蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

ゲゲゲの女房(映画)

2011年08月29日 | 映画の感想

 

ゲゲゲの女房(映画)

貧乏の苦労話を見聞きしていても楽しく感じられるのは、その人が後には成功したり、幸福になったりする場合(典型的なのが古今亭志ん生の「びんぼう自慢」。貧乏が自慢できるのも後に名人と呼ばれるほどになったからこそ)であって、最後まで貧乏で不幸なままでは、あまりカタルシスがないし、だいいち暗い話にしかならない。まあ、そういう話を意識して創作する向きもあり、長年愛されていいることも確かにあるのだけれど(例:フランダースの犬)。

「ゲゲゲの女房」も、主人公の水木さん夫妻が、後には大成功すると知っているので、安心して楽しく見られる。

ただし、TV版では、夫妻役とも美男美女で、貧乏しているといってもあくまで明るいムード(朝から暗い話もできまいが)なのだけれど、映画版は、湿っぽく、暗い。奥さん役の吹石さんは(美人なんだけど)最初から最後まで理不尽な貧乏に不満顔であるし、宮藤さんは昔の(やせていた)水木さんそっくりで、食事のシーンで放屁したりする。

 劇中で貸し本屋のオヤジが、水木さんのマンガ(後には秀作と言われたものだろうけど)を「暗いんだよね」と非難する場面があるが、「明るいだけが取り柄じゃなかろう」という脚本の主張なのだろうか。
昭和30年代の話なのに、背景には現代の建物が写り(狙いはよくわからなかった)、時々画面のはしっこに妖怪が立っている。 

TV版の貧乏はエンタメ風だったけど、映画版では知り合いの漫画家が餓死したりして切迫感がある。
何より水木家の2階に間借りしている貧乏神(カネナシさん)がどんよりしたムードに追い討ちをかけている(終盤で出てくる貧乏神と水木さんの会話シーンは鬼気迫るものがあった。

大向こう受けはとてもしそうにない(TV版のファンだった人は映画版を見てとてもがっかりしちゃいそう)作品だけど、私はとても好きだ。それは、今ではあまり見られないような、食い物もふくめて「何一つない貧乏」(何でも質屋に持っていってしまうので家の中には時計すらない)を見せられてノスタルジーを感じるからだと思う。
今時の、TVなどで見る貧乏は、モノがそこかしこにあふれていて、登場する人は肥満体だったりするので、私のような古い人間からみると「何か違う」と思えてしまう。

それでも、最後には、貧乏神は水木家を去り、家にいくつかのモノが質屋から戻って、後の大成功を予感させる場面がラストシーンになっているので、ほっと安心して映画を見終わることができるのだった。

 

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バイバイ、ブラックバード

2011年08月28日 | 本の感想
バイバイ、ブラックバード(伊坂幸太郎 双葉社)

太宰治の「グッドバイ」をモチーフにした連作集。

主人公は、何らかの理由で、数日後に「あのバス」でいずこかへ連れ去られることになっていて、逃亡しないよう監視役の大女(繭美)に見張られている。
連れ去れる前に、主人公がつきあっていた5人の女性に別れを告げに行く、という話。

(誰でもそう思うようだけど)繭美のキャラはマツコ・デラックスを連想させるが、この本の発行時期から考えると執筆時点では、マツコさんが今ほどは露出していないような気もして、偶然の一致なのかもしれない。(実は、マツコのキャラは本作を読んでマネをした、なんていうと、とても面白いのだけど・・・)

繭美の毒舌がすごくていっそ爽快感があるほどなのと、他の人物の会話も(例によって)しゃれていて、小説としては楽しめるけれど、著者としては、余力の範囲で書いたものかなあ・・・とも思えた。

刊行時に書き足された最後の短編は、まとめすぎようとしていて、蛇足気味とも思えた。
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焼き場に立つ少年

2011年08月14日 | Weblog
焼き場に立つ少年

昨日(8/13)の日経新聞最終(文化)面に「焼き場に立つ少年」というタイトルの写真が掲載されていた。
小学生4-5年生くらいの男の子が背筋を伸ばして立っている。
背中にはおんぶひもでくくりつけた2-3歳くらいの幼児がいる、という写真である(撮影1945年、ジョー・オダネル)。

数年前、この写真を初めて見たとき、私は、そのタイトルから、親の亡骸を火葬する場面に立ち会っている少年なのかと思った。
しかし、真相はそうではないことを2007年の産経新聞の記事で知った。以下はその引用である。

******************
焼き場に10歳くらいの少年がやってきた。
小さな体はやせ細り、ぼろぼろの服を着てはだしだった。
少年の背中には2歳にもならない幼い男の子がくくりつけられていた。(中略)
少年は焼き場のふちまで進むとそこで立ち止まる。わき上がる熱風にも動じない。
係員は背中の幼児を下ろし、足下の燃えさかる火の上に乗せた。(中略)
私は彼から目をはなすことができなかった。
少年は気を付けの姿勢で、じっと前を見つづけた。
私はカメラのファインダーを通して涙も出ないぼどの悲しみにうちひしがれた顔を見守った。
私は彼の肩を抱いてやりたかった。
しかし声をかけることもできないまま、ただもう一度シャッターを切った。
*****************

少年の表情は、私が見たことがないほど、真剣で厳しいものである。
弟か妹の死体を彼が運んできたからには、おそらく彼の両親は既に亡くなっていたのだろう。
彼は生き延びることができたのか。

今日の私たち、日本人は、生きるための戦いをしなくてもよくなった。
そういう世の中は彼のような人々によって築かれてきたことを忘れてはいけないと思う。
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酔いがさめたら、うちに帰ろう。

2011年08月14日 | 映画の感想
酔いがさめたら、うちに帰ろう。

主人公(浅野忠信)は重症のアル中。
中毒もさることながら、あまりにも飲みすぎて全身がボロボロ。
売れっ子漫画家の妻とも、家庭内暴力の末、原稿を破ったことが原因となって離婚。しかし、離婚後も子供二人を交えて交流は続く。症状がこうじて精神病院に入院することになり、いくらか中毒症状がおさまってくる。
その時、主人公が末期がんであることがわかり・・・という話。

主人公が、アルコールをぐいっと飲むのが、なんか痛々しい反面、とてもうまそうに見えてしまったのは、見てるこちらもすでに中毒気味ということか?

主人公は、入院してから食事に異常に執着する。胃腸の具合が悪いので軽めの食事が用意されるのだが、納得いかない。特にカレーライスが好みなのだが、なかなか出してもらえない。アル中の症状が進むと食欲がなくなってひたすら酒が飲みたくなると聞いたことがあるが、主人公は例外だったということか?カレーライスが食べたいなんて、健康体でないと難しそうな気もするのだが・・・

本作の主題は、精神病院の様子を描くことだと思うが、あまりセンセーショナルな筋立てにせずに、淡々と静かに描写されていたのは好感できた。半面、妻子とのからみがもう少しあってもよかったかなあ、と思った。こっちもつられて淡白になってしまったのか。
あと、西原さんの漫画の色付け方が描かれているシーンも興味深かった。
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