あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

昭和維新・西田税 (一) 戰雲を麾く、無眼私論、天劔党

2021年04月27日 16時02分37秒 | 昭和維新に殉じた人達


西田税 
戰雲を麾く
人生は永遠の戰ひである。
げに、ともすれば侵略し鞏梁ならんとする
彼の醜陋卑劣なる我慾 利己 放縦安逸淫蕩驕恣などの邪惡を折伏すること、
又 正善を確立具現することは、一個不可分なるべき魂の戰ひである。
然して、そは自ら正しく行はんがために、思索討究實践である。
吾が魂の衷に於て、又 魂の外に於て、---自ら正善の確立具現者たると共に、
余の人々の正善への指導者たることを要する。
嗚呼、吾等は戰はねばならぬ。
然して、一切に克たねばならぬ。
吾等の心願は、内外一貫して眞なるもの善なるもの美
かくして吾が戰ひの生に二十四年は暮れた。
此の一篇は
「 戰闘的人生 」 と 共に、
吾人生を語るべき永遠の 「 かたみ 」 である。
大正十三年十二月朔ついたち    西田  税
・・・
戦雲を麾く 1 「 救うてやる 」 

台賜の光榮は余何等報ずる所なかりしを以て知る人なしと豫測せしに、
豈計らんや、數日前 吾故郷の新紙は余の冩眞を掲げて告ぐる所あつたといふ。
遭難と光榮とを併せ挨拶せられしとき、余は答ふるに言葉なかつた。
---将来の志願は余自身のみ之れを知る。
余の從來の學績を知る者凡てが余に期待する所は、功利榮達の將來である。
双親亦児に欣喜の情を賜はるにつけて、堪へられぬ心の辛さに獨り飲泣した。
今も尚、天才---立身榮達の世評と期待とは余の故郷に於ける人々の所有である。
嗚呼、何たる寂しさぞ。
唯々余は、兄を失ひて哀愁尚新たなる双親を喜ばしめし一事を、
儚はかなくも孝の一端と自ら心を慰めた。
在京の友より、
「 君 中央本科に入校の上は第二皇子 淳宮殿下の御學友に決定せり折自重 」
の 報を得て、
宿年の希望に一縷いちるの光明を画きつゝ故山の風光に心身を養うた。

・・・
戦雲を麾く 3 「 淳宮殿下の御学友に決定せり 」 
  宮本が或日、満川氏と会見の一事を語つて猶存社を話した。
そは宮本 福永 平野 の三人が満川氏に招かれて、
一切の猶存社の内容と經歴てを示され、赤心を吐露せられしことであつた。
そして彼は猶存社に北氏と会見せしことを併せ語り
「 眞に恃たのむべきは猶存社でなからうか 」 と 告げ、
満川氏より借りたる北氏著 「 支那革命外史 」 一巻を置いて歸つた。
  満川亀太郎
猶存社---余は時宛かも病床のつれづれに他の患者から借りし
月後れの雑誌 「 寸鐵 」 紙上に 「 猶存社の解剖 」 なる
望月茂氏の筆になれるものを讀み、概要を知つて居た。
そして、そが鹿子木氏 満川氏 等の本塁なることに深甚の望みを寄せて居た。
曾つて川島浪速氏から寄贈されし 「 告日本國 」 の譯者にして
日印協會脱退の悲壯なる宣言の筆者なる大川周明氏の名も見た。
北一輝氏の名は、これを聞くこと始めであつたが、單なる數頁の文章中に閃めく或ものを見た。
人知れず思ひを寄せて居た同社のことを、然もそれとの交渉を宮本に聞いたとき、
余は 「 何たる奇遇ぞ 」 と 思つた。
其日、余は宮本に告ぐるに此事を以てし、然して是く言つた。
---「 余不幸にして病床に在り。君等労を厭えんふ所なくんば、願ふ。」
かくして其日は別れた。
余は直ちに病床に筆を把つて満川氏に宛て一書を認め、
先日寄せられし見舞状の礼と併びに宮本より委細承りしことを告げ、
宣敷依頼する旨を附加して郵送した。
爾來一週目、余は魅入らるる如く北氏の書を讀んだ。
眼界が殊に明るくなる如く覺えた。
然して是れこそげに天下第一の書なりと思つた。
・・・
戦雲を麾く 6 「 是れこそげに天下第一の書なり 」 

