あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

信玄棒道・谷戸城跡・金生遺跡などを巡る(山梨)

2015-04-02 20:41:34 | カントリーウオーク
 2015年3月31日(火)

 「青春18きっぷ」の4回目を使い、山梨県北杜市(ほくとし)の旧跡を訪ねることにし
た。6時直前に自宅を出て、新秋津から西国分寺、立川、甲府、小淵沢で乗り継ぎ、10
時5分にJR小海線の甲斐小泉駅に下りた。


 甲府盆地のソメイヨシノは満開だったが、標高1,000mを超す駅の周辺はつぼみの
まま。この地、北杜市は、国蝶オオムラサキの全国一の生息地で、オオムラサキが市の昆
虫。それにちなみ、無人の駅舎はチョウのデザインが施されている。


 駅のそばに、近代的デザインの建物「平山郁夫シルクロード美術館」がある。


 駅前の車道を西に少しで「小荒間古戦場跡」碑が立ち、そばに、武田信玄が腰掛けたと
いう「信玄公御座石」が残されていた。
    

 天文9年(1540)、信濃の村上義清の軍勢3,500が押し寄せてきたとき、武田
晴信(信玄)が旗本を率いて勝利を得たところとか。これから向かうのは、その信玄が
軍用道路とした「上の棒道(ぼうみち)」である。

 道路の南側には、残雪の甲斐駒ヶ岳やアサヨ峰、わずかに顔を見せる北岳など、南アル
プス北面の連峰が見晴らせる。

       北岳        アサヨ峰      甲斐駒ヶ岳            


 甲斐小泉郵便局の正面壁面の掲示に誘われ、はがきを買って風景入日付印を押してもら
う。すぐ先、火の見やぐらのある三差路の南側の広葉樹林からは、「三分一(さんぶいち)
湧水」が湧き出ている。

 「日本名水百選」に選ばれている「八ヶ岳南麓高原湧水群」のひとつで、湧水量は1日
約8,500トンあり、水温は年間を通じて10℃前後という。


 下流の村々において湧水の利用をめぐって長年続いた水争いを治めるため、江戸時代に
湧水を3方向の村落に3分の1ずつ平等に分配できるようしたのが、湧水の名の由来とか。


 ここには2007年10月3日に、やまさんの「国際ウオーキングトレイル実踏」で訪
ねており、7年半ぶりの再訪。当日は、小海線の北側の信玄棒道を歩いたが、今日は南に
延びる上の棒道に向かう。

 湧水の東側、小荒間東集落を貫く車道を南東に下ると、峡北地方に残る唯一のものとい
う水車小屋があった。



 そばのY字路で車道は右に分かれ、小さな火の見やぐらのそばに西国三十三観音21番
の聖観音を刻んだ石碑が立ち、そこからが「上の棒道」である。
      

          
 その先にも20番観音立像があり、水道タンクの辺りからは林間となり、消火栓のある
Y字路で舗装路と分かれた。この先、棒道は緩やかなカーブはあるものの、ほぼ真っ直ぐ
に下る土の道となる。

 両側の林間には、別荘らしい建物が点々と見られる。両側に残るという観音石を探しな
がら進むと、頭部が折れた石の先に大きな松が立ち、下に11番観音がある。
      

 レインボーラインが棒道を横切るところには、観音像とは別の石碑が立つ。松林の中の
Y字路には8番観音像があり、傍らの木板に、かすれて読みにくいが背後に刻まれている
御詠歌が記されていた
          

     
 幾分別荘が増えた後、カラマツ林の入口付近には、5番観音像らしいのが立つ。棒道が
左から近づいた鳩川を渡る手前には、「嘉永2年(1849)」と読める観音像と数基の
石仏が集められていた。
        

 棒道はここまでで、車も通れるくらいの幅員があるが、鳩川を挟んで東側に平行する車
道があるので、車の通過は1台もなかった。

 宮上集落に入り、大泉道路を横断する。前方の展望が開け、富士山の上部がうっすらと
姿を現した。
                            金峰山  

 東側の集落の向こうには奥秩父の金峰山(きんぷさん)らしい残雪の山並みが望まれ、
南東には金ヶ岳と茅ヶ岳(かやがたけ)らしいピークが見える。

                 金ヶ岳    茅が岳


 集落の中ほどから東進して、体育館と思われる大きな建物の北側を通過する。泉中の校
舎の背後には、八ヶ岳連峰南面の長い稜線が広がる。南側の甲斐駒ヶ岳の上を飛行機が雲
を残して飛び去る。



 泉中に接した安楽寺に入る。本堂前に大きなシダレザクラがあるが、まだつぼみは小さ
い。りっぱな松など植栽の多い境内はよく手入れされ、本堂前には新しい「釈迦十三仏像」
が並ぶ。


 正午が近いので庫裡(くり)の前におられたご住職の奥様に断り、本堂前の階段で昼食
をさせてもらう。シダレザクラの見頃は、例年4月中旬ごろとのことだった。

 道路を挟んで南側にも寺の建物↓が見える。昼食後に回ったら「市指定文化財 安楽寺
天井龍の図」の標柱があるが、正面の扉は施錠されていて拝観はできない。


      庭のナンテンが、まだたくさんの実をつけていた。
     

 春霞が幾分減ったのか、富士山上部が午前中よりは見えるようになってきた。



 東に見える谷戸城山(やとじょうやま)(862m)↑に向かう。町屋集落の東に出ると
田園地帯となり、八ヶ岳南面の展望がいっそうよくなる。


 北面から谷戸城山に上がろうとしたら、手前右手に思いがけず、近年開館したらしい
「北杜市考古資料館」があったので、先に入館することにした(入館料200円)。


 2階建て建物には3つの常設展示室と企画展示室がある。


 常設展示室では、旧石器時代から縄文時代、弥生時代から平安時代、中世などの市内の
遺跡からの出土品、説明図版、これから訪ねる谷戸城跡の模型などが展示され、企画室で
は、北杜市のサクラの見どころなどの展示があった。


    

        

 南側一帯が、国史跡の谷戸城跡。谷戸城は、平安時代末期に逸見清光(1110~68)
が築城したと伝えられ、次の代では甲斐国の広い範囲を甲斐源氏が支配することとなり、
なかでも武田信義は平家討伐に功を上げ、戦国大名となる武田家の基礎を築いたという。

 城は、流れ山と呼ばれる小山に築かれ、山頂部の一の郭(くるわ)を中心に、二から五
までの郭を同心円状に配し、西側には館が置かれていたと想定される六の郭が広がり、各
郭の出入口は食い違い虎口(こぐち)が多用され、空堀は等高線に沿うように横堀が発達
しているという。


 北に広がる八ヶ岳をふり返りながら帯郭(おびくるわ)↓を入り、二の郭、三の郭の北
虎口を経て一の郭虎口を入り、一の郭を一巡した。





 城跡はよく整備されていて、土塁や虎口などの様子がよく分かる。


 南西側の松林に付けられた木の段を下り、「谷戸城跡入口」の小さな木標のところで城
跡を出た。


 東南に富士山、南に広がる田園地帯や南アルプスなどを眺めながら城南集落の西側を南
下する。


 三差路を東へ、火の見やぐらと公民館の城南分館前を進むと、「谷戸城入口」の標識が
あった。



 次の十字路を右折して田んぼの中を南へ緩やかに下る。


 広大な展望が広がり、行く手には霞む南アルプス北面、背には八ヶ岳連峰、そして東に
奥秩父の金峰山などの展望を楽しみながら進むと、金生(きんせい)公園のかやぶきの休
憩所があり、道路を挟んだ西側が、復元された国史跡「金生遺跡」である。


 金生遺跡は縄文時代の遺跡で、住居跡のほかに墓や祭祀場も発見されており、日常使わ
れた土器や石器のほか、祭祀に使われる道具が大量に出土し、焼けた獣骨も見つかったと
いう。

