蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

定刻発車

2005年06月20日 | 本の感想
三戸祐子さんが書いた「定刻発車」(新潮文庫)を読み終わりました。
大手出版社の文庫で、文庫化前の本が自社以外から出版されている場合(人気作家の争奪を除く)、たいてい充実した内容であることが多いといわれます。
面白い本をさがすのが職業である文庫編集者があえて自社以外の出版社で、多くの場合それほど販売が好調とはいえなかった本をあえてリスクを犯してとりあげるのですから、粒よりになるのもうなずけます。
特に新潮文庫は毎月1~2冊はこの手の本があって、よほど興味がない題材以外は買って読みますが、確かにあまりはずれがありません。

この「定刻発車」も元の本の出版社は交通新聞社で、失礼ながらさほど売れたとも思えません。
もちろん偶然ですが、JR西日本の事故と同時期に出版されることになり、文庫の方はかなり売れているようです。最初の帯は「ぜひ電車の中で読んでください。本書の面白さが実感できます」だったんですが、最近の帯はちょっと慎重な言い回しに変わっていました。

副題は「日本の鉄道はなぜ世界で最も正確なのか」で、前半は副題の通り、いかにJRの仕組みが緻密でそれが細心の注意を払われて維持されているかが書かれています。ただし、この仕組みは個人の職人芸的技術に支えられている面が多く、鉄道員の莫大なエネルギーの投入なくしてはありえないものであることも指摘されています。
どうも昔から日本の技術は素晴らしいのだけれども、天才とか職人の手にかからないと十分な能力が発揮できない・・・というのが多いように思います。ゼロ戦とか、最近だとH2ロケットとか・・・(NHKのプロジェクトXでH2ロケットを取り上げたとき、技術の粋を集めてついに完成させたロケットを評して「工芸品のようなロケットになった」というナレーションがあって、「それじゃあ、売れないだろ」と思った記憶があります)
それに比べると、たとえばロシアなんかは戦車や機関銃、ロケットにいたるまで、誰でもいつでもどこでも使える技術が多いような気がします。国民性というものが、やはり、あるのでしょうか。
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うたう警官

2005年06月19日 | 本の感想
佐々木譲さんの書いた「うたう警官」(角川春樹事務所)を読み終わりました。
北海道警察の不正事件を背景に、議会で証言しようとしたために罪をかぶせられた同僚を救おうとする警察官の話。
冒頭の(本筋とは関係ない)逮捕シーンが迫力があって期待したのですが、本筋の方はイマイチだったかなあ・・・あまりに主人公側の思い通りに話がすすみすぎるような気がしました。
主人公の警官にあまり魅力を感じませんでした。むしろ脇役ながら捜査の主力ともいえたベテランの婦人警官を中心にした方がおもしろい話になったかも。
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誰も知らない

2005年06月14日 | 映画の感想
カンヌで賞を取っていなければ、おそらくこの映画を見ることはなかったので、まず映画祭の審査員の人たちに感謝したい気持ちです。

親に見捨てられた4人の子供の話という程度の予備知識はありましたが題材になった事件については知りませんでした。冒頭、タイトルバックで主人公の男の子(明)が汚れた格好でスーツケースを電車で運ぶシーンで、子供の死体を運んでいることを暗示しており、思ったより随分暗い話なのかと、ちょっと先を見るのがつらくなりました。(そして実際にも全編を見通すのがつらかったです)
(見た後で調べてわかったのですが)実際の事件は非常に陰惨で、映画の内容は、骨子はほぼ同じとはいえ、相当にカドをけずった丸いものになっているのがわかりました。
確かに映画の中でも子供の一人は死んでしまうのですが、見ていてショックを受けるような描き方にはなっていません。むしろ子供たちが久しぶりに4人そろって外出するシーンや明が野球をするシーンなど明るい雰囲気のところもたくさんあります。

すでに言い尽くされたことですが、この映画を見ていると、映画のエピソードが自分の隣家で起こっている事件のように感じられてしまい、冷静に考えるとひたすら悪い方向へ進んでいる子供たちを助けられない自分がはがゆく思えてきます。
例えば「プライベートライアン」のオマハビーチ上陸のシーンは臨場感たっぷりで、弾がとんでくるような感じがするほどです。が、しかし、そこで感じられるのは「よくこれだけうまく撮れたなあ」という監督の腕前とかお金のかかり方に関する感心でしかありませんでした。
そうした感じ方とは違う、自分の感覚が本当にゆさぶられているような感じ。作り物だと十分承知しているのに、スクリーンの向こう側に立たされているようなおかしな感覚。

例えば・・・
タイトルバックで死体をつめたスーツケースをなでる明の指は汚れていました。最近の映画を見るとこうしたシーンでの汚し方がプラモデルの汚し塗装みたいで、汚れているのに画面が清潔感に満ちているようなこともよくありますが、明の指の汚れは”汚した”ものではなくて”汚れた”ものに見えました。


