蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

できそこないの男たち

2008年11月23日 | 本の感想
できそこないの男たち (福岡伸一 光文社新書)

この本の要点は、
「生物の歴史においてオスは、メスが産み出した使い走りでしかない。メスからオスへ、女系という縦糸だけで長い間、生命はずっと紡がれていた。その縦糸と縦糸をある時、橋渡しし、情報を交換して変化をもたらす。その変化が、変遷する環境を生きぬく上で有用である。そのような選択圧が働いた結果、メスの遺伝子を別のメスへ、正確にいえば、ママの遺伝子を別の娘のところへ運ぶ役割を果たす「運び屋」として、オスが作り出された。それまで基本仕様だったメスの身体を作りかえることによってオスが産み出された。オスの身体の仕組みには急造ゆえの不整合や不具合が残り、メスの身体に比べてその安定性がやや低いものになったことはやむをえないことだった。寿命が短く、様々な病気にかかりやすく、精神的・身体的ストレスにも脆弱なものとなった」(P261~262)
ということだと思う。

前作の「生物と無生物のあいだ」(最近知ったのだが、このタイトルは岩波新書の有名な一冊と同じ(漢字とひらがなの違いだけ)らしい)と同様、科学者たちの研究生活の悲哀と栄光、挫折を描いたあたりの表現が、生き生きしていて面白い。

学校の助手の仕事の合間をぬって偉大な研究を成し遂げたネッティ、男性化(?)遺伝子を発見したはずだったのに別のグループに誤りを発見されてゴボウ抜きにされたディビット・ペイジ、ハーバード大学の医学部教授として栄華を誇ったヴィジャクとベルナルド夫妻の転落、そして何よりポスドク時代の著者自身・・・こうした、研究者の悲哀とか挫折といったネガティブな側面の描写が優れているように感じるのは、意地悪な見方だろうか
コメント
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