 遺跡には3棟の建物が復元されていて、その前にはたくさんの配石遺構が並んでいた。

 金生は金精(こんせい)から転じた名称か、入口には大きな金精石が立っている。


 さらに田園地帯を南へ向かう。行く手の林は深草遺跡だというが、標識はなく入るとこ
ろもなさそうなので寄らずに通過する。


      
 次の南新居集落にも火の見やぐらが残り、その下に「蠶玉大神」碑と「萬霊塔」が立ち、
隣接してこぢんまりした妙喜院が並んでいた。


 その通りを西進して大久保集落に入り、中央自動車道を須玉30号トンネルで南に抜け
る。建岡神社前の変則五差路を右に入り、長坂上条の住宅地を進んで、JR中央線の長坂
駅に15時13分に着いた。




 駅前の観光案内所を少しだけのぞき、階段を下って上りホームに下り、15時20分発
高尾行き上り電車に乗る。

(天気 快晴、距離 10㎞、地図(1/2.5万) 小淵沢、谷戸、若神子、歩行地
 北杜市、歩数 20,000)




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三浦海岸駅の南側をカントリーウオーク(神奈川)

2015-03-23 20:40:26 | カントリーウオーク
 2015年3月22日(日)

 山浦敬子さんが、毎年春秋に2回ずつ開催している「アートウオークセラピー」、今年
最初の通算41回目に参加した。

 集合駅は従来は京浜急行久里浜線の終点、三崎口駅からだったが、今年はひとつ手前の
三浦海岸駅となる。今日は15℃を超えて暖かな日射しになるとの予報、10時ちょうど
に東口をスタートする。


 駅の南、松原地区を少し進むと大きな建物がある。「マホロバマインズ三浦」と呼ぶリ
ゾート施設で、三浦半島の海の幸などを味わえる食事、地下1500mから湧き出る天然
温泉や温水プール、宿泊などができる施設のようで、その先には別館もある。


    
 別館の前の小公園を抜けて、南側の台地に広がる畑作地帯に出た。あぜ道にオキザリス
がたくさん咲き、ツクシもあちこちに芽を出していた。
        

 付近にはキャベツ畑が多く、もうかなりよく育っている。


 国道134号を横断して、さらに南側へ。斜面に見慣れぬ大きな葉っぱの野菜が10数
本植えてある。以前どこかで見たことがあるが、名前は思い出せない
    

 畑の一角のナノハナも花盛り。


 台地の南端まで進み、農作業小屋の横から下の稲荷小路集落に向かう。斜面林の間にわ
ずかに認識できる踏み跡をみつけて下り、民家の庭先を通り抜けさせてもらい、私と山浦
敬子さんだけが道路に出た。

 後続の4人は畑にいた人に声をかけられ、そこは自宅への私道だから下っては困ると言
われたようで、戻ってしまった。

 戻るのはまずそうなので、敬子さんが携帯電話をかけたが応答はない。2人でそれぞれ
東側と西側の道路を回って確認に行くことにして、集合地を近くの神社と決め、私は東側
の神社横から回って台地に出たが、一面畑のどこにも4人は見当たらない。

 どこからか下ったようなので、少し戻ったら中間に下る道があった。

 その辺りからは、南東に近くの岬の展望や、東方に霞む房総半島などが遠望できる。


 稲荷小路集落に下ったら近くの寺のところに4人が見え、西に回った敬子さんも戻り、
全員が合流することができた。

 集落の農家の前の畑は、ツクシの大群落が埋めツクシている。


    

 そばの三浦観音霊場9番札所、宝昌寺に入ると、色濃い桜の若木が見頃に。


 本堂の左手から、背後の新しい墓地の最上部まで階段を上がり、11時20分過ぎで少
し早いがここで昼食とした。



 台地上の畑の標高に近いので展望がよく、眼下に寺周辺の家並みなどを見下ろし、集落
の向こうの畑、東南には先ほども台地上で見た岬方面が望まれる。




 記念撮影をして、12時05分に出発した。やまさんは、今日も姿を見せなかった。
    

 すぐ東に接する仲里集落から、台地の東側を南に延びる畑の横の旧道を進む。途中から
地図上の破線の道を台地に上がるつもりだったが、廃道になったのか見当たらず、そのま
ま南西へと緩やかに上がる道を行く。

 周辺のこずえのあちこちから、賑やかにさえずるウグイスの声が気持ちよい。


 畑が終わり両側から迫る緩やかな谷間をさらに進むと、東側の林の間にクリスマスロー
ズ園があり、たくさんの株が花を競っていた。


 この先にお住まいのご夫婦が、個人で切り開いた造ったとのこと。ご主人がおられたの
で、声をかけて拝見する。
    

        

 
 これだけの花を手入れするのは大変だろうと思われ、感謝申し上げて先に向かう。

 その先の畑のあぜにも、ツクシが顔を見せている。


 少しずつ高度を上げ、当ヶ作の新興住宅地に入る。東側山林に、住宅のこどもさんのた
めの手作りの遊具が設けられていた。

 整った公園で遊ぶより、このような自然の中で遊べるのはよい環境ではないだろうか。

 道は、台地上で国道134号が折り返し、県道26号と合する引橋交差点に出た。折り
返して国道を北に向かい500ほど、陣場集落のY字路際にある「三浦生鮮ジャンボ市場」
に入り、トイレを借りる。



 市場内は地元で水揚げされた魚や魚介類、新鮮な野菜などが並び、買い物客で賑わう。 


 さらに国道を800mくらい、下宮田交差点で国道を離れ、内込集落の旧道を北に進む。
畑の中の一軒家の庭のツバキは、1本の木から3色の花が咲く珍しいもの。

 接ぎ木でもして、このような花を咲かせるのだろうか…。


 その先の畑では、家族で大根を収穫していた。



 京浜急行線の線路を跨道橋で越えて北側に回り、線路沿いに続く小松ヶ池公園に入る。

 広葉樹の間の遊歩道を下って、小さい池のほとりに出る。池には小さい魚がたくさん泳
ぎ、池の縁から湧水がブクブクと出ていた。


 そばの枯れ枝でウグイスがさえずる。ウグイスを撮ったのは初めてだ。


 公園内でも、花盛りのナノハナが見られた。



 小松ヶ池の西側はヨシが生い繁り、その先に水辺が広がる。



 期待して来た池畔の河津桜の並木はすでに葉桜となり、花も盛りを過ぎていた。
    

 池の北側には、三浦半島では珍しいと思われる谷地田が残っている。


 河津桜の並木が終わる辺りには、水神塔や開拓記念碑などが並んでいた。
        

 線路際をさらに水深の新興住宅市沿いに進み、14時12分に三浦海岸駅に戻った。

 (天気 晴、参加 6人、地図(1/2.5万) 浦賀、歩行地 三浦市、歩数
  14,700)



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佐貫から龍ヶ崎へカントリーウオーク(茨城)

2015-03-09 22:26:59 | カントリーウオーク
 2015年3月8日(日)

 真冬並みの寒さであいにくの小雨模様となったが、カントリーウオークグループの第
221回例会に参加する。今回の集合はJR常磐線の佐貫(さぬき)駅。3組に分かれて
10時5分に東口を出た。


 == 若柴宿を抜けて蛇沼公園へ ==

 
 区画整理された佐貫三丁目から佐貫四丁目の住宅地を進むと、江川の流れに近い通りに
日本相撲協会の式秀(しきひで)部屋があった。

 もと小結の大潮が、年寄・式守秀五郎を取得して1992年に時津風部屋から分家して
創設したという。まだ関取は十両が1人で、幕内力士はいないようだ。

 少し戻って細い流れの江川の協和橋を渡る。


 幅500m前後の田園地帯を横断して延命寺坂を上がり、若柴町の静かな集落に入る。


 周辺の住宅は、広い屋敷に塀を巡らした古くからのりっぱな家が並ぶ。


 そばの八坂神社のところに「若柴宿(わかしばしゆく)案内図」があり、この通りが水
戸街道の宿場だったとわかる。

 江戸の千住宿から七つ目の宿場で、両端が屈曲したクランクの中の直線部約500mの
範囲、屈曲部の両端に八坂神社と金龍寺があり、隣接する藤代宿、牛久宿が各々約4㎞と
近いことから、本陣は置かれてなかったという。