幾年の心願---そは秩父宮殿下に接近の大業である。
然も至嚴なる側近侍臣の警戒を突破して、革命日本建設を論諍し奉る決死的壯擧である。
さり乍ら、何故に此壯擧を企圖するのか。
---これ實に世の社會運動者と道を異にする所以である。
余が多年思索の結果なる哲學的信仰は、その具現を天皇に見得た。
二十四年の歩める道を顧るとき、
天皇の國---大日本國の一人として出世の本道を眞直ぐに
( 些いささかも横に歩むことなく ) 歩み來りし至幸を、降天籠の恩遇と萬謝せざるを得ぬのである。
余は余の戰闘的精神---最高我を、日本國に於て 天皇に求め得た。
然もそは日本の外なる一切の人類が通ずべくある。
日本の躍進によりて初めて個々の躍進が完全である。
然も今之れを見るに、日本は條理を逸せる混亂の有様である。
今こそ日本の衷なる最高我の發動して日本が生の飛躍をなすべき秋である。

余はこの故に 世の衷なる最高我を以て、
日本の衷なる最高我の合一の道を選んだのだ。
秩父宮に接近とは單なる宮への接近ではない。
實に宮を透して---宮の最高我を透して、
日本の最高我、---天皇への接近である。

げに、革命といひ改造といふも、そは決して最高我の變更でない。
そは良心の變更とも言ふべき妄想なるが故だ。
又國家を否む者等は人生に戰闘的精神を見出し得ず、
理想を設定することに余りに無帽低劣なる浅薄者共だ。
げに國家とは戰闘的精神に生くる人類の最上なる力である。
然して日本に於けるそが主宰は天皇である。 至極の大願を遂げる日は來た。
そが最初なる日は來た。
大正十一年七月二十一日の夕べ、
夕陽已に武蔵野の西に沈んで
ほの暗い老樟くすのきの葉陰に 蜩ひぐらしが泣く市ヶ谷臺上に始まったのである。
實に其日、余は補欠現地戰術のため早朝八王子附近に向け出發した。
炎暑の中に病後の蠃軀らたいをあへぎあへぎ、日野臺を東西南北して、
午後四時前再び列車の人となつた。
校門を入りしとき已に午後六時をすぐる 正に五分。
夕食早くも終りて校庭に三々五々逍遙しょうようして居る。
ト、宮本が疾駆して來た。
「 時期が來たぞ。今から殿下が秘密にお会ひになるそうだから、早く來て呉れ。兜松の附近だ。」
斯う言つた彼に、秘献すべき書の携行を依頼して余は食堂に急いだ。
さまざまに思ひ巡らしつゝ食事もそこそこに、
余は腰ななる軍力と圖囊とを自習室の机に投げ出して長靴のまゝ去つた。
薄暗き老樟の下陰、兜松の踞うずもれる傍らに四五名の人影が見ゆる。
宮本 福永 平野 潮の諸友が宮を中央にし、宮本が何事か申上げて居た。
あたりに人影はない。
余は其処に行つた。
「 西田、代わつて申上げて呉れ 」
こう言つて宮本は話を斷つた。
余は玆に於て、 同志團結の經過、 猶存社との提携、
日本國内外の形勢、 亜細亜の現狀 等を論述し、
特に國内の思想、運動等を一々立證進言した。
そして 日本は速やかに改造を斷行せずんば 遠からず内崩すべきこと、
日本は單に自己の安全の爲めのみならず 實に全世界の奴隷民族のために
---亜細亜復興のために選ばれたる戰士なることを力説した。

日はくれた。 此日は福永の淨冩せる 改造法案 竝 支那革命外史
第十一時 日本文明史 奪はれたる亜細亜 等數篇を捧呈して別れた。

二十二日も宮を擁して論諍を敢てした。
此日は午後六時半から大食堂で自然色活動冩眞が催さるゝ筈だつた。
殿下の御來場がなければ始められないので、開始時刻が近づくに宮の御姿が見えず、
御付武官や四五の御學友は血眼になつて校内を尋ね歩いたといふ。
げに一分後るれば、 非常の事を惹き起すべき形勢にあつた。
余等は心ならずも五分前に話を中止してわかれわかれに大食堂に向つて歩を移した。

