蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

戦争の話を聞かせてくれませんか 4/5

2005年11月23日 | 本の感想
佐賀純一さんが書いた「戦争の話を聞かせてくれませんか」(新潮文庫)を読み終わりました。開業医の著者が、身近の戦争体験者へのインタビュウを聞き書き形式でまとめたものです。

私は、戦記もの特に南方戦線のドキュメントをいくつか読んできましたが、第三者が記録や取材に基づいて書いたものは極めてどぎついものになりがちです。反対に体験者本人が自分の経験を書いたものは、なんとなく、カドがとれているといのか、「辛く厳しく、人間の忍耐の限界をはるかに超えていたが、悪いことばかりでもなかった」といった色合いを帯びているような気がするのです。(もちろん例外はあります)

とてつもない辛い体験もそれを乗り越えることができた人にとっては、アコヤ貝が角張った石を長い長い年月の末になめらかで美しい真珠に変えていくように、やがては美しい思い出に変化するのかもしれません。

この本に納められた経験談には相当に悲惨な内容の話もあるのですが、戦争の冷酷さとか無情、残虐といったものが、やはり、あまり感じられませんでした。特に「特警隊長のダイヤモンド」はこんな戦争体験もあったんだ、と思えるほど、なんというか、稚気にあふれたものです。

もう一つ、私があらためて感じたのは、人間の生と死の分かれ目は、本当に、偶然とか運としかいいようがないところにあることです。
この本の中でも、ふとした選択、なんでもない成り行きにより、知人は死に語り手は生き残った例がたくさん記録されています。
私たちは偶然や運に支配されて生きていかなければならないのでしょうか。もしそうだとすれば、それは戦争の苛烈さよりもいっそう私たちにとって辛いことではないでしょうか。
戦時下に限られた話ではなく、現代においては人間の死は必然ではなく、偶然によってもたらされることが多くなったように思います。これは私たちにとって幸福なことなのでしょうか。それとも生物の本来の寿命をはるかに超えて長生きを求める人間への神様の残酷な仕打ちというべきものなのでしょうか。
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ソースかタレか

2005年11月14日 | Weblog
休みの日に買出しに行く近所のスーパーで、小学生3,4年生くらいの子供どうしがこんな会話をしていました。
「マックのチキンナゲットのタレが変わったの知ってる?」
「知らなーい」

「タレ」というのは、おそらくチキンナゲットに付いているマスタードとかバーベキュー風味のソースのことだと思います。
そういわれてみれば、ドロッとしたゲル状で、上からナゲットを浸した後に引き上げるからめ方など、ソースというより、「タレ」もしくは(「ざるそば」から発想して)「ツユ」といった方が日本人の語感ではぴったりくるのかも。

私くらいの年代だと(私だけかもしれませんが)、「ソース」といわれてすぐに連想するのは、真っ黒でねばりがない、プラスチックの容器にはいったウスターソースなんですが、いまどきは、焼いたり煮たりした魚や肉に後からかける、フランス料理風のバターこってり目のソースを思い起こしたりするものなのでしょうか。
いずれにしても、マックナゲットのソースは、「ソース」ってイメージじゃないなあ。

そうは言ってもオトナだと、「あれってタレだよなあ」と思っても少し恥ずかしくて口には出せません。
安易に外来語をカタカナ表記にしてしまう最近のオトナを尻目に、子供たちの素直な感じ方と表現に少し感心しました。
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道場 3.5/5

2005年11月08日 | 本の感想
永瀬隼介さんが書いた「道場」(文藝春秋)を読み終わりました。

失踪した先輩の空手道場を引き継ぐことになった主人公は、会社をクビになったばかりで、今後のあてもなく、確たる理由がないままその道場を運営していきますが、道場のコーチや門下生がさまざまなトラブルを持ち込んできます。あまり主体性のないままそのトラブルに巻き込まれ、主人公の力というよりは、成り行きでトラブルはなんとか解決していくという、短編集です。

