蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

いやよ、いやよも・・・

2005年10月31日 | Weblog
18年ほど前に、私の勤める会社があるクレジットカード会社と提携してカードを発行したので、つきあいで(というか無理矢理)その会社のカード、しかも年会費1万円のゴールドカードを作らされました。当時は入社3年目で、そんな人に簡単に発行されてしまうゴールドカードのステータスって何なんだろうと思ったりしました。

ゴールドカードといっても与信枠が大きいこと以外は普通のカードと機能はほとんど変わらず、月一回郵送される会員誌の連載の執筆者がこの手の雑誌としては豪華(伊集院静とかねじめ正一とか)なことが、唯一気に入った点でした。

数年前にこのクレジットカード会社と私が勤める会社との提携は解消されたのですが、そのまま普通のゴールドカードが送られてきたので、それを使い続けていました。しかし、最近カードを使った時に付与されるポイントサービスが多様化して、このゴールドカードより明らかに有利なポイントサービスがあるカードをもっぱら使うようになり、半年くらい前に解約することにしました。

しかし、解約方法はよくわからないし、書類とかめんどくさそうだなあ、と思い、ずるずる半年ひきずっていたのですが、いよいよ会費の引落としが近づいてきたので、コールセンターに電話したところ、特に引き止めるセールストークもなく、二三の本人確認だけでその電話で解約してくれました。

わずらわしくなくてうれしかったのですが、ちょっと物足りなさみたいなものがあり、18年も会員だったのだから、もう少し何か未練を感じされるような応対があっても良かったのでは、と身勝手な思いもありました。
相手がコンビニのバイトの人でも、お金を払って「ありがとうございました」みたいなことを言ってくれないと、ちょっとムカつく、それに似ているような・・・それともそんなことを思うのは私だけで、しょうもない自尊心にとらわれているからなのでしょうか。
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本が崩れる 1/5

2005年10月30日 | 本の感想
草森紳一さんが書いた「本が崩れる」(文春新書)を読み終わりました。

本棚に納めきれない蔵書を部屋中に積み上げてできた本の山で身動きもままならず、風呂場にいるうち、ほんのちょっとした不注意で風呂場の扉の外の本の山が崩れて閉じ込められてしまうなど、蔵書家(著者の場合は著作のための資料の本が多いようですが)の悲喜劇を描いたエッセイです。

著名人が昔読んだ本の思い出を語る形のエッセイはけっこうあり、そういう本が好きなので、この本も、本の山が崩れるほど本を持っているところから話を始めて、本についての薀蓄を傾ける本だろうと予想して買ったのですが、(そういうところも少しあるものの、大半は)未整理の本に困惑する話がえんえんと続いたので、少々がっかりしました。

この本には著者が撮影した写真もたくさん納められています。私自身は他人の部屋でも散らかっているのを見ると片付けたくなる性格なので、一面本だらけ(それが整然と本棚に納められているのならむしろ快さを感じるのだけれども)の部屋の写真を見ると、妙に不愉快な気分になってしまい、さらに「あーこんな本買うんじゃなかった」と思ってしまうのでした。
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公営競技衰亡の原因

2005年10月28日 | Weblog
昔、山口県の徳山市(現在の周南市)の徳山競艇場の近くに住んでいたことがあり、開催がある休日には毎週欠かさず通っていました。
そのころ(今でもそうかも)徳山競艇は全国で一番売上が少ない場の座を大村競艇等と争っていて、競艇場は盆正月を除くと閑散としてのんびりした雰囲気が漂っていました。
売上は平開催で1日分が(呉にある場外とあわせて)2億円いくかいかないかくらいでした。しかし、今や住之江や平和島あたりのトップクラスの場でも1日の売上が2億円を切ることがあるようです。
競艇全体の売上は最盛期の半分くらいになっているらしく、存続が危ぶまれる場も多いようです(競輪と違って本当に開催がなくなった場はないようですが)。普通の企業なら売上が半分以下になっても昔の規模を維持したまま生き残っているというのはありえない話で、逆にいうと、昔は開催者にとってはまさに金城湯池だったのでしょう。

中央競馬こそなんとか格好をつけているものの、その他の公営競技はすべて似たような状況です。娯楽の多様化とかファンの高齢化とかいろいろ理由はあるのでしょうが、多分、最大の原因は窓口に札束をつっこむような大口ファンが減っていることにあるのではないでしょうか。
そして大口ファン離れの原因の一つとして、株式市場の「効率化」があるのではないかと、私は思います。

「効率化」というのは、情報公開とアクセス方法の飛躍的改善、および手数料の破壊的な低下のことです。昔は証券会社のディーリングルームでしか得られなかった市場・価格情報が今では家庭のPCでタダ同然に獲得できるようになり、注文はインターネットでほぼリアルタイムに市場に到達します。
ここまでは公営競技と同じですが、手数料は公営競技の控除率の1/100程度になっています。

そして、現代の公営競技では相当にむずかしい八百長(不正行為)も、今のところ日本の株式市場では(警察に捕まることを余り気にしない人なら)やり放題です。
インサイダーのような(正統派の?)八百長から、例えば、WEBの掲示板にあることないこと吹きまくる、成立させる気がない大口注文を出してすぐにひっこめる、等々、これらの行為はつかまっても、あまり深刻な罰を受けません。
さらに土日を除く毎日開催。品薄の小型株ならボラティリティも枠番連勝なみにありそうです。

