あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

ドイツ・アルテナ歩き旅の道路状況と道標など①

2009-12-18 16:42:32 | ドイツのウオーキング
 12月16日(水)夜、日本ユースホステル協会会議室で行われた「青少
年国際野外旅行研究会(略称ワンデル)」の今年最後の集まりに出かけ
ました。

 この日は、日本ウオーキング協会会長・村山友宏さんの、「日本トレイル
システム」構想の話が中心でした。

 日本本土の中央部を横断する、歩く旅の道を7つ作ろうという構想で、そ
の1番目は、やまさんが春秋に実踏中で、私も途中から参加している「国
際ウオーキングトレイル」です。

 国内の歩く道の多くは、自動車優先の道路を危険を感じながら歩かなく
てはなりませんが、車を気にすることなく安心して歩けて、適度に休憩でき
る施設や宿などがあって、外国人の方にもお勧めできるトレイルが出来る
のはいつのことでしょうか…。
  
 それはそれとして、トレイルといえば、8月に出かけたドイツ・アルテナ周
辺の歩き旅について、「ドイツのウオーキング」というカテゴリーでアップしま
したが、ドイツの歩く道の状況はどんなものなのか、気になった方もおられ
るのではないでしょうか。

 そこで、どんなところを歩いてきたのか、また、道標はどうなっているのか
といったことを、歩いたコースに従って順次紹介して参ります。

 まず、歩き旅の初日、8月16日(日)、ユースホステル発祥の地・アルテ
ナ(Altena)からグレーアゼー(Glörsee)まで(25㎞)の道筋についてです。

 スタートのアルテナ駅を出て、並行する国道の西の住宅地を上がるところ。

 このすぐ先左手から、ユースホステル第1号となったアルテナ城が望まれます。

 近くの道路右手の壁面には、コース標識がこんな具合に書かれています。

 これは、A2、X17、□(四角)、▲(三角)の4つのコースがここを通っている
ことを示しています。

 ちなみに、「X」のつくルートは比較的長距離のトレイルで、このX17は
「Harkortweg」と呼ばれ、全長は138キロです。

 トレイル名の最後の「weg」は、「道」のことで、Aとか□、▲のコースは、2~
10㎞前後の短いコースのようです。

 住宅地を過ぎて山道に入ります。右の柱にはこのような標識が。

 ▲、A2,Xが記されています。X17の17は省略されています。

 山道の途中で、地元の方10数人のグループに会いました。

 車の通れそうな道幅ですが、歩行者専用道なのでこの道には車は通りま
せん。

 丘陵の上に出て、牧草地や小さな集落を抜けます。車道でもありますが、
農作業の車以外は、ほとんど車に出会うことはありません。

 向こうに見える集落には、ビールやワインなどが飲める店があり、ドイツ人の
グループの皆さんは入りました。地図上には、ワインマークが記されています。

 針葉樹林の中の道。林の中も幅広い道になっています。


 林を抜けて、牧草地の間を進みます。両側に咲くのはツリフネソウ。


 牧草地のさくに沿って進みます。実はこれはコースではなく、この先で
林間に入って少し戻り、林の下を走る正規のルートに下ることになりました。


 牧草地から、次の林間に入ろうとするあたり。


 コースの後半、Rummenohlというところで鉄道と国道を横切り、X6
ルートに入りました。

 X6は「Robert-Kolb-Weg」と呼ぶ、全長190㎞のコースです。

 このように幾つかのトレイルを歩き継ぎながら、ゴールの宿に向かうコース
を設定します。これは、事前に地図を見て決めますが、複数のルートがある
ようなところでは、現地で、臨機応変に別ルートにすることも可能です。

 斜面をトラバースするこのあたりは、細い山道です。

 山道といっても日本のような急なアップダウンはなく、緩やかな傾斜なので、
比較的楽に通過できます。

 住宅の横の、気持ちよい草道を下るX6ルート。


 この日のゴールは、森に囲まれた池のほとりのユースホステルでした。

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カントリーウオーク桶川(埼玉)