 小さめの社殿の八坂神社に参拝して、その横の三差路から南西へ向かう。集落内には花
が見頃の梅の木が多く、古木も目に付く。


 すぐ先には、珍しい名の「鬮(くじ)神社」への標識があった。
    

 コンクリート造りのトイレの上に乗用車の置かれた、スズキのサービス店横を過ぎる。


 少しの平地林を抜けて戸別住宅の並ぶ龍ヶ崎ニュータウンに入り、松葉五丁目で県道
243号を歩道橋で越えて若葉公園へ。小さい東屋(あずまや)で雨を避け小休止した。


 長山中の東側から、蛇沼(へびぬま)へ下れそうな未舗装の道があったので進んだが、
沼の西側堤防下で行き止まり。戻って長山三丁目から四丁目の南側車道を進む。

  
 路傍にフキノトウが花を見せ、アセビもピンクの花をいっぱいつけていた。
  


 蛇沼の北側台地上にある蛇沼公園に11時50分に入る。ほかのグループもほぼ同時に
着き、東屋にシートを広げて昼食にした。

 

 == 女化神社から馳馬町の古寺へ ==

 公園内は豊富な落葉広葉樹に覆われ、雨で濡れた梢の間から静かなたたずまいの蛇沼が
見下ろせる。12時40分に公園を後にした。



 木々の切れ目から北に突き出た蛇沼を見下ろし、長山八丁目の住宅地の東端を回り、ニ
ュータウンを離れる。

 真っ直ぐに伸びる車道を東進し、県道48号を越えてすぐ先、牛久市内の龍ケ崎市飛地
にある開放的な境内の女化(おなばけ)神社に入る。


 装飾の多いりっぱな拝殿で、背後の本殿は2階建ての覆家(おおいや)の中。
    

 拝殿には4枚の大きな絵馬が奉納され、狛犬は子連れのキツネである。

 社務所でもらった縁起によれば、建久(1190~9)の頃、源頼朝が富士の裾野に狩
りにいった際、夢の中に霊狐が現れて命乞いして消え、翌朝白狐が頼朝の前に現れたので、
常陸国高見が原の稲荷の祠(ほこら)に住むようにと言ったとか。

 時移り永正6年(1509)、猟師に撃たれそうな狐を助けた忠五郎の家に、老僕と若
い女が宿を求めてきたので宿を貸したが、老僕がいなくなり、女は耕作など手伝い心も顔
立ちも美しいので忠五郎と結婚し、3人の子を設けた。

 中秋のある日、末子に乳を飲ませていた時、遊びから帰った長子が姿を見て、自分の母
親が狐だっのに驚き泣き叫び、母親は子に自分の正体を知られたのを恥じて、歌を1首残
して居なくなった。

 忠五郎に恩義を感じた若い女性が女性に化けて恩に報いたこの神秘を、語り伝えて人呼
んで「女化原」といい、「女化稲荷」と称するようになったという。


 明るくなっても止まなかった雨がようやく止んだので、梅の咲く鳥居の前で記念撮影を
した。

 桜の多い境内から、南南東へ真っ直ぐ500m余り進む。右折して細いあぜ道を抜け、
車の途切れを待って交通量の多い県道48号を横断する。
        
 県道際に、交通安全の守り神なのか?こんな石像が立っていた。


 さらに先へ、緑に覆われた牧草用らしい麦畑などの間を進む。左折しておびただしい竹
に侵食された杉の平地林を抜け、大羽谷津の谷地田を横切り、中根台の住宅地へ。


 県道243号の南側にあった、北竜台公園で小休止した。


 中根台の住宅地と大正堀川沿いの田んぼの間、静かな車道を中根台中下まで進む。


 田んぼの中を横断して馳馬(なれうま)町の古くからの集落に上がると、常光院があっ
た。

 堂々たる本堂で、庫裡(くり)も趣ある造り。松や芝生など庭の植栽もよく手入れされ
ていて気持ちよい。


 本堂左手のお堂の前に、合掌する可愛いお地蔵さんが立っていた。
    

 集落内の細道を抜けて、南側の来迎院(らいごういん)へ。永正14年(1518)の
開山で、本山は比叡山延暦寺。寛政3年(1791)には、上野の寛永寺から200両を
下賜され、本堂と庫裡を再建したという。


 山門を入って右手にある多宝塔は、推定500年前の建立とされ、関東地方に唯一残る
最古の多宝塔で、国指定重要文化財である。
      


 豪壮な本殿には、阿弥陀如来三尊が祭られていた。


 境内にはほかに、願かけ地蔵や寝釈迦撫仏(ねしゃかなでぼとけ)、六地蔵、稲荷大明
神、弁財天、水子地蔵などがある。


 台地下の旧道を抜けて県道4号の交差点に出て、すぐ北の県道西側にある龍ケ崎市立民
俗博物館に行き、20分ほど観覧する。


 屋外には、佐貫~龍ヶ崎間を昭和46年(1971)まで走ったSL4号機や、農具な
どを展示する「まで屋」と呼ぶ農家の納屋、商家を模した建物、水車小屋などが移築され
ている。



 館内の展示室には、原始・古代から近代までの龍ヶ崎ゆかりの道具や資料、パネルや写真
など、貴重な資料や龍ヶ崎独特のものもあり、なかなか充実した展示だった。


    



 県道の下を東に出て、文化会館↓や市立中央図書館の横を抜ける。


 愛宕中の前から田園地帯を南下して県道5号を横断する。左手には龍ヶ崎市役所などが
望まれる。

        龍ヶ崎市役所


 関東鉄道竜ヶ崎線を陸橋で越えて南に回り、同線の終点の竜ヶ崎駅に16時3分に着い
た。




 16時20分発1両のディーゼル車で佐貫駅に戻り、上野行き上り電車に乗る。


(参加 12人、天気 雨後曇、距離 12㎞、地図(1/2.5万) 牛久、龍ケ崎、
 歩行地 龍ケ崎市、牛久市、歩数 24,200)




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大宮盆栽村や大宮公園周辺をカントリーウオーク(埼玉)

2015-02-12 22:18:10 | カントリーウオーク
 2015年2月11日(祝・水)

 埼玉のカントリーウオークグループの22年目の記念日である、第220回例会に参加
した。

 最高気温は12℃の予報で、この時期としては暖かい日和に恵まれた。わがグループは
遅れて到着のTさんを待ち、10時30分にJR宇都宮線の東大宮駅東口を出た。

 == 芝川と見沼代用水を渡り盆栽村へ ==

 
 線路に平行する通りを南下し、県道5号・第二産業道路の下を抜ける。県道に平行する
道路を少しで八雲神社がある。


 路傍の盛土の上に御嶽社が祭られ、その下には初めて見る「堅窂地神」と刻まれた文化
8年(1811)造立の石碑が立つ。
        

 敷地は広いが社殿は小さく、傍らの桜の古木の下に、市の民俗文化財「砂の万灯」の説
明板がある。境内南西端には、市の天然記念物で「砂の大ケヤキ」と呼ばれる樹高30m、
樹齢600年と推定されるケヤキの大木が立っていた。
      


