蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

残酷な神が支配する

2014年07月29日 | 野球
高校野球の石川県大会の決勝で、星稜高校が0-8の9回裏、9点を取ってサヨナラ勝ちをしたニュースは、日本のみならず、(星稜高校がゴジラ松井選手の母校ということもあり)アメリカのメディアでも取り上げられたそうです。

試合経過をサンケイスポーツから引用すると
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星稜はエース・岩下が3回6失点と乱調で、打線も八回まで2安打と沈黙。0-8の九回、代打攻勢などで2点を返して反撃開始。小松大谷は山下から木村へ投手交代も、無死二、三塁から6番・梁瀬の左前2点適時打、7番・岩下の2ランで6-8.さらに一死一、三塁と攻め、遊ゴロの間に1点を挙げ、二死一、二塁から村上の中前適時打でついに同点。最後は5番・佐竹が左翼手の頭上を越える勝ち越し打を放ち、9-8でサヨナラ勝した。
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私は、このニュースに対して「奇跡の快挙」と感じるよりは、「時にスポーツは残酷だなあ」と、負けたチームの方に同情してしまいました。
星稜高校の関係の方には大変申し訳ないのですが「常連校なんだから、そこまでしなくても」とも、チラッと思いましたが、高校野球なんで、選手にとっては常連校とか強豪校とか関係なく、「今年、今大会がすべて」なんですよね。

ここで思い出したのが約1年前、宮城県予選決勝でサヨナラ負けを喫した投手のこと。次の新聞記事がとても強く印象に残っています。(以下、朝日新聞2013.8.1から引用)

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試合前の取材に応じていた西武の渡辺監督が突然、切り出した。「仙台育英、押し出しだってね」。全国高校野球選手権宮城大会の決勝の話だ。柴田の岩佐政也投手(3年)が押し出し四球でサヨナラ負けし初の甲子園切符を逃した。監督の脳裏に、苦い記憶がよみがえった。
1983年夏、群馬大会決勝。優勝候補の前橋工のエースだった。太田工戦、1-1で迎えた11回裏。2死満塁から四球を与え、高校野球が終わった。
「めったに無いよね。いまだに夏になると、言われるよ」
当時を「俺は3日間、本当に放心状態だった」と振り返る。そして続けた。
「でもね、俺は4日目から車の免許、取りにいったよ。夏休み中に取れた」
そう言って豪快に笑った。言葉の裏には、「切り替えて、前に向いてほしい」という思いがある。
30年前に負けた右腕はプロで3度の最多勝に輝き、指揮官でも日本一になった。「明日、立ち直ったら、俺より大物になるよ」。同じ経験を持つ先輩からの、力強いエールだ。(小俣勇貴)
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胸にグサリと突き刺さったナイフのような記憶を、笑い飛ばせるようになる一つの手段は、その後、痛恨の記録をあざ笑うような栄光の実績をあげることなのでしょうが、渡辺監督のように本当にそれを実現できるのは稀有な例でしょう。

しかし、小松大谷のエースは左投げで140キロを超すような実力の持ち主とのこと。
「ナベQもこう言ってるぜ。元気だせよ」といってあげたい気持ちです。

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海上護衛戦

2014年07月27日 | 本の感想
海上護衛戦(大井篤 角川文庫)

太平洋戦争中、参謀として輸送船団等の護衛を指揮した著者の回想記。

記憶力がいいのか、記録癖があったのか、あるいは後日の調査が充実していたのか、著者の個人的体験中心ながら、客観的データも大量にもりこんで(特に、海上輸送計画(輸入のための船腹確保の簡単な計算が紹介されている)が興味深い)、地味なテーマなのに最後まで面白く読めた。(以下、印象に残った点を箇条書き)

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・民族生存が太平洋戦争の究極の目的だとすれば、次のような図式になるはずである。
民族生存→通商保護(海上護衛)→制海権確保→艦隊決戦
しかし、現実は主客転倒し、艦隊決戦のための物資を運ぶのが海上護衛の目的とされていた。

・軍事上および民間の消費物資を海上運輸に頼る日本のような国の海軍の本旨は海上補給線の確保にあるはずなのに、日本海軍(特に連合艦隊)は決戦主義で、護衛戦にはほとんど関心を示していなかったし、戦力らしい戦力を割くこともなかった(そこ行くと、(戦艦なんか不要だからUボートを充実させろ、なんて指示していたらしい)ヒトラーなんかは優れた戦術眼を持っていたようだ)

・戦争初期の米軍の魚雷性能は劣悪で当たっても起爆しない(あるいは的中前に起爆してしまう)ことも多く、これが日本軍の油断を誘って対策が遅れ、性能があがってくると対応がまにあわなくなった。

・緒戦のフィリピン空爆で、偶然米軍の魚雷在庫に致命的な打撃を与えることができ、この影響は戦争中盤まで続いた。

・ソナーやレーダーの装備遅れが致命的であった。
・対ドイツの通商破壊戦の戦訓を持つアメリカ海軍の潜水艦隊への注力(例えば、潜水艦にアイスクリーム製造器が装備されていたらしい)ぶりに比べて、日本の対抗手段は旧態依然のままであった。