2009-12-16 16:14:05 | カントリーウオーク
 2009年12月13日(日)

 埼玉県内を中心に歩いているカントリーウオークグループの、今年の歩き
納めとなる第169回例会に参加した。



 集合はJR高崎線桶川駅。参加者18人は4組に分かれ、10時10分に
出発した。

 =桶川西高水族館を見学=

 西口の広い道路を進み、すぐ先の「さいたま文学館」へ入る。埼玉ゆかり
の井伏鱒二、田山花袋、豊田三郎、深沢七郎、武者小路実篤、早船ちよほ
かの作品や原稿、写真などを見た。


 広い道路より南側の通りに入り、井戸木三丁目から泉台三丁目の住宅地
を抜ける。大宮ゴルフ場の北を通過し、藤波四丁目まで進むと田園地帯と
なる。

 農家の庭先に、ピラカンサとマユミが真っ赤な実を、こぼれんばかりに付け
ていた。


 藤波一丁目の天神社に寄る。開放的な境内で、社殿の背後に背の高い
モミの木が立ち、その下に江戸時代の祭礼に村の青年たちが力を競ったと
いう「天神社の力石」が埋め込まれていた。

 神社には、秋祭りに奉納される「藤波のささら獅子舞」や正月の「藤波の
餅つき踊り」の伝統が残り、いずれも上尾市の無形民俗文化財に指定され
ている。

 近くの田んぼには、昨今は珍しくなった脱穀後の稲わらがたくさん並べて
干してあった。


 藤波二丁目の民家の庭に、2階の屋根に届きそうな大サボテンあった。

 そんなに温かそうでもないが、どうしてこんなに育ったのだろうか。ご主
人の話では、年4回も花が咲くという。

 同じ町内の密厳院は、山門に円覚寺観音霊場第四十番札所と記されて
いたが、無住らしい。境内には、享保10年(1725)など、江戸時代の
お地蔵さんが10数体並んでいた。


 荒川河川敷にある飛行場から飛び立ったのか、大きな飛行船が行く手
から上がってきた。


 上尾市と桶川市との市境、自然堤防の細い川を過ぎて、桶川西高へ。
 目的は、全国でも三重県の高校とここだけという水族館。科学部の生
徒による「ハートフル桶西水族館」と呼ぶ設備で、あらかじめTさんが来訪
を申し込んだあったもの。、校舎の2階に上がり、見学させてもらう。

 少しずつずれて到着したグループごとに、1人ずつ科学部の生徒が付
き添って説明をしてくれる。まず、入口にある化石などを見せてもらい、
そのあと館内(広い教室)に飼育している魚の生態や飼育方法などを説
明してもらった。

 国外の海に生育している魚が多く、それも化石時代から残っているた
という貴重なものもある。名前の知れたピラニアから、ノーザン バラムン
ディ、スポッテッド ナイフフイッシュ、アーリーなど、聞いたことも見たこ
ともない珍しい魚の生魚や幼魚がたくさん飼育されていて、大変興味深
く観察させてもらった。

 校舎の南側から西へと回る。そばの畑に、昨日も見た大きなユズが実
っている。最近は、あちこちで育てているようだ。

 ゆっくり見学し、予定よりかなり遅れたので、このあとは昼食地に向か
う。県道12号に出て、近くの城山公園を抜ける。うす寒い日なので、園
内にはわずかのグループしか見られなかった。


