あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

獄中手記 (三) の三 ・ 北、西田両氏と青年将校との関係

2017年07月13日 11時26分32秒 | 磯部淺一 ・ 獄中手記


磯部浅一 
三、北、西田氏と青年将校トノ関係

軍部の幕僚が
「 北、西田が青年将校を煽動する 」
と 云ふことを、云ひふらしてゐます
。 以つての外の雑言です。
青年将校は煽動される程、馬鹿でも子供でもありません。
青年将校の行動を煽動された結果だとすることは、
其の殉國的行動を気狂ひ沙汰にし、馬鹿扱ひにすることで、
それは純忠な青年将校に甚だしい侮辱を加へるものです。
又 「 青年将校は純真だから煽動される 」 等 申しますが、そんな馬鹿気た理窟はありません。
青年将校は純眞ですから、
幕僚の煽動にも敢然として抗し、
遂に十月事件のインチキを見破りもし、
煽動にも乗らなかったのです。

眞に純眞な者のみは、如何なる煽動にも、如何なる威武にも富貴にも屈しないのです。
どうか此の心理を理解して下さい。
此の心理を理解せずに、煽動の二字で簡単に片付けられてしまふことは、
青年将校と北、西田氏の為に、余りに残酷ではありませんか。

法務官は
「 五 ・一五の海軍被告が、西田は慢性の煽動家だ、西田なんかに煽動されるものか、
と 云ってゐるから、西田は煽動家だ、陸軍の青年将校は煽動されたのだ 」
と 云って、
私共が西田氏の爲めに如何に弁護しても、テンデ受けつけて呉れませんでした。
五 ・一五の海軍被告の云った事は間違っています。
海軍の連中は牧野と密約せる大川氏と関係が深かったので、
陸軍の青年将校も、西田氏も、海軍の諸君にそれとなく注意してゐたのです。
こんな関係でありましたから、
五 ・一五の時には、海軍諸君を引止め様としたのですが、両君の誤解からあんな結果になつてしまつたのです。
その爲めに西田氏は、如何にも煽動家の如く見られてしまひました。
私は海軍被告の云った、西田は慢性の煽動家だと云ふ言葉は、
海軍士官の強固な信念を表してゐると思って、海軍の同志に敬服してゐる点がある位ですのに、
世間では此の言葉を、西田氏の事にばかり取っております。
西田氏の爲に誠に気の毒です。
海軍士官の腹のどん底は、
「 吾々は煽動されて五 ・一五を決行したのではない、信念にもとづいてやったのだ 」
と 云ふことを云ひたかつたのです。
信念に基いてやつた事を煽動されたのだと云はれる時は、
信念の強い人程、怒るのです。
海軍の同志も怒りの余り、西田なんかに煽動されるものかと云ひ、西田は煽動家だと失言したのです。
此の心理を理解して下さい。
吉田松陰も此の心理に帰一することを、獄中記に云つてゐます。
海軍被告の言は決して、法務官の言の如く、西田氏が煽動家であると云ふ意味ではありません。
煽動では純真な人は動きません。
人を動かすのは至誠です。
北、西田両氏は愛國至誠の士です。
青年将校の改造思想は、改造法案によつて植ゑ付けられたと考へ、
官憲は徒らに北、西田氏をねらつて ゐます。
特に陸軍の中央部の連中は、両氏を目の仇にしてゐます。
けれども、青年将校の改造思想は、その本源は改造法案や北、西田氏ではありません。
大正の思想國難時代に、
これではいけない、日本の姿を失ってしまふと云ふ憂國の情が、
忠君愛國の思想をたたき込まれてゐる 士官学校、兵学校、幼年学校の生徒の間に勃然ぼつぜんとして起こったのです。
そして此の憂國の武学生が、任官して兵教育にあたつてみると、
兵の家庭の情況は全く目もあてられない惨憺
さんたんたるものがあつたのです。
何とかせねばならぬと眞面目に考へ出して、國家の状態を見ると、意外にひどい有様です。
政党、財閥、軍閥の限りなき狼藉の為めに、國家はひどく喰ひ荒されてゐる。
これは大変だ、國家を根本的に立て直ほさねば駄目だと気が付いて、
一心に求めている時、日本改造法案 と北、西田氏が在つたのです。
両氏の思想が、我が國体顯現を本義とする高い改造思想であって、
当時流行の左翼思想に対抗して毅然きぜんとしてゐる所が、
愛國青年の求めるものとピッタリと一致したのであります。
左様な次第でありまして、
要するに、青年将校の改造思想は、
時世の刺激をうけて日本人本然の愛國魂が目をさました所から出て来ておるのであります。
ですのに、官憲は改造法案を彈圧禁止することにヤツキになつています。
これは大きな的はずれです。
爲政者が反省せず、時勢を立てかへずに 北、西田を死刑にした所で、どうして日本がおさまりますか。
北、西田を殺したら 将来、青年将校は再び尊皇討奸の剣を振ふことはないだらうと考へることは、ヒドイ 錯誤です。
青年将校と北、西田両氏との関係は、思想的には相通ずるものがありますけれども、
命令、指揮の関係など断じてありません。
ですから、青年将校の言動は悉く愛國青年としての独自のものです。
此の関係を眞に理解してもらひたいものです。
北、西田が青年将校を手なづけて軍を攪乱すると云ふ事を、陸軍では大きな声をして云ひます。
此んなベラ棒な話はありません。
軍を攪乱したのは軍閥ではありませんか。
田中、山梨、宇垣の時代に、陸軍はズタズタにされたのです。
此の状態に憤激して、之を立て直さんとしたのが、青年将校と西田氏等とです。
永田鉄山が林と共に、財閥に軍を売らんとし、重臣に軍を乱されんとしたから、
粛軍の意見 を発表したのです。
眞崎更迭時の統帥権干犯問題は林、永田によつてなされたのです。
三月事件、十月事件等は皆、
軍の中央部幕僚が時の軍首脳者と約束済みで計畫したのではありませんか。
何を以て 北、西田が軍を攪乱すると云ひ、青年将校が軍の統制を乱すと云ふのですか。
北、西田氏と青年将校は、
皇軍をして建軍の本義にかへらしめることに身命を賭してゐる忠良ではありませんか。

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