あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

昭和維新・山口一太郎大尉

2021年04月05日 15時06分16秒 | 昭和維新に殉じた人達

小畑敏四郎少将に御会いして見ると考えは全く同じであった。
「 陸軍が巻き込まれることは絶対におさえてもらいたい。西田君とも相談して宜しく頼む 」
ということだった。
これまた随分おかしな話だ。
小畑少将は知る人も知る荒木陸軍大臣のブレーンの第一人者なのだ。
決行時期が五月一五日ということは五月十日頃わかった。
私と西田とは日に二度位会った。
陸軍将校の参加は西田が完全に思いとどまらせた。
陸軍士官学校生徒の参加をも止めようとしたが、
その説得役の村中 [孝次](陸軍士官学校区隊長、中尉)が 生徒に接近することを
学校当事者が勘違い(煽動と)の結果 阻止したので、 ついに目的は達せられなかった。
私も西田も、日ごと夜ごと焦燥感を空しくなめるばかりであった。
このような東京をあとにして、 私は富士裾野、滝ケ原の演習場に行かなければならなかった。

五月十五日の演習が済むと、
私は転がるように自分の宿にかけ戻り、帳場のラジオにかじりついた。
ラジオは海軍将校と陸軍士官学校生徒によって決行された五・一五の大事件を報じ、
ひとびとは目を丸くして刻々の報道に聞き入っていた。
私にとってはすべてあるべき事が、スケジュール通り行われただけなので、一向驚くことはなかった。
しかし報道が進むにつれ、本当に驚かなくてはならなかった。
それは予定にも何もない 西田が狙撃され、順天堂病院に収容されたが、生命はおぼつかないということだ。
西田の呼吸、脈ハク、輸血の状況などは、要路の大官なみに刻々と報ぜられた。
私がラジオの前を去ったのは夜半すぎていた。
・・・五・一五事件と山口一太郎大尉 (1)

小畑少将に会った。
「若い連中(青年将校)がなにをやらかすかわからん。西田君はやられ、君は富士だろう?困っていた所だ。
事件がこれ以上拡大して、陸軍の連中が動くということになると大変だ。これは何としても食いとめたい。」
「私は取りあえず順天堂に西田君を見舞おうと思ってます。あそこへ行けば色々の事がわかるでしょうから・・・・・。
この事については難波さんにも同意を得てあります。」
「そうか、そうしてくれるか。じゃあ僕も一緒に行こう。」
「おやめください」
「いかんか」
「いけませんね。 [参謀本部第三部長]閣下が参謀肩章いかめしく、順天堂にいって御覧なさい。
いい新聞種になります。 さわぎが大きくなるだけです。」
「でもねー。西田は陸軍の連中が思い止るよう説得したために撃たれたのだ。
僕が間接の加害者みたいなもので、気がすまないんだが・・・・・」
と 面を伏せ、奥にはいってから、
「ではこれで、花でも買って慰めてくれ給え。その他の事もくれぐれも頼むよ」
と 花の代金百円と花につける名刺を渡された。
飯田橋の花屋で豪華な花を買って順天堂病院にはいった。
その他の事を処理するため・・・・・。