「 日本の無産階級は果して如何なる思想狀態にあるか 」
とは 宮が余に質ねられし一句である。
余は奉答した。
「 我國の所謂 無産労働階級は、
極度に虐げられて其生活已に死線を越ゆる奴隷の位置にあり。
そは国民の大多數なると共に、彼等は一部少數の特權階級資本家等のために
天皇の御恩澤に浴し得ざる窮狀に沈淪せり。
彼等正に恐るべき者とは佐倉宗吾を解せざるも甚しき者。
明かに見る、同盟罷業ひぎょうや普選運動が常に失敗に歸する如き。
然もそれ等は皆な、一部の主義者策士共の利の爲めにする煽動によりて
妄言濫動らんどうを敢てすることに原因せり。
・・・・げに、日本改造すべくんば天皇の一令によらざるべからず。
・・・・更に是の明白なるを見る、天皇は國際的無産勞働階級たる日本の首領にあらずや。
國民の大多數を占むる無産勞働階級と天皇とは離るべからざる霊肉の關係にあるもの。
そが敵は日本を毒する外國と國内に巣くへる特權階級資本家等どもなり。・・・・」
「 余は境遇止むを得ず、漸次下層階級の事情に疎遠を來すに至る。
必ず卿等きみらは屡々報ぜよ。」
宮は斯く宣うた。 余は捧呈文を必要なしと認めて、其夜寸斷した。

ちりぢりに散りゆく運命の日が明日に迫れる二十七日、
数年或は数月相伴はれて一つの道を歩み來れる余等一團の者は、
又なく寂寞じゃくばくに襲はれて居た。
卒業---來るべき任官、恐らく人々の心は希望に燃へ、愉快に充ちて居るであらう。
さり乍ら、余等の魂を焦がすものは、任官や卒業のそれでない。
純正日本建設の日の國民の喜びである。 然も同志ちりぢりの別れは寂しい。
二十七日の夜、
明日は卒業歸隊と多くの者等が東奔西走の騒々しさを他所にして、
余等は月暗き寂寞じゃくばくの雄健祠前の森蔭に集つた。 宮本の居ぬのに誰も気付かなかつた。
余は今迄共に歩み來りし因縁を謝し、
永遠に斯道を精進して理想の光明を見ねばならぬと告げ、
分散後は特に聯絡を希望すると附言した。
一堂は此処に種々なる思ひを交はして居た。
此時、宮本が息せき切って來た。 彼は余に宮の御言づけを語つて、斯く言つた。
此日の夕食後、突然宮が自習室にお越しになり、宮本を招いて校庭人なき処に伴はれ
「 同志諸君と今一度泌々話したいが多忙なるが故か見へぬから、
黄みり宜しく伝へて呉れ給へ 」
と 宣うて、 自ら皇族たる位置に於て體験せらるゝ不義潜上なる臣僚のこと、
皇族の間に渦巻く非常の痛心事等を一々指示遊ばされ、
日本國の前途に至心の憂悶を明かし給ふた。
そして同志諸君の鐵心石腸に恃たのむ所 深甚なるものがあると告げ給ひ、
「 君等への消息は斯人宛に郵送せよ 」 とて 一葉の紙片を賜つたのである。

拭ひ難き憂心と悲痛とに、宮の御双眼は暗にも光る露の御涙を拝して、
腸寸斷の思ひに泣いたと彼は語つて、彼の紙片を示した。
此御紹介の忠士こそ、實に今は余と刎頸ふんけいの契りある宮附の曾根田泰治其人であつた。
然も彼は近侍中最も下級なる半任文官であつた。
余は、宮の御心事を察し奉りて限りなき感慨に捉とらはるると共に、
粛然襟を正さざるを得ぬ精神の緊張を覺えた。
眞に一切を決すべき思ひがした。
そして、何知らず眼先が曇つて、瞼の熱くなるのを感じた。
一同に向ひ 余は此の顚末を語り、更に余が知れる限り宮中の弊事を指摘した。
「 必ず---日本國を救ふのだ 」 一同は互ひに手を握り合うた。
雄健祠前に打揃ふて額いた後、余等は分れた。
其後、遂にまんじりともせず臺上最後の夜を明してしまつた。

