蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

マリアナ機動戦―5

2012年09月30日 | 本の感想
マリアナ機動戦―5(谷甲州 中公Cノベル)

買ったのは約1年前だったのですが、5巻目でシリーズが終わりみたいなので、この際、1巻目から読み直してみようと思っているうち、次がでそうになってしまったので、あわててこの巻だけ読みました。

「覇者の戦塵」シリーズとしては珍しく、艦隊戦が描かれた巻でしたが、視点はほとんど爆撃機の操縦者たちのもので、誘導ミサイルという強力な新兵器の実戦投入に成功したのに日本軍は優勢な米軍の航空戦力の前にサイパンの制空権を渡してしまうことになったのですが、その負けっぷりはほとんど描写されないし、誘導ミサイルが敵主力空母を屠った場面も1行で終わってしまうのでした。
でも、まあ、そういう、普通の戦史シミュレーションとは一線を画したひねくれ方が好きで20年以上読み続けているわけですが・・・。

また、このマリアナ機動戦シリーズでは久々に(「覇者の戦塵」で唯一キャラが立っている蓮見大佐が登場したのに、活躍場面はありませんでした。残念。

しかし、サイパンが事実上陥落して、「覇者の戦塵」でもあと(物語上)1年ほどで日本は負けちゃうんでしょうかね。ニューギニアとかビルマ戦線、もともと主舞台だった満州とかはどうなってるんでしょうか。せめて1年に4冊くらいだしてもらいたいなあ。(満州におけるトラクターの活躍とか是非読んでみたいです)
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神去なあなあ日常

2012年09月30日 | 本の感想
神去なあなあ日常(三浦しをん 徳間文庫)

三浦さん、ジャンル分けの難しい恋愛小説の書き手というイメージだった(そういう傾向の作品は読んでないがエッセイから推測するにそんな感じかと・・・)のですが、最近は「お仕事小説」の書き手と分類?されることが多いようです。

本書は林業の見習いとして、無理矢理三重県の山奥に連れてこられた高卒早々の青年の話で、いやいやながらも次第に林業の面白さや山奥の暮らしの楽しさに目覚めていくという話・・・と書くと面白くもなんともなさそうですが、「ヨキ」という魅力的なバイプレーヤーを登場させることで、最後まで楽しく読めました。

ただ、田舎で暮らしたことがない私には、神去での生活描写の方により魅かれました。
夏になると裏の畑では毎日食べきれないほどのキュウリやトマトが取れて、川では天然のうなぎが罠にいっぱいかかっていて、それを自ら捌いて焼いて食べるとか、谷川の水は夏でも入ると唇が紫になるほど冷たいとか・・・ああ、あこがれるなあ。

盛夏の1週間限定で暮らすなら、という条件つきだけど(←軟弱者!)
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とまどい関ヶ原

2012年09月30日 | 本の感想
とまどい関ヶ原(岩井三四二 PHP)

関ヶ原合戦のいろいろな局面で、主役格からは少しはずれた人たちを主人公とした短編集。

「百尺竿頭に立つ」(語り手は安国寺恵瓊)と「草の靡き」(語り手は朽木氏の家臣)、「すべては狂言」(語り手は吉川広家)の3篇が、東軍、西軍いずれにわが身をゆだねるか迷いに迷う人たちの心理を短い分量の中でうまく描いている。

朽木氏や吉川氏は、合戦が始まってからもまさに洞ヶ峠を決め込んでいる感じで、著者が言うように彼らがふと気迷いして史実と逆のことをやっていたら合戦で勝ったのは西軍だったかもしれない(まあ、合戦で勝っても決着時期が延びるだけで結局は徳川の天下になったのだろうけど)
しかし、小早川氏や吉川氏といった支流の人たちばかりか御大将輝元みずからどっちつかずの態度に終始した毛利氏は、どう考えても歴史のイニシアティブを握る大きなチャンスを逃したとしかいいようかないなあ。つくづくもったいない。

「敵はいずこに」は関ヶ原に間に合わなかった秀忠とその家臣:大久保忠隣の話。主力とも言える秀忠軍の到着を待たずして家康が開戦に踏み切ったのは、この本が言うように西軍の内応者を固めきったと確信できたからかもしれないし、万一この合戦で勝っても負けても後があると思っていたせいかもしれない。

「松の丸燃ゆ」は伏見城の話。この本によると伏見城はその気になれば相当長期間籠城できたはずの規模をもっていたそうである。秀吉の別荘みたいなもので戦争の拠点としては役にたたない城だと勘違いしていたので、意外だった。

著者の作品については、それなりの数を読んでいるが、主人公がとても健気というか、一生懸命自分に与えられた運命の中で最善を尽くそうとしていることが多く、好感がもてるというか、元気がでるというか、そんな感じがいつもする。本書も多くの短編でそんな感想を持った。
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印象派で「近代」を読む

2012年09月17日 | 本の感想
印象派で「近代」を読む(中野京子 NHK出版新書)

なぜ日本人は、印象派が好きか?
という問いに対して著者は
「印象派以前の絵画には意味があり、その意味がわからなければ感じることさえできない。そのためには、肖像画であれば、それが誰でどんな功績のあった人物か、歴史画であれば、それがどの時代のどんな事件か、神話画であれば、それはギリシャ神話のどの物語か、宗教画であれば、それは聖書のどの場面か、そういった知識が不可欠なのに、とてもまだそこまでは手がまわらない。また印象派以降の絵画は、それこそ百科繚乱のうえ抽象性と個別性が強くなりすぎて、どう感じていいのかさえ謎。そこで、すんなり理解できる印象派への殺到、という状態なのかもしれません」
という。

印象派という名前には、絵画を見る前提となる(西洋的)教養がなくても見たまま感じたまま鑑賞できる、という侮蔑のニュアンスをふくんだもののようだ。

掲載されている絵で、気に入ったのが「ラ・グルヌイエール」(モネ)。
著者も指摘しているが、あらあらしい筆使いなのに本物の「印象」そのままの波の描写がいい。

また、広重の「箱根・湖水図」をモチーフにしたと思われるスールの「オック岬」を上下に並べて前者が圧倒的にすぐれていることを指摘していたのも印象的だった。
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ブラックスワン

2012年09月17日 | 映画の感想
ブラックスワン

主人公のバレリーナは、高い技術を持っていて白鳥の湖公演の主役に選出される。
彼女は母親にスポイル気味に育てられ、今でも強い影響下にあるせいか、性格的に子供っぽくて成熟していない。
演出家はむしろ抜擢して彼女を鍛えることで大人の女性・バレリーナへ脱皮させようとする。

しかし、主人公はなかなかカラを破ることができず、ライバルの出現もあって次第に精神的に追い詰められていく。
その追い詰められていくプロセスの表現方法がサイコサスペンス風で、しばしば主人公の妄想と現実の境目があいまいになる。
しかし、バレエを描くという主題は全く揺るがず、幻想的なエピソードも終末部分では(映画の中の現実と)見事に整合させていた。
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