あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

西田税 『 このままでは 日本は亡びますよ 』

2023年02月12日 16時24分37秒 | 西田税


西田税の歌である
青雲の涯にいったのかどうかはわからない
ただ
「 天皇陛下万歳 」
の 叫びを私の心に刻みつけて
再び会うことも 話し合うこともできない、
それだけに どこか遥かな遠い涯にいったことだけは事実である
・・末松太平


殺身成仁鐵血群
概世淋漓天劔寒
士林莊外風蕭々
壯士一去皆不還     
同盟叛兮吾可殉
同盟誅兮吾可殉
幽囚未死秋欲暮
染血原頭落陽寒

・・・遺書

「自分としては色々考へる処もあり、到底當分の間そういふ事は同意は出來ない
社會状勢の判斷、自分の希望し努力してゐる事の今日の程度等から見て
實は賛成が出來ないが、
併し諸君の立場を考へれば止むを得ない氣持ちもあるだろう
自分は五 ・一五事件の時にも御承知の様な事になり、幸にして今日生きてゐるので、
自分の生命に就ては別に惜しいとも何とも思ってゐないが、
若い將校達は何れも満洲に行かねばならず、
行けば最近に於ける満洲の狀態から見て對露關係が遂次險惡化して居る折柄、
勿論生きて歸ると云ふ様な事は思ひもよ
らぬであろう
其点から言っても國内の事を色々憂慮して苦労して來られた人達が
此儘で戰地へ行く氣になれないのも無理もないと思ふ
元來私共の原則として何処に居っても御維新の御奉公は出來るし、
満洲に出征するからその前に必ず何かしなければならんと云ふ事は
正しい考へ方ではないと思ふが、
それは理屈であって人情の上からは一概に否定する事も出來ないと思ふ
以前海軍の藤井少佐が所謂十月事件の後近く上海に出征するのを控へて
御維新奉公の犠牲を覺悟して蹶起し度いと云ふ手紙を
昭和七年一月中旬自分に寄越したのでありましたが、
私は當時の狀勢等から絶對反對の返事をやった爲
同少佐非常に失望落騰して其儘一月下旬には上海に出征し、
二月五日上海附近で名誉の戰死を遂げたのでした
私から言へば單に勇敢に空中戰を決行して戰死したとのみ考へる事の出來ない節があります
此の思出は私の一生最も感じ深いもので、
今の諸君の立場に對しても私自身の立場からは理屈以外の色々な點を考へさせられます
結局皆が夫れ程迄決心して居られると云ふなら私としては何共言ひ様がありません
之以上は今一度諸君によく考へて貰ってどちらでも宜しいから
御國の爲になる様な最善の道を撰んで貰いたいと思ふ
私は諸君と今迄の關係上自己一身の事は捨てます
人間は或運命があると思ふので
或程度以上の事は運賦天賦で時の流れに流れて行くより外に途はないと思ひます
どちらでも良いから良く考へて頂き度い 」
・・・西田税 1 「 私は諸君と今迄の関係上自己一身の事は捨てます 」

西田氏を思ふ、
氏は現代日本の大材である、
士官候補生時代、
早くも國家の前途に憂心を抱き、改革運動の渦中に投じて、
爾來十有五年、
一貫してあらゆる權力、威武、不義、不正とたたかひて たゆむ所がない、
ともすれば權門に阿り威武に屈して、その主義を忘れ、主張を更へ、
恬然 テンゼン たる改革運動の陣営内に於て、氏の如く不屈不惑の士は けだし絶無である
氏の偉大なる所以は、單にその運動に於ける經驗多き先輩なるが爲でもなく、
又 特權階級に向つて膝を屈せざる爲のみでもない、
氏はその骨髄から血管、筋肉、外皮迄、全身全體が革命的であるのだ、
眞聖の革命家である、
この點が何人の追ズイモ許さない所だ
氏の言動、一句一行悉く革命的である、
決して妥協しない、だから敵も多いのである、
しかも氏は、この多數の敵の中にキ然として節を持する、
敵が多ければ多い程 敢然たる態度をとつて寸分の譲歩をしない、
この信念だけは氏以外の同志に見出すことが出來ない、
余は數十数百の同志を失ふとも、
革命日本の爲 氏一人のみは決して失ってはならぬと心痛している
・・・磯部浅一 『  
獄中日記 (四)  八月十九日 』 



西田税  ニシダ ミツギ
『 このままでは日本は亡びますよ 』
目次

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無眼私論 
 ・ 無眼私論 1 「 今仆れるのは 不忠、不孝である 」 
 ・ 無眼私論 2 「 クーデッタ、不淨を清めよ 」 
 ・ 無眼私論 3 「 日本は亡國たらんとす 」 
 ・ 無眼私論 4 「 女は戀するものである 」 
 ・ 無眼私論 5 「 眞人 」
 