 公園の北側は、上尾道路と呼ぶ国道17号バイパスの工事中。少しう
回して北側の車道に出て、すぐ先にある昼食地の川田谷公民館に13時
10分に着いた。

 =ゆっくりと恒例の芋煮会=
 
 例年の芋煮会は屋外なのだが、今回はTさんが予約してくれた公民館
2階の調理室が会場。調理台やガス、食器などが自由に使えるという有
難い環境。

 そのためかいつもは男性が調理の主役になるのだが、今日は自然の成
り行きで女性の皆さんに任せ、さっそく缶ビールや熱燗(あつかん)の酒を
のどに通す。



 待つほどもなく、二つの鍋一杯に入れた芋煮が出来上がった。男性、女
性が別のコーナーに別れて美味しく出来上がった芋煮をお代わりしながら
話に花が咲く。


 ゆっくり食べて飲んで話し、片づけを終えた頃、Aさんが駆けつけた。


 同じフロアの和室に入ってミーティング、1階の歴史民族資料館もざっと
観覧し、館の前で記念撮影をして、15時50分頃川田谷公民館を出た。


 前領家の田園地帯を北に向かい、自然のままの保育を実践していて敷地
は4千坪という「いなほ保育園」の横を通過する。園内にはヤギ、馬、ロバ、
クジャクなどを飼育しているようだが、休園日なので入るのは遠慮した。

 桶川みどりの会が管理する平地林を抜け、川田谷小の前から東に向かう。
岡村を過ぎて田園地帯を横切り、日出谷氷川神社辺りまで進むと、かなり
暗くなった。

 近くの大きな寺、知足院横を通過して交通量の多い県道12号に出る。
暗くなった夜道を急ぎ、ゴールの桶川駅前に、17時24分に着いた。

(天気 曇、参加 19人、距離 11㎞、地図 上尾、鴻巣、歩行地
 桶川市、上尾市、歩数 21,500)


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関東百駅巡礼歩行・東武東上線 東松山駅(埼玉)

2009-12-15 21:56:37 | 関東百駅巡礼歩行
 2009年12月12日(土)



 関東百駅巡礼歩行、第60番の集合地は東武東上線の東松山駅。常
連メンバーのほか、『地図で歩く秩父路』(さきたま出版会発行)の著者
である、I さんも初参加された。

 新装なった駅をバックに記念撮影をして、10時5分にスタートする。

 東口から少し南に進んで東に向かう。御茶山町に入ると、屋内ゲートボ
ール場があった。ゲートボールは屋外でプレイするものと思っている人が
多いのか、違和感を感じた人もあったようだ。

 隣接する神明小の横を北に向かい、東松山市ウオーキングセンターへ。
国内最大のウオーキング大会「日本スリーデーマーチ」開催都市ならで
はの施設である。

 市内7コースのウオーキング地図や、比企地域ウオーキングマップなど
があったので、皆がもらう。

 センター前を東に進み、市野川の橋を渡り吉見町に入る。橋のそばに、
「当選寺」という無住の寺がある。選挙に縁起がよい名なので、立候補者
がお参りに来るらしい。

 寺の背後が、国史跡の松山城跡。市野川が形成した低地に突き出た
丘陵の東端に築かれた、北武蔵地方屈指の平山城だったという。

 城郭としての体裁は15世紀半ばとみられ、天文から永禄年間に上杉、
武田、北条各氏の争奪戦になったとか。のち豊臣勢に攻められ、天正
18年(1590)に落城したという。

 毎年、日本スリーデーマーチでそばを通るのだが、寄ったことはなかっ
た。西側から広葉樹林を上がると、本丸跡を中心に、小さいながら複雑な
城郭がよく残されている。

 本丸跡からは、西側に東松山市街や奥武蔵の山並みなどが望まれた。


 ところどころに残るモミジの紅葉を眺めながら、急斜面を北に下ると、
岩壁に挟まれた断がいに立つ懸崖(けんがい)造りの岩室観音がある。

 松山城主が代々信仰していたが、松山城の攻防戦の際、兵火で焼失し、
現在のお堂は、江戸時代の寛文年間(1661~73)に再建したものと
いう。

 観音堂を挟む岩室には、四国八十八か所の霊場の本尊を模した仏像が
祭られていた。

 道路を挟んで北側にあるのが国史跡の吉見百穴(よしみひやくあな)。
たくさんの横穴は、古墳時代後期に死者を埋葬する墓穴として作られた
ものという。


 ここも、毎年通過しているが初めて入る。横穴群を巡る遊歩道を上部
まで上がり一巡し、途中のベンチのところで昼食にした。

 横穴群の中ほどに、地下軍需工場跡の開口部があり、入ると、直径3m
ほどの洞窟がかなり奥まで伸びていた。第二次大戦末期、東京・武蔵野
市にあった中島飛行機工場の移転先として建設され、エンジン部品の製
造をはじめたようだが、1か月ほどで終戦になったと記されていた。

