あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

中島莞爾 『 昭和維新の人柱には、成否は眼中にない 』

2021年11月30日 18時49分39秒 | 中島莞爾

我々の行動の爲め
幾分でも世の中が改善せられたら本望であるが、
今回の發表された判決理由書が事實と相違するが如きことあらば、
又如斯事件が再發せぬとも限らぬ
「 不義を知って打たざるは不忠なりと信じて奸臣を斬ったのであります 」
・・・最期の陳述 ・ 中島莞爾 

男子たる者は寡言なるを可とす。
世に往々にして議論を好み、才を恃み、遂には自己の辯説に陶酔する如き輩あるも、
是の如きは決して大丈夫たる者の執る所に非ず。
吾人は不言實行をこそ尚ぶべけれ、節に臨みて斷乎として其の信念を陳じ、
且つ實行し得れば即ち足る。
又沈黙と優柔とは其の守る処 如何に依りて自ら異る。

尚ふべきは犠牲の精神なり。
是れ一つに求むるべき無きの心より生ず。
報酬を豫想する奉仕、恵与は眞の奉仕、恵与に非ず。
他に殉ずる道も然り。
黙々として最後まで殉ずるを要す。
中途にして節を變ずるが如きは丈夫の爲さざる所なりとす。
・・・『 想痕錄 』 


中島莞爾  ナカジマ カンジ
昭和維新の人柱には、成否は眼中にない 』
目次

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・ 昭和維新 ・中島莞爾少尉  
・ 最期の陳述 ・ 中島莞爾 
・ 『 想痕錄 』 
・ あを雲の涯 (十七) 中島莞爾
・ 昭和11年7月12日 (十七) 中島莞爾少尉 


二十六日
午前四時一寸前に眼を醒し、四時三十分頃兵は整列しました。
中橋中尉は中隊長代理であるから自分の中隊を集めたのであります。
此時兵は非常呼集にて集合したのであります。
集合後、明治神宮参詣の為と営門にて衛兵指令に中橋中尉が云ひました。
営門出発後、途中高橋邸との中間位にて(何発か不明)実包を渡しまして行軍し
邸迄行きました。
此時初めて高橋蔵相をやつつけると云ふ事を兵一般に達しましたが、
下士官兵は沈着して一向に驚いた様ではありませんでした。
それで私は、
どの程度迄下士官兵に私達の信念が徹底されてあるかと内心心配して居りましたが、
此状態を見て安心しました。
即ち、私達の信念が中橋中尉により行届いて居ることを知ったからであります。
蔵相私邸に行き、私の分担である梯子をかけ、之を越して先づ巡査を説得せしめ、
玄関にて執事の如きものに案内させてグルグルと引廻して居りましたが、
やつと蔵相も居る処が判って、中橋中尉は 「 国賊 」 と叫びて拳銃を射ち、
私は軍刀にて左腕と左胸の辺りを突きました。
蔵相は一言 言うなりたる如くして別に言葉なく倒れました。
その他何等抵抗なく実行を終り、
兵を纏めてその内約六十名を引率して首相官邸に行きました。
其の時は午前五時二十分位と思ひます。

・・・ 中島莞爾少尉の四日間 


中島莞爾 『 想痕錄 』

2019年12月17日 19時12分43秒 | 中島莞爾

 
中島莞爾 


想痕錄
吉田松陰先生の小塚原に処刑せらるるや、
その前日獄中に一大文字を書く遺し、題して 「 留魂錄 」 と謂ふ。
吾 嘗て之れを家兄に得、烈々たる尊皇心、切實なる同志愛、超脱せる死生観、
短章よく先生の眞面目を語るに足りる感じ、座右に置きて以て修身の資と爲す
此所に六年、然も其の竟に及ばざらん事を怒るのみ。

今日此の境に於て、更に感を深うするものあり、敢て則りて述ぶ。
昭和十一年六月二十八日
東京衛戍刑務所内  中島莞爾

一、
今回の事、我れ已に十年来せし所にして、決して唐突の挙に非ず。
彼の藤田東湖が正氣歌に見る。

神州唯君臨  萬古仰天皇
皇風沿六合  明徳齋太陽
世非無汚隆  正氣時放光

臣子の分自ら炳明なり。

一、
「 幕府、三尺の布衣國を憂ふるを許さず、成仁の死區々一言の得失に非ず 」
とは、松陰先生の言ふなり。
今日更に味ふべし。
一身の毀誉褒貶、固より問ふ所に非ず。
自ら省みて耿々一片の義の存するを知らば、
百年の汚名何するものか有らん。

