あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

風景スケッチの会の作品展と県立歴史と民俗の博物館へ(埼玉)

2016-10-13 18:17:59 | 写真展・スケッチ展(個人・グループ)観覧
 2016年10月12日(水)

 首都圏に青空の見えた今日は、カントリーウオークの仲間Tさんが会長をされていると
いう、「大宮スケッチ会」の作品展の観賞に出かけました。

 11時30分過ぎにJR大宮駅に着き、東口から会場に向かいます。

 南から北へ約2㎞にわたって直線で延びている氷川神社参道の途中、二の鳥居から参道
に入りました。


 両側には、ケヤキを主にした古木が続いています。


 三の鳥居に近い沿道の右手にある、さいたま市の「氷川の杜(もり)文化館」がスケッ
チ展の会場。
     
 モウソウチクの間を進んで北向きの建物に入りました。


       

 「大宮スケッチの会」は、埼玉県内外の風景スケッチを楽しむ会で、毎年この会場で作
品展を開催していて、今回は21人の会員が40点の作品を出展していました。


   

      

         

 カントリーウオークで歩いことのある県内の風景や、東京都内、関東近県など、みな見
覚えのある風景を描いた作品でした。

 会場を出て、いつものように武藏一の宮の氷川神社に参拝しようと三の鳥居から境内へ。


 左手の建物の前に、1年前に建てたらしい「戦艦武蔵の碑」がありました。

 戦艦武蔵は、日本海軍が建造した最後の戦艦。昭和17年(1942)8月に広島県呉
(くれ)で行われた竣工式には氷川神社から神職が出向して式が執り行われたとのこと。

 2年後の昭和19年10月にフィリピン沖を目指して出航したのですが、米海軍の航空
攻撃により乗員1,039名が戦死し、生存者1,329名もマニラ防衛戦などに投入され、
祖国の土を踏めたのは430余名といわれているとか。

 戦艦武蔵を顕彰して、ゆかりのこの地に碑を建立したようです。


 神池の橋を渡って正面の楼門を入ります。


 すぐ先の舞殿前には、早めの七五三詣での家族連れが。


 拝殿に参拝して、東側の門から出ました。


 たくさんのおみくじと願いごとを記した絵馬が。


    

 春の花見で賑わう大宮公園の桜並木の下を回って、北側のボート池の南側に行くと、バ
ラが咲き残っていました。



 南側から見るボート池の東側↑と西側↓。


 池の東側沿いに遊歩道を進み、赤松林を上がって県立歴史と民俗の博物館に入ります。

 ここには何度も来ているのですが、今日は「徳川家康展」の観覧が目的。ところが会期
は週末の15日(土)からでした。入手していたリーフレットをよく見ていなかったので、
もう開催中と思っていたのでした。

     でも、せっかく来たのだからと、常設展示をまた観覧することに。
    

 常設展示室の一部は撮影可能なので、そられのコーナーの模様を幾つか。第1室は「旧
石器から弥生時代 -狩りから稲作へ-」




 第2室は「古墳時代 -鉄剣は語る-」


 こちらは、昭和53年(1978)に行田市の埼玉(さきたま)古墳群の中の稲荷山古
墳から発掘された鉄剣に、金象嵌(きんぞうがん)の銘文が刻まれていたことが当時大き
な話題になり、のちに国宝となった金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん)のレプリカ。
        



 第3室「奈良~南北朝時代」から第5室「室町~戦国時代」、第7室と第8室「江戸時
代」は撮影禁止。

 1階の展示場から地階に下りた地階の第6室は「板碑(いたび) -武士の心-」

 なぜ、板碑だけで1室あるのかというと、埼玉県内の板碑は質・量ともに全国一といわ
れていて、県内だけで27,000基あまりも確認されているとか。


 板碑の材料も、荒川上流の長瀞(ながとろ)や槻川(つきがわ)流域の小川町下里(し
もざと)から産出する緑泥片岩(りょくでいへんがん)で、県内のほか東京、群馬、栃木、
千葉、神奈川など旧武蔵国に隣接する地域に分布しており、ほかに、下の写真にもあるよ
うに県内には日本最大と最小の板碑、武藏武士に関する板碑など特徴的な板碑が多いので、
専用コーナーを設けて紹介しているものと思われます。

 日本最古の板碑という正嘉2年(1258)銘の阿弥陀三尊種子板碑(あみださんぞん
しゅじいたひ・本庄市出土)。
       

 私も現地で見たことのある、日本最大の地上高(高さ)5.37mある応安2年
(1369)銘の釈迦一尊種子板碑(長瀞町)のレプリカ。
    
 その下に、総高22㎝で日本最小↑の板碑もあるのですが、撮影禁止なので、そばでの
撮影は出来ません。

 ちなみに板碑(板石塔婆(いたいしとうば))は、鎌倉時代中期から戦国時代末にかけ
て造立された石の塔婆で、日本全国に見ることができますが、特に関東地方に集中してい
るようです。

 最後の第10室は「農業と暮らし」



 後期(光輝)高齢者には懐かしい、農機具や養蚕などの用具が並んでいます。




 ひととおりの観覧を終え、館内の食堂で遅い昼食をして、14時ちょうどに博物館を後
にしました。


 大宮公園内のボート池の東側をもどり、日本庭園を抜けて噴水の上がる白鳥池の横を通
過します。
     


 さらに氷川神社の神池の東側を過ぎ、参道を二の鳥居まで戻ります。


 一の宮通りを抜けてJR大宮駅に戻り、大宮駅発14時48分埼京線上り電車で帰途に
つきました。




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