 百穴の西側の林間を回り、背後の台地に上がる。古くからの住宅地の
そばの畑に、大きなトウガンが下がり、カボチャのような大きなユズが落
ちていた。

 コブシのつぼみがかなりふくらみ、この冬の暖かさが感じられる。

 弁天池のある龍性院に立ち寄り、東側から田んぼの横を北に向かう。


 ケヤキやカシなどの屋敷林に囲まれた農家を眺めながら進み、北吉見の
十字路際の八坂神社へ。小さい社殿だが、境内は豊富な樹林に囲まれて
いる。

 十字路の南には、北向観音のお堂があった。


 天王山の新興住宅地を抜け、雑木林の残る天王山自然公園に入る。こ
の先、東側の丘陵上に見えるアンテナ塔に向かって近道をしようというの
が、やまさんの狙い。

 そばの注宅の横を谷間の雑草地に下り、小さい流れを横切る。オレンジ
色のピラカンサがたくさん実る一角を抜け、ススキの間をかき分けて、1車
線の道に出た。


 アンテナ塔の立つ丘陵の南に回り、八反田の民家の間を進むと、林間
への細い道がついている。


 稜線まで上がり、戻り気味に取り付け道路を入り、アンテナ塔のそばに
出た。

 アンテナはNTTドコモの比企無線中継所で、さくがあり中には入れなか
った。

 八反田の散在する住宅地へ。庭先にピラカンサとミカンがたわわに実を
付け、近くにはクチナシがたくさん実っていた。

 その名も「観音」集落の、北側の高台にある今日一番のポイント、坂東
三十三観音霊場第十一番札所、吉見観音・安楽寺に入った。

 行基が東国順錫(じゆんしやく)の折、聖観音像を刻んで岩窟(がんくつ)
に安置したのが起こりとか。のちに桓武天皇の時、坂上田村麻呂が奥州
征伐を祈願して七堂伽藍(がらん)を建てたという。

 本堂は寛文元年(1661)の造立、本堂東側に立つ三重塔は寛永年間
(1624~44)再建で、県の指定文化財になっている。


 境内の何本かのモミジが見ごろで、納経所に向かう庭園のマンリョウが、
一杯実を付けていた。

 大きな仁王の立つ山門を抜け、石段を下って門前の通りへ。「どびんや」
という売店があり、名物は厄除けだんごとか。

 取り立てのユズも数個百円で販売しており、何人かが購入した。

 県道271号を少し進み、ゴルフ練習場の横を上がって学校前集落と和名
集落の間の高台に出る。雑草地の向こうに東側の展望が広がり、筑波山
が望まれた。

 和名集落の北端にある無住の正伝寺に入って休憩。豊富な木々に囲ま
れた静かな境内、葉の落ちたイチョウの大木の下に、ギンナンがたくさん
落ちていて、女性の何人かが拾って袋に入れる。


 和名の南に回り、和名沼の北側から「風の杜(もり)」と呼ぶ自然環境保
全地区へ。一帯は県の「ふるさとの緑の景観地」にも指定され、トウキョウ
サンショウウオやホタルの生息が確認されているという。

 クヌギ、コナラ、アカマツなどの雑木林を抜け、谷間に続く広大な工場、
カルソニックカンセイの建物を見下ろしながら南に下る。

 天神沼の南で県道27号に出て、近くの亀の甲バス停に15時44分に
着く。15時53分発のバスで東松山駅に向かった。

(天気 晴、参加 10人、距離 11㎞、地図 東松山、歩行地 東松山
 市、吉見町、歩数 22,200) 
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新春・七福神めぐりなどを掲載の「新ハイキング」新年号

