蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

サブマリン

2016年05月29日 | 本の感想
サブマリン(伊坂幸太郎 講談社)

前作の「チルドレン」は、伊坂さんの作品の中で二番目くらい(一番は「グラスホッパー」)に好きな物語だったので、本作は(私としては珍しく)ハードカバーの新刊を買ってすぐに読みました。

「チルドレン」では「非行少年を立ち直らせることはできるのか」というテーマを書きたいところを(デビュー間もない頃の作品というこもあり?)ぐっと抑えてミステリ色をちりばめるといったサービス?にも最大限に配慮したように思えました。

(人気作家になったから、出版社の意向に斟酌する必要もなくなったわけではないでしょうが)本作では「罪と罰」という非常に重いテーマにフォーカスした内容になっていました。
このたま(陣内と武藤のやりとりは相変わらず軽妙で楽しいのですが)小説全体としては「チルドレン」で感じられた(良い意味での)軽みやエンタテイメント性みたいなものが失われていたように思えたのは残念でした。
そうかといって、重いテーマが徹底的に追求されているかというと、そうでもないような・・・

まあ、伊坂さんの作品にはどうしても高いレベルを期待してしまうので、こういった文句を書いてしまうのですが、そういった前提を除けば満足度の高い作品でした。というか、陣内さんの消息?を知れただけでも良かったです。

本書では、小説の中で登場するジャズの名演奏などの音源をプレゼントする企画がありましたし、(他の作品の)文庫化にあたって短編の新作を追加したり、文庫の初版のカバー裏にオリジナル掌編をのせたり)、当代一、二を争う人気作家なのに)読者サービスにも非常に配慮されている様子がうかがえました。
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ペテロの葬列

2016年05月22日 | 本の感想
ペテロの葬列(宮部みゆき 文春文庫)

「誰か」「名もなき毒」に続く杉村三郎シリーズの3作目。

主人公の杉村三郎は巨大企業のオーナーの娘婿という設定なのですが、この設定に必然性・必要性がない(別に杉村三郎は最初から私立探偵とか警察官とかでいいのに・・・)と(前2作に続いて)思って読んでいたのですが、「ほーら、そうでもないでしょ」と作者に笑われたような結末が本作には用意されていました。

宮部さんの作品のうち、時代物はハッピーエンディングというか、人間の良い面を強調するような筋が多いのに対して、現代ものは人間の醜さとか悪意をえぐりだして読者の前にさらすような、あまり読後感が良いとはいえないストーリーが大半のような気がします。
思い起こしてみると「火車」「理由」「模倣犯」など、代表作といえるような作品はことごとくそうでした。(特に「火車」の図書館(で主人公実父の死亡記事を探す)シーンは、強烈に記憶に残っています)そうかといって、だから時代ものがいい、というわけでもなく、読書体験としては現代ものの方が圧倒的に印象深いのですが。

本作の後味の悪さも相当なもの(特に杉村の奥さんのアノ台詞は勘弁してほしかった)ですが、ある意味では主人公の杉村が望んでいた通りの結果を招いたとも言えます。ただ、このシリーズのファンにとっても重大な裏切り??とも言えそうな展開で、各種レビューでも(ことこの結末に関しては)酷評しているものが多いです。
出版すればベストセラー間違いなしの人気シリーズで、こうした展開をあえて選択できるのも宮部さんならではかもしれません。(宮部さんのような大家でない限り、編集者が大反対しそう・・・)

続編も間もなく出版されるようで、現実にはいそうもないほどの好人物の杉村が、この、作者の残酷な仕打ち?にあってどう変わっていくのか、とても楽しみです。(←すっかり作者の術中にはまっているなあ)
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光秀の定理

2016年05月14日 | 本の感想
光秀の定理(垣根涼介 角川書店)

剣客の新九郎は、京の街角で博打を開帳し常に勝つ愚息という坊主に興味を持つ。イカサマをしているようには全く見えない愚息はなぜ必勝なのかがどうしてもわからない。二人はやがて浪人時代の明智光秀、その盟友の細川藤孝と知り合い、将軍候補義昭の救出作戦に参加することになる・・・という話。

