蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

そして、バトンは渡された

2019年05月28日 | 本の感想
そして、バトンは渡された(瀬尾まいこ 文藝春秋)

森宮優子は高校生。産みの母を事故で亡くし、再婚した実の父は海外に赴任し、父の再婚(その後離婚)相手の梨花に連れられて(梨花の再婚相手で金持ちの)父と暮らしていたが、梨花はまた離婚して再々?婚し、また別の父ができる・・・という話。

*****

本屋大賞を始め、各種ランキングで高い評価を受けた作品で、今さら感想でもないのだが、本作のテーマの一つは、友達なんていなくても平気、だと思う。(もちろん、これがメインではないけれど)
客観的にみると苛烈な人生を生きてきた優子のようだが、(むしろそれゆえにか)自分の立場や状況をメタ的な視点から超然と眺めることができ、少々の苦難(同級生からのいじめとか)は、それを苦難として認識すらできない。
海外赴任した父について行かなかったのは、当時の小学校の友達と別れたくなかったからなのだが、そんな親友も今では年賀状を交換する程度のつきあいしかない。かけがえのない父との生活をそんな友達と交換してしまったことを優子は反省している。
優子の現在の父は東大出のエリートサラリーマンだが、友達がいない、と公言しそれを気にすることもない。

*****

本書で一番面白かった場面は、金遣いの荒い梨花と二人暮らしの時期に、食べ物を買うお金にも事欠いて、アパートの大家のおばあさんに自家栽培の野菜をもらいにいくところだ。これは私が貧乏くさい話が好きなせいもあるが、おばあさんが(介護施設に入所することになって)優子に託したものが重要な伏線になっていたからでもある。お金の有効な使い方を考えさせられるエピソードだった。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

暗号通貨の経済学

2019年05月26日 | 本の感想
暗号通貨の経済学(小島寛之 講談社)

暗号通貨の仕組みと、数字の羅列にすぎない暗号がなぜ通貨たりえるのかを、経済学の理論を使って説明した内容。
今時わりとよくありそうな本なのだが、通貨はなぜ通貨たりえるのか?について
・価値保存手段
・計算単位
・交換手段
の3つの視点から、経済学の理論を使って(説明は簡便ながら)それなりの深さまで解説している点が他の本と違っていて、面白く読めた。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

世に棲む日々

2019年05月26日 | 本の感想
世に棲む日々(司馬遼太郎 文春文庫)

吉田松陰と高杉晋作を中心に、長州藩が(対英戦争、幕府軍との戦争などを経て)革命勢力の中心になるまでを描く。

司馬さんの小説を読むと、登場人物に対する司馬さんの好き嫌いがかなりはっきりとわかる。

本作では松陰よりも高杉の方が贔屓なように思えるし、どんな小説でも山県は嫌われているように思える。
高杉とならんで贔屓されているのは、意外にも井上聞多(井上馨)である。明治期の政治腐敗の先走りともいえる人物で、いかにも司馬さんが嫌いそうなキャラである。ところが本作内では長州藩を転回させた功のかなりの部分は井上のものとなっている。

井上は(小姓のようなことをやっていたので藩主とタメで口がきけたため)「そうせい侯」などと陰口をたたかれるほど意志薄弱だった毛利の当主を口説いたり、対英戦争の終息に大きな役割を果たしたりしたことになっているのである(史実通りなのかもしれないが)。

井上、伊藤、山県と、明治期も長く生きて政府を支えた人物は、長州出身者が多い。彼らは、本作で紹介されているように、幕末期に暗殺されかけたり、反対勢力から追いかけられて流浪をしたり、勝目がとてつもなく薄い(政治的・軍事的な)賭けをせざるをえない事態を繰り返し乗り越えたりしてきた。
そういう海千山千の人物がいるうちは明治国家もうまくいっていたのだと思う。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

志乃ちゃんは自分の名前が言えない

2019年05月11日 | 本の感想
志乃ちゃんは自分の名前が言えない(映画)

大島志乃は吃音?があり、母音から始まる言葉がなかなか発音できない。高校にはいって最初のクラスでの自己紹介でも自分の名前さえ言うことができずクラス内で孤立する。
同じくクラスで孤立している岡崎加代はバンドをやりたいのだが、歌うととても音痴なのでボーカルを探していた。ひょんなことから志乃は歌ならつかえずに歌えること知り、二人で練習を始め、路上で歌を披露できるまでになるが、ある日歌っているところをクラスメイトの菊地に見つかってしまい・・・という話。

うーん、一般論として安易で分かりやすいハッピーエンディングはしらけるけど、本作の場合はハッピーでもないバッドでもない何とも中途半端な終わり方で、「え、これで終り?」みたいな感じだった。カタルシスとまでいかなくても、もうちょっと見ている人に媚を売る?ようなエンタメ的要素がないとなあ。

それと、主役にはもうちょっと歌がうまい人がよかったんじゃなかろうか。(文句ばかりですみません。逆に岡崎加代役が、音痴なフリ?で歌ったクライマックスシーンの歌はけっこう感動的だった)
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ウマし

2019年05月11日 | 本の感想
ウマし(伊藤比呂美 中央公論新社)

今はカリフォルニアに住む著者の食べ物に関するエッセイ。

食べ物のエッセイなのにその周辺のことばかり書かれていて、食べ物そのものの描写があまりない本があったりするが、本書は詩人らしい新鮮な表現方法でイキイキと食べ物を描く。
「黒トリュフの卵かき」に関する描写を引用すると・・・
「その卵は、あたしたちの口の中で、さっきまでおまえの体の中にいたのだと主張していた(ほんとはどこかのトリの体の中にいた)。トリュフは、森に生成するものはすべて、新芽も、朽葉も、蜘蛛の巣も、微生物も、木洩れ日も、自分のものだと主張していた。ソースは新鮮な赤い血が、時間が経って古血になりましたというような色だった。ああ、おお、いちいちが、かぎりなく獰猛だった。
しかし、新鮮なまっ赤なワインを口に含むや、その獰猛さがしゅっと鎮められ、あたしたちの老いた体に同化していったのである」

もう一つ、うな丼を引用・・・
「うなぎの身は柔らかい上にも柔らかかった。雲を食べてるようであった。タレはきりりっと引き締まっていた。潔くてすがすがしかった。雲の中には滋養がみっしりとつまり、それでいて引き締まった感じは、まるで日照りがつづいた後の雨雲のようであった。雷鳴のようにタレが響いた」

「黒トリュフの卵かき」「うな丼」といった、しゃれた(高価な)料理ばかりでなく、ポテチやチートスといったジャンクフードや、ドーナツ、そば、インスタントラーメンなどといった庶民?の味も登場するのだが、どれもとてもうまそうに思えた。

そういう、主題である食べ物を語る部分に加えて、本書を読むと力がわいてくるような気がするのは、いろいろな国を渡り歩き、離婚し、再婚し、子育てをし、親の介護をしながら詩人やエッセイストとしての仕事をこなしてきた著者の人生からエネルギーを与えられるせいだろうか。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする