日本語が亡びるとき (水村美苗 筑摩書房)
言語には「普遍語」と「現地語」と「国語」さらには「出版語」があるという。
かつての「普遍語」は西方にあってはラテン語であり、東では中国語であった。現代においては英語がその座を占めようとしているとする。インターネットの普及はそれをさらに後押ししており、日本語は存亡の危機にある。
「現地語」は「普遍語」の反対の概念。「国語」は「国」の成立と同じタイミングで成立するもので、その前提として、書き言葉に昇格した「口語俗語」である「出版語」が普及している必要がある。
こむずかしそうな表題のハードカバーなのにベストセラー級の売れ行きだったのは、1年以上前だったろうか。そのころに読んでいたのだが、何か著者に同調しかねるものがあって、感想を書かないままだった。上記の要約もうろ覚えのまま書いているので間違っていると思う。
そのひっかかりみたいなものが何だったのか、今日(2010/03/28)の日経新聞の「半歩遅れの読書術」というコラムで佐藤良明さんという方(肩書きは「米文学者」)が明らかにしてくれた。
佐藤さんによると、現代日本語は(以下、引用)
「これほど嬉々として母語にハマっている人たちにバイリンガル教育なんて無理にきまってるじゃん!とつい叫んでしまいたくなるほど元気にしている日本語が「亡びる」とは、またなんという想像か。国際社会のなかでいかに孤立しようと、そのツケがどんどん回って国力を落としていこうとお構いなしに、矢継ぎ早のスピードと、驚くほどのバラエティ、何でも呑み込む柔軟性と、お腹のよじれる可笑しさを保持したまま我が物顔で西暦2050年の世界を突き進んでいるであろう」(引用終)
とする。
私としては、佐藤さんの意見に賛成したい。
日本語というか日本文化は、世界一ともいえる豊かで安定した社会が育んだ、爛熟期を迎えつつあるような気がする。
日本経済の勢いや国際社会におけるステータスは落ちる一方かもしれないが、頂点に昇りつめた後、奈落へ滑り落ちて行く時にこそ、後の世に語られるような特徴的な文化が生まれるのが、繰り返されてきた歴史だと思う。
なお、引用した佐藤さんのコラムは、ラストできつい皮肉がきいていて大変面白かった。
言語には「普遍語」と「現地語」と「国語」さらには「出版語」があるという。
かつての「普遍語」は西方にあってはラテン語であり、東では中国語であった。現代においては英語がその座を占めようとしているとする。インターネットの普及はそれをさらに後押ししており、日本語は存亡の危機にある。
「現地語」は「普遍語」の反対の概念。「国語」は「国」の成立と同じタイミングで成立するもので、その前提として、書き言葉に昇格した「口語俗語」である「出版語」が普及している必要がある。
こむずかしそうな表題のハードカバーなのにベストセラー級の売れ行きだったのは、1年以上前だったろうか。そのころに読んでいたのだが、何か著者に同調しかねるものがあって、感想を書かないままだった。上記の要約もうろ覚えのまま書いているので間違っていると思う。
そのひっかかりみたいなものが何だったのか、今日(2010/03/28)の日経新聞の「半歩遅れの読書術」というコラムで佐藤良明さんという方(肩書きは「米文学者」)が明らかにしてくれた。
佐藤さんによると、現代日本語は(以下、引用)
「これほど嬉々として母語にハマっている人たちにバイリンガル教育なんて無理にきまってるじゃん!とつい叫んでしまいたくなるほど元気にしている日本語が「亡びる」とは、またなんという想像か。国際社会のなかでいかに孤立しようと、そのツケがどんどん回って国力を落としていこうとお構いなしに、矢継ぎ早のスピードと、驚くほどのバラエティ、何でも呑み込む柔軟性と、お腹のよじれる可笑しさを保持したまま我が物顔で西暦2050年の世界を突き進んでいるであろう」(引用終)
とする。
私としては、佐藤さんの意見に賛成したい。
日本語というか日本文化は、世界一ともいえる豊かで安定した社会が育んだ、爛熟期を迎えつつあるような気がする。
日本経済の勢いや国際社会におけるステータスは落ちる一方かもしれないが、頂点に昇りつめた後、奈落へ滑り落ちて行く時にこそ、後の世に語られるような特徴的な文化が生まれるのが、繰り返されてきた歴史だと思う。
なお、引用した佐藤さんのコラムは、ラストできつい皮肉がきいていて大変面白かった。