蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

砂漠

2007年11月22日 | 本の感想
砂漠(伊坂幸太郎 実業之日本)

私が大学に通っていたころ、よく、「大学は人生の夏休み」などといわれた。確かに、私自身も大学生だった頃がこれまでで最も楽しかった時期であったと思っている。
高校では友達もおらず、学校と家を自転車で往復するだけだったが、大学ではのびのびと一人暮らしをして、四六時中いっしょにいるような友人も何人かいた。徹夜で麻雀や酒盛りをして翌日のバイトに遅刻して怒られ、それでもその夜もまた明け方まで遊び暮らした。

本書は、東堂、南、西嶋、北村、ともう一人の大学生活を描いた作品。
前の四人の名前から推測されるように、彼らも何かというと麻雀をする。そうかといって麻雀を中心としたストーリーかというと、そんなことはまったくない。

語り手は北村だが、主人公は西嶋で、彼はアメリカが様々な紛争を起こしていると主張し、その大統領を非難するという今時あまりいそうにない大学生である。
西嶋は奇矯ともいえる行動をしみかけも全くぱっとしないが、誰が見ても超美人である東堂はなぜか西嶋に惚れる。
西嶋は東堂につきあおうと言われてもなぜかこれを断り、その反動なのか東堂はキャバクラでバイトを始める。西嶋は本当は断ったことを悔やんでおり、クリスマスに東堂のバイト先に一張羅を着て訪れて、前非を詫びる。
この、クリスマスの挿話は、設定自体はありがちなものだが、伊坂さんが書くと何ともいえないほのぼのとした物語になってしまう。

伊坂さんの小説のうち特に魅力的ないくつかは、不気味で悪意に満ちた敵がいて、不条理なエピソードが積み重ねられ、「何だかよくわからないけど、読み進まずにはいられない」という思いを抱かせる。
本書では、敵役はいちおう登場するものの底がしれた小悪党で、ストーリーは順序良く展開して不条理な場面はない。
ヘンテコな大学生の青春小説としてはよくできていて、楽しく読めるとは思うが、伊坂ファンにはやや食い足りないのではないだろうか。

ところで、本書の最終章には私のような人間には痛いことが書いてある。引用すると
「式の最後、学長の言った台詞は印象に残った。くどくどと話をしない主義なのか、学長は、卒業おめでとう、という趣旨のことを簡単に言った後で、「学生時代を思い出して、なつかしがるのは構わないが、あの時は良かったな、オアシスだったな、と逃げるようなことは絶対に考えるな。そういう人生を送るなよ」と強く言い切った」
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子どもが育つみちすじ

2007年11月21日 | 本の感想
子どもが育つみちすじ(服部祥子 新潮文庫)

著者は児童~思春期の臨床精神医で、数多くのケースを経験してきた。それに基づいて子供の成長に伴い発生する取扱いが難しい時期の乗り越え方を具体的事例をあげながら解説した本。

「親がわが子に向き合う時、愛と英知があればどんなにさいわいか」
「わが子を可愛いと思うこと、わが子に触れて率直に喜び、自然の生命がみち溢れるようにいとおしく感じること。これが愛である」
「しかし親も子も人間である限り、お互いに違和感や不協和音に悩むことも当然おこってくるであろう。その時自然な感情を無理に押し殺したり、作りものの愛を生み出そうとするのはよくない」
「感情は一応横において、わが子を理知的に対象として眺め、興味や好奇心をもって子どもを理解し味わうこと。これが英知であり、親と子のつながりのもつ一つの活力源である」

「愛」は本能的というのか、生物の性として所与のものなので、これを感じ行使することは容易だろう。しかし、理知的になるのは困難だ。そこで著者は自分の豊富な経験から、感情を横において理知的な見方をするとはどういうことなのかを、事例を通して語っている。

精神科を訪れる患者は、大なり小なり感情的(?)になっているはずで、そうした人を理知的に観察し、質問し、心の裡を語ってもらう訓練を受けた精神科医なら、わが子の行動に腹がたっても、理知的な見方をすることができるのだろうが、一般の人にはやはり難しいことだろう。
ただ、かっとなった時に、ふと、著者の主張がふっと頭をよぎれば本書を読んだ甲斐があったといえると思う。
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ハゲタカの饗宴

2007年11月20日 | 本の感想
ハゲタカの饗宴(ピーター・タスカ 講談社インターナショナル)

危機に瀕した日本の銀行を「ハゲタカファンド」が買収する。銀行の建て直しのためファンドから送りこまれた金融マンが主人公。買収前に自殺した銀行の頭取の愛人から自殺の背景の調査を依頼された女探偵と主人公が、銀行経営の破綻と買収の裏側に隠された秘密をさぐるというストーリー。