二十八日正午稍ようやく過ぎ---
「 永らく御厄介になりました。どうぞ一しょに國家の爲め盡しませう。」
との 宮の御告別を、さまざまに胸に画きつゝ 宮を校門に御送りした。
もう終生あのお姿を拝し得ぬかも・・・・余は師友に別れを告げ、
午後一時半 一枚の卒業證書を手にして學校のダラダラ坂を下りた。
かくして前後七年の戰ひの一幕を終へて、余は遂に次なる大戰の巷に出たのである。
あゝ、市ヶ谷臺上の甍の色よ。 翠みどりの松よ。
四ツ谷の坂に立停つて振り顧つたとき、
台上の武學舎は無言のままに眞夏の青い空に聳そびへ立つて居た。
---一切を秘めて、さながら巨人の如くに。
・・・
戦雲を麾く 7  「 必ず卿等は屡々報ぜよ」 

無眼私論 
眞日本を再建すべき時節はまさに到來せんとす。
友よ、哲理を表現すべき眞日本を建設せよ。
國家を清新して眞正の哲理に則るにはいかにせば可なるか。
われわれは不法にして背理の施設はこれをことごとく破壊せねばならぬ
 ----そしてその上に新しい理想の國家を建てねばならぬ。
「五十年」、この間におけるわが不合理的國家社會の改革
----しかもそれがすこぶる根強く深く食込んでいるこの弊害----は、
 尋常一様な温和な方法では到底不可能である。
でき得ない。
いわんやその全般を棄てゝ一部玓改造のごときはそれこそけだしいけない。
成就はするかもしれない、しかも決して眞理を見出すことはできないのである。
今においてはも早直接破壊のために劍でなければならぬ。
劍である、そして血でなければならぬ。
われらは劍をとって起ち血をもって濺がねばこの破壊はできない、建設はでき得ない。
神聖なる血をもってこの汚れたる國家を洗い、
しかしてその上に新に眞日本を建設しなければならぬ。
しかして 「天皇の民族である、國民の天皇である」 
この理想を實現しなければならぬ。
われらはこの革命の神聖なる初めの犠牲者をもって任ずるものである。
時代は移った。
明治維新の理想は再びこれをさらに大にし新たにして、
今日大正維新に渇仰せねばならなくなったのだ。
「天皇は國民の天皇であり民族は天皇の民族である」
正義を四海に宣布する以前にわれらはまずみずからを清めねばならぬ。
眞理の道程を進まねばならぬ。
そして天皇が享有せらるる霊光を一様に國民に欲せしめねばならぬ。
國家改革 ! ! 革命の大旆を押立てて進め ! !
大權の發動による憲法の停止 ! !
「 クーデッタ 」 ! ! 
不淨を清めよ ! !
青年日本の建設 ! ! 
大日本主義の確立 ! !
しかしてさらにこれを宇内人類に宣布して彼らを匡救せよ。
ああ、時は來れり、時は來れり。
君見ずや、革命第一彈はすでに投ぜられたり。
大正維新である。
余はこの不淨を清めんがためにまずみずからこの血をこれに濺ぎかけんと希うものである。
・・・
無眼私論 2 「クーデッタ、不浄を清めよ 」 

われらはここにおいて決然として叫ばんとす、
「 日本は亡國たらんとす、今日にして覺醒せずんばついに永久に滅亡のみ 」 と。
そしてわれらはこの醜陋なる現實より日本を匡救して眞日本を建設せんがために
「 メス 」 を把って起つものである。
「 メス 」 である。
すべての腐敗せる汚物を掃除するために手術を決行しなければならない。
身體を清淨にせねばならない。
ああ ! ! 今や 「 メス 」 あるのみ。
「 メス 」 とは何ぞや ?
爆彈と劍と、この清淨神聖な血とである。
やがて曇りは晴れて清天に円滋な哲理を含んだ、
そして一様にわれらを照らす天朝の誠光を拝むことができるのだ。
亡滅に瀕する祖國を直視しつつ無韻の心弦に熱涙を濺ぎかけつつ、
ひとり悲壮慷慨の曲を奏でるのである。
非調にわれ知らず眉をも黒髪をも濡らしつつ。
ああ ! ! ・・・・・
・・・
無眼私論 3 「 日本は亡国たらんとす 」 

 西田税
天劔党規約

天劔党中央本部
目次
一、諸友同志ニ告グ
   ――附 消息誌「天劔」發刊
一、天劔党大綱
一、天劔党戰闘指導綱領
第一章 総則
第二章 統制、連絡
第三章 戰闘
第一節 要則
第二節 戰闘指導細則