歴史小説をよんでいると、光秀が博打好きで、ヒマな時はいつもサイコロ博打をしている、なんて場面が出てくることがあるので、(タイトルやあらすじから推測して)光秀が中心の戦国ギャンブル小説なのかと期待して読み始めたけど、全く違っていた。
本作での光秀は(多くの歴史小説通り)、戦国時代でもトップクラスの軍司令官ではあるが生真面目で優柔不断で愛妻家でもある人物として描かれている。

ギャンブル小説ではないのだが、物語の中心にあるのは「モンティホール問題」として有名なパラドックス。
3つのドアがありそのうちの1つには当たりがあるが、残り2つははずれである。子側が1つのドアを選んだあと(どこに当たりがあるか知っている)親側がはずれのドアを1つあける。その後、子側は最初選んだドアを変えることができるが、選択を変えるべきか否か?という問題。
「どちらでも同じ」というのが直感的な答えなのだが、実はドアを変えると当たりを引く確率は変えない場合の2倍になる。
これをわかりやすく説明するのはけっこう骨なのだが、本書では(クリアカットというほどではないが)それなりに説得力のある内容で(愚息が信長に)説明している。

本能寺の場面はなく、義昭の救出作戦と(光秀が出世の端緒をつかむ)六角氏との戦闘場面がクライマックスという、光秀が主人公の小説としては珍しい筋書だが、サクサクと楽しく読めた。

愚息が唱える平等主義みたいな主張も鼻についたりせず、それなりに納得感があった。
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この国のかたち(三)(四)

2016年05月14日 | 本の感想
この国のかたち(三)(四)(司馬遼太郎 文芸春秋)

文芸春秋に連載当時に読んでいたけど、20年くらい前のことなので内容は殆ど覚えていなかった。

(三)に収録されている「文明の配電盤」がよかった。東京理科大の創設にかかわる話。同大は東京大学の理工系学部の卒業生たちが、中堅技術者の養成を目的として設立した学校。校舎は借り物、教授は卒業生たちが無給で引き受けていた。「国家のカネによって学問を授かったということで、国恩を感じ」ていたためらしい。
手弁当で先生をするだけではなく学校の運営のため「会員は三十円を寄付すべし」という規約まであって、当時のエリートたちの健気ともいえるほどの良識がうかがえた。
タイトルの配電盤というのは、著者の例えで、エンジンプラグに電気を配る装置(配ることで一定の順序で爆発させる)。日本というエンジンを動かし始めるために設立された東京大学が配電盤にあたるという見立てである。その卒業生たちが政府の目論見通りに活躍したといえ、著者が言う通り「文明受容についての明治政府の計画は、大したものだったというほかない」


利殖に熱心だがカネには身ぎれいだった武士の話「戦国の心」、平城京と平安京を設けた理由を考察した「平城京」「平安遷都」(以上、(三))、
松が日本史に果たした役割を説明した「松」、漆器はなぜJAPANと英訳されるに至ったかを語る「うるし」(以上、(四))が面白かった。
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ジュラシックワールド

2016年05月10日 | 映画の感想
ジュラシックワールド

遺伝子から複製した恐竜たちを動物園のように見せるテーマパーク:ジュラシックワールドでは、様々な遺伝子操作により、最強の肉食恐竜を作り上げようとしていたが、その対象となった恐竜は人間の想像を超える能力を備えてしまっていて、檻?から脱走する・・・という話。

「ジュラシックパーク」は、CG技術の凄さを世間に見せつけたような作品だったと思いますが、最近はCGも見慣れてしまって、本作でのそれもきっとハイレベルなのだとは思いますが、「驚き」みたいなところまでは達していなかったというか、目新しさはあまり感じませんでした。

ただ、恐竜の格闘シーンはスピード感あふれていて興奮できましたし、最強の恐竜がトドメをさされる場面は「こうきたか!」みたいな意外感も十分でした。
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