村中孝次
丹心録
吾人は 「 クーデター 」 を 企図するものに非ず、
武力を以って政権を奪取せんとする野心私慾に基いて此挙を為せるものに非ず、
吾人の念願する所は一に昭和維新招来の為に大義を宣明するに在り。
昭和維新の端緒を開かんとせしにあり。
従来企図せられたる三月事件、十月事件、十月ファッショ事件、神兵隊事件、大本教事件等は
悉く自ら政権を掌握して改新を断行せんとせしに非ざるはなし。
吾曹盡く是を非とし来れり。
抑々維新とは国民の精神覚醒を基本とする組織機構の改廃ならざるべからず。
然るに多くは制度機構のみの改新を云為する結果、
自ら理想とする建設案を以って是れを世に行はんとして、
遂に武力を擁して権を専らにせんと企図するに至る。
而して 斯の如くして成立せる国家の改造は、
其輪奐の美瑤瓊なりと雖も遂に是れ砂上の楼閣に過ぎず、国民を頣使し、
国民を抑圧して築きたるものは国民自身の城廓なりと思惟する能はず、
民心の微妙なる意の変を激成し高楼空しく潰へんのみ。
・・・丹心録 「 吾人はクーデターを企図するものに非ず 」
七月十一日夕刻前、
我愛弟安田優、新井法務官に呼ばれ煙草を喫するを得て喜ぶこと甚し、
時に新井法務官曰く
「北、西田は今度の事件には関係ないんだね、然し殺すんだ、
死刑は既定の方針だから已むを得ない」 と。
又、一同志が某法務官より聞きたる所によれば
「今度の事件終了後は多くの法務官は自発的に辞めると言ってゐる、
こんな莫迦な無茶苦茶なことはない、皆法務官をしてゐることが嫌になった」 と。
又、一法務官は磯部氏に
「村中君とか君の話を聞けば聞く程、君等の正しいことが解って来た、
今の陸軍には一人も人材が居ない、軍人といふ奴は訳の解らない連中許りだ」
と 言って慨嘆せりといふ。
渋川氏は一として謀議したる事実なきに謀議せるものとして死刑せられ、
水上氏は湯河原部隊に在りて部隊の指揮をとりしことなく、
河野大尉が受傷後も最後まで指揮を全うせるにも拘らず、
河野大尉受傷後、水上氏が指揮者となりたりとして死刑に処したり。
噫 昭和聖代に於ける暗黒裁判の状斯くの如し、是れを聖代と云ふべきか。
本事件は在京軍隊同志を中心とし、
最小限度の犠牲を以て、国体破壊の国賊を誅戮せんとせしものなり。
故に 北、西田氏にも何等関係なく
(勿論事前に某程度察知したるべく、且不肖より若干事実を語りしことあり、
又事件中、電話にて連絡し北氏宅に参上せしことあるも相談等のためにあらず)、
東京、豊橋以外は青年将校の同志といえども何等の連絡をなさず
(菅波大尉、北村大尉宛手紙を托送せるも入手せるや否や不明、
而もその内容は事件発生をほのめかし自重を乞ひしものなり)
然るに是等多くの同志に臨む極刑を以てせんとしつつあり。
暗黒政治、暗黒裁判も言語に絶するものあり、
不肖断じてこれを黙過する能はず、
即ち刑死後直ちに、 至尊に咫尺し奉りて、
聖徳を汚すなからんことを歎願し奉らんとするものなり。
・・・続丹心録 「 死刑は既定の方針だから 」
話によれば、
陸軍は本事件を利用して
昭和十五年度迄の尨大軍事予算を成立せしめたりと、
而して 不肖等に好意を有する一参謀将校の言ふに
「 君等は勝った、君等の精神は生きた 」 と。
・
不肖等は軍事費の為に剣を執りしにあらず、
陸軍の立場をよくせんが為に戦ひしにあらず、
農民の為なり、 庶民の為なり、 救世護国の為の戦ひなり、
而して 其根本問題たる国体の大義を明かにし、