諸友同志ニ告グ
満天ノ暗雲、満地ノ醜怪―滔々タル時運ノ大濤ハ日本ヲ亡國ノ斷崖ニ奔瀑ノ勢ヲ以テ流落シ去ラントス、
嗚呼 誰カ此ノ危胎ヲ更生的飛躍――革命ニ導カントスル者ゾ 吾等ハ 幾年泣血悲憤ノ中ニ
義相協フガ故ノ一事ヲ以テ暗ニ聚合シテ亡滅ヲ悲運ニ轉回センコトヲ熱禱シ來レリ、
然モ此ノ眼前幾尺ニ迫レル斷崖ノ危機ニ對シテ猶ホ 從前ノ暗聚ヲ以テ不可ナシトスルハ己ニ迂愚ノ沙汰ナリトスベシ、
單ナル魂と魂トノ結合ハ疇昔ノコト、今ニ至ツテハ眞個手ト手トノ結合ヲ要ス、
是レ即チ不肖ガ僭越ヲ顧ミズ玆ニ満腹ノ決意ヲ以テ同志ノ鞏固ナル團結ヲ發議シ、
企畫シ、實現シテ所信ノ遂行貫徹ニ努力センコトヲ期スル所以ナリ。
冥合暗聚ノ諸友同志ニ告グ――此ノ暗雲醜怪ヲ直視正察シテ直チニ決意戰線ニ起ツベシ、
國歩艱難ヲ悲憤シ亡運ヲ痛哭スルモノガ當爲ノ責務、固ヨリ諸友ニ於テ異論アルベキニ非ザルヲ確信ス、
不肖ハ自ラ撥ラズ先駆シテ白道ヲ行カンノミ

天劔党ハ不肖ガ曾テ一部ノ軍隊有志ト共ニ盟約セシ結社ナリ、
存スルガ如ク滅セルガ如キ儘ニ匇々四年ヲ經過シタリ、
孤塁ニ拠リテノ當年 吾等ガ天劔ハ時運ノ奔流ト共ニ今ヤ尤モ近ク鮮血ノ決戰場ヲ望ンデ鏘々掌中ニ鳴ル
――降天ノ神劔カ鳴躍スル果シテ何ノ啓示ゾ、
蹶起シテ鐘楼ニ警急ヲ激打シ、散在セル鐵血同志ノ雲聚前進ヲナスヘシト
戰線ヘ! 戰線ヘ!
嗚呼全國ノ同志、要ムル所ハ吾等ガ劔光ヲ流ルル鮮血ヲ以テ浄メ吾等ガ骨ヲ以テ礎石トセル革命的大帝國、
佛神ノ照覧加護ハ吾等ガ上ニアリ、庶幾ハ諸友同志直チニ吾等ト契盟蹶起シ前進健闘セムコトヲ
――天劔党大綱ハ吾等ガ旗幟ナルト共ニ軍律ナリ
戰闘指導綱領ハ前進戰闘ノタメノ訓令ナリ
之ヲ明示シ得ルノ時期到來シタルコトヲ衷心ノ歓喜トス
昭和二年七月  於天劔党中央本部
西田税

天劔党大綱
一、天劔党ハ日本ノ對世界的使命ヲ全國ニ理解セシメ 以テ日本ノ合理的改造ヲ斷行スル根源的勢力タルヲ目的トス、
 各員言動ノ目的ハ常ニ大日本國ト七千萬同胞ノ広義正道ニ在ルヘシ
一、天劔党ハ奴隷的日本ノ旧思想ヲ排斥ス 同時ニ模倣反響ヲ事トスル欧米ノ旧思想的革命を排斥ス
一、天劔党ハ軍人ヲ根基トシテ普ク指導的戰士ノ結合ヲ計リ 以テ全國ニ號令スルノ日ヲ努力ス
一、天劔党ハ日常ノ小事非常ノ大事ニ際シテ原始的武人ノ典型タルヘシ、剛健素朴簡易雄大正義ヲ全生活ニ體現スヘシ
一、天劔党ハ天下何物モ怖レス、只正義ノ審判最モ峻厳ナルコトヲ誓盟ス

