蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

路上の人 3/5

2005年09月28日 | 本の感想
堀田善衛さんが書いた「路上の人」(新潮社)を読み終わりました。
奥付を見るとこの本が出版されたのは1985年4月。古本屋で入手したわけではなく、出版当時に新刊で買ったものの1ページも読まずに20年間、私の実家の本棚のすみに置かれていたました。今年の夏、帰省したおり、なにげなく持ち帰り読み始めました。

故郷を飛び出して以来ヨーロッパ各地をさまよい歩くうち、とあるきっかけから法王の大秘書官の道連れとなった主人公ヨナの目を通して、カトリック教会や異端カタリ派を描く歴史ものです。この手の本にありがちなのですが、作者はカトリック教会を厳しく批判しカタリ派の方をえこひいきしています。

描写は簡潔で、説明的な部分が少なくて、読者を選んでいるような感じがちょっと気になりましたが、ストーリーが展開しはじめるとけっこう面白く読めました。
この感想を書く前に「路上の人」で検索したところ、去年、徳間書店から復刊したようで、今でも手にはいるようです。
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モーターサイクル・ダイアリーズ 3/5

2005年09月26日 | 映画の感想
「レーニンはつまるところテロリストであるにすぎず、彼にできるのはせいぜい宣伝活動を展開して時おり騒動を起こすだけだった。ボリシェビキとその他の活動家は、1905年にロシアで反乱が鎮圧されると後退を余儀なくされた。しかし、第一次世界大戦でロシアがつまずいたため、彼らはその機に乗じ、1917年に政権を掌握し、それによって世界有数の国家資源を手に入れた。(中略)オサマ・ビンラディンが21世紀を左右する一人となるには--それが彼の目的であるのは間違いないが--レーニンをまねてサウジアラビアかエジプトあるいはパキスタンのような国家を攻略する必要がある。」(ビル・エモット「20世紀の教訓から21世紀が見えてくる」)

若き日のチェ・ゲバラが年上の友人と南米大陸を旅する話。その中で出会う貧しい人々、難治の病気に苦しむ人々から彼は共産革命に目覚めていく・・・目覚めていくところは取ってつけたみたいな感じで、この映画の見所は旅の途中の景色の美しさやパーティでにぎやかに歌い踊る人々の陽気さにあるように思った。

ゲバラは今でも妙に人気がある革命家だけれども、アメリカからみれば彼もオサマ・ビンラディンのようなテロリストにすぎない。レーニンをテロリストと呼ぶ人は今ではあまりいないけれども、彼こそ歴史上もっとも成功したテロリストだろう。
ゲバラが富裕な家庭で育ったエリート医師であるにもかかわらず青春時代の彷徨からやがて革命に身を投じていくというストーリーは、今、オサマをリーダーと仰ぐ人々からすれば、サウジ有数の富豪一家の出身でイスラムの国々を渡り歩いて原理主義へと傾斜していくオサマの姿にぴったりと一致するのではないか。西側から蛇蝎のごとく嫌われている彼も、半世紀もすれば、もしかしたら、ヒーローになっているかもしれない。
視点や立場が変われば歴史の評価も全く正反対の結論が導きだされる。映画の中のゲバラがあまりにかっこよすぎたので、そんなことを感じた。
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死神の精度 4/5

2005年09月24日 | 本の感想
伊坂幸太郎さんが書いた「死神の精度」(文芸春秋)を読み終わりました。

不慮の事故で死ぬことになった(本人は知らない)人のもとに主人公の死神が人間の格好で現れ、その人が死にふさわしいかを調査するという話(を集めた短編集)。

死神は人間ではないので、食事・睡眠の必要はないし殴られても平気で、素手で人を触るとその人は気絶してしまう・・・ハードボイルド小説の主人公をパロっているようなスーパーマンという設定になっています。
死神の生きがい(?)は、音楽を聴くことで時間さえあればCDショップに入り浸っています。死神がいかに音楽(作中では「ミュージック」と表記される)を愛しているか、「ミュージック」が第二の主人公であるかのように全編に渡りその描写が続きます。

どの短編もミステリとしての結構が上手に組まれていて、伏線とオチがきれいに調和しています。私が一番気に入ったのは「死神と藤田」でオチを読んだとき、ニヤリとさせられるような小技がきいていました。
最後の短編「死神と老女」は全編のマトメのような位置づけになっていますが、ちょっと強引というか予定調和がすぎるというか、無理にマトメなくてもよかったのでは?と思いました。ただ、「死神と老女」の舞台である眺めのいい床屋については、「行ってみたい」と思わせるほど素敵な描写がなされていました。
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風の名前