稜威を下万民に遍照せらるる体勢を仰ぎ見んと欲して、
特権階級の中枢を討ちしなり。
・
不肖等は国防の危殆に就て深憂を抱きしものなり、
兵力資材の充実一日も急を要する事を痛感しあるものなり、
然れども 尨大なる軍事予算を火事泥棒式に強奪編成して他を省みざるは、
国家を愈々危きに導き、 国防を益々不安ならしむるものなり、
軍幕僚のなす所斯くの如し。
・
不肖は階級打破を言ふものにあらず、
階級を利用し地位を擁して不義を働く者の一切を排除し、
之れに代ふるに 地蔵菩薩的真の国家人を以てせば、
輔弼を謬るなく国政正しく運営せられ、民至福を得、国家盤石の安きを得ん。
之が為政党、財閥に代わりて暴威を逞ふしつつある軍閥官僚を一洗清浄して、
真に尊皇忠臣にして 民の至幸至福を念願する英傑を草莽の間より蹶起せしめざるべからず、
今の此政、 今の不義に憤激蹶起することなき卑屈精神的堕落ならば破滅衰亡に赴く民族にして、
何等招来に期待すべからず。
・
然れども日本民族魂は断じて然らざるべし、
大和民族の生成発展は今後に期待さるべきもの、必ずや窮極まって通ずること邇からん。
唯々天の震怒を全国民の憤激に移し、
一斉総決起、妖雲を排して至誠九重に通ずる慨あるを要す。
・・・続丹心録 「 この十年は昼食、教科書官給の十年なり、 貧困家庭の子弟と雖も学び得る十年なり 」
「日本改造法案大綱」は頃日愛読して思想的に啓発せられし所大なりと謂はざる得ず、
然れども今回の挙に於いては 同書に掲げたる国家機構を一の建設案として、
こらが現出を企図せりと言ふが如き事実なし、
吾人が平素一の建設理想を有するといふことを以て、
直ちに今回その実現を企図せりと為すは、論理の飛躍なり。
吾人は、理想社会現出の為には、
その前提として国体破壊の元凶を誅して皇権恢復、 国体護持を期せると、
然り而して これによる国民精神の覚醒とを目的として蹶起せるものなり、
これ実に維新の基調たり端緒なること全論の如し、
皇権恢復 と 之れに伴ふ国民の国体信仰復活興起に次で、
制度機構の改造は初めて着手せられるべきは理勢自ら明かなり。
吾人は皇権恢復を吾人の任とせるもの、
其後に来るべき維新の大業に翼賛し得るや否やは、
一に天命の有ると無きとに関す、吾人の予期し思考し得る範囲ならんや。
人言ふ
「建設計画なき破壊は無暴なり」 と、
何をか建設と言ひ何をか破壊といふか、
吾人の挙は一に破邪顕正を以て表現すべし、破邪は即顕正なり、
破邪顕正は常に不二一体にして事物の表裏なく、
国体破壊の元凶を誅戮して大義自ら明らかに、
大義確立して民心漸く正に帰す、是れをこれ維新といふべく、
少なくも維新の第一歩にして且其の根本なり、討奸と維新と豈二ならんや。
・・・続丹心録 ・ 第一 「 敢て順逆不二の法門をくぐりしものなり 」
小藤部隊を撤退せしむべき奉勅命令は、二月二十八日早朝、戒厳司令官に下令せられ、
小藤大佐は之れに基く命令を第一師団より受領せしが、 同朝、余等の激昂しあるを見て、
同命令を下達するの危険なるを慮りて下達するに至らず、
更に山下少将と会見時、栗原中尉が代表して 「大命に服従し奉る」 と述べたるに力を得て、
この機を逸せず奉勅命令を下達せんと欲して、全将校の集合を命じてるに、
全員集まらざるに四散して遂に下達する機会を逸したるも、
其の後各部隊に至り実質的に命令を下達せりと陳述したるが如し。
小藤大佐の、実質的に奉勅命令を下達せりとは 如何なる意味なるか極めて不明瞭にして、