私の書いたあらすじではさっぱり面白そうではありません。しかし、登場人物の中でもっとも頼りない(ただし、空手の腕は上級者)主人公こそ歯がゆさがあるものの、ストーリーは二転三転し、格闘シーンは迫力があり、主人公以外の登場人物のキャラも立ちまくり、という感じで、非常に楽しめる内容です。

ただ、雑誌に連載されていたせいか、きまった字数の範囲内でやや強引にストーリーを収束させていこうとするのが、ちょっとだけ気になりました。かえってそういう強引なオチまでもっていかなくても、その前で終わらせていても良かったのではないかと。
あるいは長編に仕立てても十分に持ちそうな感じです。特にロシア人の美人とスパイ組織、公安警察がからむ「不意打ち」は細部を描きこめば傑作になりそう。

なお、すでに続編が出版されているようです。(相変わらず、買ってから読み始めるまで随分間があいてしまっています)
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虹の谷の五月 3/5

2005年11月06日 | 本の感想
船戸与一さんが書いた「虹の谷の五月」(集英社)を読み終わりました。
日比混血の少年が、祖父とともに暮らすフィリピンの僻地の人々や山にこもり抵抗を続けるゲリラとの接触を通して成長していく姿を描く、船戸さんらしい筋書きの小説です。

「山猫の夏」「猛き箱舟」「伝説なき地」など船戸さんの作品をよく読んだのはもう十数年も前でしょうか。特に「猛き箱舟」は夢中で読み進んだ記憶があります。

ヤクザ映画を見終わって映画館を出てくると多くの人が肩をそびやかして風を切って歩いている・・・そんな話をよく聞きました。今ではヤクザ映画を見られる映画館はほとんどないので、実際そういう姿を見たことはないのですが。
船戸さんの著作を読み終わると、むしょうに、強い酒をのんで、胸やのどがやられるまでタバコをふかして、道行く人に難癖をつけたくなった、というのはヤクザ映画と同じ効果だったのでしょうか。過去形になっているのは、「虹の谷の五月」ではそういう気分にならなかったためです。(ただし、ラム酒は飲んでみたくなりました)

「虹の谷の五月」は確かに船戸さんらしさはあるのですが、かつての船戸さんの代表作と比べると、毒がないというのか、灰汁抜きした、あっさり・さっぱりした味わいになっていました。まさか直木賞を狙って万人ウケするものにしたということはないと思いますが・・・

浅田次郎さんの直木賞受賞作が「蒼穹の昴」ではなく「鉄道員」であったからと言って浅田さんの代表作として後者を挙げる人は少ないのと同じように、「虹の谷の五月」で直木賞を受けたからといってこの作品を船戸さんの代表作にあげる人も少ないと、私は思います。
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床屋の亭主との苦痛な会話

2005年11月05日 | Weblog
デフレになっていろいろなモノやサービスが値下がりしました。その中で私が最もうれしかったのは、定価1000円ポッキリの床屋チェーンの出現でした。
もともと床屋に行って1時間も座っているのがとても苦痛で、顔をナイフでこすられる(髭剃り)も大嫌いでしたので、10分で終わり、髪だけカットしてくれる床屋の出現は願ったりかなったり。

最近、私がいきつけの最大手チェーンのある店では「サービス強化」と銘打って散髪中に客に話しかけるようになりました。でも、2カ月に1回しか行かない私に、毎回聞くことは同じ。「今日はお仕事大変でした?」と「今日はもう終わりですか」(いつも夕方に行くのでこういうセリフになると思われます)。
私は床屋のおじさんやお兄さんから会話を強制されるのも大嫌い。以前はこの店はカット中必要な会話(もみあげはどうします?とか)以外の会話は一切なく、それもお気に入りの理由の一つだったのに・・・

しかし、楽しそうに会話している客もいますし、前々回のブログでも書いたように、例えおざなりでも店員から感謝の旨を伝えられたい感情も十分理解できるので、客とのフレンドリーな関係を築こうとするチェーンや店員の気持ちもわからないのではないのですが。

「今日はお仕事大変でした」→「いや普通」  「今日はもう終わりですか」→「まだまだ」と極めて不機嫌そうに毎回全く同じ回答しかしない客の顔を覚えて、質問を止めてくれることを切に願います。
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