蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

ぼくのプレミア・ライフ

2007年08月28日 | 本の感想
ぼくのプレミア・ライフ(ニック・ホーンビィ 新潮文庫)

イギリスのプレミアリーグのアーセナルの熱狂的ファンである著者の少年時代から中年の手前までのアーセナルの編年記風のスポーツエッセイ。
著者のアーセナルへの傾倒ぶりは社会常識を超えていて、ホームでの試合がある日はどれだけ重大なイベントも入り込む余地はない。アーセナルが不様な負け方をすると言葉の字義通りの「絶望」状態に陥る。

著者ほどの思い入れがあるわけではないが、私もひいきのプロ野球チームが不調で負けが込んだりするととても不愉快な気分になる。もうシーズンが終わってほしい、試合の結果を知るのがこわい、とすら思う。
金を賭けているわけでもないし、ファンという立場をやめてしまえばいいのに、そう簡単にいかないのが感情の不思議さ。毎年シーズンが始まる前には選手名鑑を買って一人一人しげしげとプロフィールを確認し、うきうきして開幕を迎えてしまう。

選手名など固有名詞が頻出して、私にはそのほとんどの意味がわからないのだが、著者の感情の起伏の激しさにつられて(?)読み進められてしまう。
人生における様々な問題・トラブルが「アーセナル生活」のあいまにうまく織り込まれていて、ただの「ファン日誌」とは一味違うところが、本書が評価される理由だろう。

ところで本書の対象となった期間は、1960年代終わり頃から90年代初めで、その大半がアーセナルにとっては暗黒時代ともいえる時期。そんな時期のファンの苦しみを書いているからこそ面白さが増していると思う。
21世紀にはいると100年ぶりにリーグ年間無敗という記録を打ち立てリーグ最強のチームになり、ボロボロの施設として描かれているホームスタジアムは新設されてピカピカになった。こうした、現在のアーセナルのファンのエッセイだと「勝った、勝った、また勝った」になってちょっと白けてしまいそうだ。

原題は「FEVER PITCH」なのだが、邦題の「ぼくのプレミア・ライフ」の方がより本書の内容にフィットしていてセンスもいい感じ。ただ、本書の解説によるとイギリスのフットボールリーグが「プレミア・リーグ」と名乗りはじめたのは、本書が記述の対象としている時期の直後だそうで、その意味ではややルール違反と言えるのかもしれない。
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司馬遼太郎が考えたこと6

2007年08月21日 | 本の感想
司馬遼太郎が考えたこと6(司馬遼太郎 新潮文庫)

私は「遼太郎中毒」にかかっていて、司馬さんの著作を長期間読まないでいることは難しい。
既読の本でも禁断症状をおさえるだけなら問題ないので、将来に備えて(?)未読の作品をできるだけ減らさないようにしている。特になぜかこれまで読んだことがない「竜馬がゆく」は貴重な老後の楽しみとしてとってある。一方、「坂の上の雲」は4回読んだ。

「司馬遼太郎が考えたこと」シリーズは15巻もあって、そんな私にはうれしい企画。時々「これ読んだことあるな」というのももちろんあるが、読んでいても忘れている内容もあり、とにかくありがたい。

「6」では、戦車兵であった経験を語ったもの(とにかく日本の戦車に恨み骨髄といったところで、さんざんけなしている。確かに性能は劣悪だったが、日本軍の戦場ではあまりごつい大型戦車を運用するような場面はなかったし、それなりにうまく運用した部隊もあったようだ)、「坂の上の雲」の連載が終わった時期なのでこの作品にふれたもの、異色のものではゴッホを語った一編もあった。

「6」で一番印象的だったものは、「長州人の山の神」で、これは白井小助という松陰の友人の話。
彼は維新戦争で活躍したが、維新後は山口にひっこんでしまう。
松陰は明治政府の要人には神のような存在で、その友人だった白井に誰も頭があがらない。
時々東京にやってきては要人の自宅に襲来する。当時、法王とまでいわれた山県有朋でさえ、白井には平伏して、どんな無理無体な要求(山県の妻にケツをふかせるとか・・・)にも従ったとのことだ。
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ハンニバル・ライジング

