蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

善き人のためのソナタ

2008年01月30日 | 映画の感想
1980年代の東ドイツが舞台。
自国民を監視するのが専門の組織があり、対象はほとんど無差別で、手段は盗聴、尾行などなんでもありだった。
主人公はその組織の準幹部で尋問のエキスパートである。(被尋問者を寝かせずに丸2日も連続して尋問し続けると、ウソをついている場合には泣き出し、そうでない場合は怒り出す、また、ウソをついている人は同じこと(あらかじめ決めておいた言い訳)を繰り返すの対し、そうでない人はいろいろな言い方をする、などという尋問に関する薀蓄(? 本当かどうかは不明)がおもしろかった)

主人公は、高名な文学者(脚本家)の監視を担当しているが、脚本家の愛人の俳優のファンだった(?)主人公は、次第に監視対象に同情的になり、西側への情報漏えいを察知しながら故意に見逃す。
しかし、この主人公の行動がかえって脚本家と愛人を追い詰めることになってしまう。そして彼らを助けようとすればするほど、事態は悪化していくという皮肉な展開に見ごたえがあった。

最初主人公は党や政府に忠誠を誓う有能な情報将校として描かれるが、中盤以降とたんに腰砕けになってしまったのは、やや不自然な気がした。
主人公の上司(次官級)も、終始無能な人物として描かれるので、合わせて「東ドイツの情報機関ってたいしたことなかったのかな~」なんて思えてしまった。(もっとも、社会主義政権崩壊の少し前の話なので、すでに組織内のモラルが下がっていたのかもしれない)

ラスト近く、ドイツ統一後、かつて東ドイツの情報機関が集めた個人の情報を、その本人に公開している場面がでてくる。(この公開により人の良さそうな隣人が実はチクリ屋だったことなどが判明して一部混乱を招いたりしたらしい)
日本では同じようなことが起こるとは考えにくい制度で、ドイツ人らしいな、と思った。
そして、この制度を利用した脚本家がかつて自分を監視していたのが主人公であることを知り、ある行動を起こす。それが何かはラストシーンで明かされるが、なかなか感動的で、映画を最後まで見てよかった、と思わせる。
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お腹召しませ

2008年01月26日 | 本の感想
お腹召しませ(浅田次郎 中央公論)

「五郎治殿御始末」に続く時代短編集。前作に比べるとややコメディタッチの話が多いし、最後が尻切れトンボみたいな終わり方(各短編の最後に著者の独白が付いているのでそう思えるのかもしれないが)が多くて、やや著者のテンションが落ちてるかな、という感じだった。

その中で「安芸守様御難事」が面白かった。広島浅野家の傍流であった主人公(浅野長勲)が巡りあわせで四十二万石の藩主となることになった。
いわゆる帝王学を授けられていない主人公は、大藩の殿様という立場にとまどう(特に、食事の中に鼠のフンがはいっていたが、騒いだり残したりすれば調理係が切腹モノなので飲み下した、なんてエピソードがおもしろかった)。
ある日、主人公は「斜籠」というものの練習をさせられる。屋敷の中から駆け出して待ち受ける籠に飛び込む、というもので、何を目的にしているのか、誰に聞いても教えてくれないが、ラストでその意味が明かされる。
真相は実にバカバカしいものなのだが、主人公を含め皆真剣に「斜籠」の本番に臨む。
浅野長勲は幕末の実在の人物で、その回顧談を元にしているそうなので、もしかしたら「斜籠」も実話だったのかもしれない。明治を目の前にした時代にあってもこんなヘンテコなことを偉い殿様がやっていたのかと思うと面白い。
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りんごは赤じゃない

2008年01月21日 | 本の感想
りんごは赤じゃない(山本美芽 新潮文庫)

ある公立中学校の美術教師のユニークな授業方法を紹介するノンフィクション。

この教師は、就職経験がない専業主婦だったが、夫の専横に耐えかねて離婚。
30代なかばにして子育てをしながら教職免許を取得して就職する。生徒には好評だが異端とも言える授業法に対して周囲の妬みやいやがらせなどを受けつつも、やがて文部省の幹部クラスも注目するほどの評価を受ける。

