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蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

夏目アラタの結婚(映画)

2025年05月07日 | 映画の感想
夏目アラタの結婚(映画)

児童相談所の職員の夏目アラタ(柳楽優弥)は、連続殺人事件の被害者の子供から、事件の犯人で収監されている品川真珠(黒島結菜)に会って、殺された父親の首の行方を明らかにしてほしいと依頼され、興味半分で面会する。真珠は逮捕された時は肥満体だったが、面会時には美少女然としており、アラタは関係をつなごうと突然求婚する。やがて裁判で真珠は犯人は別にいると言い出すが・・・という話。

原作がかなり長目のマンガであるせいか、かなり込み入った、しかし突拍子もない展開と謎解きになっていて、2時間くらいの映画にまとめるのに苦労したろうなあ・・・と思わせる内容だった。
主役はじめキャストはいい(市川正親が脇役で出たりしている)ので、原作にこだわらずにオリジナルっぽい話にしてしまえばよかったのに・・・と思ったが、今はそういうの難しいのかも。

主役の柳楽さんとしても、コメディっぽい方向に振るのかな?という冒頭から、後半シリアスかつサスペンス風に流れたと思ったら、トンデモ方向の真相を明らかにせねばならず、いったいオレどんなキャラ??と、なんとも悩ましかったのではないかと思われた。

真珠はもうちょっと不気味なサイコパスっぽくしてほしかったかな。ただの気楽な女の子みたいな感じだったので・・・

新幹線大爆破2025

2025年05月06日 | 映画の感想
新幹線大爆破2025

東京から新青森に向かうはやぶさに爆弾を仕掛けた、解除してほしければ1000億円払えという犯行声明が発せられる。声明で爆弾は時速100キロを割ると起爆する、と宣言されており、運転士の松本(のん)と車掌の高市(草彅剛)は指令通り時速を保って走行する。SNSなどで犯行声明を知った乗客たちが騒ぎはじめ・・・という話。

中学校の頃、年に一回映画館で映画を(無料で)見せてもらえるという学校行事があった。私の学年は、「砂の器」「二百三高地」「新幹線大爆破」だった。
誰が選んでいたのか知らないが、名作揃いのラインアップに今となっては感心する。(普通の教師なら、「二十四の瞳」とか「伊豆の踊子」なんかを無難に選びそうな気がする)

「砂の器」はお涙頂戴と知りつつも泣けてきてしかたなかった親子放浪のシーン(感動して鑑賞後、早速原作を読んだら、それは映画とはベツモノであって、放浪シーンはほんのちょっと描写されるだけだった)。

「二百三高地」も、やっぱりお仕着せとは思いつつ、移設された28サンチ砲が火を吹きついには日本軍が高地を占拠するシーンにナショナリズムをかき立てられた。(今から考えると、教師の組合の力が強かった当時、「こんな映画を学校行事として中学生に見せるとはけしからん」なんてことはなかったんだろうか??)

そして「新幹線大爆破(1975)」。実は中学生の私には筋が理解できない点もあったんだけど、スピードが自慢の新幹線の速度が落ちたら爆発する、という設定だけでワクワクドキドキできた。後に「スピード」を見たとき「なんだ新幹線・・・のマネ(しかもバスという劣化版)じゃん」なんて思ったが、実際「スピード」は本作(1975)をモチーフにした、と公言されているそうである。ちなみに作品としてもまとまりのよさ、わかりやすさは「スピード」の方が上かな・・・とも感じたが(すみません)。

2025年版では、新幹線指令の笠置(斎藤工)がかっこいい。いつもと違うサラリーマンスタイル?も新鮮でよかった。
ラストシーンの特撮は十分見応えがあったし、人気が出るのももっともだと思うけど、犯行動機と真犯人像はちょっとどうかと思えた。


哀れなるものたち

2025年04月15日 | 映画の感想
哀れなるものたち

ビクトリア時代のイギリス(的な架空世界)で、高名な医学者のゴッド(ウィレム・デフォー)は、自殺した妊婦ベラ(エマ・ストーン)の胎児の脳を妊婦に移植して救命??する。幼児が成長するようにエマの情緒も発達していくが・・・という話。