映画の中でも現実の中でも、子供たちの苦境を誰も知らなかったわけではありません。たくさんの人が気づいていました。しかし、誰も知らなかったのと同じ結果を招いてしまいました。
何もできない自分がはがゆかった、と書きました。もし、隣家で同じことが起きていることにうすうす気づいていたとしたら、本当に私は彼らだけが作った小さな結界に踏み込んで彼らの命を守ってやるだけの「面倒」に耐えられるのだろうか。
その問いに即座に「もちろん耐えられる」と答えられないのが、この映画を見ていてつらかった本当の原因でしょう。
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国家の罠

2005年06月09日 | 本の感想
「インタビューを終えてから、渋谷図書館に本を返しに行く荒木浩に同行する。返却が遅れたことを理由に逮捕された信者が実際にいるとのこと。これが法治国家日本の現実だ。戦後半世紀の繁栄を経て辿り着いた民主国家日本の実相だ。しかし今の社会にこの自覚は微塵もない。子供が虫や小動物を無邪気に殺せるように、自覚を失った社会はとめどなく加虐的になる」(「A」森達也)

佐藤優さんの書いた「国家の罠」(新潮社)を読み終わりました。
内容を絶賛している書評が多く、特に米原万理さんが褒めちぎっていたので、手にとりました。
鈴木宗男さん絡みで背任などの罪に問われている(公判中)著者の回想記です。

著者は外務省の役人で、主にソ連・ロシアを担当していたそうですが、非常に優秀だったそうで、本書の前半はその自慢話が中心です。
この自慢話は相当におもしろくて、この部分をもっと膨らませればよかったと思います。
編集した人もそう思ったのでしょうか、時間軸ではかなり後のエピソードである鈴木さんと田中真紀子さんの対立を、無理矢理前半部分に持ってきている印象がありました。(このため各章で時間が前後するため、少々読みにくかったです)

逮捕後の検事とのやりとりを中心とした後半は、ちょっともたつき気味で、検事との会話も私には不自然な感じがしました。
タイトル通り、国家権力にはめられた!というのがこの本の主題なのでしょう。しかし、自分をはめたのは現在の国家権力であって、普遍的な国益とか正しい歴史認識を残すために昔も今も自分はがんばっているというのが、著者のいいたいことのようです。

冒頭の引用はオウム教団を描いたノンフィクションの一節で、当時は本当にささいなことでオウム教団の信者は逮捕・拘束されていました。
国家権力がその気になれば、私たちはいつでも簡単に投獄されてしまうことが、まざまざと明らかになったのですが、当時は世間もそれをある程度しかたないこと、と考えていたように思います。
多分、そうした権力を牽制できるのはジャーナリズムだと思うのですが、むしろ、しばしば権力が目指す方向へ世論を誘導していることが多いようにも思います。
例えば、民営とはいえ、国交省に認められなければ運賃すら決められないほどにガチガチに監督されている鉄道会社が大事故を起こした時、国民の生命・財産を守る義務がある監督官庁を責めるのではなく、業務時間外に宴会をしていた鉄道会社の社員を攻撃する新聞・テレビのように。
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赤瀬川原平の名画読本

2005年06月06日 | 本の感想
赤瀬川原平さんが印象派を中心としたいわゆる名画を解説した「赤瀬川原平の名画読本」(光文社知恵の森文庫)を読み終わりました。

私は赤瀬川さんが絵画の解説をした本が好きで、何冊か書棚の目立つところに置いて、思い出した頃に見返しています。
赤瀬川さんは例えがとても上手で、素人にも理解しやすい解説になっており、自分がその絵を見た時に感じたこと(しかし、うまく言葉に表せなかったこと)が、そのまま書かれていることがあります。(実際は、絵を見たときに感じたように思わされてしまうほど解説がうまいのかもしれません)
例えば・・・(この本からに引用ではありませんが)ピカソの「腕をくんですわるサルタンバンク」の解説で
「そのくせこの人物は目が生きている。じっと確実に何かを見ている。でも見ているのはマナコだけで、そこに繋がる頭の中では別のことを考えている、だから困るのだ。この絵が描写的にそういうリアリティを持っているというのならべつに困らない。その画家の技量に感動していればいい。でもそれとは違う。たまたま形だけ借りた人物像に目が、よく見ると生きている。たとえば瀬戸物の人形を買ってきて、部屋に飾って見ていて、よく見たら目が生きている、目玉だけ有機物だったと気がついたら、困るだろう。」(「日本にある世界の名画入門」(光文社カッパブックス))
瀬戸物・・・以下の例えが私が感じたことを実にうまく言葉にしてくれたような気がしました。

ところで、「赤瀬川原平の名画読本」はちょっと印刷の色味が悪いように感じました。同じ版元の「日本にある世界の名画入門」は同じような紙質であまりかわりない値段なのにとても発色がよかたのですが・・・
でも、よりポピュラーな名画をとりあげているので、絵や赤瀬川さんに今まで縁がなかった人にもぜひ一度読んでみていただきたい本です。
この手の本としては珍しくルノアールとアングルという巨匠のいわゆる名画をこきおろしているところも読みどころです。
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