蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

大黒屋光太夫

2010年11月28日 | 本の感想
大黒屋光太夫(吉村昭 新潮文庫)

江戸時代後半期、鳥羽から江戸へ藩米などを運ぶ商船の船頭である光太夫は、途中で暴風にまきこまれて航行不能になり、アリューシャン列島の小島へ流れ着く。
そこはロシアが支配する土地で、当時日本との交易開始を模索していたロシア政府は、光太夫たちを保護し、シベリアの主要都市、イルクーツクまで護送する。
光太夫は、日本への帰還を求めるが、なかなか許可されない。
あきらめかける光太夫を、ロシアの高官ラクスマンが励まし、皇帝に直訴しよう(当時、ロシアではお忍び中などの機会に直訴することは認められていたそうである。意外)と、提案する。
皇帝の夏別荘で謁見を果たした光太夫は、帰国を許され、根室経由で江戸へ帰還する。

遭難した船員17名のうち、江戸へ戻れたのは二人。アリューシャンからペテルスブルグまで慣れない極寒の地を旅した光太夫の冒険は、現代に例えるとするなら、スペースシャトルが故障して火星まで漂流した後に帰ってきたようなものだろうか。(今どきでいうと、無人機ではあるが、「はやぶさ」の往復か?「はやぶさ」も人工知能みたいなものを持っていて、地球側ではあたかも人間とやりとりしていると錯覚するほどだったらしい)

その驚異のアドベンチャーを支えたのは(政策的思惑はあったにせよ)、ロシア人の好意、特にラクスマンのとりつかれたような熱心さであった。
帰国を断念しようとする光太夫に、ラクスマンが、強く「あきらめてはいけない」と激励する場面が印象的で、作者の指摘通り、国民性の違いがあらわれていたように思えた。

もう一つ印象的な場面は、光太夫が日本へ旅立つ時、庄蔵(凍傷で片足を切断され、その後キリスト教に入信したために日本へ帰国できなくなってしまった人)に別れを告げるシーンで、やや気弱で依存性の高い庄蔵のショックと嘆きが短い言葉で的確に表現されていた。
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インビクタス

2010年11月27日 | 映画の感想
インビクタス

南アフリカ大統領に就任したマンデラ(モーガン・フリーマン)は、人種間の対立を克服して国としての一体感を醸成する方法を模索していた。
南アフリカ開催が決まっていたラグビーのワールドカップに目をつけて、開催国ながらベスト8どまりと見られていた白人主体の南アフリカチーム(スプリングボクス)を利用しようと思い立つ。

マンデラはチームのキャプテン(マット・デイモン)を官邸に招き、協力を要請する。マンデラの人柄に魅了されたキャプテンは、黒人社会との交流にも積極的になる。スプリングボクスは、下馬評をひっくり返してオールブラックスを破り優勝する。

モーガン・フリーマンのたどたどしい英語の演技がすごくリアリティがあって、その計略にキャプテンが簡単に丸め込まれてしまうシーンに説得力がある。

多彩なエピソードをできるだけたくさん盛り込もうとしたせいか、やや散漫で、展開が早すぎる感じがしないでもないが、イーストウッド監督の映画を盛り上げていく技術はやっぱり超一級で、決勝戦のシーンは高揚感とカタルシスに満ちている。


私は、リアルタイムで南ア大会を見たが、当時のスプリングボクスはかなり地味なチームで、華がなかった。きらびやかなスターを揃えたオールブラックスが負けるとは思えなかったので、結果を見てホームバイアスの力は大きいなと感じた記憶がある。
選手たちがこの映画で描かれたような使命感を備えていたと知っていたら、見方も違っていたと思う。


蛇足だが、邦題の副タイトル「負けざる者たち」は、日本語の語感として変だと思う。普通なら「敗れざる者たち」だと思うのだが、有名な同題の著作があるので、意識して避けたのだろうか?
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しあわせの隠れ場所

2010年11月23日 | 映画の感想
しあわせの隠れ場所

昨シーズンのNFLレイブンズの試合はプレーオフしか見れてないけど、その数少ない試合でもマイケル・オアーの活躍はめざましいものだった。
彼は恵まれない家庭環境にあったが、裕福な白人ファミリーの養子となり有名大学に進学してスター選手となった、というエピソードはアメリカでは大変有名らしい。本作品は養子になって以降のサクセスストーリーを描くもの。