 東大宮一丁目の住宅地を抜けて、芝川の左岸堤防に出る。この辺りの河川敷は広く、周
辺にはたくさんの家庭菜園が広がる。



 芝川の見沼橋を渡り、りっぱな校舎の土呂(とろ)中の南へ。


 見沼代用水西縁(みぬまだいようすいにしべり)の橋を渡り、土呂町二丁目の住宅地を
南下すると、次の三差路際に大きな長屋門が残っていた。

 土呂村の名主を務めた小島(おじま)家で、長屋門の右側には、弘化2年(1845)
に高野長英が「蛮社の獄」から逃走して逃亡中にかくまったという6畳間があるとか。

 長屋門の左側には、明治時代に剣道の発展に尽くして剣聖と言われた、高野佐三郎の道
場、明信館の分館が置かれていたという。

 南側の見沼公園には、わらべ歌の歌詞と所作を記したベンチが幾つか並ぶ。
  


 それに続く森には神明社と八雲神社が祭られ、神明社の背後には、大石の「土呂土地区
画整理完成記念碑」が目につく。


 神明社の由緒によれば、境内東側は江戸中期まで見沼が広がっていて、この地「土呂」
は「瀞(とろ)」と同じ意味で、静かに水をたたえる場所を示す語だという。


 それまで気付かなかったが、鳥居の横に並ぶ庚申塔など三つの石塔を見て、この神社は、
昨年9月21日に東武野田線の大宮公園駅スタートの「続カタツムリ歩行」のゴールだっ
たと思い出す。

    
 見沼代用水西縁沿いを少しで、市民の森・グリーンセンターに入る。建物の近くの大き
なマンサクがいっぱいの花を見せ、その先のロウバイにもまだ花が残っていた。


 JR土呂駅に延びる広い道路を横断し、さらに代用水沿いを進む。右手には建設中の東
大宮総合病院の大きな建物が目につき、高齢化に伴う患者の急増に対処するためかとうか
がえる。


 見沼代用水が東武野田線の線路に接したところで用水を離れ、土呂町に入る。周辺は区
画整理中で新しい道路ができはじめており、工事中の東大宮総合病院の西側にも大きな長
屋門が残っていた。


 その西側にポツンとあるのが「土呂の地蔵堂」。一説では、江戸時代の土呂村領主旗本
の初鹿野(はじかの)氏の墓守堂(はかもりどう)として建てたものともいわれているが、
「新編武藏風土記稿」には「村民の持(もち)」と記されているという。


 ちなみに、初代初鹿野氏は甲斐国武田氏の家臣だったが主家滅亡後、徳川家康に仕えて
土呂村領主となったとか。初鹿野という名は、JR中央本線甲斐大和駅の旧駅名だったこ
とを思いだし、出身地があの辺りだったのかと知れる。

 車の途切れるのを待って県道35号・産業道路を横断して、大宮盆栽村とも呼ばれる盆
栽町に入る。昼食地の「盆栽四季の家」には12時6分に着いた。朝の用事を済ませてか
ら駆けつけたKTさんも、同じ頃到着する。




 
 == 大宮公園を抜けてさいたま新都心へ ==

 昼食後、近くで公開している盆栽園・蔓青園(まんせいえん)に入り、松やケヤキ、梅
など見事に仕立てたたくさんの盆栽を眺める(園内は撮影禁止・外から撮る)。


 ミーティングと記念撮影を済ませ、13時8分に盆栽四季の家を後にした。


 2本西の「かえで通り」に回り、さいたま市立漫画会館で30分の観覧時間をとる。


 漫画会館は、旧大宮市が生んだ日本の近代漫画の創始者、北澤楽天(1876~1955)
の業績を記念するとともに、漫画文化の発展を図るため、楽天の邸宅跡に建設されたもの。
        
 楽天は福沢諭吉に認められ、諭吉の発刊した新聞、時事新報紙上で、国際政治から子ど
も向けまで広範囲の漫画を掲載し、「漫画」という言葉も楽天が使い始めたものだという。

 展示室を回り、楽天の生涯や作品のほか、4日後の15日まで開催中の「さいたま市民
漫画展2014」の入賞・佳作作品展のほほえましい作品の数々や、楽天が住んでいた当
時から残るという日本庭園などを観賞する(入館料無料、館内は撮影禁止)。


 漫画会館前の住宅に、背の低くてずんぐりした変わった姿の馬がいた。
     

 近くの植竹稲荷神社は境内が広いが社殿は小さく、鳥居際のスダジイの高木だけが目に
ついた。


 東武野田線大宮公園駅の南側を回り、産業道路を横断して寿能町(じゅのうちよう)二
丁目へ。日本山妙法寺の狛犬はライオンのような顔立ち。
        

 その先の寿能公園は、敵対していた北条氏の備えのために、岩槻城の支城として永禄3
年(1560)頃築かれたといわれる寿能城跡。

 岩槻の太田資正(おおたすけまさ)の子、潮田出羽守資忠(うしおだでわのかみすけた
だ)の居城と言われ、天正18年(1590)の豊臣秀吉の小田原城攻めの際に、豊臣勢
の攻撃で落城したとか。物見櫓(ものみやぐら)の跡とも呼ばれる塚の上に、潮田出羽守
資忠の墓がある。



 再び見沼代用水沿いの遊歩道を進む。用水の水量は、先ほどより豊富になっているよう
に見えた。水車小屋のところで見沼代用水を離れ、歩道橋で産業道路の上を越えて大宮公
園に入る。


 大宮競輪場と県営球場の横を通過し、球場と大宮アルディージャのホームグランド、
NACK5(なつくふぁいぶ)スタジアムの間を進むと、「蛇松(鷹止の松)跡」の説明
板があり、寛永年中(1624~44)に徳川家光がこの地で鷹狩りを行った際のことが
記されていた。

 西に抜けたところにあった頑丈そうな保護建物の中に、第2代埼玉県令(知事)白根多
助頌徳碑があるが、碑が浸食されていて碑文は判読し難い。
     


 赤松林の中を進んで、先週に続き武藏一宮、氷川神社に参拝する。建国記念の日のため
か、拝殿には参拝者の列ができていた。


      
 参道を南へ、二の鳥居まで進み、交差点の南東側にある結婚式場、清水園の1階ロビー
に入る。

 ここには、昭和9年(1934)に描かれた大宮の絵地図があり、この清水園が公園だ
ったことが知れる。


 二の鳥居の一つ北側の通りに戻り、西進して中山道際にある東光寺へ。


 本堂背後の広い墓地の一角に北沢楽天の墓地があり、新しい北沢楽天像や、楽天が描い
た100の絵を並べた「北沢楽天百絵摩尼車(まにぐるま)」など、ユニークな石造物が
並んでいた。
         

 本堂はどっしりしたコンクリート造り。南側には、りっぱな仁王門を再建中だった。



 東光寺の東側から南に延びる通りを南下し、大宮区役所横などを通過して氷川神社参道
の南端付近に入り、ゴールのJRさいたま新都心駅下に16時12分に着く。

(参加 17人、天気 晴、距離 10㎞、地図(1/2.5万) 岩槻、浦和、歩行地
 さいたま市見沼区、北区、大宮区、歩数 15,900)




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印西市郊外の集落や田園地帯をカントリーウオーク(千葉)

2014-12-15 21:29:05 | カントリーウオーク
 2014年12月14日(日)

 衆議院議員選挙投票日ながら、日本海側や西日本などは大雪という今日、カントリーウ
オークグループの第219回例会の開催地、印西市(いんざいし)周辺は、風も無く穏や
かな快晴に恵まれた。


 集合は北総鉄道の終点、印旛(いんば)日本医大駅(線路はさらに成田スカイアクセス
線として成田空港まで伸びている)。参加者は3組に分かれて10時5分にスタートした。

 == 小集落と谷地田を抜けて本埜スポーツプラザへ ==

 堀割を走る北総鉄道の南側側道を少し進み、国道464号を横断して角田集落に向かう。
畑の先の針葉樹林の路傍に、庚申塔を主とする10数体の石塔が並んでいた。


 今朝の冷え込みで、日影の畑は真っ白な霜がいっぱい。その先の角田集落には、かやぶ
き屋根にトタンを被せて広い敷地の民家が幾つか残る。


 まずは集落にある永福寺へ。かやぶき屋根の薬師堂は室町時代中期の文明4年(1472)
の建立。県下でも最古の建立時代の明確な木造建築物のようで、国の重要文化財である。


