あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

行動記 ・ 第八 「 飛びついて行って殺せ 」

2017年06月18日 08時10分11秒 | 磯部淺一 ・ 行動記


磯部浅一 
第八

河野の意見にもとづいて
二月十日夜、
歩三の週番指令室に於て、
安藤、栗原、中橋、河野と余の五人が會合した。
會談の内容は、
いよいよ實行の準備にとりかからふ、
準備の爲には實行部隊の長となるものの充分なる打合せが必要だから、
今後時機を定めて會合する事にしやう、
而して 秘匿の爲、
この會合をA會合として、
五人以外の他の者を本會合には參加させまい、
他の同志を參加させる會合 を B會合としておく事にする
等のバク然たる打合せをした。
余は安藤の決心を充分に聞きたかったので、
一應正してみると
「いよいよ準備するかなあ」
と 云った返答だ。
愼重な安藤が云ふことであるから、安藤も決心していると考へた。
河野は余に語って
「今度こそは出來る、顔ブレがいい」
と 非常に喜んでいた。
二月十一日に西田氏を訪ねた所、
氏は五 ・一五事件の時、射たれた時の着物類を裁判所から受取って來たと云ったので、
余は見せて呉れと頼んで之を見た。
ベットリと黒ずんだ血が一杯についてゐる
當時の惨劇を偲ばせる。
余は
西田さん、
血がかへって來るといふことはいい事です、
今年はきっといいですよ
と 云った。
此の時、同志の情況について語らふかとも思ったがやめた。
西田氏の血のついた記念品を見てかへって、
十一日の夜は
相澤中佐の冩眞の前で 「 私は近く決行します 」 と誓言をした。
もとより西田氏の仇討ちだと云ふ簡短な感慨も多分にあった。

余は日本改造法案を絶對に信じてゐるし、
北、西田両氏を非常に尊敬しているから、
西田氏を射った時世と人間どもに對して激しい怒りを有してゐる。
二月十四、五日頃(土曜日の晩)、
河野が軍刀とピストルをもって訪ねて來て
「 私は一足先にやるかも知れぬ 」 と いふのだ。
我慢出來ないかと云ったら、
いや牧野の偵察をしに湯河原へ行くだけですよ、と云って笑っている。
余は部隊の方の關係から云ふと輕擧は出來ぬぞ、
と 注意したら、
「 何にッ、牧野と云ふ奴は惡の本尊だ、
 それにもかかわらず運がいい奴だから、やれる時やっておかぬと、
又何時やれるかわかりませんよ、やられたらやってもいいでせう  」
と 云って笑っている。
余も河野の人物を信じているから、
「 よからふ、やって下さい、
 東京の方は小生が直ちに聯絡をして、急な彈壓にはそなへる事にしやう、
若しひどく彈壓をする様なら、
彈壓勢力の中心点に向って突入する事位ひは出來るだらふからやって呉れ 」
と たのんだ。

これより先、河野は余に
磯部さん、私は小學校の時、
陛下の行幸に際し、父からこんな事を教へられました。
今日陛下の行幸をお迎へに御前達はゆくのだが、
若し陛下のロボを亂す惡漢がお前達のそばからとび出したら如何するか。
私も兄も、父の問に答へなかったら、
父が嚴然として、
とびついて行って殺せ
と 云ひました。
私は理屈は知りません、
しいて私の理屈を云へば、父が子供の時教へて呉れた、
賊にとびついて行って殺せと言ふ、
たった一つがあるのです。
牧野だけは私にやらして下さい、
牧野を殺すことは、私の父の命令の様なものですよ

と、其の信念のとう徹せる、其の心境の濟み切ったる、
余は強く肺肝をさされた様に感じた。

次頁 
第九 「 安藤がヤレナイという 」 に 続く
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