蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

首折り男の周辺

2008年04月29日 | 本の感想
首折り男の周辺(伊坂幸太郎  「Story Seller 2008spring」所収)

いじめられている子どもの多くは、いじめられている事実を教師や肉親に告げないという。先生や親が様子を不審に思って「いじめられているのではないか?」と尋ねても、大抵は否定するものらしい。

自分のプライドを守るため、というのが大きいと思うが、あるいじめられている人へのインタビューによると、「親にばれたら、学校での辛さが(唯一の息抜きの場である)家庭にまで侵入してしまう」からでもあるという。
こう言える人はまだましで、家庭でも学校とは別の辛さがあると自分の内面に閉じこもってしまうことになるのだろう。

本作品の登場人物の一人は学校でいじめられ、カツアゲにあって悩んでいる。先生にも親にも相談できず、困りはてている。簡素でドライな記述になっているが、その辛さが鮮明に伝わってきた。

このいじめられている子は、「首折り男」に似た大男に偶然助けられて、立ち直るきっかけをつかむ。このプロセスもありがちなのだが、伊坂さんの筆にかかると、読んでいる方がほっとできるようなストーリーになってしまう。
それは、いじめられる辛さの描写がリアルであることの裏返しのせいであるが、助けられた方だけではなくて、助けた「首折り男」に似た大男の方も、この行為によって救われることになったという、ひとひねりした筋立てのためでもあるだろう。

一見何の関係もなさそうな3つの話が最後に収斂するという、著者お得意の構成。最終行の小さなオチもなかなかしゃれている。
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黙秘

2008年04月27日 | 映画の感想

黙秘

沢木耕太郎さんの「愛という言葉を口にできなかった二人のために 」を読んで以来、この映画を見たかったのですが、いきつけのツ○ヤにはなくって、残念に思っていました。

先日たまたま、寝る前にNHKBSを見るともなく見てたら、キャシーベイツが出ていて、どこかで聞いたようなストーリーが・・・ということころで、「これはもしかして「黙秘」では?」と気づき、録画して見ました。

主人公(キャシーベイツ)は、グータラ&DV亭主に悩みながら、富豪の別荘でメイドをしている。別荘の女主人は高慢で人使いのあらい女性だったが、長年勤めるうち、主人公との間に友情に似たものが芽生えていく。主人公はある日、亭主が、あるどうしても許しがたい行為をしていたことを知ってしまう。やがてその亭主と別荘の女主人が死に、主人公のその双方の犯人である疑いをかけられ、執念深い刑事に追及される。しかし、直接証拠はみつからない。果たして主人公は殺人を犯したのか?

主人公が父を殺したものと思い込んでいる娘や、イヤな女の典型のような富豪夫人との、微妙な心の交流を描く繊細なエピソードの中で、ひとりキャシーベイツ演じる主人公は、まさに「肝っ玉母さん」(古い!)として雄雄しく立ち尽くします。
キングがベイツを主人公として映画を作るために本作品の原作を書いたそうですが、さすが巨匠、ベイツにハマりまくりのストーリーになっています。

原題は「ドロレスクレイボーン」(主人公の名前)。「黙秘」という邦題は不評のようです。
確かに主人公が黙秘する場面はなく、むしろ刑事の前でもしゃべりまくります。しかし彼女は確かに黙秘していました。黙秘をした相手は刑事や検事ではありませんでしたが。
そういう意味ではなかなか味があるタイトルのようにも思われます。

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フェルマーの最終定理

2008年04月26日 | 本の感想
フェルマーの最終定理(サイモン・シン 新潮文庫)

私は今、マニュアルを書くことを仕事にしている。
新しいマニュアルをリリースすると、当分の間、ユーザーからの質問を受けるとかなり緊張する。
分かりづらい点に対する質問ならいいけど、一番恐ろしいのは、この部分は間違っているのでは?というもの。タラーっと冷や汗がながれて頭に血がのぼる。質問者のいうとおり間違っていてそれが重大なものだったら、当然責任を問われるし、修正の告知の手間を考えるとうんざりする。

この本をよむと、論文を発表したばかりの数学者も同じような気持ちになるものらしい。
発表された論文は、それが重大なテーマであればあるほど多くの数学者の厳しく批判的な目にさらされる。そしてわずかなミスがあれば、それまでの努力は水泡に帰す。