 傍らの小さい祠(ほこら)には、左甚五郎(ひだりじんごろう)が一夜で作ったといわ
れるビンズル大師が祭られている。
        

     
 境内にはほかに、鐘楼や神仏混交の遺構を残す熊野神社が祭られ、神社の傍らには、根
元がくっついた大カヤとカシの古木が立っていた。


 北に進んで少しの針葉樹林を抜ける、霜で真っ白な谷地田(やちだ)が広がり、日影の
水たまりには氷が張ったまま溶けない。
    

 谷間を高架で走る国道464号と北総鉄道の下を北側に出て、大方落葉した広葉樹林を
眺めながら谷地田と林を抜けて荒野集落に入る。


 県道65号と斜めに交差し、その先の小さな三差路際には地図にない朱塗りの社殿があ
ったが、名前は分からない。


 左手の寺、安楽院は入口が見つからずに通過し、北側の広い谷地田の手前に下り、辺田
前集落や山林などを眺めながら小休止した。


 少し西進して田んぼの間を北側の台地下に回り、林と田んぼの間の農道を進む。農道が
なくなり西側に迂回してから学校への通学路になっている林間の階段を上がり、本埜(も
との)第一小学校の西側に上がった。


 学校の北側を回って藤方集落を東進すると、鳥見神社の森がある。朱塗りの鳥居をくぐ
り、杉木立の参道を進んで拝殿に参拝した。


 拝殿前には、文安年間(1444~8)から始まると伝えられ、県の無形民俗文化財に
なっている「鳥見神社の神樂」を舞う、屋根掛けの簡素な神楽殿がある。


    
 真っ白いサザンカの咲く民家のすぐ先、製材の岩井製作所の手前の三差路を入り、その
背後を抜けて、広いエリアの本埜スポーツプラザの野球場の上に出た。

 東側はるかに広々とした展望が開け、右手下には「本埜ふれあいプラザ」と「本埜公民
館」の入るりっぱな建物がある。

 小学校のそばで合流して一緒になった2グループが11時50分に着き、建物の北の芝
生広場にあったベンチ付近で、暖かい日射しを浴びながら昼食にした。

 近くの中根まで来ていると携帯電話で分かった残り4人が、1時間近くになっても着か
ない。何度かの連絡で南側の荒野集落にいると分かり、迎えに出て合流し、再度本埜スポ
ーツプラザに戻る。全員が食事を済ませて、13時50分に午後のコースに向かう。

 
 == 田んぼの中の白鳥の郷へ ==

 スポーツプラザの北側から出て谷地田に沿って東北へ。右手の森の下部は「本埜の森公
園」になっているが、看板は倒れ、遊歩道の池の橋も通行止めで渡れない。



 その先、県道291号際に「軽井沢暖炉成田店」など、大きな看板の並ぶ建物があった。
道路側壁面には薪がたくさん積まれて、屋根にも細い丸太が並んでいる。


    

 薪(まき)ストーブや薪などの販売・施行、住まいのリフォームなどをする店のようだ
が、代表のIさんは車で出かけるところ。ゆっくりのぞいて見て下さいとのことで、暖炉
に火の入った内部や作業場を少しだけ拝見した。


 県道を越えて原集落に入ると、北に筑波山が望まれる。家並みの続く根古屋と船戸の集
落の間には、蘓波鷹神社という珍しい神社があった(最初の字、魚の下は点でなくて大の
字)。
    


 船戸から東へ、広々とした田園地帯に出て潅漑用水路沿いを次の橋まで進み、和泉屋集
落へ。りっぱな長屋門のある荒井家は、周囲の田んぼより一段と高い。

 「押付(おしつけ)の水塚(みづか)」と呼ばれ、利根川の洪水から住宅や生活用品を
守るために高く土を盛り上げて建てた住宅地で、県の有形文化財に指定されていた。

 さらに田んぼの中を東北に800mほどのところに、「白鳥の郷」がある。1992年
に6羽の白鳥が来たのを見た近くの出山光男さんが餌づけを始め、3年後には「本埜白鳥
を守る会」が発足して現在にいたっているという。



 当地の増田さんが提供しているという水田に、この日は200羽近い白鳥が足を休めて
いて、車で来た人などがカメラを構えたり、鳥の動きを眺めたりしていた。


        

    
 白鳥の郷で記念撮影をして、さらに田園地帯を2㎞ほど進んで小林の町並に入り、15
時40分にJR成田線の小林駅にゴールした。駅は改築中で真新しい。


 真冬並みの寒気到来が告げられていたが、当地は穏やかな晴天に恵まれ、寒さを感じる
ことなく、静かな里道や田園地帯のカントリーウオークを楽しんだ。

(参加 11人、天気 快晴後晴、距離 11㎞、地図(1/2.5万) 小林、歩行地
 印西市、歩数 21,800)




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「所沢市みどりのふれあいウオーク」で市の東部を歩く(埼玉)

2014-11-29 20:28:53 | カントリーウオーク
 2014年11月29日(土)

 雨の予報でしたが、朝起きたらまだ降りそうにないので、所沢市と西武鉄道合同企画の、
「所沢市みどりのふれあいウオーク」に参加することにしました。

 自宅からはひと駅の所沢駅東口がスタートですが、いつも市内ウオーキングで歩く道筋
を歩いて行き、所沢駅東口に回ります。


 駅を出てすぐの西武鉄道本社前が受付け。雨の予報にもかかわらず、予想外の参加者が
来ていました。
    

 受付を済ませ、所沢市のイメージマスコット「トコろん」に見送られて9時33分にス
タートしました。
        
 ちなみに「トコろん」は、「ゆるキャラグランプリ2014」にて、全国1,699の
ゆるキャラ中39位と健闘し、埼玉県内では深谷市の「ふっかちゃん」に次ぐ2位でした。

 スタート直後の駅前ロータリーに、「保健所発祥之地」碑があります。もともとは、市
内けやき台2丁目の所沢保健所構内にあったのですが、所沢保健所が数年前に廃止となり、
いつの間にかここに移設されたようです。
    

 まずは、所沢駅東口から東に伸びる通りを進みます。


 次の三差路を北東に進んで、歩道橋で西武池袋線を越えました。線路に近い道を南東へ、
さらに折り返すように北西へと進み、上安松交差点で県道6号に入りました。

 東に少しの、民家の道路際に皇帝ダリアが咲き残っていました。


 近くにあった霊源寺の本堂。道路から少し入るだけですが、立ち寄る人はほとんどあり
ません。
 

 すぐ近くの民家の庭先では、たくさんの花が咲き競っています。

 

 上安松東交差点で県道に分かれ、左折して北へ延びる上下2車線の市道へ。牛沼小の先
で東川(あずまがわ)左岸沿いの草道を西進します。東川沿いにはソメイヨシノが続き、
春はサクラの名所ですが、いまはまもなく葉も落ちそう。


    
 上の左カーブ点辺りで、農家の方が自分の畑で収穫した紅東(べにあずま)と呼ぶサツ
マイモや、島カボチャという沖縄原産のカボチャを販売していました。みな100円です。
    

 隣の畑では、白菜やネギなどを販売する農家の方も。


 茶畑の先で川から離れ、北側に広がる「牛沼市民の森」へ。森の西側一帯は神明神社で、
祭神は市内中心街近くにある所沢神明社から勧請されたよう。


 早くも、境内で休憩するウオーカーも。


     
 市民の森に入り、広葉樹林の中の遊歩道をを東から北へと抜けて行く途中に、薬師堂が
ありました。
        
 元禄15年(1702)にこの付近から出土したという、薬師如来像が祭られているよ
うです。


 北側を東西に走る国道463号を歩道橋で越え、東側の牛沼交差点まで進みます。

 国道沿いのケヤキ並木は、ゴール近くの所沢航空記念公園前から始まり、東はさいたま
市内まで続いており、日本一長いケヤキ並木として知られています。

 国道沿いにあった料理店。手打ちそばやウナギが美味しそう。

 
 


