蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

ダンケルク

2017年09月24日 | 映画の感想
ダンケルク

ドイツ軍の電撃戦で英仏海峡の港町ダンケルクとカレーに追いつめられた英仏軍は、民間船(ヨットに毛の生えたような小型船も含む)まで動員して英本土への撤退作戦(コードネーム:ダイナモ)を計画する。奇跡とまで呼ばれたダイナモ作戦を最前線の英兵の視線で描く。

うーん、前評判が高く期待しすぎたせいか、イマイチだったなあ。

ダイナモ作戦の成功要因といわれるのは、ドイツ陸軍の謎の停滞(ヒトラーが進撃速度が速すぎると思い込んで停止を命令したといわれる)と英空軍が最新鋭のスピットファイアを予定を繰り上げて投入したことなのだが、前者は全く無視されドイツ軍はメッサーシュミットの機影くらいしか登場しないし、後者はたった3機の編隊しか登場しない。
何より何十万もの兵隊が海岸に殺到したという雰囲気が全く出てなくて、せいぜい1個大隊程度の撤退戦くらいにしか見えなかった。

それに主役が定まらない感じで、海岸で船を待つ陸軍兵(逃げることしか考えてない卑怯者に見える)、スピットファイアのパイロット(こちらは鬼のようにありえないくらい優秀)、志願して小さな自分の船をダンケルクに向けた父と息子(下の息子?が途中で不幸な事故で死んでしまうのだけど、その死に対する態度は少々不自然にみえる)、ダンケルクの桟橋で指揮をとる将軍?などなど視点が分かれすぎてどこに感情移入すべきか迷ってしまった。

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ジャック・リーチャー Never go back

2017年09月24日 | 映画の感想
ジャック・リーチャー Never go back

ジャック・リーチャーシリーズ第2弾。
リーチャーは旧知の陸軍憲兵少佐が軍隊内の陰謀で拘束されていたのを助け出す。
軍隊内の陰謀には民間軍事会社が絡んでいることがわかり、リーチャーは少佐とともに秘密を暴こうとするが・・・という話。

前作の「アウトロー」に比べると筋にひねりがなく、“映画ではよくある話“的な内容だったと思う。また、これは前作とも共通するのだが、リーチャーがなぜここまで危険をおかして(たいして親密なつながりがあったとも思えない)かつての友人(というか知り合い程度)を助けようとするのか、という点の説明がなくて不自然な感じがした。

リーチャーに娘がいた?というエピソードもあったが、娘の役回りで登場する少女役の人が今一つ魅力的でなくて(失礼)、ちょっと残念だった。
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アウトロー

2017年09月24日 | 本の感想
アウトロー

アメリカ陸軍憲兵隊員だったジャックリーチャー(トム・クルーズ)は、今は(自ら望んで)ホームレス状態の流れ者。かつての戦友(というより単なる戦場での知合い)バーが大量殺人の疑いで逮捕されてリーチャーを呼んで欲しいというメモを残し(護送中に暴行を受けて)昏睡状態になる。リーチャーは、バーの弁護士から依頼を受けて真犯人を探すが・・・という話。

トム・クルーズ主演のアクション映画ということで、派手なアクションシーンがウリの単純な筋の映画かと思ったら、犯人さがしのプロセスとか犯人たちの動機の複雑さなど、けっこう凝ったストーリーになっていてミステリとしても良く出来ていた。(原作が良いせいもあるだろうが、映像としての見せ方がうまいようにも思えた)

トム・クルーズは歳食っても見かけは昔とあまり変わりないし、彼が主演というだけで「まあ、ハズレはないよね」という安定感がある。
ただ、スタントを使わないというポリシーはどうかな、とも見えた。
そう思って見ているせいもあるが、本作でのカーアクションは若干もたつき気味だったようにも見えた。

あと、「ゴーンガール」での怪演?が衝撃的だったロザムンド・パイクが弁護士役だったおで期待していたが、本作では全く精彩を欠いていたのは残念だった。
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世界の終わりの七日間