これに関しては何等具体的陳述なし、
これを蹶起将校の側より見れば、
二月二十九日早朝、小藤大佐は山王ホテルに来り、
香田大尉に対し兵員の集合を命ぜしを以て、
これに応じて下士官兵を集合せしめたるに、
同大佐は一同に対し、「余に従って呉れ」 と論し、
香田大尉も亦 再三、聯隊長に随従すべきを勧告せるも応ずるものなかりきと云ふ。
而して 右は下士官兵に告諭したるに留り、将校以下に対する命令と感ずる言動は、
其他の機会を通じ一切なかりしなり。
又、同大佐は首相官邸に至り、林少尉其他に対し
「此の兵を率ひて満洲の野に戦へば殊勲を奏せん」 等と感慨を漏したるのみにして、
何等奉勅命令乃至撤退のことに触れず、
以上の外 何等命令を下したりと認められる可き事実存せず。
小藤大佐の立場に就ては、言辞を盡すに謝する能はざるものあり、
然れども正式に命令を下達せられざるは勿論、
小藤大佐の言ふが如く 「実質的に命令を下達せり」 と認められるべきもの更になし。
・
二月二十八日夜、
小藤大佐は到底指揮の行はれざるを悟り、指揮を放棄して警備地区を去り、
師団長に其旨を復命し、其指揮権は解除せられたり。
然れども之れに関し、蹶起部隊は何等の命令を受くることなく、
最後迄小藤部隊長の指揮下にありと信じありしも、 指揮全く行はれざるのみか、
外周部隊が攻撃し来ること愈々顕著となりし為、
去就に迷ひつつ二十九日になり最後の場面に到りしものなり。
・・・続丹心録 ・ 第二 「 奉勅命令は未だに下達されず 」
二月二十九日、
拡声器並にビラによる宣伝の結果、
将校の手裡を脱して所属部隊に復帰せるものありしが如きも、
これは多くは歩哨其他独立任務に服しあるものに就て、
所属部隊の将校が来りて或は懇論し、或は強制的に連れ帰りしものにして、
「逆賊」 の汚名より一意逃れんとして、是等上官に服せること蓋し股肱の臣として当然なるべし。
又、予審訊問等に於て、下士官兵の大部は 「将校に欺かれたり」 と称しあるが如し。
事の結果欺くの如くなるに至り、且示すに「逆賊」「国賊」を以てすれば、
日本国民たるもの何人かこの汚名を避けざらんとするものにあらんや。
右の如き二、三事を以て、
吾人の行動は将校下士官兵を一貫して
奸賊を討滅して君国に報ぜんとする決意の同志を中心とする一つの集団が、
将校の独断による軍事行動の形式を以て行はれたるものなることを否定すべからざるなり。
・
下士官兵の決意を証す可き二、三の事例を挙げ、以て上下一体観に結ばれありしを例証せん。
イ、
二月二十五日夜、歩一、歩三の各部隊は安藤中隊以外の殆ど全部に於て、
発起前蹶起趣意書を下士官兵に告示したるに、
一同勇躍して活潑に積極的に着々決行の準備をなせり。
余と行動を共にせる第一、丹生部隊・第十一中隊の如きは、
丹生中尉が最近に於て決意せしを以て、事前に充分の教育啓蒙を為す能はざりしも、
下士官に決行の事を告ぐるや、欣々然として同行を決意し、
元気極めて旺盛にして一見習医官及歩四九より派遣の一軍曹が之を伝へ聞き、
同行の許可を仰ぐべく丹生中尉に懇願せるを見たり。
ロ、
第一日の行動間、第一線の警備に就きし哨兵の士気極めて盛んに、且殺気充満しありて、
歩哨線を通過するは同志将校と雖も容易ならざりき。
ハ、
二月二十八日、歩三将校間に於て、安藤大尉を刺殺すべしと決議し、
この報安藤中隊に伝るや、部下の下士官兵は安藤大尉を擁して、
