蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

柘榴坂の仇討

2014年09月30日 | 映画の感想
柘榴坂の仇討

だいぶ前に原作を読んだ時、「このネタでこれだけうまく書ける浅田さんは、やっぱりすごいなあ」と思った記憶があります。
そう思ったのは、終盤がアンチクライマックスな筋なのにもかかわらず、テーマがグーンと迫ってくるような読後感があったからです。

このため、本作を映画化すると聞いたとき、「映画化して盛り上げるのは、かなり難しいのでは?」と思いました。しかし、新聞・雑誌の映画評を見ると、かなり良い評価だったので、気になって(珍しく)映画館に行きました。

えー、その、最近ときどき見かける「映画として成立してないんじゃない?」みたいなモノではもちろんないのですが、「無難にまとめてみました」的な感じ(期待レベルが高すぎたせいでしょうか?)。
終盤のセリフは原作通りのところが多いのに、原作を読み終わった時のような、普遍的テーマがビビッとくる?みたいな感動がないのですよね。

桜田門外での襲撃シーンまでは、とてもいい感じ(特に主人公が井伊直弼に心服するシーンに説得力があったし、彦根藩の設えなんかも雰囲気があった)だったのですが、どうもその後、主人公も妻も悟りきったような表情で、葛藤がイマイチ感じられなかったような気がしました。(真後ろの席の人が桜田門外のシーンが終わったあたりからイビキをかきだして、イライラしたのも原因かもしれません)

なお、主人公に重要なヒントを与える司法省の役人役の藤さんが抜群にいいです。特に初めて登場するシーンのくたびれ方?がとてもよかったです。この人ほど韜晦が似合う役者を見たことがないなあ。
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キスカ島 奇跡の撤退

2014年09月26日 | 本の感想
キスカ島 奇跡の撤退(将口泰治 新潮文庫)

副題は「木村昌福中将の生涯」。

キスカ島に孤立した日本軍5000名余を、軽巡や駆逐艦数隻を派遣して被害皆無で撤退させた作戦は、撤退に気づかなかった米軍に(撤退後しばらくして)大規模な上陸作戦を行わせたほどの完璧さで成功し、アメリカ軍側にも高く評価されたという。

この作戦の特徴は、
①制空権を米軍に握られているので、気象観測を徹底して濃霧の予想時に行うことにした。
②短時間で(救援の軍艦に)乗艦できるよう、銃など手持ちの兵器を捨てさせた。
③事前に訓練・演習を十分に行った。

といったことで、特に、命よりも大切にされた歩兵銃を捨てさせる決断をした②が異色だった(現地司令官の独断だった、というのがまた出色)。
しかし、何といっても救出作戦の現地指揮者:木村少将(当時)が、いったん出撃した救出艦隊を、霧の濃さが十分でないとして、いったん引き上げたというのが、(後に作戦が成功したこと以上に)日本軍にあっては殆どあり得ないほどの英断中の英断であったようだ。

少し前に読んだ「翔ぶが如く」によると、薩摩武士は、卑怯を最低の悪徳としており、軍議などにおいて慎重論を唱えても、「お前は死ぬのが怖いのか?」という主旨のことを言われるとそれ以上議論にならなかったという。
多分、日本軍においてもこのような雰囲気は濃厚に存在したと思われ、準備万端整えて出撃した部隊が何もせずに戻ってくる、という決断をするのは極めて困難であったと推測される。木村少将の(第一次の出撃時の引き返しが)高く評価されるのはこうした背景があるからであろう。

兵学校をさえない成績で卒業した木村少将は、平時なら大佐どまりのところ、緒戦での活躍を評価されてプラスアルファと言っていい少将にまで昇進しており、キスカ撤退時にはすでに50歳を超えていて、いわばキャリアの終点にまで来ていた人であった。思い切った引き上げの決定ができたのは、こうした要因もあったかもしれない。
しかし、後に日本海軍最後の勝利と言われる礼号作戦の指揮を執った際に、帰路において脱落した駆逐艦の乗員を自らが乗船する旗艦を長時間停止させて救出したことや、戦後、復員兵のために製塩事業を興し慣れないビジネスに奔走して軌道に乗せていること等を考え合わせると、情も理も兼ね備えた稀有の指揮官、リーダーだったゆえに、と考えるのが妥当ではないかと思った。
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イン・ザ・ヒーロー

2014年09月19日 | 映画の感想
イン・ザ・ヒーロー

主人公は長年スーツアクター(着ぐるみの中の人)を務めてきたベテランですが、ホントは普通の俳優として活躍したいと思っています。
あるとき、戦隊モノの映画の準主役の役が回ってきます。しかし、せっかく訪れたチャンスを新人アイドル?に奪われてしまいます。
その新人は、アクション俳優としてハリウッド映画への出演をめざしており、初めのうちは不遜な態度をとっていますが、やがて主人公へ弟子入りします。そのおかげか、新人はハリウッド大作のオーディションに合格します。
その映画のラストのアクションを務めるはずだった俳優がドタキャンし、その役が(なぜか都合よく)主人公に回ってきます・・・