 
山口一太郎    北一輝 

西田の病室を出た私は北一輝に会った。
北は私の手を握って心から喜んだ。
「やあ、実にいい時に来てくれました。
幸い西田も名医(院長)の手当で、おかげで一命はとりとめたようです。
然し 当分は何の活動も出来ないし、
私やここに来ている民間人も、 いつ憲兵に連れて行かれるか判らない。
一歩もここから踏み出せず、外との連絡は全く断たれているのです。
山口さんは自由に市中を歩けますか?」
私は、現在のところ身柄は自由であり、
憲兵隊から自動車を提供されているので、 市中どこでも飛び廻れること、
小畑少将と会い、 事件の拡大防止をたのまれたこと、
西田の撃たれた事について同少将は心を痛めていること、
憲兵隊長は陸軍省の方針にもとづき、事件関係者に十分好意的態度をとっていること、
現在順天堂につめている憲兵は、皆さんの身柄を保護するように指示されていること ・・・などを告げた。
北は大変喜んで、
「実にいい手を打ってくれてありがたい。
何しろここに居ては外の事が丸でわからないので、困り抜いていたのです。
ついては少し立ち入って相談しておきたい事があるからこっちへ来て下さい。」
と云って、 私を西田の病室のとなりの部屋の隅に導き声をひそめて、
「順天堂は憲兵の手にはいり、しかも憲兵がわれわれに好意的なことがわかり、
おかげで一安心なのだが安心できないことがある。」
「何です?」
「あの向こう側の室にいる連中(菅波、香田、安藤輝三、栗原)が弔合戦をやるんだと、 さわいでいるんですよ。」
「そんなこと今やられては、丸でぶちこわしです。小畑さんの心配しいてるのはそこなんです。」
「僕も全く同感です。
きのう事件が起こり、一時放心状態にあった当局者が、
急速に態勢を立て直し、 警戒を厳重にしている時、事を起こしても何も出来るものではない。
これはどうしても食い止めなければなりません。
何とかうまい手はありませんか。
僕等は山口さんと違い、自由に市中を歩けないのだから手も足も出んのでね----」
「ぢゃ、この順天堂につめている将校は、憲兵を敵視しない。
また憲兵も青年将校を敵視しない。 これでいいんだが、西田君が動けないんだから困りましたね。」
北は言葉をついで、
「僕には全く策がないんだ。あのとおり、西田は出血多量で真っ青になっている。
青年将校諸君は、いつ仇討に飛び出すかも知れない。
さっきから時間も大分たっているので、
山口さんもう一度大手町(憲兵隊のこと)へ連絡に行って来てくれませんか。」