 牛沼交差点から左折して北北西への市道へ。左手の広葉樹林に新しいお地蔵さんが立っ
ていました。「孝行地蔵」というお地蔵さんのよう。



 その東側から北側にかけての広いエリアは「所沢カルチャーパーク」と呼ばれる広葉樹
に覆われた平地林で、その中の遊歩道をU字状にしばらくの間、通過しました。
     

 遊歩道の終わる辺りに、櫻木神社が祭られています。嘉永3年(1850)の創立で、
祭神は本居宣長と徳川光圀とのこと。本居宣長を祭る神社は、関東ではここだけのよう。
     
 少しずつ暗くなってきたとな思いながら歩いていたら、この辺りからとうとう雨にな
り、次第に本降りに。参加者の皆さんは傘を差し始めました。

 牛沼交差点から伸びてきた広い市道を下新井交差点まで進み、左折して最後の所沢航
空記念公園に向かいます。A石材店の前で大黒様と金太郎さんが見送ってくれています。
        

 東京国際空港(羽田)と成田国際空港から発着する、航空機の交通管制をしている東京
航空交通管制部の北側を進み、所沢航空記念公園の北側入口から園内に入ります。


 沿道のイチョウは散り始め。


 見頃のモミジも、この雨では色も冴えません。


     

 西武新宿線の航空公園駅東口に展示されている、YS11型機の近くに、ゴールテント
があり、11時52分に到着しました。


 その横には、この催しに協賛の観光物産展のテントが並び、所沢産の野菜や地ビール、
狭山茶、所沢銘菓、サトイモカレーなどを販売していました。


 航空公園駅から、多くの皆さんは帰路につきました。



 私はさらに歩いて、2つのスーパーを回って買い物をしてから、自宅に帰りました。

(天気 曇後雨、距離 9㎞(自宅往復含めると15㎞)、地図 主催者配布地図
 (1/2.5万地形図 所沢)、歩行地 所沢市、コース歩数 14,200)





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アートウオークセラピーで横須賀 須軽谷周辺を歩く(神奈川)

2014-11-24 17:27:59 | カントリーウオーク
 2014年11月23日(日)

 暖かな好天に恵まれた勤労感謝の日、山浦敬子さんが春秋2回ずつ実施している「アー
トウオークセラピー」、今年の最終回に参加した。

 集合は、10時に京浜急行久里浜線の終点、三崎口駅。10時13分発横須賀駅行きバ
スに乗り、一騎塚バス停で10時34分に下りた。
        

 今回歩くエリアは、横須賀市の南西部、須軽谷(すがるや)集落の周辺である。

 三浦海岸駅に向かう県道214号を少し進み、武山住宅内の道路から南側の台地、林三
丁目に広がる農地に向かって上がる。

 大きな鶏舎の横を過ぎた辺りから、畑の縁にクコの木が続き、花と実がたくさん付いて
いた。私は口にしなかったが、赤い実でも甘いのと苦いのがあるようだ。

 台地のピークの標高は50m前後だが、気持ちよい展望が広がり、東方の武山中の背後
には三浦半島の最高峰、武山(200m)周辺の稜線やアンテナなどが望まれる。


 西には相模湾に浮かぶたくさんのヨットが、その右手に目をこらすと、かすかに冠雪し
た富士山の上部が認識できた。



 周辺の畑には、キャベツやブロッコリー、大根などが多く、起伏の多い丘陵のあちこち
に残る広葉樹林は、初冬の彩りを見せる。



 農道を少し入り、ご夫婦が作業をしているキャベツ畑の上でスケッチタイムをとり、そ
れぞれが思い思いのポイントを描いた。
    

    
 直前に見た、大きな葉っぱの野菜↑は何だろうかとかと、下の畑のご夫婦に訪ねたら、
カリフラワーとのことだった。ご夫婦は、二毛作の次の種を蒔いているという。




 さらに農道を回り込み、相模湾や眼下の畑などの展望を楽しみながら昼食後、同じ場所
にて今日の記念撮影をする。
    

 農道から稜線上の公道に戻り、Y字路を折り返すように北東方向への道に入る。
    
 複雑に根のからんだ常緑広葉樹林の間を抜けるところに、古い庚申塔が並んでいた。


 林を出た天王谷集落の民家のそばに、自然のままの池があり、カルガモの家族や大きな
コイが、気持ちよさそうに泳いでいる。


 民家の柿の木に、実を採ろうとしたらしいリスがいた。我々の姿に気付きあわてて池の
向こうに飛び降りたが、カメラに捉えることは出来なかった。その民家には、直径15㎝
以上もありそうな、ユズのような実も数個実っている。
    

 県道214号を横断し、須軽谷集落の畑を貫く道を北東に進む。東側斜面の木々は、と
ころどころに紅葉の彩り。


 眼下のキャベツはよく育ち、土の見えないほどビッシリと並んでいた。
 

 車道に出て、近くの神社に向かって斜面を上がったが、ミカン畑があり行き止まり。ど
うも南側の樹林の中のようだが見えないので、近くの小道を南西に下り、須軽谷の中心に
ある法道寺に行く。



 谷地の斜面下にあり、ひなびた本堂の静かなたたずまいの寺。本堂や庭などを眺めてい
たら、不審そうにご住職が顔を出された。

 この歩きの目的などを話したら、寺の沿革をはじめ、先ほど探した神社の場所、神社が
明治の神仏分離令以前はこの寺と一帯だったこと、地域の人達との結びつきを高めるため
に色々な催しを企画し、子どものときから寺との関わりを深めてもらうよう努めておられ
ることなど、お話しいただいた。

 さらにそれら企画の一環で設けたという、背後の小さいお稲荷さんのお堂にも案内して
いただく。
        
 竹の多い斜面をジグザグに上がると、小さなお堂にお稲荷さんが祭られ、そばのジュウ
ガツザクラの若木が開花していた。
        

 4月22日の祭りには、子どもたちもたくさん来て賑わうという。

 思いがけぬ対応をいただき、トイレを借りたら缶入りのお茶まで頂き、感謝して寺を出
る。暖かいのか墓地の一角では、早くもスイセンが花を開いていた。
    

 寺のそばに、たくさん実をつけたミカンの木があり、集落の周辺にも幾つかのミカン畑
が見られた。


 ご住職に教えてもらった道を、扇山集落を抜けて北に進む。集会所の横を入ると、うっ
そうとした常緑広葉樹林に囲まれた八幡神社があった。午前中に行き止まりで戻った道の、
南側すぐのところだった。
     

 社殿の右手、屋根掛けの中に枯れた古木が立っている。天王谷集落の鎮守だった八坂神
社境内にあったご神木で、明治41年(1908)にここ八幡神社に合祀されたときには、
すでに枯れ木で立っていたとか。それを現在地に移して祭ったものという。
     

 石段を上がって参拝後、拝殿前でゆっくり休憩して、Kさんが昨秋のこの歩きでやまさ
んに勧められて6月に歩きに行った、イギリス湖水地方への単独行での経験などについて
伺う。それにしても今回も、やまさんの姿が無いのがさびしい。

 今日の歩きはここまでとして、車道を北西に400mほど進む。途中の民家に、アケビ
に似たムベがたくさん実をつけていた。
    

        
 ゴールは県道214号とのT字路際の宮ノ里バス停。14時30分に着き、3分後のバ
スに乗り、京浜急行の三浦海岸駅から帰途につく。


(参加 6人、天気 快晴、距離 4.5㎞、地図(1/2.5万) 浦賀、歩行地
 横須賀市 歩数 8,400)


 ちなみに、三浦海岸駅から乗った14時49分発の上り快特青砥行き電車は、京浜急行
では珍しい黄色の塗装車だった(横浜駅にて撮影)。


 この車両は、京浜急行電鉄が5月1日から運行を開始した「KEIKYU HAPPY
 TRAIN」(京急ハッピートレイン)と呼ぶただ1編成だけの車両で、「HAPPY
になる電車」をコンセプトに、新1000形の1編成(8両)だけに「幸せ」をイメージ
した黄色の塗装を施したもの。