フランケンシュタイン話で人造人間を女性にしたような話なのかと思って見始めたが、ホラー的要素はなく、全体としてはコメディ色?が強い。
ベラが性的な欲求に目覚めていくシーンでは、エマ・ストーンの演技の圧?がすごすぎて、映画館のスクリーンでみたら圧倒されて気持ち悪くなりそうな気さえした(実際には自宅のテレビでみた)。
エマ・ストーンは陳腐な常套句でいうと「体当たりの演技」になる。よくこんな高名な女優がここまでできるものだと感心したが、後からウイキで見たら、自分自身も企画者の一人だったらしい。

ウィレム・デフォー演じるマッドサイエンティストも、「いかにも」みたいな外見(顔がブラックジャックみたいにツギハギ)と、落ち着いた雰囲気やゆったりとしたセリフ回しが対照的で、ちょっと間違うとドタバタになってしまいそうな作品全体のバラスト役になっていたと思う。

オットーという男

2025年02月27日 | 映画の感想
オットーという男

ピッツバーグの製鉄所に勤めるオットー・アンダーソン(トム・ハンクス)は定年退職を迎える。几帳面で口うるさい彼は職場や近所でも鼻つまみ者。教師だった妻は少し前に亡くなっており、オットーは自殺しようとするが、近所に引っ越してきたメキシコ人のマリソル(マリアナ・トレビー二)に邪魔されて?果たせなかった・・・という話。

スウェーデン映画の「幸せなひとりぼっち」のリメイク。
「幸せなひとりぼっち」は、見終わったあと「いい映画だったなあ(終わってほしくなかった)」と思える秀作だった。北欧で作られたらしい素朴な味わいが印象に残っている。

そんな作品をトム・ハンクス製作・主演でリメイクということで、期待があまりにも大きかったせいか、うーん、ちょっとどうかな~という感じだったかなあ。舞台がアメリカで演じているのが代表的?アメリカ人であるトム・ハンクスなのだからしょうがないけど、アメリカ映画ってムードになって、素朴とか味わいとかからは離れたところにあったように思う。

「幸せなひとりぼっち」では、偏屈な主人公の(妻以外では)唯一の理解者だった近所の夫婦(夫は認知症?で意思疎通が困難)との交流がとてもよかったのだが、本作ではあまり素敵な感じではなかったのが残念。

トム・ハンクスの青年時代を演じたのはトム・ハンクスの次男(トルーマン・ハンクス)とのこと。うーん、若い時のトム・ハンクスとはイメージがかなり異なるような・・・


正体(映画)

2025年02月27日 | 映画の感想
正体(映画)

鏑木(横浜流星)は、18歳の時に犯した一家殺人事件で死刑判決を受け収監されていた。急病を装って救急車で運ばれる途中で脱獄し身を潜めていた。建設現場、フリーライター、介護施設を渡り歩くが・・・という話。

脱走場面からエンディングまで、そんなこと現実にはできるわけないわな、と思えるご都合主義の連続なのだが、主役を始めとしてなかなかの熱演で、見てる方を最後まで引っ張ってくれた。

いろいろな場所や職業を経験する鏑木を演じ分ける、というのが、タイトルから察せられる通り、本作の主役の難しさなのだと思うが、どうも横浜流星はカッコよすぎて違いが際立たなかったかなあ、と思えた。

主役のキャラとは反対に、終始しかめっ面を強いられる?捜査一課長:又貫(山田孝之)の苦悩ぶりがなかなかよくて、現実ではありえない記者会見での突然の反乱?がある程度リアルに思えたくらいだった。又貫の上司の刑事部長(松重豊)の官僚ぶりもよかった。

ネットフリックスのメニュー画面のに提示されていたので、見てみたのだが、ついこの間まで映画館でやってたよね・・・そういう時代なんですね。