蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

デッドエンドの思い出

2012年12月23日 | 本の感想
デッドエンドの思い出 (吉本ばなな 文芸春秋)

実は、吉本さんの著作を読むのは初めて。読んでみて人気が出る理由がよくわかった。

この本のどの短編も、語り口は穏やか、というかぼんやりとした感じだが、ストーリーの中で語られることは、幼児虐待、子供の監禁、離婚して子と別居していた母親による子供の誘拐殺人、婚約破棄、食堂で毒を盛られる等々かなり重い内容ばかり。
まあ、小説の中ではよく取り上げられるネタでもあるんだけど、そうした事件が、当事者をどのような気持ちにさせ、そこからどのようにして回復していったのか、短い分量の中でとてもうまく(というか経験がなくても、読んでいると「きっと当事者になったらそういう感じなんだろうな」と共感できるように)表現されている。似たようなつらい目にあった人には、なおさらだろうし、回復の過程を読めば多少なりとも気分が楽になりそうな気がする。

「おかあさーん!」は、出版社の社員食堂で毒を盛られたOLの話だが、仕事で原稿を取りに行った作家に事件のことを事細かに聞かれてパニック状態に陥る場面が、PTSDとかトラウマとかってこういう感じなんだろうなあ、と思わせた。

表題作は、婚約破棄された女性の話。その女性を苦しめていたのは婚約破棄の事実だけではなく、婚約相手にカネを貸していてそれを返してもらえそうにないことだった、という内容なのだが、なんというかロマンチックでないので、普通の小説ではこんな設定にはしないと思う。
しかし本作では「なるほど、明確にふられたことがわかって、そこからいったんは立ち直ったように見えても、彼女の気分が晴れなかったのはこういうことだったのか」と良質なミステリの謎解きのように妙に納得できてしまうのだった。
そして、彼女は「カネの貸し借りにこんなにこだわっている自分」に自己嫌悪しているのだけれど、そしてそれを飲み屋のマスタに話すことで晴らすのだけど、この部分も、わだかまりを第3者に話すことで解消できることもある、って本当かもな、と思えた。

本書の中で2回、典型的な「幸せな場面」として、ドラえもんの一場面が取り上げられている。のび太が、部屋の中でねころんでマンガを読んでいて、ドラえもんはそのそばで胡坐をかいてどら焼きをたべている、という場面だ。
友達でも恋人でも親子でもないが、そばにいるとホッとできて、脅かされることなく好きなことができる、それが幸せということだと定義しているのだろうか。友達とか恋人とか親子とか夫婦とかといった関係性こそが、実は人を苦しめている原因なんだということを裏返して言っているようにも思える。
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アニマルキングダム

2012年12月09日 | 映画の感想
アニマルキングダム

母を薬物中毒で亡くした主人公は、祖母の家に引き取られる。
祖母の家族は薬物密売やその他の非合法ビジネスに手を染めていて、祖母は彼らに君臨する女王的存在となっていた。
しかし、一家は警察に目をつけられていて、次第に追い詰められていく。警察は主人公を証人として裁判に出廷させようとして保護するが・・・という話。

祖母に率いられた一族が、殺人をはじめとした様々な犯罪を重ねていくあたりは、偶然の符合とはいえ、どうしても尼崎の事件を連想してしまう。
主人公は犯罪現場にいても特に衝撃を受けた様子もなく、警察に保護されても自分の周囲に対する無関心な態度は変わらず、終始何を考えているのかわからない。
なので、結局は魔女的な手腕を持つ祖母の思いのままに動かされてしまう。このあたりも、例の事件もこんな感じだったのかなあ、などと思わせた。

そんな主人公も、叔父が主人公の恋人を殺してしまったことを知って初めて自発的な行動に出る。そこで映画は終わってしまうので、「結局テーマはなんだったの」と言いたくなる結末だった。

そのラストも含めて、全体に多くを語らず、見る方に想像の余地を多く残すような構成で、特にうまいなあ、と思えたのは、検察側の証人だったはずの主人公が裁判では被告(自分の一族)側寄りの証言をしたことを、裁判の場面を全く登場させず、裁判後の護送警官の言動(主人公に(弾が入っていない)銃をつきつける)だけで説明した場面。
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なんらかの事情

2012年12月09日 | 本の感想
なんらかの事情(岸本佐知子 筑摩書房)

「気になる部分」「ねにもつタイプ」が抜群に面白かったので、この本も(私にしては珍しく)書店で見かけてすぐ買ってすぐ読んだ。
前述の2作に比べると、幻想短編小説風のものが増えて、笑いを狙ったのが減った気がするのが残念だが、まあ、払ったお金分くらいは十分にもとが取れるくらい楽しめた。

「運」→傘運はないが、ビニール傘運はありあまるほどある。
「物言う物」→物言わぬ臓器が物言うとき。
「上映」→走馬灯の準備
「愛先生」→ロボ先生、何先生、ラブ先生
「海ほたる」→カーナビが「海です」「海です」「海です」。これってホントにこうなるの?
「やぼう」→「め」は「ぬ」のことをどう思ってるの?