 ところが、この「しあわせの黄色い電車」が、西武鉄道の車両に似ているという声が多
かったことを受けて、京浜急行が西武鉄道にコラボを提案し、西武鉄道でも、京急電車の
シンボルカラーである赤い車体に白のラインのカラーリングを施した車両1編成が、7月
19日から西武池袋線と狭山線で運行されている。

 私たちが乗車した車内の、吊り広告や壁面上部の広告も、全部西武鉄道の広告だった。

 乗車した私たちも やまさんも、そしてご覧いただいている皆さんも、ハッピーになれ
るよう期待したい!。




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東京駅丸の内北口で昼食をしながらSさんと懇談

2014-11-21 22:15:19 | カントリーウオーク
 2014年11月21日(金)

 いまは解散している、全国的なカントリーウオークのメンバーのつながりだった「のみ
ちネットワーク」のメンバーのひとり、新潟県村上市のSさんが、同窓会で熱海に来た帰
路に会いたいとのことで、東京駅丸の内中央口に11時半に集合することになりました。

 
 少し早く着いたので、東京駅丸の内南改札内から丸の内中央改札内の間のコンコースで
開催中の、『「東京駅100年」思い出の写真展』を観覧しました。


  

    

       東京駅開業は1914年  
      

         これは古い東京駅構内のよう。
        

  

    

      

        

 会場には、かなり以前に作られたと思われる東京駅丸の内口駅舎の模型も展示されて
いました。


 これらはほんの一部で、写真はほかにもたくさん展示されていて、12月25日(木)
まで開催しています。興味がありましたら、東京駅に行かれた時にのぞいてみて下さい。

 11時半までに、Sさんと、毎月の「続カタツムリ歩行」でお世話になっている事務
局のDさんご夫妻も集まり、丸の内北口を出てすぐの「丸の内オアゾ(OazO)」ビルに
向かいます。この辺りは、40年前には国鉄本社ビルだったかと思われる場所です。
     

 ここで昼食をしながら歓談しようということで、Dさんが探してきた店の一つ、6階
にある九州沖縄料理の店に入りました。


    

 今日の昼食メニュー


       料理見本も並んでいます。
      

 久しぶりの再会に乾杯し、料理を食べながら話が弾み、14時の昼食終了時刻になっ
てしまったので店を出ることにしました。

 出るときに、料理と一緒に並んでいた沖縄特産の飲料ボトルが目に入りました。
     

 たまたま今日、私が自宅からアクエリアスを入れてきたゴーヤー茶のペットボトルと
デザインが同じです。
         
 このゴーヤー茶のボトルは、埼玉のカントリーウオークグループの10月例会で、埼
玉県嵐山町を歩いたときに、昼食直前に寄ったお寺で、ご住職の奥様からいただいたも
のでした。

 これも、カントリーウオークの仲間の間の不思議なつながりかと、感じた次第です。

 話の続きをもう少しと、2次会は1階に下りて、この喫茶店の外のテーブルで。
    

 集まったメンバー


      店の前の広場には、早くも大きなクリスマスツリーが。
     

 さらに1時間あまり話が弾み、15時20分頃に喫茶店を出て、東京駅丸の内北口に
向かいます。丸の内口の広場を隔てた南側にある、「KITTE」(きって)と呼ぶ中
央郵便局のあるJPタワービルに、こちらのビルの影が映っていました。
     

 東京駅前のイチョウも色づいてきています。


 丸の内北口で皆さんと別れ、私は地下の東京メトロ丸ノ内線の乗り場に向かいました。


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東松山市西部から嵐山町へカントリーウオーク(埼玉)

2014-11-10 15:25:19 | カントリーウオーク
 2014年11月8日(土)

 埼玉県内を中心のカントリーウオークグループの、第218回例会に参加した。集合地
は東武東上線の高坂(たかさか)駅。


 10時に集合して10時7分発のバスに乗り、西側丘陵上の大東文化大前バス停まで行
く。少し先の物見山入口でミーティをして、10時22分にスタートした。

 == 地球観測センターを観覧し笛吹峠を経て運動公園へ ==

 バス道路を少し進んでY字路を右に入る。豊富な広葉樹や松の樹林の間の舗装路は、車
の通行は禁止で安心だ。右手は「東松山市民の森」で、平行して遊歩道も付いていた。


 1㎞ほど進んで、左手の「地球観測センター」構内へ下る。


 今日は秋の公開日と駅のポスター知り、20分ほど観覧することにして、11時15分
の集合まで自由観覧とする。


 左側に、直径13mの第4受信アンテナがある。地球観測衛星「だいち」のデータを中
継する衛星間通信用衛星からの電波を受信しているという。


 まず総合受付のある第一運用棟に行き、地球観測衛星「だいち」が観測した近隣の市町
村の画像、宇宙観測用の装置類、赤青眼鏡での阿蘇山周辺の立体映像などを見る。



 次に第二運用棟に回る。入口の両側にはテントが張られ、地元鳩山町の農産物や、鳩山
町のイメージキャラクター「はーとん」人形などを販売している。
    

    


 展示室には、数個の観測用衛星の実物大模型、「だいち」による富士山周辺の立体模型、
HーⅡAロケットの模型、地球観測センター敷地模型などが展示されていた。
        

 富士山周辺の立体模型


      H-ⅡAロケット模型
     

 地球観測センター敷地模型


 観覧を終えて、東松山市と鳩山町の市町境の稜線を走る林間の遊歩道を北西に進む。
     

 県道41号を横断後は、鳩山町と嵐山町との町境の林間の道。大規模な産廃処理場の横
や、新しい「食品計画」の長大な建物の横を通過する。


    
     笛吹峠近く、杉林の間の遊歩道。  

 南北に走る鎌倉街道上道(かみつみち)沿いの車道と交差する笛吹峠に出て、東屋で休
憩した。


 笛吹峠は、坂東三十三観音の10番岩殿観音から9番慈光寺へ続く道筋でもあり、正平
7年(1352)に新田義貞の三男、義宗などが宗良(むねなが)親王を奉じて、武蔵野
の小手指ヶ原(こてさしがはら)(現在の所沢市)で足利尊氏と戦ったが、最終的に結末
がついたのがこの地だったとか。

 新田義宗などは越後に落ちのびたが、その際宗良親王が月明かりに笛を吹いたのが笛吹
峠の名の起こりと伝承されるという。

    峠から少し戻り、北へ緩やかに下る広葉樹が主体の林間の道を下る。
    
 手入れをしてない両側の林は、しの竹が生い茂っている。今は通行する人はほとんど無
さそうだが、路傍には馬頭観音が残り、昔の街道筋だったことが知れる。

 林間を抜けて谷地田を横切り、将軍沢集落に入り無住の明光寺で小休止する。


 境内には、鎌倉時代の文応元年(1260)と刻まれ、嵐山町最古という「阿弥陀三尊
種子板石塔婆」が立っていた。
        

 旧鎌倉街道上道の車道に出たところの民家に、屋根に届くほどの大きなサボテンがあっ
た。
        

 北へ少しで左折して西方に向かい、嵐山カントリーの北部を横断する。ゴルフ場内の紅
葉がよい彩り。
     


 県道172号を横断すると周辺の展望が開ける。飼料用のよく育ったトウモロコシ畑が
現れ、近くに牛舎↓も望まれる。


        
 やはり飼料用らしい燕麦(えんばく)(カラスムギ)畑↑の横を進んで、昼食地の嵐山
町総合運動公園に13時15分に入る。


 4面で野球してもたっぷり余裕のある広いグランドの、南東面の一塁側ベンチに腰を下
ろして、遅めの昼食とする。

 
 == 都幾川の学校橋を経て上唐子へ ==

 14時ちょうどに運動公園を後にした。公園の東側の飼料用トウモロコシ畑を背に記念
撮影をして、畑作地帯を東方に向かう。



 都幾川(ときがわ)の北側の台地上に、国立女性教育会館が望まれ、その下の斜面林は
色づき始めている。畑には大きなトウガンが実り、キクの花が見頃である。
    



 大蔵集落の北側に回ると、都幾川右岸に続くソメイヨシノの並木が望まれる。


 穏やかな清流を見せる都幾川の学校橋を渡り、北側台地に上がって東に延びる土道へ。


 二ッの送電線の下を通過し、幾つかのクリ畑や平地林を抜けて上唐子(かみからこ)集
落に入った。ブランコとシーソーだけの簡素な小公園で最後の休憩をする。

 
 その先の、畑の隅に植えられたキクが花盛り。


 県道172号と国道254号を横断して、スタート駅から3駅目、ゴールの東武東上線
つきのわ駅に15時20分に着いた。


    
 駅舎壁面の上部、駅名の文字はよい止まり木のようで、たくさんのハトが止まって休ん
でいる。これが今日のトリの話題である。

(参加 14人、天気 曇、距離 11㎞、地図(1/2.5万) 武蔵小川、歩行地
 東松山市、鳩山町、嵐山町、滑川町、歩数 20,800)