金が余ってしょうがないけど、おおっぴらには使えない金で、時間も余ってしょうがないので、強い刺激が欲しい、そんなかつての公営競技の大口ファンには理想的ともいえる環境が、日本の株式市場にはあるのではないでしょうか。
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大学の話をしましょうか 3/5

2005年10月27日 | 本の感想
森博嗣さんが書いた「大学の話をしましょうか」(中公ラクレ新書)を読み終わりました。
森さんは名古屋大学工学部(名大にはこの学部名称はなくなってしまったそうですが)の助教授にして、独特の雰囲気を持つミステリやエッセイをたくさん著している作家でもあります。

森さんの最近のHPを見ると、どうも半年くらい前に助教授はやめてしまったようにも思えます。それで、大学の内輪話を出版してみる気になったのでしょうか?
といっても暴露話とか告発本になっているわけではなく、これまでの森さんの日記やエッセイに書かれている内容と重なるところが多くなっています。
このため、すでに森さんの日記等をたくさん読んでいる方にとってはあまり新鮮味はないと思いますが、初めて読まれる方があれば、視点や考え方の斬新さに驚くかもしれません。

私は、森さんの小説は6冊読みました。このうちスカイクロラシリーズ(SF戦記もの)は好きなのですが、あとの4冊のミステリ小説は、どうも、その、面白いとはどうしても思えません。一方、日記、エッセイは抜群に面白くて、HPに掲載された時点ですべて読んでいたにもかかわらず、幻冬舎から出版された日記もすべて買い、読み直したほどです。

日記などによると、森さんは、仕事や研究に時間を割くため、食事は一日一回、新聞もテレビも見ないそうですし、子供の世話も一切しない(参観日とかに一度として行ったことがないそうです)。また、若いときは研究に没頭して3日ほど眠らなかったとか、1時間で400字詰め原稿用紙でいうと数十枚分の小説を書いてしまうとか、ものすごい集中力の持ち主です。
その分他人にも厳しく、時々同僚や学生、編集者に対いる辛口のコメントも散見されます。すべてが本当なのかどうかは別として、また、自分では到底実行できないのですが、私はこうしたハードボイルドな生活にあこがれを持っているので、森さんの日記、エッセイに魅力を感じるのだと思います。

ところで、しばらく中断していたHP上での日記の公開が再開されました。助教授と作家の二重生活、という点にも興味があったのですが、どうも(大学を退職したかどうか確実なところは知りませんが)今は作家専業みたいです。また、ある意味、森さんがこの世で最も愛していた生物であるように思える飼犬のトーマもいなくなってしまったようです。
しかし、独自性のある視点、ユニークな考え方、シャープな表現は今も健在です。
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ハードワーク 3/5

2005年10月26日 | 本の感想
ポリー・トインビーさんが書いた「ハードワーク」(椋田直子訳、東洋経済新報社)を読み終わりました。

イギリスの新聞記者である著者が、会社の休暇中に低所得者用の住宅に住み、各種の最低賃金スレスレの待遇の仕事(学校給食の調理や清掃、病院のポーター等)のパートタイマーとして数ヶ月働いた経験を描いたルポです。

著者はサッチャー流の効率至上主義、政府機能の縮小という政策に反対しており、その結果として生み出された「公共な仕事」のパートタイマーとして生活がいかに劣悪な環境にあるかを伝えようとしています。

しかし、何と言うか、著者が体験した仕事の内容や待遇がそんなにひどいものには思えませんでした。著者は55歳で、何の特技・資格もないというフリで仕事を探すのですが、次々に新しい仕事が見つかりますし、時給も日本の普通のパートタイマー並です。それなりにきつそうな仕事もありますが、長く続けたら体をこわしてしまう、というほどでもなさそうでした。

著者は「公共的な仕事」が人材派遣会社に委託されていくことで、なされる仕事の質が低下していくことを懸念していますが、むしろ、そうした仕事が民間に開放されていくことで、そこそこの年齢の人でも自分の好きな時間にパートタイムで働けるという状況が整備されたと言えないこともないと思いますし、民間に開放されることで質が上がる場合だってあるでしょう。(日本の例でいえばそういう例の方が多いような気がします)

人材派遣会社に対する批判(ピンハネ分が多額であるとか、応募者に対する待遇がひどいとか)には共感できました。最近、私の働いている職場でも派遣社員の方が増えてきて、そうした方から派遣元への不満やぼやきをよく聞くせいかもしれません。
昔から、口入屋の評判は高利貸し、周旋屋とならんでかんばしくないことが多いように思いますが、帳場に座って他人の労働や辛苦の上前をはねる、という仕事の性格上、しかたないのでしょうか。(私の仕事も周旋屋の一種で、日々そこはかとない嫌悪とか後悔を感じることが多いのです)

ビジネス関係の出版社が出す翻訳書は訳がひどいことが多いような気がしますが、この本は、かなり読みやすい訳だったと思います。
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