2009-12-13 21:49:04 | ハイキング
 今年も残るところ半月あまり、寒さも厳しくなってきました。

 新年には、七福神めぐりにお出かけの方も、いらっしゃることでしょう。
来年はどこの七福神に行こうか、もう決まりましたでしょうか。

 首都圏にお住まいで未だの方には、『新ハイキング』1月号をご覧になっ
たらとお勧めします。



 『新ハイキング』は毎年、1月号で干支(えと)の山と、温泉、七福神巡りを
特集しています。

 今度の1月号では、来年は寅年なので干支の山として、奈良県の信貴山
(437m)と栃木県の寅巳山(445.8m)を紹介しています。

 全国でも「寅」や「虎」の字の山は8座しかないとか。その中の2つなので、
貴重な山といえましょう。

 七福神については、埼玉県の与野七福神と小江戸川越七福神、東京都内
の新千寿七福神、伊興七福神、東海七福神、それに七福神ではありません
が、正月に巡るにふさわしい江戸五色不動尊が掲載されています。

 ちなみに、この中の与野七福神は、私が投稿したものです。

 また、江戸五色不動尊とは、目黒、目青、目白、目赤、目黄(2つある)の
各不動尊のことです。

 山行と温泉としては、奥多摩の三頭山から数馬の湯へのコースが紹介され
ています。

 特集以外にも、宮城、群馬、埼玉、千葉、東京、神奈川、山梨、静岡などの
山や神社、城趾巡りなど、寒い時期でも歩けるコース、20以上が紹介されて
います。

 厳冬期でも晴れて風がない日なら、歩いていれば寒さもさほど感じることは
なく、葉の落ちた稜線からは遠望も利きます。

 首都圏の方は正月の計画のご参考に、近くの書店で『新ハイキング』をちょ
っとのぞいてみていかがでしょうか。 

 『新ハイキング』社のWeb Siteは、下記からご覧下さい。
  http://shinhai.net/

 

 

 

 
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ドイツ・ライン川遊覧船から③

2009-12-11 18:40:20 | ドイツいろいろ
 今月に入り、温かい日と寒い日が交互にやってくるように感じます。
今日は真冬並みの寒さですが、明日はまた暖かさが戻りそう。でも、来週
半ばから寒さが本格的になるとの予報。皆さんの所はいかがでしょうか。

 今日も、8月14日(金)、ドイツ・ライン川遊覧船からの船旅の最終回です。

===============================

 ドイツワインの原料となる、ブドウ畑が一面に広がってきました。
574㎞の距離標識の近くです。

 距離標識は、源流からの距離かと思われ、1㎞ごとに見られました。

 消防艇と行き交います。少し離れたら、もっと高く噴水を上げながら
進んで行きました。


 私たちが乗ったのと同じ会社の遊覧船。


 木組みの家が並んでいます。


 歴史のありそうな教会。


 再び右岸に現れた古城。


 かなりよく修復されているようです。


 こちらの城は、修復中なんでしょうか。


 終着のコブレンツ(Koblenz)が近づき、ここまでの川沿いでは見た
ことの無かった高層の建物が現れました。


 途中で次々に下船して、船内は閑散としてきました。


 コブレンツの町の背後の丘陵、ここも古城かも知れません。


 大きな教会のよう。


 船着場も間近です。


 船着場のすぐ北に立つ、巨大なヴィルヘルム1世像。こんな大きな銅像は
初めてでした。


 3時間近い船旅を終えてコブレンツに到着し、下船します。

 
 バッハラッハからコブレンツまで、約50㎞の船旅は、世界遺産に登録
された地域だけあり、飽きぬ景色の連続でした。
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ドイツ・ライン川遊覧船から②