2007年08月20日 | 本の感想
ハンニバル・ライジング(トマス・ハリス 新潮文庫)

前作「ハンニバル」で少しだけ紹介されたレクター博士の幼年~青年時代を描く。事前の期待が高すぎたせいかもしれないが、今ひとつだったかな・・・という感じ。

今までの一連のシリーズの魅力の一つは、レクター博士の敵役(刑事)や異常犯罪の犯人の描き方にあったと思うのだが、本書では両方ともステレオタイプといえるキャラクターだったし、ストーリー展開もひねりがなく平板だった。私は、実はハンニバルの妹は生きていて・・・という話になるのかと勝手に想像していたのだが・・・
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アヘン王国潜入記

2007年08月19日 | 本の感想
アヘン王国潜入記(高野秀行 集英社文庫)

著者は、ミャンマー-タイ-中国国境に広がる麻薬(アヘン、ヘロイン)の世界最大の生産地、いわゆるゴールデントライアングル地域のうち、ミャンマーの一部族「ワ族」の村に数ヶ月間滞在し、アヘンの材料であるケシの栽培からアヘンの原料の生成までを経験する。さらにはアヘンの味を覚えてアヘン中毒にまでなってしまう。

現代日本ではまず経験ができないアヘンの味わい(?)が本書最大のウリだと思う。初めてアヘンを吸った際の感覚は素晴らしいものだったらしく、まさに天にも昇るような心地がしたという。(それですぐに中毒になってしまうのだが・・・)

アヘン中毒になると、無気力になって寝転んですごす時間が増えるのであたかも廃人になってしまうようなイメージがあるが、体に直接の悪影響はないらしい(短期間の経験なので、普遍的に正しいのかは怪しいが・・・村には現に長い間アヘンを吸い続けている老人がいるとのことだ)。これがヘロインに合成されると、とたんに体を直接害するようになってしまうという。

アヘンはモルヒネの原料でもあるので、著者は、ワ族の支配者に、モルヒネを生産して世界中に輸出してはどうか、と提案する。なかなかいいアイディアだと思うが実現はしなかった。

ワ族の村では、末端では驚異的な価格になるアヘンを生産しているが、大半を年貢として支配層に徴収されてしまうため、村人はとても貧しい。普段の食事は野菜いりの粥のようなものだけ。肉はめったに口にできず、風呂にもほとんどはいれない。ケシの栽培は相当な重労働だが、娯楽らしいものはアルコールくらい。そして男女ともに「徴兵」され、戦死するものも多い。
そんなところで(マラリアに罹ったりしながら)数ヶ月も暮らした著者の粘り強さには感心するばかり。「ルポを書いて有名になりたい」という野望もあったのだろうけど、「(現代日本人の誰もやったことがない)アヘンの生産をしてみたい、アヘンを吸ってみたい、ゴールデントライアングルで暮らしてみたい、という好奇心がそれに勝っているように思えた。
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べろなし

2007年08月18日 | 本の感想
べろなし(渡辺 球 講談社)

太平洋戦争末期に日本は米国とソ連の勢力の均衡地域となって、休戦が行われ、その後日本国内では60年も戦時体制が維持された、という設定の物語。

主人公の祖父は外交官で体制に批判的だったことがたたり、思想強制矯正所に入れられ、舌を切断されて話ができないようにされた上で自宅近くの神社の境内の檻に閉じ込められてしまう。
発狂したかに見えた祖父だが、落とし紙に木炭で書き付けた物語を主人公に渡す。それは国民には隠された日本と世界の情勢を暗示するものだった。主人公はこれを冊子に仕立てて近所に回覧すると想定を超えた反響が起きる・・・・

戦時体制が60年も維持された日本という設定にひかれて読んだ。
軍の支配のもと、思想や報道の自由がなく、慢性的に物資が不足し、工場で生産されるのは兵器ばかり・・・あきらかに現在の北朝鮮の見立てになっている。

「日本も一歩間違えばこうなったかも」というリアリティを追求してわけではなく、ファンタジー、パロディとしての物語にしたいのではなかったかと、想像するが、ちょっと中途半端で、テーマの追求がいまひとつ浅い感じ。意地悪くいうと子供向けの道徳おとぎ話みたいだった。
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