時すでに五月十六日の夜十一時である。
新聞は検閲され、ラジオは、デリケートなことは何も言わぬ。
だから、北をはじめ順天堂組は、全くのつんぼ桟敷に置かれた形なのだ。
これ以上騒ぎを大きくしてはいけない。
これが北と私との合言葉であった。
私は云った。
「夜どんなにおそくなっても、ここにかえってくるから、
北さんは若い者(将校)たちの立ちあがるのだけはとめておいてください。頼みます。」
北が 「たしかに御引き受けましょう。
ただ一般情勢について僕の口から説明するより、山口さんから直接話してくれ」
と いうので、 私は北につづいて若い将校の部屋に入った。
こうして私は、直接陸軍の急進青年将校達に会うことになり、
そうして以後彼等と特別な関係に立つことになるのである。
誰かが云った 「ア、山口さんだ」 一同は丁寧に名刺を出し、あいさつをした。
私は、 「今まで北さんと根本的な打合せをした。
結論は陸軍の若い者が今立つべきではないと云うにあるのだが、 情勢は時々刻々変わって行く。
権威ある結論を出すため、僕は今から憲兵隊や軍首脳に会ってくるから、
それまで何の動きもしないように、してくれ」 と 言う。
と 「ぢゃ我々だけで相談させてくれ」 と 部屋のすみで、こそこそ相談している。
(今の全学連とすることは似ている)
そして菅波三郎が代表して私に
「北さん、山口さんが、云うのだから」 と 私が戻るまで何もしないことを約束した。
私は乗ってきた車に再び憲兵軍曹を同乗させて、憲兵隊に行き難波隊長に会った。
私は隊長に云った。
「たった今まで、順天堂に居ました。
若い連中はなかなかいきり立っているので、北さんと二人でなだめています。
何しろ情勢が全くわからないので、一応連絡に来ました。」
隊長は云う。
「困っているのは君だけじゃないんだ。われわれも全く手も足も出ないで弱っているのだ。
君みたいに自由の立場にないんでね。」
私は直ちに、 その場で小畑少将に電話した。
陸軍で一大尉が、少将に、しかも憲兵隊長の目の前で、直接電話をするということ、
これは当時は、大したことなのである。
小畑少将のこのときの立場をいうと、
彼は陸相、荒木貞夫のスタッフの随一、
すなわち荒木貞夫は、 柳川平助(騎兵監)、小畑敏四郎、山岡重厚、黒木親慶等を相談役とし、
この難局を切り抜けるべく徹夜の打合せをしているのであった。
黒木親慶という人は、 小畑と陸士同期、”シベリヤ出兵”に出征した退役騎兵少佐で、
白系露軍セミヨノフの参謀長をしたこともあり、知略縦横の豪傑でもあった。
従って小畑少将、黒木親慶に話をすることは、陸相荒木に話をすることであり、
この時点の陸軍首脳の考えが把握できるわけである。
小畑家に電話して 「山口ですが」というと小畑夫人が出て 「主人は今黒木さんのところにいます」 という。
直ちに黒木家に電話すると、陸相官邸にすぐきてくれという。
当時陸相官邸は、現在の三宅坂の社会党本部のすぐ裏手である。
私は直ちに陸相官邸に行くわけにもいかず、ともかく電話に小畑少将に出てもらった。
なおこれまでの電話、次の電話は、すべて警視庁の盗聴をおそれ、
全部、私達の符牒で話しをしたのである。
小畑 「どこにいる。」
山口 「憲兵隊長のそばにいます。」
小畑 「連中は大丈夫か。」
山口 「実は大変なことになつている。北さんの心配の通りになりそうだ。」
小畑 「現在はどうなんだ。」
山口 「全体の情勢をのみこんで、順天堂に私が帰るまでは、なにもしない。
         寿司でも喰べていることになつている。」
小畑 「あの連中に、がたがたされたのでは今立案中の計画も全部オジャンになる。
     陸相官邸では、大臣、参謀総長、次官、参謀次長、軍務局長が集って、
         協議しているところだ。」
結局、私が順天堂で名刺をもらった連中を北一輝と私が、
目下おさえているということで、その処置について話あった。
将校の処罰、カク首等は、 師団長から陸軍大臣に上申して行われるもので、申請の権限は師団長にある。
この場合、近衛、第一師団連絡協議会で決定されるだろう。
しかし、小畑少将は、
この協議会を形成する、時の近衛師団長、同参謀長、第一師団長、同参謀長を
「世の裏の裏を知らぬ純軍人」と言い 隊長職権でなんらかの処置に出るとしても、
最後的な決定は陸軍省人事局補任課に於いて行われる。
そして陸相官邸における協議の成り行きによれば、陸軍省、参謀本部の最高首脳は、
順天堂にいる青年将校の最後の身分を確実に保証したのであった。
小畑少将に代り 黒木は
「北さんに、近衛、第一師団は強硬に出てくるが憤激せず、 若い人が落着くようよろしく願う」
と云い、 結局次のように決まった。
① 近衛師団長、第一師団長、及び教育総監の意図で若干の青年将校を軟禁するかもしれない。
② 憲兵隊は保護検束も尾行もしない。
③ カク首の上申があっても陸軍省は請けつけぬ。
④ 以上北一輝に善処せしめるよう。
かくて私は五月十七日の朝三時か、四時頃に順天堂にかえった。
青年将校を集めて前記の四項目を伝えると、
栗原などは 「 俺達は何もしておらん、軟禁とはなんだ 」と 憤激している。
私は 「最終的な責任は俺がもつ、まあ軟禁ぐらいはしようがない、ここらぐらいでおとなしくしろ」
と言うと、 やがて菅波三郎、香田清貞が代表し云った。
「山口さんが責任をもつというのでしたら、おまかせいたします。大変なお骨折りでしたね。」
北一輝は二人きりになると、 涙ぐんで長いこと私の手を握り、
たったひとこと。 「ああ助かった」 と言った。
・・・五・一五事件と山口一太郎大尉 (2)  

私はこのたび 中隊長として皆さんの大事な息子さんを預ることになりましたが、

まことに申譯がないのは、その息子さん方に満足なものを着せ、
充分なものを食べさせてやることができないことです。
特に兵舎はごらんのように粗末なものです。
隙間風も入れば、寝台も酷いものです。
それもこれもすべて大蔵大臣がわれわれの要求する軍事豫算をとおしてくれないからです。
皆さん、息子さんを可愛いいと思ったら、
どうか大蔵大臣に文句をいって軍事豫算を増額させて下さい。
われわれはいつ満洲へ行くかわかりません。
命を捨てる覺悟で戰場に行く青年を、もっと大切にしてやろうではありませんか。
昭和十一年一月十日
初年兵の入隊式に於いて、見送りの父兄に向って行った
歩兵第一聯隊の第七中隊長の山口一太郎大尉の大演説の一部である