2009-12-10 21:15:45 | ドイツいろいろ
 8月14日(金)、ドイツ・ライン川船下りの続きです。

 私たちの乗った船を追い抜いていった、高速の観光船。


 これらも、ほとんどは住宅なのでしょうか。


 山上に、大きな古城が見えてきました。

 廃墟になった建物もあるようです。


 教会も、幾つとなく目に入ります。




 両岸には、道路とともに鉄道が敷設されていて、かなりひんぱんに列車
が通過するのが眺められました。


 町が近づき、ホテルが見えてきました。


 がけの上の古城。


 教会の尖塔には、風見鶏が付いているところが多いようです。


 同じ町の中に、接近して2つの教会が。


 大きな町が近づいてきました。ボッパルト(Boppard)のようです。

 ローマ人が創設し、後にフランク王国の旧邸となった城砦があるとか。
1312年までは帝国都市だったようです。

 観光客も多いようで、こんな乗り物が見えています。


 岸辺では、きれいな花が来訪者を歓迎しているようです。


 人の顔のようにも見える民家。


 沿岸の建物は、世界遺産に指定されているだけあり、どれを見ても撮り
たいものばかりです。(続く)
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ドイツ・ライン川遊覧船から①

2009-12-09 22:33:42 | ドイツいろいろ
 今年夏、8月12日から25日まで、ユースホステル発祥の地、ドイツを訪
ね、100年前に古城が初めてユースホステルとなったドイツ中西部の町、
アルテナなどを訪ね、その周辺を8日間のヴァンデルン(歩き旅)をしてきま
した。

 その行程は、すでにカテゴリー「ドイツのウオーキング」で紹介しました。

 でも、約2週間の旅で撮った写真が、まだたくさんあるので、今日から時々、
それらを幾つかの切り口に分けて紹介することとします。

 夏の旅の紹介が、寒い冬となってしまいましたが、寒さを和らげる一助と
なれば幸いです。

 最初は、ドイツを南北に貫くライン川の船旅の様子です。

===============================

 ライン川は全長1320㎞、欧州大陸最大級の川で、スイスアルプスに源
を発し、ドイツを貫流してオランダで北海に注ぎます。

 ドイツの中心部、マインツとケルンの間の中部ライン地方は、風光明媚な
村々とロマンチックな城砦(じょうさい)が並び、2002年にユネスコの世界
文化遺産に指定されました。

 私たちが乗ったライン観光船は、このマインツとケルンの間、バッハラッハ
からコブレンツまでの約50㎞、3時間に近い船旅でした。

 8月14日(金)、乗船したバッハラッハの船着場。

 乗船したのが、このローレライ号。後に見える2隻も、観光船のよう。


 バッハラッハを出て間もなくの、右岸の教会。


 斜面に広がるブドウ畑。ドイツワインの原料になるもの。


 思い思いに船旅を楽しむ人々。


 観光船の船着場の一つ。


 川沿いには、幾つもの古城がありましたが、これは城に付属の見張り所
か何かでしょうか。


 観光船の上部後方デッキ。この日は夏とはいえ、曇って風が冷たく、皆さ
ん上着を羽織っていました。


 ここがローレライ、高さ132mの大岩。ここは川幅がわずか90mに
狭まる通船の難所でした。


 左岸に見えたオートキャンプ場。この付近2~3か所にありました。


 古城は、このように山の上か中腹に設けられています。


 ST.GOAR(サンクト・ゴアール)の町が近づきました。

 6世紀に、飲食業者と陶器職の守護聖人だった聖ゴアールが創設した町で、
活発な郡庁所在地とか。 


 この町の船着場。日本人観光客のグループが、多数下船しました。


 やはり、山の中腹に古城が残っています。


 後半は、明日にでも紹介します。(続く)
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所沢航空記念公園周辺の彩り(埼玉)

2009-12-07 22:29:58 | 所沢だより
 今日、12月7日(月)は、昨日の暖かさとは一転、北風の冷たい1日
になりました。

 この寒さでは写真を撮る気にもならず、買い物の用事を済ませて足早
に帰ってきましたので、2,3日前に撮った所沢航空記念公園周辺の
師走の彩りをランダムに紹介します。