天劔党戰闘指導綱領
第一章 総則
一、天劔党ハ軍人ヲ根基トシテ普ク全國ノ戰闘的同志ヲ連絡結盟スル國家改造ノ秘密結社ニシテ
 『日本改造法案大綱 』 ヲ經典トセル實行ノ劔ナリトス
古今東西凡テノ革命ノ成否カ其國軍人軍隊ノ向背ニ存スルコトヲ知ラハ、
眞ニ近ク到來スベキ日本ノ革命 ( 改造トハ國家組織ニツキテ之ヲ使用シ、革命トハ組織上ノ精神的根本的ノモノニツキテ使用ス )
ニ於ケル帝國軍隊ノ使命が如何ニ重大ナルカハ考察ニ余リアリト云フヘシ、
然シテ 革命指導者ノ中堅的戰士ガ其ノ大部ヲ擧ゲテ軍隊ノ中ニ潜在協力シ
軍隊外ノ同志ト秘盟聯絡シテ革命ノ根源的勢力、軍人部隊――劔ヲ國家其者ヨリ奪取スルコト
( 云ヒ得ベクバ國家權力ノ實體トモ云フベキ軍隊ヲ破壊シ革命スルコト )
カ不可欠ノ条件タルコトヲ悟得セサルヘカラス、國家ノ革命ニ軍隊ノ革命ヲ以テ最大トシ最終トス。
二、革命トハ各種ノ原因ヨリ亡滅ノ悲運ニ直面セル國家ノ更生的飛躍ナリ、
 現下ノ日本ガ存亡ノ危機ニ臨メルコトハ今更云フノ要ナシ
國家ハ一、二私人ノ私有ニ非ス、一部階級者ノ支配スヘキモノニ非ス、實ニ全國民ノ國家ナリ
―-現在及將來永遠ニ亙リテ徴兵制度ニ拠ル所ノ日本軍隊カ國家國民ノ軍隊ニシテ
眞個國家及全國民ノ安榮幸福ノ擁護増進ノタメノ擧國的存在ナル時、
日本國七千萬國民ト其榮辱ヲ一ニスヘキ此軍隊カ亡國ヲ導キ賊民ヲ犯サントスル者等ノ
支配下ニ行動シテ其ノ臣從的位置ニ在ル能ハサルハ論ナシ
軍隊ハ國家權力ノ實體ナリ、
故ニ一面之ヲ論スルハ國家ヲ分裂セシメント欲セハ軍隊ヲ分裂セシムヘク國家ヲ奪ハント欲セハ
軍隊ヲ奪ふへき理、軍隊ノ革命カ國家其ノ者ノ革命ナリトカ此ノ謂ナリ、
我軍隊ガ將ニ亡國ヲ導カントスル支配階級ノ權力下ニ動クナラハ日本ハ滅亡ナリ
――共産主義、無政府主義ニヨルトキ亦然リ、
實ニ吾党正義ノ指導ニ動ク時日本始メテ更生的飛躍ノ運命ヲ見ン吾党同志ハ
其ノ軍隊ニ在ルト否トヲ問ハス軍隊ノ吾党化ニ死力ヲ竭クスヘク又同時に
軍隊外ニ於ケル十全ノ努力ヲ以テ國民ノ吾党化ヲ期スヘシ、
是ノ如クニシテ天劔党ハ
一般国民及軍隊ノ吾党化共同團結を以テ日本國ノ更生飛躍ヲ指揮シ全國ニ號令セムコトヲ期ス
三、天劔党ハ降天ノ神劔ナリ、吾等存スルカ故ニ日本國永遠ニ滅ヒスト云フ
 ――日本國民ノ更生ハ吾等ノ天劔ニヨリテ指揮セラレ破壊セラレ建設セラルヘシ。
「 シカシテ吾党究竟ノ目的ハ日本國ノ合理的改革ナルト共ニ此ノ革命日本を以テ
不議非道ニ蔽ハレタル世界全人類ノ革命的旋風ノ渦心トナスニアリ 」
人類ノ徹底セル眞個ノ要望ハ其神性的飛躍ニヨル天國其者ナリ、
人類ノ神性人的躍進ハ世界革命ニアリ、世界革命ハ日本ノ革命ニアリ、
