磯部淺一
第二十四
大廈の倒るるや、
一木のよく支ふる能はず。
誠に然り、
既に大勢如何ともすべからざるに至り、
一二の鞏硬意見は何等の作用もなさない。
山王ホテルに集合し、
今後の方針につき意見を求めたるも、何等良好なる具體策を見出し得ない。
安藤のみ最期迄ヤルと云ひて頑張ったが、
ヤッてみた所が兵士を殺傷し、國賊の名を冠るのみである事が明らかだ。
余は忠烈の兵士が壁により窓に掛け、
將に盡きなんとする命を革命の歌によって支へてゐる悲壯極まる情景を目撃した時、
何とかして安藤に戰を斷念させねばならぬと考へた。
「 オイ安藤、下士官兵を歸さう。
貴様はコレ程の立派な部下をもってゐるのだ。
騎虎の勢、一戰せずば止まる事が出來まいけれども、兵を歸してやらふ」
と あふり落ちる涙を払ひもせで傳へば、
彼はコウ然として、
「 諸君、僕は今回の蹶起には最後迄不サンセイだった。
然るに遂に蹶起したのは、どこま迄もやり通すと云ふ決心が出來たからだ。
僕は今、何人をも信ずる事が出來ぬ、僕は僕自身の決心を貫徹する 」
と 云ふ。
同志は公々意見を述べる。
安藤は 「 少し疲れてゐるから休ましてくれ 」 と云ひて休む。
安藤は再び起き上り、
「 戒嚴司令部に言って包囲をといてもらおお、包囲をといてくれねば兵は歸せぬ 」
と 云ふ。
そこで余等は、石原大佐に會見を求めようと考へ、柴大尉? に聯絡を依頼する。
間もなく戒嚴司令部の一參謀 (少佐) が來り、
石原大佐の言なりとして、
「 今となっては自決するか、ダッ出するか、二つに一つしかない 」
と 傳へる。
同志一同此の言を聞き、切歯憤激云ふところを知らず。
・
歩三大隊長、伊集院少佐來り
「 安藤、兵が可愛相だから、兵だけは歸してやれ 」
と 云へば
安藤は憤然として、
「 私は兵が可愛想だからヤッタのです。大隊長がそんな事を云ふとシャクにさわります 」
と、不明の上官に鋭い反撃を加へ、
突然怒號して
「 オーイ、俺は自決する、さして呉れ 」
と、ピストルをさぐる。
余はあわてて制止したが、彼の意はひるがえらない。
「 死なして呉れ、オイ磯部、俺は弱い男だ。
今でないと死ねなくなるから死なしてくれ、俺は負けることは大嫌ひだ、
裁かれることはいやだ、幕僚共に裁かれる前に、自ら裁くのだ、死なしてくれ 」
と 制止の余を振り放たんとする。
悲劇、大悲劇、兵も泣く、下士も泣く、同志も泣く、
涙の洪水の仲に身をもだえる群衆の波。
大隊長も亦
「 俺も自決する、安藤の様な立派な奴を死なせねばならんのが残念だ 」
と 云ひつつ號泣する。
「 中隊長殿が自決なされるなら、中隊全員御伴を致しませう 」
と、曹長が安藤に抱きついて泣く。
「 オイ前島上等兵 お前が、曾て中隊長を𠮟ってくれた事がある。
中隊長殿、いつ蹶起するのです、
このままおいたら農村はいつ迄たっても救へませんと云ってねえ。
農村は救へないなあ、
俺が死んだらお前達は堂込曹長と永田曹長をたすけて、どうしても維新をやりとげよ。
二人の曹長は立派な人間だ、イイカ、イイカ 」
「 曹長、君達は僕に最後迄ついて来てくれた、有難う、あとをたのむ 」
と 云へば、
群がる兵士等が
「 中隊長殿、死なないで下さい 」
と 泣き叫ぶ。
余はこの將兵一體、鐵石の如き團結を目のあたりにみて、同志將兵の偉大さに打たれる。
「 オイ安藤ッ、死ぬのはやめろ、
人間はなあ、自分が死にたいと思っても、神が許さぬ時には死ねないのだ、
自分では死にたくても時機が來たら死なねばならなくなる。
こんなにたくさんの人が皆して止めているのに死ねるものか。
又、これだけ尊び慕ふ部下の前で、貴様が死んだら、一體あとはどうなるんだ 」
と、余は羽ガヒジメにしてゐる兩腕を少しゆるめてさとす。
幾度も幾度も自決を思ひとどまらせようとしたら、
漸く自決しないと云ふので、余はヤクしてゐた兩腕をといてやる。
兵は一堂に集まって中隊長に殉じようと準備してゐるらしい様子、
死出の歌であらう、
中隊を称える 「 吾等の六中隊 」 の軍歌が起る。
・
註
拙文 安藤部隊の最後の場面を如實に記する事が出來ぬのを遺憾とする。
安藤は實にえらい奴だ。
あれだけに下士官兵からなつかれ慕はれると云ふ事は、術策や芝居では出來ない。
彼の偉大な人格が然らしめたのだ。
然るに此の安藤を、幕僚は何と云って辱しめたか。
「 安藤は死ぬ死ぬと云って、兵の前で芝居をやったのだ 」 と。
余はこの大侮辱に對して同志諸君に復讐してもらひたいことを願ふ。
維新だとか、皇國の爲だとか云ふ キレイらしいことは云はない。
唯、仇うちをして下さいとたのみたい。
人間の最も神聖嚴肅な最後の場合を侵したり、
けがしたりする幕僚の腐魂にメスを刺すことをせずに、
維新だとか、天皇の爲だとか、
キレイな事ばかり云っていたら、決して維新にならぬと信じます。
次頁 第二十五 「 二十九日の日はトップリと暮れてしまふ 」 に 続く
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