身が狭い思いをしたこともあったという。

今、私たちは数年先に日本がまた他国を侵略し、20年後か30年後には再び破滅することを想像できるだろうか。

近代の歴史を振り返れば50年以上も戦争行為を行わなかった国家なんてほとんどないのではないか。60年に渡って国家の軍隊が戦闘に携わらなかった日本は奇跡といえるほど運がよかっただけなのではないか。

逆に、戦争がないことの素晴らしさを、これほど実証した国家もなく、実感した国民もなかったと思う。我々はそういう特殊な国家を持てたことをこそ誇るべきであって、いわゆる「普通の国家」になろうとすることは大きな間違いであるような気がする。
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アイランド

2006年02月18日 | 映画の感想
スタンダードなアンチユートピアもののSF。

この類の話は、ユートピアと見えたところが本当はそうではなかったことに、主人公がどのようにして気が付くのかが面白いのだと思うが、この映画では割合あっけなくわかってしまい、重点はその後の逃亡と反撃に置かれている。
ニセモノのユートピアの支配者や逃げる主人公を追いかける敵役もあまり凄みがなく、あっさりと主人公が勝利してしまう。

アクションシーンとかはそれなりに派手なのだけれど、全体に薄味の映画という感じがした。
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ボルボロスの追跡(グインサーガ106)

2006年02月16日 | 本の感想
「ボルボロスの追跡」(栗本 薫 ハヤカワ文庫) 2006.2.16

グインサーガの106巻。正直言って、グインがケス川を渡って中原に帰ってきてから、かなり間延びしていると思う。特にこの巻は事件らしい事件もなく盛り上がりに欠けた。

グインが王様としてケイロニア宮廷に居座っていては物語が進めにくいのはわかるけど、ここ数巻は外伝として書いた方がいいような話のような気がする。三国鼎立の情勢ができてきたのでもっと大きな展開を期待したい。

グインサーガの刊行が始まって二十数年が経過したのに、物語の中ではまだ6、7年くらいしか過ぎていない。最初の外伝「七人の魔道士」(今から考えると外伝というより本筋中の本筋みたいな話だったなあ・・・)の時代にすら到達していない。

「七人の魔道士」は確か最初SFマガジンの特大号に一挙掲載されたような気がするが、最初に「著者の言葉」みたいなコラムがあって、そこではレムスは「大草原の覇者」みたいなのになって、グインのケイロニア、イシュトバーンのゴーラ、レムスのパロの栗本版三国志が展開される予定・・・とあったように思う(二十年以上前の記憶なので、間違っていたらごめんなさい)。
レムスはどうも「覇者」になれそうにないなあ。それともこれから大化けしてアルゴスを制圧したりするのだろうか(そうするとパロは三国の一つではない???)。

「七人の魔道士」は、私の中ではシリーズで最も好きな話。まだこのころはヒロイックファンタジーのドロドロしたところや薄暗さ、香り高さみたいなのが濃厚にあった。最近のはライトノベルみたいな感じがする。

「七人の魔道士」が文庫として刊行された頃、私はちょうど大学受験の頃で、本命の早稲田の受験会場で、この本の続きが気になって休み時間にも読み続けていた覚えがある。私の隣の受験番号が1つ違いの女性は、休み時間も必死に参考書などを読み返していて、「今さら勉強してもなあ・・・」なんて思っていたのだが、私は不合格で、彼女の受験番号は合格発表の掲示板に記載されていた。

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ミリオンダラー・ベイビー

2006年02月13日 | 映画の感想
クリント・イーストウッドが主演した映画と監督した映画のどちらを多くみたかというと、恐らく後者だと思う。中にはいかにも低予算の映画という感じのものもあるが、どの監督作品もエンタテインメントとして水準以上の出来だった。

イーストウッドは、自分が住んでいる地域の行政が気に食わず、自ら市長に立候補し、当選し、その行政官としての手際も水際立っていたと聞いたことがあるので、俳優としての芸術的才能もさることながら、実務的能力がすぐれた人なのだろう。

ミリオンダラー・ベイビーは、イーストウッドの主演・監督の映画。
前半、女子ボクサーの出世物語が描かれるが、後半になって一転、人生の意味、生きていくことの価値を問うシリアスで重い話になる。

しかし、後半も難解や晦渋に陥ることなく、トレーナーとしてのイーストウッドとボクサーとしてのスワンクが、「なぜこのような行動をとるに至ったのか」が、堅実にいくつかのエピソードを積み重ねることで、わかりやすく、明確に描かれる。

こうした主筋の展開も見事だが、イーストウッドと(主役のボクサー以外の)周囲の人々(一流に育て上げたと思っていたとたんに彼から離れていくボクサー、元ボクサーでボクシングジムの掃除係のフリーマンや(画面には登場しない)イーストウッドの家族)との微妙な関係、距離感の描写が絶妙。特に、何度書いても、開封されずに家族から突き返されてくる手紙を靴箱の中にきれいに保管しているシーンが、極く短時間で関係性やトレーナーの性格を浮き彫りにしていて印象に残った。どうやってピリオドを打つのだろうと思ったラストシーンも「これしかない」というものになっていた。(これは監督の手腕というより脚本の見事さというべきかもしえない)

最近のアカデミー賞は、ファンの人気投票みたいな結果が多かったけれど、この作品が主要な部門を独占したことは、同賞が同業者による選定であることを思い出させてくれたように思う。
コメント (1)
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