蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

山月記・李陵

2008年03月29日 | 本の感想
山月記・李陵(中島敦 岩波文庫)

「李陵」など、おしゃべりな現代の作家の手にかかったら、上・中・下の大長編小説になってしまいそうだ。本作は、50ページほどでまとめられていても、余白が語るとでもいうのか、大河小説を読んだような読後感があった。

子路を描いた「弟子」で特に感じたのだが、あるところは司馬遼太郎の語り口を、あるところは浅田次郎の名調子を思い起こさせる。
偉大な作家はほんのわずかな作品しか残せなくとも後世のベストセラー作家にも影響をあたえることができるのだろう。

本書の中で最も印象に残った場面は、しかし、「山月記」の中でも「李陵」の中にでもなく、「「沙悟浄歎異」の一場面で、猪八戒がうつし世の素晴らしさを語るところだった。
なるほど彼がいうように退屈な天国で霞を食っているより、苛烈なこの世で肉を平らげていた方がよさそうな気がしてきた。
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床下仙人

2008年03月27日 | 本の感想
床下仙人(原宏一 祥伝社文庫)

本のオビに「ついに10万部突破!これは現代版カフカの「変身」だ」とある。評判を聞くこともあって読んで見た。

表題作は、仕事が忙しすぎて買ったばかりのマイホームに帰ることもままならないサラリーマンが、ある日帰ってみると床下に痩せてひげ面の仙人のような面相の男が住み着いていて、その男は女房や子どもともうまく(?)暮らしているらしいことがわかる、という話。
このあたりまでは確かに不条理感ただよう「奇想小説」(文庫本のカバーにそう書いてある)らしいのだが、ラストにオチがついていて妙に収まりよく終わってしまったのが残念だ。

その他の収録短編も忙しすぎるサラリーマンが主人公のものが多く、設定は確かに不条理っぽいのだが、やはりどれも理屈っぽくオチている。
ヘンテコな設定でヘンテコさが解決されずに読者を突き放すように終わるようなものもあるといいんじゃないだろうか、と思った。(そういうのはエンタテイメントとしては失格なのかもしれないが、短編集の中の一編くらいはそういうのがあってもいいんじゃないだろうか)
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もしもし、運命の人ですか。

2008年03月23日 | 本の感想
もしもし、運命の人ですか。(穂村弘 メディアファクトリー)

恋愛について語った妄想系(というと誤解されそうだけど、よくあるネタからどんどん発想を拡大させていく、といった感じのもの。
三浦しをんさん岸本佐知子さん のエッセイも似たタイプだと思う)

著者は短歌の世界では良く知られた人とのことで、言葉に対する感受性というかセンスが普通の人とはずいぶんかけ離れている。
そこが本書の大きな魅力で、ふとした言葉からズンズンあらぬ方向へ想像が進展していくのが面白い。

例えば「コンビニ買出し愛」は、友達の家で何人かで遊んでいる時、著者がコンビニに買出しに行こうとすると、一人の女の子が「じゃあ、私も行く」と言い出す。この女の子の「じゃあ」の意味するところについての考察のみを書いたもの。

「心の地雷原」では、年賀状に書かれた「今、イルカに夢中です」という言葉が著者にとってNGワード(地雷を踏んだ)であり、立食パーティで飲み物を自分の服にこぼした時にハンカチを2枚も使ってぬぐってくれた女の子はNGでただ「ダッセー」と笑ってくれる女の子はOKだという、凡人にはやや理解しがたい感覚が書かれてる。(そこが面白い)

雑誌連載ということもあって、ややテンションが落ちている感じのもの(例えば、デート中の相手の顔に点数が出るとか、女の子の自宅の部屋にいたら突然親が来たとか)もあるが、総じて大変面白く読めた。
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隠蔽捜査

2008年03月22日 | 本の感想
隠蔽捜査(今野敏 新潮文庫)

警察庁のキャリア官僚で官房総務課長の竜崎は、「官僚」を絵に描いたような人物で、法と原則に忠実に従い、同僚も驚く堅物だが、国のためなら命を捨てても良いと考えている。
竜崎と同期のキャリアで幼なじみである伊丹は、やはりキャリア官僚だが東大を出ていないこともあって竜崎よりやや格が落ちる警視庁の刑事部長。こちらは現場重視のナイスガイである。

(以下、ネタバレありますのでご注意)
このような設定だと、普通は伊丹が主人公で真実を求めて捜査指揮するところを竜崎が官僚的な妨害をして、伊丹が「事件は現場で・・・」みたいなことを言う、というストーリーだろうな、と考えるところだ。
しかし、この作品では真逆で、真実を誠実に追究するのは竜崎で、隠蔽しようとする現場と官僚機構を強情かつ強引にそうでない方向へ誘導する。
ここが並の警察小説とは大きく違うところで、一見さえない、いやな奴の典型のような竜崎の人となりに読者はやがて共感を覚えるようなになってしまう。

小説はフィクションなので、現実にはありえない設定をして読者を非現実の世界へ誘うものだと思うのだが、警察小説のように実際に存在する組織を描く場合には設定があまりに現実離れしているとしらける。
本書は警察の仕組みなどについては(多分)現実に忠実に描写しているが、人物設定は、相当に突飛だと思う。竜崎のような人物が実在するとは思えない(息子が自宅で麻薬を吸引していたからといって「自首させよう」と思ったり、宴席にさそわれて全く飲まず食わずで話をした後席を立つような人はいない)。
リアルな背景と作り物めいた(しかしある意味では理想的ともいえる人格の)人物がうまくマッチしてとても良い警察小説になっていると思う。

(今野さんの他の著作にもいえると思うが)タイトルはもう少しなんとかならないだろうか。冴えたセンスのあるタイトルなら本書の人気ももっと早く大規模になっていたような気がする。
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クリスタルの再会・ランドックの刻印

2008年03月20日 | 本の感想
クリスタルの再会・ランドックの刻印(栗本薫 ハヤカワ文庫)

新刊がでるとすぐ読んでいたグインサーガだったが、クム編があまりにも間延びしていて「クリスタルの再会」の前5巻はついに読まないままになっていた。

やっとグインがパロに到着したようなので、「クリスタルの再会」から再度読み始めることにした。

(以下、ストーリーの重要部分に言及していますのでご注意ください)
グインサーガの物語のなかで一番不自然だと私が思っていたのは、グインがシルヴィアをある程度愛していることだ。
だからグインに記憶をなくさせたのはシルヴィアを忘れさせるためだと思っていた。記憶をなくしたままケイロニアに帰ってそこで「七人の魔道師」のエピソードが起き、ヴァルーサが登場するのだろう、と推測した。
たしか120巻あたりが「七人の魔道師」に描かれた時期になる、とどこかで聞いたような気がするので、それにも符合すると。

しかし、「ランドックの刻印」でグインは過去を思い出して(アモンとの戦い以前の記憶を取り戻して)しまった。私の邪推ははずれたわけだ。

リンダと再会しその手を握ったグインに異変(サーガの世界に来る前の時代の幻想を見る)が起こる。
やはり「豹頭王の花嫁」はリンダなのか?(というか、もうリンダ以外に候補になる女性登場人物がいないよな~。いまだ登場していないヴァルーサってことはないし、まさか大穴でマリニア?)
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