「フィクションは現実をなぞる。その逆ではない」
冒頭のまえがきはこう始まる。これはつまり、この本の内容が現実に近いものであるといいたいのだろう。
著者自身が金融機関に長年勤務したアナリストであり、ファンドマネジャーであったので、ある程度の信憑性はあるのかもしれない。

しかし、ストーリーの大部分は真に迫ったものになっているようには思えなかったし、最後に明かされる銀行の秘密も、あっと驚くというほどではなくて「まあ、そんなこともあるだろ」ぐらいの感じだった。

主人公が、仕事上では敵である探偵に惚れこんで、あっさり銀行やファンドを裏切るという展開が安易な感じがしたし、銀行の秘密は探偵の部下が一晩PCと向かいあっていただけで判明してしまうというのも拍子抜けだった。
出版当時、玄人筋からは大変評判が良かったそうなので、金融界のウラ事情に通じた人が読めばちゃんと面白いのかもしれないが・・・
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マイ・ベスト・ミステリーⅢ

2007年11月18日 | 本の感想
マイ・ベスト・ミステリーⅢ(日本推理作家協会編 文春文庫)

作家が自作のベスト短編と、他の作家の短編で好きなものを選んで並べるという趣向のアンソロジー。

自作と他人の作品を並べられるという前提があるとき、果たして自分が本当に「すごい」と感じた他人の作品を選ぶだろうか、という気がしないでもないが、なかなか面白い企画だとは思う。

本書は第三弾なのだが、お気に入りの作家が多かったので最初に買った。

収録作でよかったのは「魔羅節」(岩井志麻子)、「糸ノコとジグザク」(島田荘司)、「青らむ空のうつろのなかに」(篠田節子)、「痩牛鬼」(西村寿行)。
評判の高い「ひかりごけ」(武田泰淳)は、イマイチだった。

「青らむ・・・」と「痩牛鬼」はほぼ同じ主題で、プロットもよく似ている。違うのは主人公が愛するのが豚か牛かくらい、という作品。
選者は篠田さんで、「青らむ・・・」を書いた時は「痩牛鬼」(こちらの方がずいぶん先に発表されている)の存在を知らなかったと後記に書いているが、へたすると「盗作か?」と疑われかねない状況なのに、あえてこの2作品を並べたのは、自分の作品に相当の自信があるからだろう。
確かに両方読んでもそれぞれに少しずつ違う感動があった。
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サクリファイス

2007年11月17日 | 本の感想
サクリファイス(近藤史恵 新潮社)

自転車スポーツの選手の最大の敵は空気抵抗です。
例えば、競輪では9人の選手の先頭を走る選手は空気抵抗を一身に受けるので、その後に続いて走ってゴール前で追い抜かすというのが、合理的戦法です。
しかし先頭の選手もそれでは面白くないのであまり懸命に走らないかもしれません。そこで後ろを走る選手は追い越そうとするその他の選手を(ルールの範囲内で)牽制してガード役になってやることで先行選手のやる気を引き出そうとします。
そうはいっても負担が大きい先行選手はガード役の選手の弟子だったり後輩だったり友達だったりするわけ(関係の深さにより走り方が変わってきます)で、そこに人間関係という身体的能力とは関係ない要素が発生し、「脚力が強い奴が勝つ」とばかりはならず、妙味が生まれるわけです。

この本は、自転車のロードレースの世界を舞台にしています。ロードレースは個人競技(順位は個人に帰属する)なのですが、普通はチームで参加し、チームメイトを守るアシスト専門のメンバーと個人的勝利を目指すエース選手が明確に定められています。
アシスト役はエースのタイヤがパンクしたら自分のタイヤを差し出さなければならないほどの貢献を求められます。そこには競輪と同様に様々な人間関係の模様が生まれます。

主人公はエースを目指さず、(なぜ、そうなったのかという理由付けにやや無理があるのですが)アシスト役を指向しています。
主人公のチームのエースはロードレースが人生のすべてという感じの人で、チーム内で台頭してきた若い選手をレース中に故意に転倒させたのではないかと疑われています。主人公もエースを信じてよいのか否か迷いますが・・・といった筋。

プロットはけっこう複雑なのですが、少ないページ数でコンパクトにまとめられ、とても読みやすくなっています。

「サクリファイス(犠牲)」という題名が何を意味しているのか、というのが本書の主題ですが、終盤に至ってその意味合いが二転三転します。誰が誰のために犠牲となったのか?
結論はやや苦く、少々訓話めいたものなのですが、押し付けがましさは感じさせず、納得性が高いのは作者の技量が高いからでしょう。

著者はミステリ系であると思われていますが本書はミステリ的要素は薄く、スポーツ小説、それも相当なハイレベルの出来栄えの作品といえると思います。
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