すばらしい運動神経と体格をかわれて高校に進学したものの、寄宿先に疎まれて寝る場所をさがしてさまよい歩いているところを、車で通りかかった養父母に家に来るように誘われる。
養父母は外食チェーンのオーナーのスーパーリッチ。そうは言っても子犬を拾うような気楽さで見ず知らずの見かけは相当こわもての黒人青年を養子にしてしまうというのは、養子制度が根付いているアメリカ社会ならでは(?)。
映画の中では、オアーの素朴で純真な性格にファミリーが魅せられて養子にしたことになっているが、これはちょっと美談すぎる筋立てで、オアーが天才的なプレーヤーでなかったらやっぱり養子にまではしなかったんじゃないかと思ってしまう(のは日本人の邪推にすぎないのか?)。

ラスト近くで、養父母の出身大学に進学しようとしたオアーに対し、大学スポーツの管理機構?みたいなところから横槍がはいる(熱心な大学の後援者である養父母が大学のアメフトチームを強くしようとして養子にしたのではないかと疑われた)。これも日本では考えにくいことで、フェアネスを重視するアメリカらしいなあ、と思えた。

邦題はなんとかならなかったのだろうか・・・。原題の“Blind side”がシャープでセンスいいだけに、そのイメージが伝わってこない。
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ゴールデンスランバー(映画)

2010年11月20日 | 映画の感想

ゴールデンスランバー

原作も相当に無理がある設定・ストーリーだったが、著者のテクニックでそれを押さえ込んでいたように思われた。

映画では荒唐無稽さがよりあからさまになるせいか、リアリティが余りにもなさすぎて、それゆえ、警察に追われている切迫感がいまひとつだった。

本作のみどころは、竹内さんの、大学時代とその10年?後(現在)の主婦時代の演じ分だろう。見かけすらも明らかに年齢差が感じられ、美人だけど(むしろ(無理しているはずの)大学時代の方がきれいに見えた)、気まぐれでちょっと変わり者というキャラクターがうまく表現されていたと思う。

原作で(私にとっては)最も魅力的なキャラクターだったキルオ(仙台の連続殺人犯)がイメージと全く違っていたのがとても残念だった。

一方、モンスター的警官役の永島敏行さんは(登場時間は短いものの)とてもよかった。

それにしても、豪華なキャストだなあ・・・主役級の人がチョイ役程度でいっぱい出演してる。

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0から始める都市型狩猟生活

2010年11月15日 | 本の感想
0から始める都市型狩猟生活(坂口恭平 太田出版)

東京でホームレス(路上)生活をするためのノウハウ本。
哲学めいたことが書いてある箇所もあるが、ノウハウ紹介に重点が置かれているところが好印象。

東京では、年中炊き出しが行われているそうで、服や靴はごみ収集所にいけばいくらでもあり、ダンボールハウスは冬でも十分に暖かいそうで、つまりは東京でのホームレス生活はそれなりに快適であるとのこと。
また特定の職業につけなくても空き缶拾いや、ごみの中から貴金属をさがしたりするなどで現金収入を得ることも可とのこと。医療も炊き出しを実施している慈善団体が用意していることが多いらしい。

私は、貧乏性でケチなので、こういう貧乏くさい(著者はそう思っていないが)話を読むのは大好きで、本書は(現実のノウハウ本というよりフィクションの一種として読む分には)とても楽しめた。
ダンボールハウスや竹とひもとブルーシートで作る家なんかはじぶんちのベランダでやってみたいと思うほど。(本当に路上でやってみたいとは思わないところが根性なし)


ノウハウとして欠けているのは「家族で路上生活する方法」だろうか。というか本書は、社会的拘束をはずれて一人で生きて行きたい、という願望が前提となっているのだと思われ、家族の不存在が前提となっているのだろう。やっぱり病弱な妻や学齢期の子供がいる路上生活は厳しいものがある。

路上での自由な生活は、すばらしいかもしれないけれど、それを嫁さんや子供に理解してくれ、というのはやっぱり無理。
そういえば、昔、大金持ちが趣味で、時々路上で乞食をやっているという話をきいたことがあったけど、本書をフィクションあるいは他人事として読む、あるいは、趣味として楽しむ、という程度が凡人にはせいぜいだと思う。
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