朝壤妖雲仰天日  夕被投代々木獄
丈夫勿論成敗事  昭々天地神明鑒

一、
一日大楠公の傳を獨みて建武中興の悲惨史に及び、遂に巻を掩ひて嘆息久しうす。
國を亡ぼす者、佞奸の權臣或は女子、楠子の孤忠實に斷腸。
身のために君を思ふも二心  君の爲には身をも思はで
物質文明の弊は遺憾なく我が朝野に浸潤し來れるものの如し。
一切の精神的要素の衰退は直ちに日本帝國自身の衰退を意味す、
一大覺醒を要す、正氣ありて始めて神洲の名あり。
一、
男子、特に武人に尚ぶ所は、其の節を失はざるに在り、
區々たる一身の利害に節を左右するが如きは最も忌むべし。
然も世上往々にして如是不㝵の輩を見る、警めざる可けん乎。
一、
我が郷、佐賀に傳ふる葉隠論語に、
「 武士たる者は、たとひ痩我慢と申さるるとも、道ならぬ事には与みす間敷きこと 」
 と在るは、實に切言と謂ふべし。
一、
人は知足の生活、感謝の生涯を送る事肝要なり、獄中に在りて更に其の感を深うするものあり、
而も決して自己の境遇、地位に陶酔し、眩惑せらるべからず。
富貴にして然らば則ち驕慢の心を萠し、貧賤にして然らば則ち自棄怨他の心を生ず。
吾人は常に境遇に善処すると俱に、境遇を征服するの一大勇猛心を必要とす。
世上往々にして右の欠陥を見るは遺憾とする所にして、我が皇國の臣民たる者は、
一つに宏大無辺なる皇恩に倚りて、生存し得る事を銘記せざるべからず。
然らば則ち臣子の分自ら明かならん。
一、
大楠公常に唱へて、「 非理法權天、天照大御神 」 と、謂ふ。
蓋し罪は理に克たず、理は法に克たず、法は權に克たず、權は天に克たず、
天は乃ち天照大御神との意なり。
右は實に大楠公の大精神にして、此の大信念を以て敢然として排奸摧邪、
凛々以て大敵を滅し、一度王政復古し得られしなり、
宜しく紳に書して、感佩すべき箴言なり。
一、
死生の問題は一言以て盡すべからずと雖も、余は平凡乍ら次の如き結論を有す。
即ち、生死固より肉體の問題に非ず。
一つに其の人の生存事業の有意義なりや否やに存す。
百年の齢を全うするとも、酔生夢死の徒は多し。
三十年の短生涯なりし松陰一人のひん頸血は能く千万人の志士の熱血を湧かしめしに非ずや。
彼は生に以て死。是は死に以て永劫の生。
大義の前には肉體の毀誉存亡の如き問ふ所に非ず。
楠公は 「 七生報國 」 を叫びて今日猶ほ吾人と倶に在り。
松陰先生曰く。
「 七月の末江戸に到るに及んで天下の形勢を観、神國の事猶すべきあるを知り、
 始めて生を幸とするの念勃々たり。吾死せずんば此の勃々たるもの決して相没せざるなり 」
と。
是れ處刑の前日なり。
又曰く、「 今日死を決するの安心は、四時の循環に倚りて得る所あり。云々 」 と。
人生長短必ず四時備はる。
死は即ち秀實の時なりと爲し、
「 同志の士、君が微と衷とを憐み、繼承の人あらば絶えず禾稼の有年に恥ぢざるなり 」
と 結びたるは、
眞に此の人にして始めて得らるる至言なり。深く考慮すべし。
一、
快楽の友は得易きも、直言の友は得難し。是れ自他共に修養を要する所なり。
外國の俚諺に謂ふ、「 好天氣の友 」 と。
朋友は辛苦を倶にし直言以て憚らざるを肝要なりとす。
杜甫が貧交行に所謂粉々輕薄なるは、男子の交に非ず。
實に 「 此道今人棄如土 」 せざるべからず。
一、
我れ一日 明石兄と相見る。
吏左右に在りて固より語を交ふるを得ず。
竊かに黙礼を爲すのみ。
然も兄が心情よく察するを得るものは他なし。
頃日相通じる所の存するを以てなり。
是れ所謂同志なる者か。
囹圄の人となりても、心自ら安寧なるものあるは、實に故あらずんば非ず。
意自通とは此の境を謂ふものならん。
一、
凡そ生を皇國に享くる者は、
宜しく尊厳なる國體に對シ徹底せる観念を把持せざるべからず。
一切の認識は須らく國體に立脚するを要す。
世人動もすれば自己本位の認識に堕して、
根本道を没却し自己附会の節をなして得々たる者あるは警むべし。
一、
男子たる者は寡言なるを可とす。
世に往々にして議論を好み、才を恃み、遂には自己の辯説に陶酔する如き輩あるも、
是の如きは決して大丈夫たる者の執る所に非ず。
吾人は不言實行をこそ尚ぶべけれ、節に臨みて斷乎として其の信念を陳じ、
且つ實行し得れば即ち足る。
又沈黙と優柔とは其の守る処 如何に依りて自ら異る。
一、
尚ふべきは犠牲の精神なり。
是れ一つに求むるべき無きの心より生ず。
報酬を豫想する奉仕、恵与は眞の奉仕、恵与に非ず。
他に殉ずる道も然り。
黙々として最後まで殉ずるを要す。
中途にして節を變ずるが如きは丈夫の爲さざる所なりとす。
一、
「 言濃慮交淺禄厚憂責大 」 とは、唐の寒山の詩に見る所にして、
重複を嫌はずして更に述ぶるに、朋友にして其の語る所、
濃密なるはその公末だ深からざるの證なり。
又 高位高官に在る者は、從って其の責任の重大なるを悟り、
身を持する事謹嚴、能く臣子の分を全うするを要す。
殊にも至尊輔弼の重責に任ずるが如き然りとす。
若し此の分を誤まらんか、實に由々しき大事なりとす。
居常警めて怠らざるを要す。
一、
吾人は確固たる信念を涵養すると倶に、
機に臨みて其の信念を遺憾なく實行し得る如く、
實に精神の陶冶、實力の修練に努力する事肝要なり。
信念は充分なりとても、實行の之れに伴はざる時は其の価値を半減す。
惜しむべき事なりとす。
一、
吾、此の回、初め固より生を圖らず。
又死を必せず。
唯、今、事の既に終れるを覺え心に安んず処のものあるを識る。
嗟矣
一、
獄中、母より給はりたる數首。