他の者のを一切近づかしめず、為に余も安藤大尉に接近し得ざりしこと前述の如くなりき。
翌二十九日安藤大尉が自刃せんとするや、当番兵は其腕にすがりつき泣いてこれを抑止し、
又一下士官来って
「中隊長殿、兵の所へ来て下さい、皆一緒に御供しやうと言って集合してゐます」 と告ぐ。
上下一人格に融合一体化せる状、見るべきなり。
ニ、
二月二十九日朝、丹生部隊の兵は、聯隊長小藤大佐より懇論せられたるも、
敢て中隊長の許を離るるねのなかりしは前述の如し。
ホ、
同朝首相官邸に在りし栗原部隊に於て、将校一名も在らざりし時、
討伐部隊と相対するに至りしが、下士官兵一同少しも屈せず、
門内には一歩も入れざらんとして危く衝突を惹起せんとする状態なりしが、
栗原中尉来りて、事なきを得たり。
ヘ、
同朝新議事堂に於て、野中大尉が集会を命ずるや、一下士官来り其理由を問ふ、
余傍らより 「奉勅命令の下達せられたること今や疑ひなし、大命に従ひ奉らん」
と言ふや、床を踏み涙を流し、「残念だ」と連呼して容易に承服する色なかりき。
ト、
栗原部隊の一下士官が二月二十九日朝形勢の非なるを見て栗原中尉に対し、
「我々を救けやうとして弱い心を起こしてはいけません」
と忠告せりと言ふ。
・・・続丹心録 ・ 第三 「 我々を救けやうとして弱い心を起こしてはいけません 」
第四
今回の挙は民主革命を企図せるものなりとの流説大なるが如し。
その依って起る処を察するに、蹶起将校中の中心人物は「日本改造法案大綱」を信奉しありて、
その実現を計画せるものにして、該書の内容は凶悪過激なる社会民主主義にして、
彼等はこれを巧みに国体明徴なる語を以てカムフラージュしつつ、今回の挙を決行し、
以て民主革命に導かんとせるものなりとなすが如し。
第五
右の如く、襲撃の経過を尋ぬるに、同志将校は常に先頭に在りて弾雨を衝いて進み
( 首相官邸、渡辺大将邸、湯河原伊藤屋別館 ) 勇戦せり、
国軍将校の士気決して衰へあらざるを知るべし。
第六
事件中幸楽に於て多数将校が不謹慎にも酒宴せりといふ風評あるが如し、
何者かの為にする捏造なるべし。
・
二月二十七日、八日(確実なる時日は不詳)、幸楽に於て安藤部隊一部の者が、
演芸会の如きことを実施したる事実あるが如きも、これ下士官兵の稚心深く譴むべき程の事にもあらざる如し。
将校が一同に会し酒宴したるが如き事実は全くなきのみならず、
余の如き前後約四日間、殆んど食事もなしあらざる程なりき。
奈何ぞ斯くの如き余裕あらんや。
・・・続丹心録 ・ 第四、五、六 「 吾人が戦ひ来りしものは 国体本然の真姿顕現にあり 」
同志に告ぐ
相沢中佐殿以下 不肖等 二十勇魂ハ断ジテ滅スルコトナシ
同志一体魂ノ中ニ生キ 維新達成ノタメニ精進セント欲ス
翼クバ幽明相倶ニ維新完成ノタメニ驀進セン
・
前衛ハ全滅セリ
然レドモ敵全軍ヲ引受ケテ要点奪取ノ任務ハ完全ニ遂行シ得タリ
支配階級ノ頽勢必至ナルヲ信ズ
本隊ノ戦斗加入ニヨリ前衛ノ戦果ヲ拡大シ
最後ノ戦捷ヲ克チ得ラルヽコトヲ万望ス
前衛ハ全滅セリ
而シテ 敵全軍ハ動揺困乱シアリコノ戦況ニ於テ自ラ施スベキ方策アラン
言志録ニ 「一息ノ間断ナク一刻ノ急忙ナキハコレ天地ノ気象」 トアリ
最後ノ大勝利を目標ニ進軍アランコトヲ
・
全同志ノタメ悲惨ナル苦斗時代ガ一、二年 或ハ数年現前スルヲ予期セザルベカラズ
凡ユル難苦ニ堪ヘテ最後ノ勝利、 終局ノ目的達成ニ向ヒ焦ラズ撓マズ直進サレタシ
・・・村中孝次 ・ 同志に告ぐ 「 前衛は全滅せり 」