此ノ三位一體的天業ノ指導者タルヘキ吾党不朽ノ光榮ヲ悟得スヘシ人生五十夢幻ノ如シ、
敬天愛人ノ道念ニ灼熱シ公義正義ニ殉スルノ聖戰ヲ戰ハントスルモノハ
夢幻五十年ノ生命ヲ二十年三十年ニ代ヘテ不朽的生命把握ノ聖願ニ參セヨ、
玆ニ於テ死生復タ何ソ論スルニ足ルアランヤ
四、革命トハ亡中興ノ險道ナリ、
 即チ瀬亡ノ國家ニ於テ亡國ノ悲運ヲ痛哭悲憤セル俠魂義魂ノ炎々天ニ沖スル熱血ヲ以テ
纔カニ希求シ得ヘキ國家再建ノ唯一方便ナリ、
國家を擧ケテ道ニ殉スルノ決意ヲ以テ國民大衆ノ先頭ニ立チテ指導シ先駆シ支戰すへし
『日本改造法案大綱 』 巻頭 ( 削除セラレタル〇〇部分 ) ニアル
「 天皇ハ國家改造ノ根基ヲ定メンガ爲ニ天皇大權ノ發動ニヨリテ三年間憲法ヲ停止シ
 兩院ヲ解散シ全國ニ戒厳令ヲ布ク 」
云々ノ文字其儘を以テ皮相ニ解釋シ
――及ヒ同志ノ中心的一部カ天子近親ノ某殿下ト秘約アリト云フカ如キヲ根拠トシテ
天皇ノ自發的大權發動 大命降下等ヲ夢想スルハ昏迷甚シキ沙汰ナリトス、
現代日本ノ實情ハ
天子ガ全國民ト共ニ確保行使スヘキ國家權力ガ一部ノ特權階級閥族共ニヨリテ壟斷セラレ
檀使セレルルカ故ノ亡國的狀態ナリ
吾党ノ目的ハ
上 天子ヨリ統治ノ大權ヲ盗奪シ
下 全國民ノ上ニ不義驕恣ヲ働ク此ノ亡國的一群ヨリ國家ヲ奪還スルコト、
敵中ニ因虜ノ屈辱ヲ受クル天子皇室ヨリ國家改革ノ錦旗節刀ヲ賜フト考フルカ如キハ妄想ナリ
要ハ吾党革命精神ヲ以テ國民ヲ誘導指揮シテ
実ニ超法規的運動ヲ以テ國家ト國民トヲ彼等ヨリ解放シ
――彼等ガ私用妄使スル憲法ヲ停止セシメ、
議会ヲ解散セシメ吾党化シタル軍隊ヲ以テ全國ヲ戒嚴シ、
何人ニモ寸毫ノ抵抗背反ヲ容ササル吾党ノ正義専制ノ下ニ新國家ヲ建設スルニアリ、
吾党同志ハ徒ニ坐シテ大命ノ降下ヲ待ツ如キ迷蒙ニ墜ツヘカラス
五、現代日本ニ於テ全國民ノ上ニ驕恣不義ヲ働ク亡國的特權階級閥族共ハ
 徳川將軍ヲ仆シタル維新革命ノ反動者ナリ
現代ノ將軍老中等カ政友會出身ナルト憲政會出身ナルト將又
所謂貴族ナルト長閥薩派乃至ハ軍閥財閥ナルトヲ問ハス要スルニ其ノ悉クヲアケテ
曾テノ御三家譜代旗本等ノ私和私爭ニ等シク國民ニ何等ノ關係ナク
大衆ハ専横ナル彼等ノ交互ナル惡治暴政下ニ於テ
一貫不變ナル劣弱者、被壓迫者、奴隷階級ナリ
――( 所謂欧米カブレノ社會主義者共カ常套熟語タル資本主義
・・・・搾取等ノ難解不適ナルモノヲ擧クルノ要ナク
何人ト雖モ直チニ明白ニ此ノ不義非道ヲ理解シ得ヘシ) 
國民塗炭ノ惨害ノ上ニ和爭亂舞セル政閥、財閥、軍閥、學閥ノ他ノ現狀ヲ正規理解スヘシ、
亡國ノ禍根實ニ此処ニアリ
國家ノ滅亡崩壊ヲ直接ニ原因スルモノハ其經濟的破綻ナリ、
經濟的破綻ハ各種ノ積弊推惡ノ結果ニシテ日本ハ己ニ之ヲ暴露シタリ、
