蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

告発

2020年03月19日 | 映画の感想
告発

たった5ドルの盗みでアルカトラズ刑務所に収容されていたヘンリー(ケビン・ベーコン)は、脱獄を企てるが、仲間に裏切られて失敗し、処罰として地下牢に1000日間閉じ込められ、精神の平衡を失ってしまう。
地下牢から出されれたヘンリーは裏切り者を食堂のスプーンで殺害し、殺人罪に問われる。担当した新米弁護士のジェームス(クリスチャン・スレーター)は、次第にヘンリーの心を開いていき、アルカトラズにおける囚人虐待を告発しようとするが、彼には様々な圧力がかかる・・・という話。

ステレオタイプな筋書きながら、実話に基づいているということもあってか、ハラハラしながら最後まで楽しめる。ただ、ハッピーなのかバッドなのか、なんだかんだ言ってもトクしたのは弁護士だけ、みたいなやや微妙なエンディングはちょっと後味が悪い。

それにしても、5ドルの盗みで数十年間収容とか、刑務所内での公然の暴力とか、およそ生き延びられるとは思えない懲罰房の環境とか、半世紀前ちょっと前のアメリカってけっこうひどい社会だったんだなあ、と思えた。
反面、新米弁護士の告発であっても、うまくやれば世論を動かして制度を変えられるという面は、他の国にあっては現在でも望めそうにないことで、この点では素晴らしい側面もあるといえる。
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僕は秋子に借りがある

2020年03月19日 | 本の感想
僕は秋子に借りがある(森博嗣 講談社)

自選短編集。
森さんの著作のうち、エッセイはほとんど読んでいるものの、小説、特にミステリはあまり読んでいない。エッセイはとても面白く読めるのに、ミステリなはどうも読んでいて楽しくない。小説でも家族や師を描いたモデル小説に近いものには深く共感できるのは不思議だ。

多分、著者の自由奔放なイマジネーションについていくだけの能力が私にはないんだろうなあ、と思われる。
本作でも著者自身の経験がもとになっている「素敵な模型屋さん」や「キシマ先生の静かな生活」はとても面白く感じられるのに、「砂の街」とか「恋之坂ナイトグライド」みたいに読む方の想像力が問われるような作品は、かなりしんどい。

長編「喜嶋先生の静かな生活」のもとになっている短編があることは知らなかった。「喜嶋先生の静かな生活」は本当にいい小説だった。実は3回も読みなおしたんだけど、本書収録の「キシマ先生の静かな生活」を読んだらまた読みたくなってきた。
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フーガはユーガ

2020年03月15日 | 本の感想
フーガはユーガ(伊坂幸太郎 実業之日本社)

風我と優我は双子の兄弟。幼い頃から父親の暴力に悩まされてきた。二人には特殊な能力があった。誕生日になると2時間ごとに二人がどんなに離れた場所にいても瞬間移動して入れ替わる(着ている服や手をつないでいる人もいっしょに移動する)ことができるのだった・・・という話。

荒唐無稽としかいいようがない二人の「能力」も、著者の手にかかると妙なリアリティがある面白い現象に見えてくるから不思議だ。

例によって悪の権化みたいな人が出て来て、「能力」を生かしてこの人をやっつける、というストーリーになる。悪者の描き方がうまい(とても悪い人のように思えるように描写してある)ので、終盤ではどうしても主人公側に立って勧善懲悪のカタルシスを得ようとページをめくる手が止まらなくなる。
著者の作品をたくさん読んできたので、さすがにこのパターンも飽きてきたかなあ、という気もする。
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機密費外交

2020年03月15日 | 本の感想
機密費外交(井上寿一 講談社現代新書)

官房長官が所管する現代の機密費は使い道が公開されておらず、監査を受けるための記録活動も必要ないらしい。しかし、戦前においては、機密費の記録や領収書などの証跡は相当程度保管されていたようだ。大半は終戦時に焼却されてしまったが、その一部は整理・刊行が行われているそうである。
本書は、そういった機密費に関する公開情報から、いったんは和平に近い状態にあった日中関係が破綻に至るプロセスをたどる評論。

本書を読んで一番に感じたのは、機密費の使われ方が割合とみみっちい、ということだった。現場委の外務省官僚やその関係者は(現在の価値で)数十万円程度の機密費を引き出すのにたいそう苦労したようだ。
また、使い道の多くは、国民政府の親日派やリットン調査団などへの接待費(飲食代等)だった、というあたりも、スパイ小説ばりの内容を期待していた私にはちょっと残念な実態であった。
もっとも、記録が残っていないだけで、実質的な機密費として巨額のカネが動いていたのかもしれないが。

満州事変以降、日中戦争までは日中関係は悪化の一途、というのが私のイメージだったのだが、本書によると事変以降でも和平に近づいたことは何度もあったようだ。
ただ、そのたびに政府関係者の食言や現地軍の勝手な行動などによって相互不信が広がり、破断になってしまったらしい。

著者によると、こうした、友好でもないが戦争でもない、といった中途半端な冷戦状態は現代に通じるものがあるという。つまり、ちょっとしたアクシデントで関係は坂道を転げ落ちるように悪化するかもしれない(ので注意すべき)、というのが本書のメッセージである。
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エドガルド・モルターラ誘拐事件

2020年03月15日 | 本の感想
エドガルド・モルターラ誘拐事件(デヴィット・カーツァー 早川書房)

1858年、統一運動が盛り上がるイタリアのボローニャで、6歳のユダヤ人少年(エドガルド)が教皇の派遣した兵士に連れ去られる。父母は息子を取り返そうと全欧のユダヤ人コミュニティを通じて教皇へ働きかけるが・・・という話。

キリスト教の洗礼を受けたユダヤ教徒は、キリスト教会が(保護するために)誘拐してもいい(というか誘拐すべき)、というのが当時のカトリック世界のルールで、そのための手順や収容施設もあったそうだ。
洗礼というのは(被洗礼者の命が危うい場面では)聖職者でなくても実施することができるそうで、エドガルドの場合もモルターラ家の女中から受洗した、とされていた。

誰でも簡単(決まり文句を唱えて水を垂らすだけ)に洗礼儀式ができてしまうのでは、勝手に洗礼されて誘拐される子供の方はたまったものではないのだが、モルターラ家はあくまでソフトにお願いする、という恰好で教皇に働きかける。
そのやり方が効果的だったのか、民主化運動が燃え盛り宗教的な権威が衰えた時期だったせいなのか、この誘拐事件は全欧中の注目の的となってしまう。意固地になってエドガルドを手放そうとしない教皇(ピウス9世)は、世論の厳しい非難を浴び、これがイタリア統一運動にも影響を与えたそうである。

エドガルドは教皇に大切にされ、自らも(キリスト教の)聖職者になってとても長生きする。幼い頃からキリスト教に感化され、それ以外のものを信じられなくなった彼は、ある意味幸福な生涯を送ったと言えなくもない。
対照的に両親の方は、息子は帰ってこないわ、返還運動に注力しすぎて職業も財産も失うわ、はては殺人の疑いまでかけられるという悲惨な境遇に陥ってしまう。
皮肉としかいいようがない結末だ。

最近、たまたまユダヤ人に係る物語をたくさん読んだ。様々な差別や迫害を受けても(あるいはそれゆえに)2000年以上に渡って民族のアイデンティティを強固に守り抜く彼らの原動力はどこにあるのか?を問う内容が多いのだが、なかなかそれを本から見出すことは難しい。
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