 航空記念公園に向かう途中、近くの高層マンション際のモミジ。


 公園の一角にある、市立図書館のそばのドウダンツツジ。


 その南側には「彩翔亭」という日本庭園があるので、久しぶりに入って
みました。
 
 園内のマユミ。


 これも園内のモミジ。


 彩翔亭の建物の前には、クリスマスを控え、こんな飾り付けが…


 彩翔亭のへいの外では、ソメイヨシノの色づきが見られました。


 広い公園の中央の大通りを南に向かうと、モミジがよい彩り。




 公園の南側を走る国道463号の歩道際には、たくさんのサザンカが
花をいっぱい見せていました。その一輪。


 国道の南側の通りを、市の中心街に向かう途中のイチョウの葉。


 今日の寒さで、これらの彩りも急速に見られなくなりそうです。
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トトロの森ウオークへ(東京・埼玉)

2009-12-06 22:35:00 | ウオーキング
 2009年12月6日(日)

 首都圏は今日、師走とは思えぬ暖かい日和に恵まれました。

 この暖かさに誘われ、西武鉄道とサンケイビリング新聞社主催の、「トトロ
の森ウオーク」に出かけました。



 スタートは、西武新宿線の東村山駅西口です。

 受付を済ませ、西口から北へ伸びる商店街を進みます。化成小学校の隣
にあった諏訪神社。


 近くには、東村山ふるさと歴史館があり、特別展『全生園の100年と東村
山』を開催していました。

 全生園はハンセン病の療養施設で、1909年(明治42)に開院し、国立療
養所多磨全生園と名を変え、現在に至っている市内の施設です。

 地元東村山とのかかわりや、設置反対の事件、教育面での東村山とのか
かわりなどについて、写真や資料の展示をしていました。

 この特別展は、今日でおしまいです。

 さらに進んで左折すると、徳蔵寺の前に出ました。ここには、国の重要文化
財「元弘の板碑」をはじめ、多くの板碑を納めた板碑保存館があります。

 境内は工事中で、中に入ることは出来ませんでした。西側から撮った本堂。


 北川沿いを進み、折り返すように色づいたクヌギの並ぶ緑道を進んで、狭山
丘陵の東端から木の階段を上がって、丘陵を覆う八国山緑地と呼ぶ広葉樹
林に入ります。

 すぐ近くにあるのが将軍塚。新田義貞が鎌倉攻めの際に、旗を立てたと
いわれる場所とか。


 この先は、かなり落葉(らくよう)の進んだ広葉樹林下の気持ちよい遊歩
道です。


 稜線の途中から階段を下り、住宅地の中の松が丘中央公園の横を抜けて、
仏眼寺に沿って左折します。

 本堂の右手には、一願観音と呼ぶ黄金の観音像が立っていました。


 寺の横から坂を上がって、うっそうとした森に囲まれた鳩峰八幡宮へ。


 そばの久米水天宮は、壇ノ浦の戦いで幼くして亡くなった安徳天皇を祭っ
ているとか。これらの神社は、何回も来ているところですが、今日もらった
リーフレットで初めて知りました。 

 二つの神社の先から、鳩峰公園と呼ぶ広葉樹林の中の緑道へ。その中
に、トトロの森2号地があり、トトロ財団により維持保存されています。  


 浄水場のタンクの先を下り、車道を横断したところにあるのが光蔵寺。境内
に「聞くぞう地蔵尊」というのがあり、人々の悩みやグチなどを聞いてもらえる
ようです。


 西武園ゴルフ場の横を上がって、荒幡富士に着きました。

 高さ10mほどあり、関東で最大級の富士塚です。雨上がりながら、正午
になったので霞んではしまいましたが、ほんものの富士山が見えました。


 富士塚の下にある浅間神社の回りで、昼食をする参加者もいます。


 そばにある「狭山丘陵いきものふれあいの里センター」に入り、狭山丘陵
の自然や歴史の展示を、ざっと見て回りました。


 センター近くの広葉樹林。この場所を取った私の写真が、トトロのふるさと
財団編「狭山丘陵見て歩き」(幹書房発行)の表紙に使われました。その写
真では、木々はは緑に覆われています。