その授業は、生徒にテーマ(例えばある人物の評伝)を決めさせて、そのテーマを生徒自身に調査させ、調査の結果を絵としてまとめさせる、といったもの。絵も徹底して描きこませる。

相手は中学生なので、皆が皆このような指導方法に沿って成果を出してくれるわけではないが、この教師にかかると不良がかった生徒もおとなしく言うことを聞くという。
その原因を著者は、
①美術室を花などで美しく飾りあげ、教師もきちんとした身なりをすることで、生徒に威厳を感じさせる。
②どんなことでも良いので生徒をほめる、認めてあげることにより生徒にプライドを持たせる。
などであるとする。

自分自身の中学・高校時代を思い出すと、美術の先生って「画家としては食っていけないから仕方なく教師をやっている」という人が多かったような気がする。

私は絵を描くのが好きで、中学生の時ある展覧会に出品したら、作品を見た美術科のある高校の先生がその高校に来ないかと誘ってくれた。そこで中学校の美術の先生に相談したら「絵を職業にするのは大変だぞ。それにあの高校の美術科に行ったら「目指すは東京芸大のみ」でしんどいぞ。そのコースに乗れないとせいぜいが学校の先生だ」なんてとてもネガティブなことを言われて、やめてしまったことを思い出した。(私の絵の才能は今振り返って見ると十人並みだった。だからむしろこの先生には感謝している)
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「超」英語法

2008年01月20日 | 本の感想
「超」英語法(野口悠紀雄 講談社文庫)

野口さんの書いた「超」ナントカシリーズは、著者の体験を書いたノウハウ本で、私には、あまり実用的とは思えない。
相当に多忙でしかも大学教授のように、頭が良くて、仕事がほとんど個人プレー(会社のような分業が進んでいない)、つまり著者のような立場の人にはとても有用と思われるが、一般人には不向きだろう。

しかし、一種のノンフィクションもの、あるいはエッセイとして読むととても面白いので、私はシリーズのほとんどすべてを読んだ。どの本にも本筋からは離れたコラム欄がかなり多くて、このコラム欄が特に面白い。(ただし、使い回されているトピックもけっこうあって、私のような愛読者からすると、「この話、別の本でもあったな」ということがある)

本書での主張は「英語は聞ければ話せる。だから話すことより聞くことの訓練に集中すべき」というもの。ただ、多くの人がこの手の本に期待する「即効性」はなく、英語をある程度のレベルまで聞けるようになるには2~3年の継続的な訓練が必要、とする。

で、冒頭に書いたように、私は「超」シリーズには実用性を期待していないのだが、本書もいつも以上にコラム(主に著者の英語にまつわる失敗談)が多くて、私のような読者にはぴったりの内容。映画や歌の英語に関する薀蓄、「ベルリン子」に関する話などが面白かった。
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ブラッカムの爆撃機

2008年01月17日 | 本の感想
ブラッカムの爆撃機(ロバート・ウェストール 岩波書店)

第二次大戦期のイギリスを舞台とした3つの短編と、著者のファンである宮崎駿さんが著者の故郷を訪ねた紀行マンガを収録している。もともと児童文学として書かれた作品とのこと。

表題作は、ドイツ爆撃に従事するイギリス軍爆撃機の乗組員たちが、ドイツ兵士の幽霊が住み着いた爆撃機に乗り組む話。

乗組員たちの連帯感の強さを主題としている。
宮崎さんのマンガによると、ドイツ爆撃に従事したイギリス軍兵士の犠牲者は公式統計でも5.5万人もいたそうで、出撃数30回のワンサイクルをこなすと生存率は5割を割ったそうだ。相当な犠牲者数、損耗率であったことに驚いた。
ドイツ爆撃はそれを行う方も本当に決死の覚悟が必要だったということで、戦場の苛酷さが増せば増すほど、チーム、戦友の絆はより強いものになるのだろう。

上記のテーマもうまく表現されているが、爆撃機内や地上基地の細やかな描写も興味をひかれた。宮崎さんが爆撃機の内部構造を絵にしているので、素人にも理解しやすかった。
宮崎さんのマンガ、特に水彩画風に彩色されたものが大好きで、もっと書いてくれないものか思うが、今や世界で最も稼げて、最も多忙であるアニメータである方にそれを期待するのは無理というものか。
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