2005年09月22日 | Weblog
アメリカではハリケーンに人の名前を付けている。最近有名になったのは「カトリーナ」とか「リタ」とか。
世界中にかなりの人数がいると思われるカトリーナさんやリタさんは気分が悪いに違いない。自分の名前が数多くの人を死傷させた原因として連日TVなどで連呼されるのだから。
アメリカ人なら、「私の名前を使うな」なんて訴訟でもおこしそうなものだけれど。長年この習慣が続いているところをみると、皆「そんなものだ」と思っているのだろう。
アメリカでは軍艦や戦車の愛称にも人の名前を付けることがある。「ルーズベルト」とか「パットン」とか。

イギリスでは王様の名前まで軍艦の名称としていることがある。「キングジョージ5世」とか。
王様の名前がついた軍艦が撃沈された場合、王室の方とか国民一般にあまりいい影響を与えないんではないかと他人事ながら心配になる。それとも、他国との戦乱にあっては貴種は先頭に立って戦うべし、というノブレスオブリージュから発想されたものだろうか。例え撃沈されてもそれこそがむしろ王族の誉れ?

日本ではいくら不沈艦という自信があっても、軍艦に「ヒロヒト」とか「ゴダイゴ」あるいは「トウゴウ」なんて命名することはありえなさそう。もっとも我が国の代名詞ともいえる「大和」が撃沈されてほどなく戦争は終了したのだけれど。

やたら台風が上陸した去年まで知らなかったのだけれど、日本周辺で発生する台風にも名前はつけられているらしい。アジア諸国の気象関係者(だったか・・?)が協議して、あらかじめ今年の1号は○○といった調子で動植物の名前などを(各国の現地語の発音で)決めておくらしい。現地語の発音なので大半は何のことかわからないが、日本語のものもあって、去年は確か「トカゲ」という名前の台風があったように思う。
日本の軍艦の名前も大半は山や川の名前や自然現象から命名している。

けれども、欧米人からすると、日本人こそやたらとモノに人名をつけてるじゃん、と思っているかもしれない。
例:車→トヨタ・ホンダ、バイク→スズキ・カワサキ、マウンテンバイク→シマノ、テレビ→ソニー
カワサキやソニーは人名じゃないけれど、かの地では日本人の名前だと思われていると聞いたことがある。(ホントかどうかは不明)
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海辺のカフカ 2/5

2005年09月21日 | 本の感想
村上春樹さんが書いた「海辺のカフカ」(新潮社)を読み終わりました。

私の住むマンションでは共用部の小さな部屋が図書室になっていて、住民が読み終わった本を寄贈して、それが並べられ、自由に借りられることになっています。読み終わるとすぐに持ってきてくれる方もいらっしゃって比較的最近出版された本もたくさんあります。

その中に「海辺のカフカ」もありました。
この超話題作の感想を今頃書くのは、我ながらどうよ、という感じですが、少々退屈しながらも長い話を読み終わったので書いて見ることにします。

村上さんが書いた本を読んだのは「ノルウエイの森」のみです。それもかなり昔で、当時もベストセラー作家でしたし、「ノルウエイの森」もかなり売れていたように思いますが、私にとってはあまり魅力ある本ではありませんでした。それきり一冊も読んだことはありません。

出版される本のことごとくが例外なくベストセラーという著者の本の中でも「海辺のカフカ」は特に話題を集めたようですが、私にはどうしても面白く感じられませんでした。
相当に長い話ですが、登場人物が少なく、筋も単純で、文章もとても読みやすいので、本を投げ出したくなるようなことはないのですが、作者が昨日見た夢をだらだらと聞かされているような感じがして、有体に言って退屈な本でした。

田村カフカという家出少年とナカタさんという老人のエピソードが交互に語られるのですが、ナカタさんのエピソードの方が相対的には楽しめました。ともに幻想小説的な建てつけなのですが、作者の狙いはよくわからないままでした。

慢性的な不況のような出版界でこれだけ長年にわたって継続的に多数の本が出版され読者から支持されているのですから、私の読解力に問題があるのでしょうが、やはりこの本がどうしてこんなに売れ、読まれるのかが、私にはわかりませんでした。
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