狼狽セル支配階級ノ救濟ナルモノハ表面一時的ノ弥縫ニ過キス
亡國を救フモノカ革命ナル意味ニ於テ眞個之カ救濟者ハ革命ナリ
六、吾党同志ハ己ニ其ノ正體ヲ現ハシタル亡國ノ悪魔ト其ノ所業トヲ諦視スルト共ニ
 革命ノ必要ト夫カ實行ノ秋ノ切迫セルトヲ悟得シ汲々乎トシテ其ノ準備ニ怠ル所ナナルヘシ、
然シテ 非常ノ大決意ヲトルノ時ハ今日遂ニ到來シタリ
革命ハ古來青年ノ業、然モ正ヲ踏ミ義ニ死スルノ年少志士ガ纔カニ其ノ頸血ヲ渺キ、
生命ヲ賭シテノミ贖ヒ得ヘシ、吾党同志ハ死シテ悔イサル鐵心石腹ナルヘシ
七、亡滅ノ悲運ニ沈淪セル國家ニ充ツルモノハ國家ノ精神的興廢ナリ、
 此ノ道義的焦土ニ立ツテ新國家ノ建設ニ從ハントスルモノハ一擧一投足ニモ細心ノ注意ヲ以テスヘク、
人ヲ観人ヲ導キ人ヲ用フルニ周到ノ用意ヲ必要トス
吾党同志ハ各々其ノ言動ニ關シ外部ニ対スル一切ノ責任ハ自ラ之ヲ負フト共ニ妄リニ他ノ同志ヲ犠牲ニ供シ
不利ナル影響ヲ他ノ一部若クハ全党ニ及ホス等ノ不慮過失ヲ深ク戒メサルヘカラス
八、「 革命ノ機運動キ風雲起ラハ奮躍蹶起セン 」 ト云フカ如キ待機的氣分ヲ根本的ニ掃蕩スヘシ、
 要ハ此ノ機運ヲ促進進展シ風雲ヲ捲クタメニアラユル方法ヲ以テ戰闘ヲ敢行スルニアリ、
然リ、吾党信條ノ實現ヲ妨クル何者モ之ヲ破墔撃壌シ一切ノ方策、
全身全霊ヲ竭シテ戰線ヲ有利ニ拡大展開スルト共ニ
常ニ實力ノ補充増大ニ努力シ亡國階級ノ本拠ニ肉薄シテ之ヲ掩撃殲滅スルニアリ、
拱手晏坐シテ革命ヲ希待スルハ百年ノ河淸待望、
木ニ緑リテ魚ヲ求ムルノ昏愚痴蒙ナリト知ルヘシ、
此ノ故ニ啓蒙指導契盟聯絡統一ハ吾党戰線ノ内部ニ於テナサルヘク、
敵ニ對シテハ随時随所ニ暴動擾亂暗殺罷業破壊占領糾彈宣傳等ノ戰闘、
不斷ニ繼續セラルヘシ、
革命トハ斯ノ如キ戰闘時代ヲ主體トセルモノ
――斯クシテ 始メテ克ク一世ヲシテ革命的旋風ノ中ニ投セシメ、
風雲ヲ煽リ、機運ノ促進、
熟成セシムルヲ得ヘク、目的ノ貫徹遂行ノ時ヲ招來スルヲ得ベシ、
然シテ 此ノ指導中心カ信條ニ於テ、努力ニ於テ、
人ニ於テ尤モ正当優越強力ナルモノカ新國家ノ建設者タリ得ヘシ、
吾党同志ハ克ク計リ、克ク働キ、克ク戰ヒ名實背クコトナキ革命日本ヘノ破壊者タリ建設者タルヲ期セサルヘカラス
吾党同志ハ一般ニ熱心慧敏沈着勇敢豪胆ナルヘク、細心ナルヘシ、
自尊自任スルモ増上慢ヲ徹底シテ排斥自警スヘシ
九、吾等同志ノ言動ヲ一貫スルモノハ透徹セル理解ト無限ナル義憤ナルヘシ、
 鮮血ノ聖戰玆ニ生命ト歓喜ト光榮トアリ皇天ノ加護、佛神ノ照覧、冥々ノ梩ニ吾党同志ノ上ニ在ルヘシ
・・・ 天劔党事件 (2) 天劔党規約


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