蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

楽天が巨人に勝つ日

2008年08月31日 | 本の感想
楽天が巨人に勝つ日(田崎健太 学研新書)

楽天、ソフトバンク、ロッテ各球団のビジネスマネジメントのあり方を描いたノンフィクション。楽天に多くのページが割かれており、親会社から予備知識なく集まった素人同然の社員が一年目黒字にこぎつけるまでのエピソードが面白かった。

本書を読むと、球団の収支の鍵を握っているのは、球場の使用料や運営権(広告や飲食店収入)であることがわかる。ホームゲームは年間ほぼ満席というソフトバンクが赤字なのは、放映権料がほとんど無いということもあるが、球場の賃貸料が異常に高いことが原因のようだ。

ロッテもソフトバンクに負けないくらいホームゲームの動員力はあるし、球場の運営権も持っているらしいが、それでもけっこう赤字。これは最近成績がいいので人件費が高いことが大きな原因らしい。成績がいいのが赤字の原因というのもかなり皮肉だ。
休日はいつ行ってもほぼ満員の千葉マリン球場を見ると、これ以上どう経営努力しても黒字にはならないのではないかと思ってしまう。

本書では登場しないが、広島がなんとかすれすれ黒字なのは、明らかに「給料が高くなったら放出する」方針を貫いているからだろう。親会社からのミルク補給が期待できない球団としては仕方ないのだけれど、ファンから見るとなんとも不条理感がある。(一方で常に「巨大戦力」を揃える球団のファンというのも、何かしっくりこないものがあると思うが・・・そこいくと阪神の補強には「ストーリー」が感じられて、ファン受けがいいと思う)
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バカの壁

2008年08月30日 | 本の感想
バカの壁(養老孟司 新潮新書)

なんで今さら、という感じなんですが、双日総研の吉崎さんの「溜池通信」で、「情報は変わらないけど人間は変わる、と「バカの壁」で述べられていた通り、メールや掲示板の記述はいつまでたっても変化しない。だから対面して話すことが大切」みたいな趣旨のことが書かれていたのを見て興味を持ち、読んでみました。

・人の脳とか意識とかは共通性を求める。共通性を確保するために言語の論理と文化、伝統がある。一方、身体には個性がある。例えば、皮膚を他人に移植してもくっつかない。普通の人がどんなに訓練してもイチローにはなれない。

・人間は昨日と今日で変化する。例えばガン告知されたら、昨日見た風景が今日は違って見えるように。しかし情報は不変。

・かつては「誰もが食うに困らない」という理想のもと共同体ができていたけど、それが満たされて各人の理想がバラバラになってしまった。「働かなくても食える」というのが理想の状態だといって懸命に働いて経済は成長し、社会は効率化した。ところがいざそうなると今度は失業率が高くなったと言って怒る。

・人生を無意味と考える人が多い。「誤解を恐れずにいえば、9.11のテロにおいては、被害の大きさもさることながら、あの犯人たちが強い意味を感じていることそのものがショックだった、とは考えられないでしょうか」

・人生の意味を考えることは、人間にとっての幸福とは何かを考えること。(その結論は書いてないけれど、多分、社会のすべての背景には欲がある。その欲をほどほどにすればよい、といっているような気がする)
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現代小説のレッスン

2008年08月26日 | 本の感想
現代小説のレッスン(石川忠司 講談社新書)

「北村薫の創作表現講義」で、優れた評論として紹介されていたので読んでみた。
純文学=近代文学の「エンタテイメント化」が主題。純文学につきものの、「描写」、「内言」、「思弁的考察」は、「エンタテイメント化」を阻害する要因だが、村上龍は「描写」を、保坂和志は「思弁的考察」を、舞城王太郎は「内言」を、それぞれの仕方で解決した、という。

その他に村上春樹について詳細に述べているが、その中で中村光夫の評論から次の引用がされている。
「文学者が明治・大正時代を通じて、その仕事によって国民に浸透しようとした、個人の意識とか、幸福追求の権利とか、要するに広い意味の個人主義といっていいかと思います。そういうものが、敗戦という事実によって、いきなり人々の間に普及してしまった。
つまり近代文学が人間解放の文学だとしますと、人間の解放が敗戦の結果、文学とは縁のないところで出来上がってしまった。それは完全にできたとは云えないけれども、少なくとも明治・大正の文学者が意識したところよりもかえって徹底した形で実現してしまったと云えるかと思います。だから、近代文学は、知らない間にその使命を果たしてしまった。ところが新しい使命というものはまだ見つからない。こうなると文学の通俗化というか、娯楽化というか、そういうことが一種の必然であるということも考えられるわけであります」(「明治・大正・昭和」)