「瓶記」→一番出来がいいとは思えないが、私には一番ツボに来た。
(以下、引用)「どうせまた溜まるのだからと意を決して捨てることに決め、テーブルの上に並べてみた。こうしてみるとかなりの数だ。太ったの痩せたの、大きいの小さいの、のっぽなのちびっちゃいの、着飾ったのそっけないの。たくさん空き瓶を並べ、その前で腰に手を当てて仁王立ちになっているうちに、バルコニーから群衆を見下ろしているような気分になってきた。
「愚民どもめ」と言ってみる。ちょっと愉快だ。
「愚民どもめ」「愚民どもめ」
何度も言っているうちにすっかり楽しくなり、瓶を捨てるのを忘れる。
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ルリボシカミキリの青

2012年12月02日 | 本の感想
ルリボシカミキリの青(福岡伸一 文芸春秋)

「ルリボシ」を変換すると最初に出たのは「瑠璃星」、「カミキリ」を変換して出たのは「髪切り」だった。「瑠璃星髪切り」、うーん、なかなかいいなあ、と思った。というのは、本書とは何の関係もない話だが、本書によるとこの虫の青さというのはこの世の何物にも比せないほど美しいという。

著者のエッセイのうまさというのは、よく知られているが、本書でも、

「海のおばけ」(昔読んだ絵本の主人公がいたというアメリカの水族館を訪ねて見たカミツキガメの話)
「シガコン奇譚」(昆虫オタクの集う店の話)
「先輩から後輩へ」(NHKの「ようこそ先輩」に出演したときの話。こんな先生にいてほしかったと思わせる)
「鈴木少年の大発見」(フタバスズキ竜の発見者の話)
「出題者の悪夢」(大学入試試験を作る教官の悩みの話)
「恥多き物書き」(著書における恥ずかしかった間違い)
「神隠し殺人事件の一考察」(死体の解体はとても大変、という話)

などが面白かった。
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猫を抱いて象と泳ぐ

2012年12月02日 | 本の感想
猫を抱いて象と泳ぐ(小川洋子 文芸春秋)

もう30年くらい昔のことなので、記憶が確かではないけれど、当時、(多分)新井素子さんがエッセイで“性格が暗いことのどこが悪いのか、オタク(当時はコアなSFファンを指していた)のどこが悪いのか、友達がいないことのどこが悪いのか、私はそれは誇るべき長所だと思う”といった主旨のことを書いていて、(それにぴったりとあてはまりそうな)私は妙にほっとしたことを覚えている。

そういう、クラい人が年々(少なくとも表面上)減っていて、そう人くらいしか読まないいわゆる純文学系の小説を読む人も世界的に見てもかなり少なくなっているらしい(日本以外の国ではそういう類の小説は大学の研究室の中くらいでしか読まれないとも聞く)。
小川さんの著書がそれに分類されるかはやや微妙(例の博士の本以降、人気作家になったので)だが、本書は、エンタテイメントというよりはそれに近い。

祖父母に育てられてた主人公は、生まれつき唇がくっついていて切開+移植手術を受けて唇に産毛が生えいている。チェスを覚えるがチェスが乗ったテーブルの下でしか考えることができず、心を許すのは、祖父母とチェスの師匠(廃車になったバスの中に住み、身動きもままならないほど太っている)と主人公の家と隣家のはざまにはさまれてミイラになってしまった(と主人公が想定している)少女のみ。

暗い話だよな・・・これで主人公がチェスのトーナメントとかで大活躍というのならそうでもないのだが、チェスを指すのは、チェスクラブの地下にある秘密の部屋と老人ホームのみ。

誰がこんなわけのわからない話を長時間かけて読むのか、もっと楽しいことが世の中にはあるのではないか、と思うのだけれど、暗い性格の私のような者には、暗い物語世界に親近感を覚えるのか、とても楽しく読めたのだった。
それに上記のような筋はともかく、チェスがわからなくてもチェスをとても魅力的に感じさせるのはすごいなあ、と思った。
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