西田税 ・戰雲を麾く
 ・ 戰雲を麾く 1 「 救うてやる 」
 ・ 戰雲を麾く 2 「 小僧の癖に生意氣だ 」
 ・ 戰雲を麾く 3 「 淳宮殿下の御學友と決定せり 」
 ・ 戰雲を麾く 4 「 私は泣いて馬謖を斬るより他ないと思ひます 」
 ・ 戰雲を麾く 5 「 靑年亜細亜同盟 」
 ・ 戰雲を麾く 6 「 是れこそげに天下一の書なり 」
 ・ 戰雲を麾く 7 「 必ず卿等は屡々報ぜよ 」

 ・ 戰雲を麾く 8 「 達者でいたか 」
 ・ 戰雲を麾く 9 「 畢竟、人生は永遠に戰ひつづけるもの 」

・ 
西田騎兵少尉 
・ 「 殿下、ここが、有名な安來節の本場でございます 」 

西田税と靑年將校運動 1 「 革新の芽生え 」 
西田税と靑年將校運動 2 「 靑年將校運動 」 
・ 
西田税と大學寮 1 『 大學寮 』 
・ 
西田税と大學寮 2 『 靑年將校運動発祥の地 』 

・ 
西田税ノ抱懐セル國家改造論 竝 其ノ改造實現ノ手段方法

西田税 『 士林莊 』 
・ 天劔党事件 (1) 概要 
・ 天劔党事件 (2) 天劔党規約 
・ 天劔党事件 (3) 事件直後に發した書簡   
・ 
天劔党事件 (4) 末松太平の回顧錄


天皇と農民 ・・※

・ 
ロンドン條約をめぐって 2 『 西田税と日本國民党 』 
・ 
ロンドン條約をめぐって 3 『 統帥權干犯問題 』 

・ 五 ・一五事件 『 西田を殺せ 』 
・ 五 ・一五事件 ・ 西田税 撃たれる 
・ 紫の袱紗包み 「 明後日參内して、陛下にさし上げよう 」
・ 昭和天皇と秩父宮 1
・ 
昭和天皇と秩父宮 2 


・ 末松太平 ・ 十月事件の體驗 (1) 郷詩會の會合 
西田税と十月事件 『 大川周明ト何ガ原因デ意見ガ衝突シタカ 』 
・ 絆 ・ 西田税と末松太平 

・ 統制派と靑年將校 「革新が組織で動くと思うなら認識不足だ」
・ 西田税の十一月二十日事件 
・ 悲哀の浪人革命家 ・ 西田税

西田はつ 回顧 西田税 1 五 ・一五事件 「 つかまえろ 」 
西田はつ 回顧 西田税 2 二 ・二六事件 「 あなたの立場はどうなのですか 」 
・ 
西田はつ 回顧 西田税 3 あを雲の涯 「 男としてやりたいことをやって來たから、思い残すことはないが、お前には申譯ない 」 


青一髪  萬頃の 波がしら
一劔天下行  欲斬風拓雲
萬里不見道  只見萬里天
・・・西田税 ・ 金屏風への落書 



赤子の微衷

西田税 「 今迄はとめてきたけれど、今度はとめられない。 黙認する 」 
西田税、澁川善助 ・ 暁拂前 『 君ハ決シテ彼等ノ仲間へ飛込ンデ行ツテハナラヌ 』
西田税、村中孝次 ・ 二月二十ニ日の会見 『 貴方モ一緒ニ蹶起シタラ何ウデスカ 』 
・ 西田税、安藤輝三 ・ 二月二十日の会見 『 貴方ヲ殺シテデモ前進スル 』 
・ 西田税、栗原安秀 ・ 二月十八日の会見 『 今度コソハ中止シナイ 』 
・ 西田税、村中孝次 『 村中孝次、 二十七日夜 北一輝邸ニ現ル 』
・ 西田税、蹶起将校 ・ 電話連絡 『 君達ハ官軍ノ様ダネ 』

・ 西田税 1 「 私は諸君と今迄の關係上自己一身の事は捨てます 」

・ 西田税 2 「 僕は行き度くない 」
・ 西田税 3 「 私の客観情勢に對する認識 及び御維新實現に關する方針 」
・ 西田税、事件後ノ心境ヲ語ル
・ 西田税 (一) 「 貴方から意見を聞かうとは思はぬ 」
・ 西田税 (二) 「萬感交々で私としては思ひ切って止めさせた方が良かったと思ひます 」
・ 西田税 (三) 「石原は相變らず、皇族内閣などを云って居るとすれば、國體違反だ 」
・ 西田税 (四) 「若いものが起ちましたから、其収拾に就てはよろしく御盡力をお願ひ致します 」
・ 西田税 (五) 「眞崎大將をして時局収拾せしめたいと鞏調しました 」

