蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

未来のミライ

2018年07月31日 | 映画の感想
未来のミライ

クンちゃんは4歳。妹(ミライ)ができて両親の関心が自分に向かなくなって不満がたまっている。ある日、家の庭に飼い犬のユッコが人間化?して出現する。実はユッコもクンちゃんが生まれるまでは愛を独り占めしていていたのに・・・とすねていたのを知る。やがて、その庭には高校生?になったミライや少女時代の母、曾祖父も現れるようになる。クンちゃんは彼(女)らに連れられて自分や家族の過去と将来の姿を見る・・・という話。

細田監督の過去の作品のような、わかりやすさや明快な決着があるわけではない。興行的に大丈夫か?と心配になるような内容で、今やジブリに勝るとも劣らないほどのメジャーになってしまった監督が、あえて世間を突き放すために作ったのでは?と思わせるほどである。

最初のうちは、「もしかして見たまんま、育児をテーマにした作品なのか?」とも思わせるのだけど、そうではなく、ユッコが人間化?したので、いつもの人獣混合ものか?と思わせて、やはりそうでもない。
ミライが出現して、未来世界での人類または家族の危機を二人が救うというパラレルワールドものか?と見ていると、ミライが過去に介入するのはひな人形の片づけだけで、肩透かしをくらう。
少女時代の母や曾祖父が出てくるので家族の歴史、ルーツもの、とも思えるのだが、二人ともクンちゃんに親切にしたくらいの関わり方しかせず、血の濃さを意識させるような場面はでてこない。

じゃあ、一体何なのよ?と思っているうちに映画は終わってしまうのであった。

でも、むしろ「もう一回みたい」と思わせる力は過去の作品より強かったかな。クリアカットな映画より、謎をふくませた不可解なものに惹かれるようになったのはトシのせいだろうか?

印象に残ったのは無人駅である磯子駅。直後の東京駅の場面が「いかにも」と思わせるおと対照的に「おお、そうきたか」という感じで、意外性に満ちていた。(蛇足・・・磯子駅が無人駅ということは、近い将来首都圏の通勤電車線は(何等かの新しい交通手段ができて)壊滅状態になってしまうと暗示している。本作はJR東日本ともタイアップしているはず(駅でやたらポスターを見かける)なのだが大丈夫なんだろうか?)
曾祖父がオートバイを作っている?納屋?も、「あ~昔の工場ってこういう感じだったよね」と懐かしかった。
あと、建築家?であるお父さんが設計した?クンちゃんの自宅(斜面の敷地を利用して部屋や庭が階段状に並んでいる)は、「いいなあ、こういう家」とあこがれた。

細田監督の作品は、フルCGやピクサー系作品とは一線を画して意図的に省略を多くした、絵が動いている感じのアニメーション技法が(今時珍しくて)よかったのだけど、本作はそこからかなり離れて(バジェット豊富な)洗練された大作アニメっぽいピカピカツルツル感がある画になっていたように見えたのは残念だった。
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経済学者 日本の最貧困地域に挑む

2018年07月29日 | 本の感想
経済学者 日本の最貧困地域に挑む(鈴木亘 東洋経済新報社)

1980年代終り頃、主に南海沿線で営業(セールス)をしていたことがある。当時は、新今宮駅とか萩ノ茶屋駅あたりで降りるのは、ちょっと抵抗感があった。バブル景気で日雇の仕事も豊富だったと思うが、それでも昼間から酒飲んでふらついている人がけっこういた。
本書は、そのあいりん地区(大阪市西成区の一部)に絡む社会的改革に(当時の橋下市長に依頼されて)大阪市顧問として携わった著者の体験記。

本書によると、あいりん地区では、行政側で事業計画を立てて議会を通してしまってから住民に説明するという事例(著者いわく、「いきなり調整」)が繰り返された結果、行政と住民との間の信頼関係が壊れてしまっていたという。
「いきなり調整」は、この地区に限った話ではなく、むしろ行政的な措置なんてほとんどそんなもののような気もする。行政側にしてみれば、議会を通っていれば(議員が住民の代表なのだから)文句ないだろう、と思っているのではなかろうか。
ただ、あいりん地区の場合、ステークホルダーの種類も絶対数も非常に多いことや、昔からの(いわゆる)活動家がいることで、行政への不信感がよりかきたてられていたようである。

こうした非常に難しい環境下で、著者は、できる限り幅広い参加者を一堂に集めて議論させ成案を得るという、ものすごくエネルギーと時間を要する事業にとりくみ、成功の入り口あたりまでこぎつける。
その活動が事実上無給だったというのも、すごいなあ、と思えた。(計画完成段階で顧問をやめるつもりが、橋下市長のペースに巻き込まれて引くに引けなくなったみたいだ)

著者が強調するのは、地域の関係者や行政に利害関係やしがらみがないミドルマン(仲介者)の存在の重要性。ミドルマン(著者)が各関係者をヒアリングして落としどころを推測して原案を作成し、関係者がこれを叩いて修正していく方法が有効だったという。関係者同士が合議する場では手の内を明かしたくなくて全く発言しない人も、どの関係者とも利害関係がうすいミドルマンが個別に聞きに行くとよく話したそうだし、原案を叩かせると反応がとてもよかったらしい。
もっともこれは、ミドルマン(著者)に、橋下市長という後ろ盾があってこそだったのかもしれないが。
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データの見えざる手

