あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

第3回「川越唐人揃い」へ

2007-11-11 19:09:17 | Weblog
 2007年11月11日(日) 曇

 今日午後、埼玉県川越市で、『川越唐人揃い』と
いう催しが開催されるとのリーフレットを入手していた
ので、出かけてみました。





 豊臣秀吉の朝鮮侵略に否定的だった徳川家康は、
天下を取ってすぐに、朝鮮王朝との国交回復に取り
組みました。

 1607年に初めて朝鮮通信史を迎え、以後1811
年まで12回の朝鮮通信史が来日しました。

 現在のソウルから江戸まで2000㎞、総勢4~500
人にのぼる朝鮮通信史の来日は、国家間の友好に
止まらず、学問、文化など多くの民間交流ももたらし
ました。

 今年は、初めて朝鮮通信史を迎えて400年の記念
の年で、4月始めから5月中旬にかけて、同じ道筋を
たどる朝鮮通信史ウオークも実施されました。

 では、川越と朝鮮通信史との関係はどんなことから
なのでしょうか。

 川越の豪商、榎本弥左衛門は、川越と江戸とを結ぶ
新河岸川の舟運を利用した、塩の仲買人でした。

 弥左衛門は、明暦元年(1655)に江戸へ来た第6回
朝鮮通信史を見物し、感動をこまかに日記に残すとと
もに、華やかな行列の感動を川越の町人に伝えました。

 川越では、藩主・松平信綱の時代の1651年に始ま
った川越祭りが年々盛んになり、その中に、町人達が
朝鮮通信史を仮装した行列『唐人揃い』が人気を博し
ました。

 「唐人」は、当時の言葉としては唐(中国)のことでは
なく、外国を意味したとのことです。

 この「唐人揃い」を復活しようと、日韓友情年の2005
年に最初のパレードが行われ、3回目の今年は、川越
築城550年の年でもあり、川越町人の進取の気性と
友好親善の精神を継承した催しす。
 
 前置きが長くなりましたが、私がパレードスタート地の
蓮馨寺(れんけいじ)に着いたら、すでにパレードは出
発後で、最後の方のグループが寺を出るところでした。


 パレードは蓮馨寺を出て、蔵造りの町並みを北へ、
札の辻交差点に近い川越まつり会館付近まで進み、
折り返してから途中、時の鐘から大正浪漫夢通りを
経て、蓮馨寺に戻るという道筋です。

 パレードの歩みはゆっくりなので、先頭に向かって
後を追いました。
 
 「みやはらカゲキ団」と呼ぶ、よさこい踊りのグルー
プのようです。


 アジアの国々の民族衣装をつけた皆さんです。


 秋田県から参加の「西秋の会」の日本舞踊。

 菅笠をかぶっていない先頭の人は、黒覆面をつけて
います。

 蔵造りの店の並ぶ町並みには、たくさんの観光客が
パレードを待っていました。


 すでに折返し点に到着した朝鮮通信史の正使衣装の
人や、日本の役人姿の人は、座って後続のグループを
待っていました。


 川越のシンボル、時の鐘に近い交差点付近で踊る
民族衣装のグループ。


 折返し点の祭り会館付近に到着したパレードは、ひ
と休みの後、蓮馨寺に向かって復路のパレードを開始
しました。パレードの先頭です。


 これも民族衣装をまとった楽隊の皆さん。


 川越に唐人祭りをはじめた、榎本弥左衛門がやっ
てきました。


 朝鮮通信史一行の衣装。朝鮮通信史ウオークの
ゴールなどで、私もことし何度か目にした衣装です。


 これも朝鮮通信史の行列を模したもののようです。


 埼玉朝鮮初中級学校生徒さんのパレード。


 全コースを回って蓮馨寺に戻っても、疲れも見せず
最後の踊りを元気よく披露してくれました。

 
 パレードは14時半頃終わりました。
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