 鳩峰公園を抜けて、ススキの光る住宅地の横を回ります。


 西武園ゴルフ場の縁を回り、ゴールの西武山口線(レオライナー)遊園地
西駅には、12時35分に着きました。

 このウオークの参加者は、そばの「西武園ゆうえんち」が無料で入場でき
るとのことなので入り、園中のイスで昼食を済ませました。

 さらに自宅まで4㎞の道を歩いて、14時ちょうどに帰宅しました。

 



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樹木の写真展と地図ふぇすへ(東京)

2009-12-04 22:34:00 | Weblog
 今日、12月4日(金)は、2つの展覧会に出かけました。

 午前はまず、東京駅八重洲口に近い八重洲ブックセンターに行き、毎年
購入している富山和子さんの『お米カレンダー』(1400円)を購入した後、
銀座通りから晴海通りを経て、昭和通りの三原橋に近いJ-POWER(電
源開発(株))に行きました。

 ここの1階ロビーで開催中の、J-POWER写真展『樹木彩響』(じゅもく
さいきょう)の観覧です。

 国内各地の木のある美しい風景を撮った写真家・前川彰一さんの写真が
20点ほど展示されていました。

 会場では、展示された作品の1部を盛りこんだカレンダーを、毎日先着
100人に配布していますので、もらってきました。午前中に行けば残って
いそうです。

 12日(土)まで開催(6日は休館)されていますので、興味のある方で近
くに行かれる機会がありましたら、立ち寄ってみてはいかがでしょうか。

 この写真展については、下の Web Site をご覧下さい。

   http://www.jpower.co.jp/0911calendar/index.html

 そのあとは、銀座4丁目まで歩いて戻り、東京メトロ銀座線で渋谷まで
行き、道玄坂を上がって大橋近くに下り、(財)日本地図センターで開催中
の『地図ふぇす』を観覧に行きました。



 この催しは4回目で、今回は前回に続き「鳥瞰図の世界」がテーマです。

 鳥瞰図の第1人者として知られる吉田初三郎や金子常光などによる、鉄道
沿線の路線図とか、会社や新聞社の制作した鳥瞰地図、作者の名前はメモ
し忘れましたが、以前、松本駅構内の観光案内所でもらったことのある、松
本市街地の、コメントのたくさん入った絵図、京都、旭川などの上空からの大
型鳥瞰図など、鳥瞰図ファンには興味深いものが展示されていました。

 どの地図かは忘れましたが、東京・山手線を中心に描いた戦前か戦中の
地図の中で、ひとつ誤りを見つけました。

 池袋から2つの私鉄路線が描かれており、一つは「武蔵野鉄道」となって
いて、現在の西武池袋線なのですが、もうひとつが「西武鉄道」になっている
のです。

 これは、現在の東武東上線なので、「東武鉄道」でないといけないのですが、
発行前も発行後も気づかなかったんでしょうか…。

 ほかに、京王電車の路線図を見ると、現在の○○駅は当時は違う名前だっ
たのかとか、当時はこれだけしか駅がなかったのかなど、興味深いことが幾
つもありました。 

 この催しは、6日(日)まで、あと2日間ですが、ここでも、地図会社提供の
首都圏の鉄道路線図や、日本地図、世界地図など、数点の地図カレンダーの
うち2点をもらうことができます。

 昨年暮れの同じ催しのときには、もっと種類が多く、1人5点までもらえたの
ですが、「今年は不況の影響でこれしか集まらなかった」と、係の人は言われ
ました。

 日本地図センターの Web Site は以下をクリックしてご覧下さい。

http://www.jmc.or.jp/

 同じ道を渋谷駅まで戻る途中、ビックカメラの前を通ったら、毎年おなじみの
日本地図の入ったカレンダーを配っていたので、これももらってきました。

 というわけで、狭いわが家のわずかの壁面は、来年も地図の入ったカレンダ
ーで埋めつくされそうです。

 

 
 
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