 
赤坂歩兵第壱聯隊第七中隊長 山口一太郎大尉は、
青年将校間の中核的存在として知られているが、
十日 中隊の壮丁見送りの父兄に對し、
壮丁入營後における訓練等に関して約一時間にわたり挨拶を述べる
そのうち第二項 「 精神的後援について 」 のもとにおいて、
国體明徴問題に論及し
國體明徴に関して何等誠意なき現内閣や
皇軍を國民の怨府たらしめようとする高橋蔵相の如き
私は憎みても余りあるのであります。
しかるに これ等内閣の權威は未だ地に堕ちず
相當の根強さを持ってをりますために、
雑誌その他これ等を謳歌するやうな記事が載り
或は皆様や子弟の中にも
かかる御考への方がありはしないかと心配してをります・・云々 」
( ・・謄写版刷りによる )
さらに高橋蔵相の陸軍予算八百萬円追加問題にも触れ、
型を破ったこの挨拶は参集者を一驚せしめた。
謄写印刷は任意持帰らせしめたので
参会後 会衆は三々五々この挨拶を中心として、
現場取締りの憲兵はこの状況を上司に報告、
これが成行に関して慎重なる態度で注視している。

・・・
山口一太郎大尉 壮丁父兄に訓示 

事件直前、山口は計画の全容を知って驚愕した。
何しろ部隊を使った大規模な蹶起である。
襲撃目標も想像を超えるものであった。
いまさらやめろといってもきく相手ではない。
さりとて意見を異にしても、後輩の同志将校たちだ。
密告して事前に一網打尽にする気にもならぬ。
彼は悩んだ。
後に、彼はこの時の心境をバウンダリー ・コンディションという言葉を用いて説明している。
物理学で境界状況という語である。
門外漢の私には良くわからぬが、
極めて複雑な問題が入り組んですぐに答えが出せるような問題ではないということだろう。

・・・山口一太郎大尉 「バウンダリー ・コンディシン」 


山口一太郎 

山口一太郎大尉の四日間 1 「 大臣告示 」 
・ 山口一太郎大尉の四日間 2 「 総軍事参議官と会見 」 
・ 山口一太郎大尉の四日間 3 「 総てを真崎大将に一任します 」 
・ 山口一太郎大尉の四日間 4 「 奉勅命令が遂に出た 」 
・ 山口一太郎大尉の四日間 5 
・ 山口一太郎大尉の四日間 6
軍事参議官との会見 「 理屈はモウ沢山です 」 


今、陸相官邸を出て陸軍省脇の坂を下り
三宅坂下の寺内銅像の前にさしかかると、バリケードがつくってあった。
半蔵門前からイギリス大使館の前にかけては部隊がたむろしている。
戰車も散見する。
あのバリケードは何のためのバリケードだろうか。
あの部隊は何のための部隊だろうか、
そして物かげにかくれている戰車はどんな意味なのだろうか。
聞くところによれば、
明日蹶起部隊の撤退を命じ 聽きいれなければこれを攻撃されるという。
蹶起部隊は腐敗せる日本に最後の止めをさした首相官邸を神聖な聖地と考えて、
ここを占據しておるのである。
そうして昭和維新の大業につくことを心から願っているのに
彼らを分散せしめて
聖地と信じている場所から撤退せしめるというのはどういうわけであろうか。
しかも、彼らは既に小藤部隊に編入され警備に任じておるのに、
わざわざ皇軍相撃つような事態をひきおこそうというのは、一體どういうわけであるのか、
皇軍相撃つということは日本の不幸これより大なるはない、
同じ陛下の赤子である。
皇敵を撃つべき日本の軍隊が
鐵砲火を交えて互いに殺しあうなどということが許さるべきことであろうか。
今や蹶起將校を處罰する前に、この日本を如何に導くかを考慮すべきときである。
昭和維新の黎明は近づいている。
しかもその功勞者ともいうべき皇道絶對の蹶起部隊を
名づけて反亂軍とは、何ということであろうか、
どうか、皇軍相撃つ最大の不祥事は未然に防いでいただきたい。
奉勅命令の實施は無期延期としていただきたい。
・・・山口一太郎 ・ 戒嚴司令部での意見具申 『 昭和維新の功勞者なる蹶起部隊を反亂軍とは何たる也 』

被告の原則の如く上層部工作を爲したるものと認め難し。
殊に二十八日の戒嚴司令部に於ける言動は恰も行動將校と同様なり  ・・・法務官
今迄の努力が無になると思へば
落胆の余り 半狂亂となつて勅命を延期すべく申したのであります。
然し此頃から殆ど
行動將校と一処になつてもよいと思ひました



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