蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

炎環

2022年03月26日 | 本の感想
炎環(永井路子 文春文庫)

鎌倉幕府創成期の頼朝周辺の人々を描いた連作集。
「悪禅師」→頼朝の弟で僧形の全成が主役。
「黒雪賦」→梶原景時を、陰で幕府を支えた能臣として描く。
「いもうと」→政子の妹で全成の妻である北条保子は、今でいう不思議ちゃんだった、という話(??)
「覇樹」→北条義時はいつも肝心のときに現場にいなかった。穏やかでいつも静かに見える彼は実は猜疑心と謀略の塊のような男だった、という話(?)

大河ドラマが(コメディとして)面白いので、元ネタの一つっぽい本書を読んでみた。

ドラマ内のキャラとは一致しない人が多いが、保子のそれ(おしゃべりで朗らかで政子をや義時を含めた周囲の人と仲がよい)は本作を参考にしたのかな?と思えた。
実際の歴史で彼女が大きな役割を果たしたとは思えないが、本作では、幕府と北条氏の運命の分かれ目で彼女が重要なキーを握っていたことになっているので、ドラマでも今後存在感が高まっていくのかもしれない(?)。
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おらおらでひとりいぐも(映画)

2022年03月26日 | 映画の感想
おらおらでひとりいぐも(映画)

桃子(田中裕子)は、夫の周造(東出昌大)を亡くして一人暮らし。二人の子供は実家に寄り付かず、たまに訪れたと思えばカネの無心。ある日、桃子の分身?の3人の男(濱田岳、青木崇高、宮藤官九郎)が現れ、桃子の内なる心持ちを語り始める・・・という話。

映画を見たあと、原作を読んでみた。桃子が東北の方言で語る独白部分が特徴なのだが、3人の男は登場しない。
3人の男の衣装は桃子の普段着(おばあさん風デザイン)で、意識的に?下手な東北弁で叫びながら踊る、という、役者としては戸惑うような演技をするのだが、これを、多少クセ者方面だが今をときめく三人がマジメ?に演じているのがとてもおかしい。
というか、一応?商業ベースの映画で、それなりにギャラの高そうな人たちをキャスティングしながら、こういう作品に仕立てあげた沖田監督の度胸?がすごいと思う。

普段あまり映画を見ない人や、ごく若い人がみたら「なんだこの映画?」という戸惑いを覚えそうな内容なのだが、刺激の強いドタバタした映画には飽きた年寄には、じんわりと温かい気持ちになれる、見てよかったと思える作品だった。
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おれは権現

2022年03月17日 | 本の感想
おれは権現(司馬遼太郎 講談社文庫)

関ケ原から大坂城攻防あたりまでの時代に活躍したあまり有名とは言えない武将などを描いた短編集。
愛染明王→福島正則
おれは権現→可児才蔵
助兵衛物語→花房助兵衛(宇喜多家の重臣)
覚兵衛物語→飯田覚兵衛(加藤清正の重臣)
若江堤の霧→木村重成
新九郎物語→長宗我部康豊(盛親の弟)
けろりの道頓→安井道頓(道頓堀の開発に着手した人)

ラジオで司馬さんの短編を朗読する番組がある。そこで「若江堤の霧」を聞いて、改めていいなあ、と思って再読した。

講談社文庫の解説は津本陽さんが書いているのだが、これが実に的確に司馬作品の特徴をとらえている。
豊富な歴史知識に裏付けされつつも、エピソードの取捨選択が巧みで、不要と思ったものは大胆に切り落とす。文章には手ざわりのいい丸い石のような心地よさがある・・・といった感じだ。

どの短編も「50年以上前に書かれた小説がこんなに面白いなんて」と感激するくらいに良いのだが、やはり「若江堤の霧」がいい。木村重成のいくつかのエピソードを並べることで、悲運の美男子武将というキャラクターが過不足なく描写されている。
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サッカー店長の戦術入門

2022年03月17日 | 本の感想
サッカー店長の戦術入門(龍岡歩 光文社新書)

グアルディオラが築いたポジショナル(ボール保持を一義とする)、それに対抗したスペース重視のモウリーニョ、前線から積極的なプレスでカウンターを狙う(ストーミング)クロップ、2000年代から今に続く、サッカー戦術の変遷の歴史を追う。

タイトルからは、技術論的な内容を想像できるが、大半は有名監督たちの評伝。
著者はプロのライターではなく、サッカー用品店のブログを書いて人気を得た人とのことだが、書きぶりに素人とは思えないエッジがあって、サッカーの知識ほぼゼロの私でもとても楽しく読めた。サッカーに造詣が深い人(あるいは登場する監督たちをよく知っている人)が読んだらなおさらだろう。

私の勝手なイメージとして、作戦に凝るのはヨーロッパ系の監督で、南米系の監督は個人の力重視、と思っていた。
しかし、南米出身の監督でもシメオネとかビエルサ(ともにアルゼンチン人)とかはオタク的に戦術研究をしている、というのが興味深かった。

いろいろな戦術の変遷と複雑化を経て、最初の戦術?ともいえるマンツーマンが主流に戻りつつあるのでは?という見方も面白い。
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フォン・ノイマンの哲学

2022年03月15日 | 本の感想
フォン・ノイマンの哲学(高橋昌一郎 講談社現代新書)

ハンガリー・ブタペストの裕福な家庭で育ったノイマンは、幼い頃から数学の才能を顕しベルリン大学を始めてとして様々な大学で傑出した業績をあげる。アメリカのプリンストン研究所に移ってからは、量子論、核兵器開発、ゲーム理論、コンピュータ開発など現代社会の主柱ともいえる分野で理論と実践の両面で活躍した。

本作のタイトルである「哲学」とは、著者によると
***
科学で可能なことは徹底的に突き詰めるべきだという「科学優先主義」、目的のためならどんな非人道的兵器でも許されるという「非人道主義」、そして、この世界には普遍的な責任や道徳など存在しないという一種の「虚無主義」である。
ノイマンは、表面的には柔和で人当たりのよい天才科学者でありながら、内面の彼を貫いているのは「人間のフリをした悪魔」そのものの哲学といえる。
***

これを読むと、ノイマンに批判的な内容なのかと見えてしまうのだが、実際は、上記の引用部分を除くと、ほぼノイマンの業績や人柄(このような天才にありがちな社会的破綻を起こすこともなく、例えば不完全性定理で有名なゲーデル(こちらはすごい変人だったらしい)をずっと擁護し続けた・・・等)を称賛している。
ノイマンが自著で「非人道主義」や「虚無主義」を唱えているわけでもなく、上記の「哲学」とは、単に著者の想像の産物に過ぎない。
それなのに「人間のフリをした悪魔」という副題まで付けてしまうのは、やり過ぎだと思う。

(ノイマンとの関係性は薄い人だが)エルデシュという数学者の生涯(膨大な論文を残したが金銭的欲望がなく、放浪の暮しを続けて)を紹介した部分が興味深かった。
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