2018年07月24日 | 本の感想
データの見えざる手(矢野和男 草思社)

著者は日立製作所の研究所で、ウエラブル機器の開発やそれによって得られたビッグデータの解析をしている研究者。

手首に装着する腕時計型や首にかけるカード型のセンサで事務職の人の活動を調べたところ、人が一日に活動できる量には(人によって総量は異なるものの)ほぼ一定であることがわかったという。

(これは別の学者の説→)幸福感(を得られるか否か)は、半分くらいは遺伝的なものだが、残りは(家庭・仕事環境や資産の多寡など(こうしたものにはすぐ人は慣れてしまう)ではなく、「日々の行動のちょっとした習慣や行動の選択の仕方によるというのだ。特に、自分から積極的に行動を起こしたかどうかが重要なのだ。自らの意図を持って何かを行うことで、人は幸福感を得る」という。
そしてこうした行動による幸福感は加速度センサを備えたカード型センサで計測できる、というのが著者の主張だが、ちょっと強引かも。

本書は、2014年に出版されているが、ビッグデータやAIの活用については、3年後のちょうど今(2018年)世間で言われているようなことを先取りしていると思う。
例えば次のような点(以下引用)

「従来、データの分析(アナリティクス)は、演繹の特異なコンピュータを使って分析者が行ってきた。このような分析ができる専門家は「データサイエンティスト」と呼ばれ、現在もっとも注目される新たな職種の一つと期待されている。
しかし、そこには大きな問題があった。データ分析は、本来「帰納的」な仕事である。しかし、その「帰納的」な仕事に、「演繹用」に作られたコンピュータを使わざるを得ない。このギャップを埋めるために、データ分析では、人が適切な「仮説」を設定しなければいけないのだ。実際に人は適切な仮説を設定できるだろうか」

「仮説を作ってそれを検証することは、問題解決のための正しい手順である。しかし、ビッグデータが存在する問題では、その仮説を作るのは人ではない。コンピュータが仮説を作ることにこそビッグデータの価値があるのだ。人が仮説を作るという、固定観念を捨てる必要がある。(中略)大量のデータの全貌を人間が理解することは不可能だ。全貌どころか、その概要すら把握できないのがビッグデータの特徴なのだ。その状態で、人がつくった仮説とは、必然的に、大量データの恩恵を受けていない(無視した)経験と勘に頼ったものになってしまう。多種大量のデータがある問題については、仮説はコンピュータにつくらせる時代になっているのだ」
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関ケ原

2018年07月24日 | 映画の感想
関ケ原(映画)

司馬遼太郎の同名の小説を原作にした映画。

原作の主役は石田光成(岡田准一)で、家康(役所広司)は悪役(原作中では、やたらと家康が太っていたことが強調されるのだが、映画では腹だけが異常に出っ張っていた。どうせなら顔も特殊メイクしてほしかった)。

美術や大道具?がとても良くできていて、NHK大河的なそれと違って「きっとこうだったんだろうなあ」と思わせる説得力があった。
いくさの描写も戦場の広さや兵士の密集具合がうまく表現されていて(何が本当にリアルなのか、私自身はわかっていなのだけど)リアリティを感じさせてくれた。

キャストでは、島左近役の平岳大がよかった。彼が主役の映画にしても面白かったと思う。
滝藤賢一も、秀吉のイメージにぴったり合っていた。

光成のロジック(義)に殉じようとした生き方、光成と家康の策謀合戦、光成と吉継の友情、太閤家内の対立、伊賀者(初芽:有村架純)との恋、島左近の武者ぶり、秀秋の逡巡、などなど盛り込み過ぎで、散漫な感じがした。
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約束

2018年07月14日 | 本の感想
約束(ロバート・クレイス 創元推理文庫)

爆薬を含む化学製品を作る会社の幹部から、会社のカネを横領した社員(エイミー)の探索依頼が探偵(エルヴィス・コール)にもたらされる。コールはエイミーの息子(テロの被害者で故人)の友人が住んでいたと思われる家を張込みする。別の案件でロス市警警察犬隊スコット・ジェイムズ巡査と相棒のシェパード犬:マギーもその家の捜索に訪れるが、その家から逃げ出したと思われる白人男性を追うが・・・という話。

アメリカ製のテレビドラマや映画のノベライズのような内容で、定期的?にヤマ場が発生し、犬と人間の絆、探偵やその友人たちのハードボイルドぶり、料理に関するちょっとした蘊蓄、二転三転するプロット、等々、計算しつくされた構成・筋書きだったと思う。

なので、ドラマを見ているように最後まで楽しめるのだけど、読み終わると何も残らないような気がして、少しさみしいのだった。「読み終わると何も残らない」というのも著者の狙いの一つなのかもしれないが。

翻訳者によると、本書はスコットものの人気作の続編であると同時にコールものの長いシリーズの最新作でもあるようで、長くこれらのシリーズを読んできた人であれば、もっと楽しめるのだと思う。
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