まして論文のテーマが何百年もの間解かれていない謎で、学者でない人でも知っている有名なもので、マスコミも大騒ぎ、なんてことになったら、緊張感は耐え難いものがあっただろう。

フェルマーの最終定理を証明したという論文を発表した、この本の主人公ワイルズもそうしたストレスにさらされた。
審査員からは一部について疑義が投げ掛けられ、それに対する有効な反論を見いだせない主人公の苦しみは(私のそれとはスケールが違いすぎるものの)深く共感できた。

数学に関する内容もけっこうあるが、その部分を読み飛ばしても、解けそうで解けない問題に何百年もの間悪戦苦闘してきた天才たちの物語として楽しく読める。

ワイルズの証明を理解できる人は世界でも数人だとか。証明の本当のすごさ、偉大さが本当に実感できるこの天才たちは、まさに神の愛でし幸福な人たちといえるだろう。

数学者はとにかく深く考える。一日中机に向かって一字も書くことなく白紙をにらんでいることもあるという。
将棋の羽生二冠の著書で、あまりに深く読みをすすめるともう現実の世界に戻れなくなるのではないか、という恐怖を感じることがあるという旨を読んだことがある。それに似た状況なのだろうか。15分と考える続けることに耐えられない身としてははかりがたい心境だ。

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骨餓身峠死人葛

2008年04月20日 | 本の感想
骨餓身峠死人葛(野坂昭如 岩波現代文庫)

野坂さんの作品はあるアンソロジーで短編を一つ読んだことがあるだけで、まとまったものを読むのは初めてでした。

普通の本は章が立ててあったり、場面や視点が変わると空白行を入れたりしてあるので、ある程度ぼんやり読んでいても、ストーリーに置いていかれたりしないのですが、野坂さんの作品は、そういった区切りは意識して排除されていて、真面目に文面を追っていないといつのまにか別の人物の話になっていたりします。

最近中島敦さんの作品を読んでいた時にも感じたのですが、昔の作品でも、すぐれたものは今読んでも古びていなくて、むしろ最近あまり読んだことがないような文体や表現が新鮮で目新しさを感じさせるくらいです。

表題作は、ホラー小説的な「読者を怖がらせよう」という構成には全然なっていないのに、とても怖い、恐ろしい話です。
「人間なんて一皮むけばこんなもの」・・・うわべを繕わないと人間ほど怖いものはない。逆にいうと、うわべを繕っていられるだけの豊かな社会が続くように努力すべき、ということでしょうか。
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ボンボン

2008年04月19日 | 映画の感想
ボンボン

アルゼンチンの映画。

私にとって南米の田舎町というと、船戸与一さんの一連の作品に描かれている、油断もスキもない非情で苛酷な世界、というイメージがある。しかし、この映画の登場人物は、皆人なつこくて親切でおせっかいなくらい。
映画がファンタジーなのか、(そうはいってもラテン系の人がほとんどのわけだから)船戸ワールドこそが誇張しすぎのフィクションなのかはわからない。

主人公は、長年ガソリンスタンドで働いてきたがクビになってしまい、再就職もままならず、嫁いだ娘の家に居候して肩身がせまい。
ある日、ドライブ中に立ち往生している人を助け、その人の家に故障車を牽引して送っていく。その人は大金持ちで、亡父が残した大型犬(ボンボン)を持て余しており、主人公はていよく犬を押し付けられてしまう。
この犬は由緒正しい血統の名犬で、たまたま知り合ったブリーダー(?)といっしょにコンテストに参加すると上位入賞する。
しかし、いざ種付けしようとしたら、どうもインポ(?)のようでうまくいかず、主人公とブリーダーはがっくり。(コンテストで認められて種付け料で稼ぐ、というのがブリーダーの収入源になっているらしい)

あまり起伏のないストーリー。ちょっとした不幸に特に立ち向かおうという意欲もなく諾々と運命を受け入れている主人公と、茫洋とした風貌で愛想がないようなあるような犬のとりあわせがよくマッチしていて、犬を助手席に乗せて(大型犬なのでフロントガラスごしに見ると人間が乗っているくらいの感じに見える)荒野の道をドライブするシーンは一種の詩情をただよわせている。
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