吾子の心に肯づきてとして
大君につかふる道は數あるに
捨て石となりて果つる吾子は
伊勢大神宮、明治神宮に、
子等の誠心の通ずる日の早きを祈りて
流れ星をしくも消えし暁に
さし出で給へ朝の御光
いくさ衣ぬぎ捨つるともいとし子の
大和心はいやまさるらん
千代田なる玉の宮居の礎の
捨て石となりて守れ君ケ代
うきことの尚は此の上につもるとき
憂しと思ふな國の爲には
かけまくも伊勢や明治の大神は
子等がまことを照し給はん

山中無日月、朔日、十五日の赤飯、日曜の御茶を以て歴日、曜日を知る。
此頃書類を貸与せられて耽讀時の移るを覺えず。

「 心頭を滅却すれば、火も亦涼し 」
心を虚しうして座すれば、方十尺の監房も亦安楽場。
心緒自ら愉快を覺え、唯何と無く神佛と相對するが如き想あり。

獄中憶亡友

獲病臥郷西海辺  奇書訴情幾星霜
昭和七歳中秋日  焉料訃音忽然至
拾六相識戸山上  五年親交如管鮑
倶悦共涙尚□諤  相携探勝房総地
阿兄志恒在純忠  語日期一死報國
可惜生來羸弱身  遂斃中道雄心空
雖知春秋具四時  仰天俯地動哭久
爾來継承及今日  些欲有報圖回天
忍辱千辛万苦境  有自所期心緒平
覺神洲既無事日  諸備我爲好蓮臺

二十五年の間不幸の子は、名をも棄て此の世を去ります。
徹頭徹尾、貧しく弱い者の味方となり、國の眞の姿をと力めた子は、
國の將來を想ひつつ血の涙を呑んで死に就きます。
日本の國を信ずるが故に何もかも棄てて起ち上りました。
私には御母上の痛い胸の中がよくわかります。
十九人の兄弟の念力は阿修羅になって國を守ります。
何卒、何卒、千萬年の寿を全うせられます様、魂となって御守りをさせて頂きます。
七月十一日
母上様  莞爾

二・二六事件 獄中手記・遺書  河野司 編  から