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甲府盆地のブドウと桃の里をカントリーウオーク(その2)(山梨)

2014-10-28 21:57:04 | カントリーウオーク
 2014年10月26日(日)

 今朝も好天である。斜面になっている宿の庭の上部にあるニシキギがよい彩り。
   

 玄関前で記念撮影をして、8時15分に「季節のお宿ひみね」を後にした。


     
 国道137号を少し上がり、「戸倉遊歩道」の標識を左に下って金川の橋を渡り、対岸
の戸倉集落の戸蔵神社に上がる。
     

        
 社殿は杉木立に囲まれ、傍らに養蚕ゆかりの「蠶影山」碑や、ほこらに祭られた道祖神
がある。
            

 境内から見える南側の山並み上部は、紅葉の彩りが進んでいた。


 国道に戻り、宿のすぐ先から国道の右に平行する旧道に入ると、近年延長されたリニア
実験線の線路が行く手の谷間を横切っている。

 だが、線路はドームに覆われ、列車が通過しても見えそうにない。

 新上宿集落の入口付近に、宿の名と同じ檜峰(ひみね)神社の鳥居だけが立ち、集落の
中ほどには洗宇神社↓が祭られていた。
     

 近くには、この道が奈良・平安初期頃賑わった官道、御坂路(みさかじ)であることの
説明板がある。リニア新幹線の高架橋は、すぐ先のカーブ点の上を通過している。
     

 坂野集落を抜けて道場集落へ。老人ホームと隣接した称願寺に裏手から入り、どっしり
した本堂の前で小休止する。

 称願寺は、正応5年(1292)に黒駒領主讃岐守信基の帰依により真教上人が開創し
た、県下で最古の時宗の寺とか。国重要文化財の木造他真教上人座像をはじめ、市文化財
も多いという。

 境内には「称願寺のサクラ」と呼ぶ、樹齢400~500年と推定されるヤマザクラ系
の園芸種、ゴシンザクラ(御信桜)の古木がある。

 花と葉が同時に開き、独特の花の形や色あいなど、県下でも珍しい桜のようだ。

 何の祈願か分からぬが、西側の木の枝から枝に、見たことのない形の小片が幾つか下が
っていた。
    


 さらに旧道を緩やかに下る。駒留集落の八幡宮↑のそばに、この道が御坂峠を越えて河
口湖、山中湖、御殿場へと続く鎌倉街道御坂路であることを記した掲示板がある。

 若宮集落を通過し、国道がバイパスと分流する若宮交差点際にあったディリーヤマザキ
で、残り少ない品数から昼食を調達する。

 国道を横断して山側に回り、少し斜面を上がったが、予定した八反田方向でなく南に向
かっていた。次の十字路で気付き、右折し西に向かう。だが、この辺りは甲府盆地東部を
見下ろす絶好のビューポイントだった。


 杉木立に囲まれた小さい神社周辺で、拾いものの展望を楽しむ。


 少し先で、完成していた地形図上は「建設中」の道路に入る。500m余りで旧道に戻
り、南側の通用門から「桃源郷公園」に入った。

 中央部の高台にモニュメントが立ち、眼下の甲府盆地の桃の郷や周辺を囲む山並みなど、
三百六十度の大展望地である。だが今日の南アルプス上部は雲に隠され、昨日の勝沼ぶど
う郷駅からのような展望は得られなかった。

 自販機のアイスクリームを求めてのどを潤したりして30分近く休憩し、11時12分
に公園を出た。


 葉の色づくブドウ畑の間を西進して尾山集落へ。集落の中ほどにあった古民家を活用し
た「パモニルパフ」と呼ぶ美容院の道路際に、手作りのツリーハウスがあった。
     
 美容院の宣伝用に造ったとのこと。美容院では午後、ライブが行われるようで、楽器を
積んだ車が到着していた。


 次の蕎麦塚集落の光国寺に、11時38分に入る。北側道路側に鐘楼門があり、大きな
本堂も北向き。


 梵鐘の下がる鐘楼門の2階天井には、龍が描かれていた。


 西側の墓地には、大きな観音像と、それより小さいお地蔵さんが立っている。


 ご住職に断り、鐘楼門脇の建物の縁側を借りて昼食にする。


 12時近くなったらご住職が鐘楼に上がり、正午を告げる鐘を12回突かれた。
   
 毎日実施していて、ご住職がお出かけの際は、誰か残って代わりを務めるという。周辺
のブドウ畑で作業している方にも分かる、よい時の鐘と感心した。

 12時30分に光国寺を出て、集落の中ほどから南進する。


 無住らしい宝林院↑前を通過して、ビニールハウスとブドウや桃の果樹畑の中を進んで
二つの流れを渡り、西進して小山城跡に行く。

 浅川扇状地北端の小丘を利用して構築された武田時代の城で、宝徳2年(1450)に
穴山伊豆守が居住し、幾多の変遷を経て南部氏に守られていたが、天文17年(1548)
に武田晴信の為罪により廃城になったとのこと。

 天正10年(1582)の甲斐国騒乱時には、御坂城の北条勢に対峙(たいじ)して徳
川家康が鳥居彦右衛門に城を修復させ、騎馬130、雑兵600人で守らせたと伝えられ
るという。


 周囲のよく残された土塁にはソメイヨシノが植えられ、土塁に囲まれた中心の郭(くる
わ)部は整地されていたが、ロープが張られて入れない。


 東側の虎口部から北に回ると、眼下のモモ畑や石和の市街地方面の展望が広がる。


 八千蔵集落の西側を回って二宮集落に入り、美和神社で休憩する。

 美和神社は、景行天皇の御代、日本武尊により大和の大三輪神社を勧請したという甲斐
国内の古社。

 一条天皇の時代に甲斐国二之宮となり、毎年、一宮の浅間神社などとともに甲斐国水防
の祭りを執り行っていたようだ。

 国指定重要文化財の木造大物主神立像ほか、県文化財や市文化財など文化財を多く所蔵
し、古来から伝わる太々神楽(だいだいかぐら)は県の無形文化財に指定されているとい
う。

 バスに間に合わせるために、ここからは先を急ぐ。中央自動車道下を北に抜け、国衙
(こくが)集落を北西に回り、今日のゴール予定地、県立博物館構内に入る。


 館内で聞いたバス停に14時18分に着き、14時20分発のバスにかろうじて間にあ
った。

 8分遅れで来た甲府駅行きバスに乗り、石和温泉駅には行かないというので石和温泉駅
入口バス停で降り、予定外の800m余りをさらに駅に向かって歩く。

    
 途中に鮮やかな紅葉も見られたが、ゆっくり眺める時間もなく進み、14時50分に
JR石和温泉駅に着いた。急ぎ階段を上がり、5分後の高尾行き上り電車に何とか乗るこ
とができた。

(天気 晴、距離 13㎞、地図(1/2.5万) 石和、歩行地 笛吹市、歩数
 24,600、累積標高差 上り約120m、下り約450m)




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