蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

長い散歩

2008年02月28日 | 映画の感想
長い散歩

主人公はかつて校長をつとめた教育者だったが、家庭を顧みなかったせいか娘は非行に走り妻はアル中になってしまった。
退職し妻が亡くなった後、主人公はアパートで一人暮らしを始める。隣室には水商売の女とヒモ、女の娘が住んでいた。
就学前の娘は虐待されており服は汚れ放題でスーパーで万引きして食いつないでいた。気の毒になった主人公は娘を連れ出し旅に出てかつての家族の思い出の地(アルプス)を目指す。途中出会って仲良くなった青年は自殺してしまい、主人公は誘拐犯として警察に追われる。

この手の映画にあっては(観客の同情をひこうと)虐待の様子が詳細に描かれたりするが、本作では比較的あっさりした描写で、虐待されている娘はけっこうふてぶてしく、たくましい。主人公にも簡単にはなつかない。

刑事役の奥田瑛二が、ラスト近くでストーリーの総括や主題のような台詞を言うのは(彼がこの作品の企画者で監督であることを考えると)ちょっと興ざめだったし、その直後のシーンで主人公が駅前で多くの通行人に取り囲まれる場面はわざとらしい演出に見えた。そこにいたるまでは良い感じの映画だったので残念だった。

自殺してしまう青年役の松田翔太が飾らない演技で好印象。
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クレィドゥ・ザ・スカイ

2008年02月23日 | 本の感想
クレィドゥ・ザ・スカイ(森博嗣 中央公論新社)

SF架空戦記シリーズの第五弾。
シリーズで最初に出版された「スカイクロラ」が5冊のうちの最後のエピソードだったという、著者らしいケレン味に満ちたシリーズ構成であったことが、シリーズを読み進むにつれてわかってくる。

本書では、前作(フラッタ・リンツ・ライフ)で記憶をなくしたキルドレ(戦闘機乗りの適性を高めるために改造された人間)が、反戦団体(?)と接触しながら、結局自分は戦闘機に乗ることにしか存在理由を見出せないことを発見するまでを描く。
このキルドレが「スカイクロラ」では、伝説の大エース・クサナギスイトと並ぶパイロット・カンナミユーヒチとなって活躍することになる。
ただし、本書では、主人公の名前(カンナミユーヒチ)が明確にはされない。それが実は主題の一つで、終盤に次のような種明かし(というか著者の主張(?))が行われている。(以下引用)
「その名前は出てこなかった。でも、この機体のことはよく知っている。それは思い出した。カウリングの中のエンジン、そのヘッド、カム・カバーの中のスプリングまで思い浮かべることができた。エンジンの音だって、キャブレタの音だって、ダイブのときのスタビライザの振動音だって、僕は知っている。匂いも思い出せた。濃い場合の排気、高度が上がったときの焼けるような匂い、オイルや湿度によって変化する排気の色もわかる。
つまり、見たもの、聞いたもの、嗅いだものは全部覚えている。僕が記憶できないのは、言葉だ。特に、名前が思い出せない。どうしてだろう。
ここにある飛行機と自分の関係は、飛行機の名前を覚えていなくても、揺らぎのない確かなものだ、と思えた。これに乗って飛ぶために、その名前を呼ぶ必要はない。
僕自身もそうだ。僕の名前を呼ばなくても、僕は生きていける。特に、空に上がってしまえば、誰も僕の名を呼ばない。名前なんて必要ない」

このシリーズの読みどころは、極く短いセンテンスの連なりで描かれる空戦(あるいは飛行機の離着陸、飛翔)場面にある。
本書ではそういう箇所が比較的少ないが、複葉機で飛翔する場面は、臨場感たっぷりで、飛行機を操縦しているような錯覚を少しだけ味わえたような気がした。
また、本シリーズに登場する飛行機はすべてレシプロ機である。ジェット機では浮揚感とか立体感を表現するのが難しいからだろう。
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ひとがた流し

2008年02月10日 | 本の感想
ひとがた流し(北村薫 朝日新聞社)

タイトル名と著者から、ミステリに違いないと思ったのですがそうではありませんでした。

幼なじみの三人の女性とその家族の物語。章ごとに視点・語り手が入れ替わります。読み終わった後に振り返ると、新聞連載を強く意識した構成になっていたように思います。

ミステリではないものの、ところどころに小さな謎が仕掛けられています。例えば、主人公の石川千波が「トムおばさん」と呼ばれるのはなぜか?とか。

その石川千波は優秀な局アナですが、母の介護も仕事のかたわら続けていました。その千波の次の台詞が印象に残りました。(以下引用)

「人が生きていく時、力になるのは何かっていうと-<自分が生きてることを、切実に願う誰かが、いるかどうか>だと思うんだ。-人間は風船みたいで、誰かのそういう願いが、やっと自分を地上に繋ぎ止めてくれる。-でも、そんな切実な願いって、この世では稀なことだと思って来た。-母親は、-わたしの母親はね、そう願ってくれたと思うんだ。愛してくれたんだよ、わたしのこと。でも、その母親が倒れて介護をしてて、どうにもつらくなった時、わたしはね、<逝ってくれたら>と思ったことがある。-それだからね、-<わたしがこの世に生きてることを、誰も切実に願ってはくれない>と思ってきた。<それが当然だ>とね」
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熊を殺すと雨が降る

2008年02月04日 | 本の感想
熊を殺すと雨が降る(遠藤ケイ ちくま文庫)

林業や狩猟など山での仕事にたずさわる人々の伝統的な作業方法や習慣を取材したルポ。
イラストが数多く収録されているので、文章だけでは理解が難しい昔ながらの民俗がとてもスムーズに頭にはいった。

マタギ(東方地方で狩猟に従事した人の呼び名)に興味をもったのは、「邂逅の森」を読んだ時だったが、本書ではマタギの生活や仕事がより詳細に紹介されていて、再び「邂逅の森」を読んでみたくなった。

山に入るときに持ち込む弁当や、山の中で作る簡単な料理が(どれも極めて素朴なものだが)とてもおいしそうだった。
特にメンパ(木で作った弁当箱)のフタに素焼きにした川魚と山菜と味噌と水をいれて、そこに焼いた石を入れて(高温に焼いているので一瞬で沸騰する)作る味噌汁がなんともうまそうだった。
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武士の一分

2008年02月03日 | 映画の感想

武士の一分

 「金麦」(ビール風飲料)の車内吊、駅カンバン広告の写真の壇れいさんは美しかった。その広告を見た時は、彼女が誰か知らなかったので、「武士の一分」に出演していることも知りませんでした。

他のレンタルDVDの他作紹介で壇さんがこの映画に出ていることを知り、彼女目当てでDVDを借りてきたのですが(私と同じプロセスをたどった人も多いと思う)、どうも映画の中ではあの広告写真ほどではなかったかな、という感じでした。でも、山田監督の手堅い手腕で映画は最後まで楽しくみられます。

時代劇3部作の前作「隠し剣 鬼の爪」では、緒形拳と小林稔侍という普段あまり悪役をやらない人がセコい悪役をやっていた(「武士の一分」でも二人は出演しているが、今度は二人ともいい人の役)のですが、本作では三津五郎という、これまた悪役の似合わない人がとても卑怯な悪役になっています。
こうした人達を悪役にキャスティングできるのは山田監督の力量というものなのでしょうか。

これも「隠し剣 鬼の爪」と共通してるのですが、暗鬱なストーリー展開が最後になって底抜けのハッピーエンドになります。あまりに急転直下(悪くいうととってつけたように)な展開に少々違和感があります。

キムタクの殺陣はけっこう迫力があります。

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