2017年09月23日 | 本の感想
世界の終わりの七日間(ベン・H・ウインタース ハヤカワポケミス)

小惑星激突まであと1週間。主人公は行方知れずの妹をさがす。妹は小惑星のコースを変えるプランを持っているという怪しげな集団と行動をともにしていたが・・・という話。「地上最後の刑事」3部作の完結編。

いちおうフーダニットのミステリではあるけど、本作もSF色が強い。
破滅のときが近づいた分、憂鬱なムードが全編を覆っている。特にアーミッシュの村で暮らす少女が(周囲の人々のほとんどは世間から隔絶された集団生活をしているために小惑星の件を知らないのだが)こっそり聞いたラジオのニュースで小惑星接近の事実を知ってしまい、主人公にそのことを問いただす場面(そしてラストシーンで主人公に目くばせする場面)が美しくも悲しみに満ちていて印象に残った。

本作のように読んでいて愉快な気分になるとはいえないような本をなぜ読むのだろうか?
「他人の不幸は蜜の味」というわけで架空の世界とはいえ人々の悲惨な境遇を知ることで「自分はまだまし」なんて思いたいからだろうか?
確かに本シリーズを読んでいると、生存の危機にさらされる心配がなさそうな毎日に感謝したい気分になるし、多少の辛いことにも耐えられそうな気がしてくる。

もう一つ、絶望の世界にあっても自らの信義に忠実に生きようとする人々の姿を見ることで勇気づけられる、という面もありそうだ。
けっして捨て鉢にならない主人公とその妹ニコ、第2作の気高い失踪者ブレット、たくましいことこの上ない(主人公の同行者の)コルテス、そしてけなげな犬のフーディーニ・・・

本シリーズ未読の方がいらっしゃったら、3作を続けて一気に読まれることをお勧めしたい。著者の構築した世界にどっぷりと浸る読書体験はなかなか味わえないほど素晴らしい。
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カウントダウン・シティ

2017年09月23日 | 本の感想
カウントダウン・シティ(ベン・H・ウインタース ハヤカワポケミス)

「地上最後の刑事」の続編。小惑星激突まで2カ月あまりとなった頃、主人公の元刑事パレスは幼い頃シッターをしてくれていた女性から失踪した夫の捜索を頼まれる。人類滅亡が確実視され、自殺や失踪は日常茶飯事になっていたが、義理堅く几帳面なパレスは青くて薄いノートを手に探し始めるが・・・という話。

「地上最後の刑事」に比べるとミステリ色は薄くなって、終末を突き付けられた人々と社会の変遷を追うSF的作品になっている。
考えてみると大惨事の後の世界を描いた作品は多いが、惨事の前を舞台にしたものは少ないような気がする。
死刑囚はいつ執行されるかがわからないことが苦しみであると同時に希望にもなっているそうだが、〇月〇日に人類は(多分)滅亡する、と確定日付を告げられると人はどのような行動に出るのか?というテーマに対して色々なパターンを描いている。

一縷の望みを怪しげな科学や宗教に求める人、少しでも助かる確率を上げるためにすし詰めの船でアメリカへ不法入国しようとする人、あきらめて「死ぬまでにしたいことリスト」を作る人、自殺する人。
その中で、主人公の捜索対象である男の(失踪の)動機がひときわ気高く純粋であったことが救いになっている。

肝心の主人公は、破滅を前にして何をしようとしているのか?
ただ流されるままに時間をつぶしているようにも見えるのだが、次の、捜索対象の男を見つけたときのセリフ(P172)を読むとそうでもないのかな?とも思わせる。
「お言葉ですが、小惑星のせいであなたは奥さんのもとを去ったのではない。小惑星は、だれにもなにもさせていない。あんなの、宇宙を飛んでいるただの大きな岩のかたまりですよ。だれがなにをしようと、決断はその人のものです」
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