・米潜水艦も脅威であったが、ハルゼー機動艦隊が本気で通商破壊にあたるなどして、航空戦力により襲われるようになってから日本の通商護衛はなすすべがなくなった。

・南方での石油等の資源獲得は終戦間際まで順調で、現地では物資がダブつくほどあった。通商線をしっかり確保できていれば、戦争の展開に影響があったかもしれない。

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なんらかの工夫により、乏しい戦力ながら、(世間で思われているよりは)護衛戦では健闘したのだよ、と、いった内容を期待して読んだ。
しかし、史実通りとでもいうのか、通商線、補給線の確保という意味では、日本軍は(一般的な)歴史イメージ通りに(通常の戦闘以上に)惨敗であった、というのが本書の主旨だった。
前述のようにハルゼーの機動艦隊までもが通商破壊を行うようになったあたりからの、一方的に殴られっぱなし的な状況は本当にひどい。

著者は、戦争中、中佐~大佐であったのだが、作戦レベルでの軍の意思決定はもう少し下の階層で行われていたようで、著者の仕事は戦略的立案だったようだ。
しかし、その思考法や行動は、どうも他の役所(陸軍とか連合艦隊とか)との権力闘争とか、成果の奪いあいに終始していたように思えてならない。(別に日本に限ったことではないかもしれないが)高級官僚の世界は昔も今も国益より省益なんでしょうなあ。
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箱入り息子の恋

2014年07月27日 | 映画の感想
箱入り息子の恋

主人公(星野源)は、35歳・独身の市役所職員。毎日、昼食は実家に帰って食べ、定時に役所を出て家に帰るとTVゲームに没頭する生活をしている。
ある日、主人公は道端で若い女性に傘を貸す。まもなく両親がセットした見合いの席でその女性と再会し・・・という話。

失礼ながら、星野さんは、みかけがいかにも設定通りで、「こんな人いそうだようね~」と冒頭からスムーズに物語の世界へはいっていける。
主人公はヒマなせいか、役所の周りがやたらときれい、というシーンが映画の最初に挿入されているのも、「あるね~そういうの」という感じがした。

そういう人が、一目惚れしたというだけで、文字通り命がけ(2回死にそうになる)で彼女とつきあい続けようとするのは不自然といえば不自然だし、今どきありそうもないよな~とも思うのだけれど、世間からは失われて久しいそういう不器用な一途さをテーマにすることが、むしろ新鮮さを感じさせて、本作の評価につながっていると思った。

あるいは逆に、かつて絶滅に瀕していたかに思われた、主人公のような人が、広い範囲で共感を呼んでしまうほど増えてきている、ということなのか。

そんな、全体的な本作のイメージには反しているのだけれど、見合いの席で、彼女の父親(大杉蓮)が主人公のキャリアや覇気のなさを痛烈に批判するシーンが印象的だった。(その批判が、見ている私自身にも当てはまってしまって、イタかったので・・・)


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アンネ・フランクの記憶

2014年07月26日 | 本の感想
アンネ・フランクの記憶(小川洋子 角川文庫)

「アンネの日記」のアンネ・フランクゆかりの地と関係した人々を訪ね歩いた旅行記。

小川さんの小説はほとんど読んでいるのですが、本書はたまたま本屋の店頭で見かけた時に「未読の小説だ」と勘違いしてしまい、紹介文も読まないで買ってしまったのですが、読んでみたら純粋な旅行記だったので、ちょっと残念でした。

潜伏中のフランク家を援助し続けた婦人との会見記(なぜ彼女は、雇用者と従業員(あるいは友人)という関係でしかなかったフランク家を命がけで援助したのか、その理由はわからないままなのですが、確たる理由はなくても、そういう行動が現に行われた、という事実が貴重なのでしょう)
と、
アウシュビッツなどの収容所跡を見学した記録(恐ろしいほど整然とした収容所跡と、ユダヤ人から収奪したメガネや鞄や靴や髪の毛(!)などが山のように積まれて展示されてりることを対比させた描写が強烈)
が特に印象的でした。

「アンネの日記」等の訳者で知られる深町眞理子さんが、解説の中で、
凡庸な読者は「アンネの日記」を反戦・反差別の記号化されたイメージでしか捉えられないのに対して、小川さんは「アンネの日記」を純粋な文学として読み、「言葉とはこれほど自在に人の内面を表現してくれるものかと驚いた」ことを賞賛していらっしゃいます。
私自身、大昔に「アンネの日記」(しかもダイジェスト版)を読んだ時は、正直言って多少退屈に感じたので、やっぱり感受性の違いってあるような~と思わされてしまいました。

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グランド・ブタペスト・ホテル

2014年07月23日 | 映画の感想
グランド・ブタペスト・ホテル

世界大戦前を思わせる時代の、東欧の一国を想定した架空の国にあるグランド・ブタペスト・ホテルの練達のコンシェルジェ:グスタフが主人公。

彼は妙齢でかつお金持ちのご婦人に抜群の人気があったが、そのうちの一人で莫大な資産を持つ貴族の未亡人が死んでしまい、彼女の資産の中でも価値が非常に高いとされる絵画をグスタフに相続させるという遺言を残していた。
しかし、遺族はそんな遺言を認めそうになく、グスタフは絵画を持ち出して、ホテルの見習い従業員(ゼロ)と逃亡を図る・・・という話。

コミカルな感じのストーリーと画面なのに、テーマは硬質という作品は時々あるけれど、本作は、そのうえに虚構性、寓話性も強くて、ちょっと付いていきにくいなあ、という感じだった。
ストーリーや画面の隅々に含意があるのだろうけど、ほとんど読み取れないので「玄人向きの映画ですよ」と突き放されているような感覚になってしまう。

ゼロと恋に落ちる、顔に模様(アザ?)がある、ケーキ屋の娘が魅力的だった。
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