蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

茜色に焼かれる

2024年06月27日 | 映画の感想
茜色に焼かれる

田中良子(尾野真千子)は、夫陽一を交通事故で亡くしていた。その事故を起こしたのは高名な老人で、病気のために免責?されていた。良子は納得できず賠償金を受け取っていなかった。かつては喫茶店を経営していたがコロナで休業中。花屋のバイトと風俗嬢を掛け持ちして息子:純平(和田庵)を育てていた。口癖は「まあ、頑張りましょう」・・・という話。

コロナ、高齢者が起こした交通事故、みんなマスクしてる、といった世相を反映させた内容だけど、イマイチ活かしきれていなかったかな、という感じ。良子と純平の会話シーンがとてもいいので、この2人に絞ったストーリーの方がよかったかも。(風俗店の店長とか元同級生との恋?とかも余分な感じがした)

しかし、まあ、そんなことはどちらでもよくて、運命に弄ばれた女性の力強い(が、ちょっとヘンテコなプロセスでの)復活?を描くという、いかにも石井監督作品という、らしさ満点だったのはファンとしてはうれしかった。
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テスカトリポカ

2024年06月26日 | 本の感想
テスカトリポカ(佐藤究 角川書店)

メキシコ生まれのルシアは麻薬密売組織に支配されている故郷を捨てて日本にやってくる。川崎の暴力団員:土方と結婚し、小霜(コシモ)という名の子をもうける。
メキシコでの麻薬組織間の抗争に敗れたバルミロも日本に流れてきて、途中ジャカルタで知り合った闇医者とあるビジネスを立ち上げるが・・・という話。

コシモやバルミロ、あるいは闇医者たちの遍歴を描くパートは面白くて読みやすいのだが、アステカの神々が登場する場面(どちらかというとこちらが主題)は幻想的すぎてついていけないし、読みづらかった。多分読んでいる方の想像力不足だろう。

キャラクターとしてのコシモに非常に魅力があって、かつ、彼が主役のはずなのにその成長を描く場面は少なめで、コシモの視点でバルミロやナイフ職人パブロ、力士体型のチャターラなどが描かれることもほとんどなかったのが、残念。
ただ、もしかしてコシモ登場の続編もあり?と思わせるラストではあったが。

蛇足かつ、私だけの思い込みだとは思うが、
本作で描かれるアステカの神々のイメージは、岩本ナオ作の漫画「マロニエ王国の七騎士」と共通するものが多くあった。というか「マロニエ・・・」のモチーフもアステカ神話なのだろうか??
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her 世界でひとつの彼女

2024年06月23日 | 映画の感想
her 世界でひとつの彼女

LAに住むセオドア(ホアキン・フェニックス)は、手紙の代筆業者で、妻と離婚協議中。寂しさをまぎらわすため、人工知能が受け答えしてくれるソフトでサマンサと会話する。サマンサとイメージ・セックス?をするほどの仲となったセオドアだが、サマンサの行き過ぎた配慮(人間の娼婦を紹介する)がきっかけで仲違いする・・・という話。

10年くらい前に公開された作品だが、今まさに起きようとしている事態を正確に予言?している。

生成AIを使って、架空人格をまさに生成していけば、サマンサを再現することは今すぐにでも出来そう。サマンサにように気がききすぎて不愉快になることはあるかもしれないが、少なくとも、AI側が人間をムカつかせるようなことを言わないだろうし、もし気に入らなければ、電源を落とせばいいだけで、人間のようにあと腐りはない。別のAIで(会話を異なるアプローチで行って)別の人格を一から作って試行錯誤するうち、理想の友人?を生成できるかもしれない。理想すぎる友人というのも、ある意味グロテスクだが・・・

SF映画だと、まずテクノロジーの素晴らしさを描いた後に、そのテクノロジーによって人間が復讐されるという結末になるこことが多いが、本作では破滅的なラストは用意されておらず、人工知能の友人もいいものかも・・・という感じで終わらせているのも、友人AIへの誘惑をかき立たせそうな気がした。
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こんにちは、母さん

2024年06月23日 | 映画の感想
こんにちは、母さん

神崎福江(吉永小百合)は東京下町で足袋の店を営み、近所の教会の牧師荻生(寺尾聰)に好意を抱いていた。息子の昭夫(大泉洋)は大企業の人事部長だが、会社の人員整理のため、会社の同期の木部(宮藤官九郎)にリストラを宣することを余儀なくされる。木部からは罵られ、悩んだ昭夫は、あまり寄り付かなかった実家に帰るが・・・という話。

山田監督を前に演技しているせいか、セリフが話し言葉っぽくない脚本のせいか、なんだか皆さん演技がぎこちないような気がした。

特に演出家&脚本家でもあるクドカンはなんだかよそ行きというか、役者としてのいつもの調子とは異なっていたように思えた。

あと、大泉さんに悩める人事部長の役は似合ってなかったなあ。多分コメディのはずなので、例え人事部長役でももう少しハメを外していつもの調子を出してくれるとよかったのだが。
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播磨灘物語

2024年06月23日 | 本の感想
播磨灘物語(司馬遼太郎 講談社文庫)

黒田官兵衛について、黒田家の来歴と主に山崎合戦までの活躍を描く。

最後に読んだのはもう30年くらい前で、そのころは、司馬作品の中では、やや間延びした退屈な話だなあ、特に前半は、などと感じた記憶があった。しかし、年食った今読んでみると、むしろ官兵衛とその祖父、父が小寺家に仕えていた頃の話の方が興味深く感じられた。

黒田家の面々が3人ともに智略この上ない有能者として描かれるのに対して主君の小寺家は凡庸で徹底的に無能であるとされている。そのコントラストは読んでいて小寺さんが気の毒になるほど。
事実がどうなのかはわからないが、秀吉から天下一の参謀と評価されていた官兵衛が最後まで忠実に仕えたのだから、きっと小寺家にも長所があったのだろう(小説中では官兵衛たちが小寺家を見限らなかった理由はひたすら黒田家の有徳のため、とされるのだけど、ちょっと無理があるのでは?と思えた)。
司馬さんは自身が嫌いなキャラ?は手ひどく扱う傾きがあるので、これもそのせいなのかもしれない。

この司馬さんのキャラ?への好悪が表面化している例の一つが、官兵衛の息子;長政と(血縁はないが長政と兄弟同然に育てられた)後藤又兵衛基次の比較。本書ではあまり登場しないが、他の作品を含めて司馬さんの長政への視線は好意的とはいえない。これに対して、基次はいくつかの作品で男の中の男的なキャラとして登場している。見方によっては長政こそ大大名黒田家の礎を築いた、と言えなくもないと思うのだが、司馬作品の中では、なんだか粗暴で知恵が不足している悪者っぽいのだった。
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