「北村薫の創作表現講義」で指摘されていたが、純文学というのが商業ベースで生き残っているのは日本くらいで、他の国では大学の研究室みたいなところでしか創作が行われていないそうだ。大戦前から個人主義みたいなのが確立されていた国では「娯楽化」はもっと早く始まっていて、日本でもその傾向がはっきり現れてきたということだろうか。

現代日本においては新たに「個人の意識とか、幸福追求の権利」をおびやかす要因が頭をもたげてきているとも言われる。衣食は足りたが礼節(を払われる機会)は十分ではなくて、(野放しの資本主義に)個人の人格とか旧来の共同体が脅かされている、みたいな主張がときおり聞かれる。「蟹工船」の異例の大ヒットなんかが一つの表れだと。

あとがきで、著者は、本書と社会の動向をストレートに結び付けないように注意した、と言っていて、このような方向性の主張はない。そしてそれは、とても良いポリシーだったと思う。上に書いたようなことを書かれると、この手の本としてはとてもしらけてしまいそうだから。
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影踏み

2008年08月24日 | 本の感想
影踏み(横山秀夫 祥伝社文庫)
主人公の双子の弟は、思いを寄せていた女性が兄に好意を持っていることを知ってグレて盗みをはたらく。
将来を悲観した母親は弟を巻き込んで心中を図る。弟は死亡するが、その魂は兄の「中耳」に宿り、時々兄に話かけてくる、という設定になっている。

家族の心中事件をきっかけにして、優秀な大学生だった兄も職業的窃盗犯(夜中の寝込みを狙う「ノビ師」)になっている。この兄弟と弟がグレた原因になった女性の三人を中心にした連作集。

死んだ弟が兄の脳内で生きているとか、子どもがグレたくらいで心中しちゃう親とか、主人公の異常なまでのハードボイルドぶり(ヤクザにとっても強気なところとか)など、物語の骨格はかなり現実離れしている。
一方、事件記者だった著者らしく、警察内部の事情や、警察と職業的犯罪者との関係など、リアリティを感じさせる場面が多い。窃盗犯の手口の描写など、「もしかしてあなたやったことがあるんじゃない」と思えるほど詳細である。主人公が「足」として使うのがママチャリというのも妙に納得できた。(もっとも、こうした内容が本当にリアルなのかどうかは、私にはよくわからない)

こうしたアンバランスな基盤の上にありながら(あるいはそれゆえに)、不自然さを感じさせず、最後まで楽しめる。
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1997年-世界を変えた金融危機

2008年08月18日 | 本の感想
1997年-世界を変えた金融危機(竹森俊平 朝日新書)

西暦の最後に「7」が付く年には、国際金融に大混乱が起きる、というのが最近30年間(1987、1997、2007)のジンクス。本書は、1997年のいわゆるアジア通貨危機の原因と影響を分析している。

サブプライム問題が本格化しかけたころに執筆されたと思われるので、2007年の危機との関連性はあまりつっこんで論じられていない。ただ、次のような指摘がなされている。
アジア通貨危機の教訓から、アジア主要国は、その後投資を控えて貯蓄(外貨準備)を増やすようになった。その貯蓄の運用先はアメリカの債券や株であり、これがアメリカ景気を支え、住宅バブルを生み、サブプライムの原因となっている、という。

本書の主題である「ナイトの不確実性」とは、確率分布を推測できることができない不確実性のこと。過去に同様の事例が少ない事象(例えば日本の巨大な政府負債)は、確率分布を推測できるだけのデータがないので、「ナイトの不確実性」である(そうでない不確実性は「リスク」)。

10年に1回起きるかどうかという国際金融の危機はたいてい、その勃発時点で「リスク」と捉えられるのか、それとも「ナイトの不確実性」なのかはわからないが、事後的にはたいて「ナイトの不確実性」に分類されることになる。
「リスク」は管理できるが「ナイトの不確実性」には(少なくとも事前の)有効な対策はないとされる。

なんとなく、危機を引き起こしてしまった政策当局の言い訳に都合の良い理屈のような気がするが、実際本書によるとグリーンスパン議長は「ナイトの不確実性」をよく引用したという。

「ナイトの不確実性」に値する危機が起こってしまった時に、では、事後的に過去の危機から学んで有効な対策を建てられたかというと、まれにうまくいくこと(LTCM危機)もあるが、大抵、失敗する。典型的な失敗例として日本の住専問題がかなり詳細に解説されている。

住専問題の国会決議で痛い目にあったことが、その後の本格的な金融危機に対応が遅れることになった原因になったのだが、本書によるとアメリカでも似たような例(1993年のメキシコ危機で政府裁量で使える為替安定化資金を使ったため、議会が激怒しこの資金を政府裁量で使えなくしてしまった。これが1997年の危機における機動的な対応を難しくしたという)があった、という。

あまり目新しい議論はないが、この手の本としては、ジャーナリスティックになりすぎず、かといって学者らしい堅苦しさもなくて、読みやすい。
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