・ 西田税 (六) 道程 1

・ 西田税 (七) 道程 2 

・ 「 貴様が止めなくて一體誰が止めるんだ 」 

・ 反駁 ・ 北一輝、西田税、龜川哲也 
・ 反駁 ・ 北一輝、西田税 1 
・ 反駁 ・ 北一輝、西田税 2 
・ 反駁 ・ 北一輝 
・ 反駁 ・ 西田税 

西田税 ・北一輝
はじめから死刑に決めていた
「 両人は極刑にすべきである。兩人は證拠の有無にかかわらず、黒幕である 」 ・・・寺内陸相

「 二・二六事件を引き起こした靑年將校は 荒木とか眞崎といった一部の將軍と結びつき、
 それを 北一輝とか磯部とかが煽動したんです 」 ・・・片倉衷

・ 暗黒裁判 (五) 西田税 「 その行爲は首魁幇助の利敵行爲でしかない 」


陸軍軍法會議が 非常に滅茶苦茶な裁判であったこと、
結論的に言うと、指揮權發動 もされている。
北一輝、西田税に矛先が向け られている。
北については、叛亂幇助罪で3年くらいのところ、
また、西田については、もっと輕くてよいところ、
鞏引に寺内陸軍大臣が指揮權發動して死刑にするような裁判の構造を作ってしまった。
これは歴史的事實である。
これは匂坂資料の中にも出てくる。
・・・中田整一  ( 元 NHK プロデューサー) 講演  『 二・二六事件・・・71年目の真実 』  ・・・
拵えられた憲兵調書 

何事モ勢デアリ、
勢ノ前ニハ小サイ運命ノ如キ何ノ力モアリマセヌ。
蹶起シタ青年將校ハ
去七月十二日君ケ代ヲ合唱シ、
天皇陛下萬歳ヲ三唱シテ死ニ就キマシタ。
私ハ彼等ノ此聲ヲ聞キ、
半身ヲモギ取ラレタ様ニ感ジマシタ。
私ハ彼等ト別ナ途ヲ辿リ度クモナク、
此様ナ苦シイ人生ハ續ケ度クアリマセヌ。
七生報國ト云フ言葉ガアリマスガ、
私ハ再ビ此世ニ生レテ來タイトハ思ヒマセヌ。
顧レバ、實ニ苦シイ一生デアリマシタ。
・・・最終陳述

・ 西田税の手記 
・  北一輝、西田税 論告 求刑 
北一輝、西田税 判決 ・首魁 死刑


・ 
菅波三郎 「 回想 ・ 西田税 」 
・ 
大蔵榮一 「 回想 ・西田税 」 
・ 
「 軍刀をガチャさかせるだけですね 」 

・ 
昭和十年大晦日 『 志士達の宴 』 ・・・昭和10年12月31日
西田税 ・ 金屏風への落書 

・ 
西田税が描いた昭和維新のプランとは・・

あを雲の涯 (二十一) 西田税 
・ 西田税 ・ 妻 初子との最後の面会 
・ 西田税 ・ 家族との最後の面会 
・ 西田税 「 家族との今生の別れに 」 
・ 西田税 ・ 母 つね 「 世間がいかに白眼視しても、母は天寿を完する 」 
・ 西田税 ・ 悲母の憤怒 
西田税 「 このように亂れた世の中に、二度と生れ變わりたくない 」 
・ 「 俺は殺される時、靑年將校のように、天皇陛下萬歳は言わんけんな、黙って死ぬるよ 」  

昭和12年8月19日 (二十一) 西田税 
・ 
西田税の位牌 「 義光院機猷税堂居士 」 
・ 西田税の墓 「 義光院機猷税堂居士 」

十八日に面会に参りましたとき、
「 今朝は風呂にも入り、爪も切り 頭も刈って、綺麗な体と綺麗な心で明日の朝を待っている 」
と 主人に言われ、翌日処刑と知りました。
「 男としてやりたいことをやって来たから、思い残すことはないが、お前には申訳ない 」
そう 西田は申しました。
夫が明日は死んでしまう、殺されると予知するくらい、残酷なことがあるでしょうか。
風雲児と言われ、革命ブローカーと言われ、毀誉褒貶の人生を生きた西田ですが、
最後の握手をした手は、長い拘禁生活の間にすっかり柔らかくなっておりました。
「 これからどんなに辛いことがあっても、決してあなたを怨みません 」
「 そうか。ありがとう。心おきなく死ねるよ 」
白いちぢみの着物を着て、うちわを手にして面会室のドアの向うへ去るとき
「 さよなら 」 と 立ちどまった西田の姿が、今でも眼の底に焼きついて離れません。

・・・西田はつ 回顧 西田税 3 あを雲の涯


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