主人公役の唐沢さんは、かつて主人公と同じようにスーツアクターだったそうです。このため、ラストのかなり長く派手なアクションシーンもふくめ、全シーンともスタントなしで本人が演技したとか。
そういった背景を前提とすれば、今や大スターとなった唐沢さんの自伝的要素を含み、現実と仮想を入れ混ぜにした興趣を感じさせますが、その点を除いてスで見るとしたら、なんというか、その、平凡な映画だったなあ、と思いました。

また、主人公の(離婚した)妻や娘の話とか、新人の家族の話とか、主人公の同僚の結婚の話とかのサイドストーリーが、いずれも伏線不足・説明不足というか、とってつけたような扱いで、主人公の話に絞った方がよかったんじゃないかなあ、とも思いました。(原作ではこれらの挿話がもう少し詳しく書かれているそうです)

実は、よく読んでいるいくつかの映画評サイトで高く評価されていたので、めったに行かない映画館に出かけたのですが・・・あれはステマだったのかなあ。
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プロムナード 

2014年09月18日 | 本の感想
プロムナード (道尾秀介 文春文庫)

道尾さんの作品で初めて読んだのは「ラットマン」だった。
その感想の中で、日経夕刊に連載されていたエッセイが面白かったのが「ラットマン」を読んだきっかけだった、と書いたことがある。

本書は、その日経夕刊(連載エッセイのコラムコーナーの名前が「プロムナード」で本書のタイトルはそれにちなんでいる)に掲載されたエッセイや書評、著者の習作などが収載されている。

本書でも書かれているように、エッセイが必ずしも著者の経験通りあるいは本音であるとは限らず、作家が書いたものの中には創作も多いのだろう。本書でも「これはフィクションでは?」と思わせるものいくつかある。ショートショートのような鮮やかにオチがついているからだ。

一方、エッセイの素材に大学時代や会社員時代の経験が数多く取り上げられているのに、高校時代以前のネタがあまりないのは、その時代が著者にとってあまり愉快なものではなかったことを示唆している(本書の一編で、高校以前は家庭的に恵まれなかった旨のことが書かれている)のかもしれない。
私が読んだ著者の作品は3冊にすぎないが、そのうちの2冊(龍神の雨向日葵の咲かない夏)が薄幸な少年を主人公にしているのは、こうした経験が反映されているのかもしれない。

数々の文学賞を受賞し、押しも押されぬ人気作家となった著者だが、本書で繰り返し強調される小説創作への情熱は、まるでデビューしたての新人のような熱さを感じさせる。
どうもホラーっぽいムードが苦手で敬遠気味だったんだけれど、他の作品も読んでみたくなった。
(前段で述べたように、作家のエッセイは必ずしも本音を書いているわけではなく、こんなふうに思わされてしまった私は、見事に著者のマーケティングにはまってしまったのかもしれない)
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考えの整頓

2014年09月13日 | 本の感想
考えの整頓(佐藤雅彦 暮しの手帖社)

作家も売れっ子になってしまうと、(特に雑誌に連載しているような)エッセイは片手間仕事になってしまって、面白くなくなることが多い。逆に売れ始めの頃は、わずか数ページのエッセイでもごく短い小説のような内容の濃いものになっていることもある。
著者の佐藤さんは、発表作品数も多いうえに、大学の先生などの本業?の方も相当忙しそうだ。本作の初出は雑誌連載でもあるが、一つ一つのエッセイにテーマがあって、それぞれに興味深い。

印象的だったのは、

「「たくらみ」の共有」→企みが一体感を生む、というテーマの例として挙げられていた、挙手した時の手指の形で意思を伝達するという企みは、私自身に経験があって共感できた。

「物語を発言する力」→二つの三角形の並びかえで、誰もが同じ物語を想起してしまうことの不思議さ。後半のラーマン屋のストーリーにも関心した。

「この深さの付き合い」→モンブランの万年筆を使ってみたくなった。

「見えない紐」→縦書きの日本語の文章を一番下まで読んだ後、誰もが当然に次の左隣の行の一番上に読み継いでいることが不思議に思えてくる面白さがあった。

「ふるいの実験」→かなりありそうな条件なのに、いくつか重ねていくとすべてに当てはまる人は案外と少ない、という実験。平凡そうに見える人であっても全く同じ人なんていない、ということだろう。

「意味の切り替えスイッチ」→毎日の散歩に飽きてきたので、携帯音楽プレーヤーを聞きながら出かけた所、とても快適だった。しかしその原因は音楽の楽しさだけではなかった。「「差」という情報」→紹介されている「ファミリー・クリスマス」という掌編がとてもよかった。

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