あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

二・二六事件 『 判決 』

2020年09月29日 09時21分06秒 | 暗黒裁判・幕僚の謀略2 蹶起した人達


二・二六事件判決の全文
陸軍省發表 ( 昭和十一年七月七日 午前二時 )
去る 二月二十六日東京に勃發したる叛亂事件に付ては、
其の後特設せられたる東京陸軍軍法會議に於て愼重審判中の處、
直接事件に參加したる將校一名、元將校二十名 ( 内二名は事件後自決死亡す )、
見習医官三名、下士官二名、元准士官下士官八十九名、兵千三百五十八名、常人十名中、
起訴せられたる者は
將校一名、元將校十八名、下士官二名、元准かしかん下士官七十三名、常人十名
にして 七月五日その判決を終了せり。
右軍法會議の審判に基く處刑 及び 判決理由 概ね左の如し。
處刑
將校
禁錮四年  陸軍歩兵少尉  今泉義道
元將校
死刑 ( 首魁 )  元陸軍歩兵大尉  香田清貞
死刑 ( 首魁 )  元陸軍歩兵大尉  安藤輝三
死刑 ( 首魁 )  元陸軍歩兵中尉  栗原安秀
死刑 ( 謀議参与 又 群集指揮 )  元陸軍歩兵中尉  竹嶌継雄
死刑 ( 謀議参与 又 群集指揮 )  元陸軍歩兵中尉  對馬勝雄
死刑 ( 謀議参与 又 群集指揮 )  元陸軍歩兵中尉  中橋基明
死刑 ( 謀議参与 又 群集指揮 )  元陸軍歩兵中尉  丹生誠忠
死刑 ( 謀議参与 又 群集指揮 )  元陸軍歩兵中尉  坂井  直
死刑 ( 謀議参与 又 群集指揮 )  元陸軍砲兵中尉  田中  勝
死刑 ( 謀議参与 又 群集指揮 )  元陸軍工兵少尉  中島莞爾
死刑 ( 謀議参与 又 群集指揮 )  元陸軍砲兵少尉  安田  優
死刑 ( 謀議参与 又 群集指揮 )  元陸軍歩兵少尉  高橋太郎
死刑 ( 謀議参与 又 群集指揮 )  元陸軍歩兵少尉  林  八郎
常人
死刑 ( 首魁 )  村中孝次
死刑 ( 首魁 )  磯部浅一
死刑 ( 謀議参与 又 群集指揮 )  澁川善助
死刑 ( 謀議参与 又 群集指揮 )  水上源一
元將校
無期禁錮 ( 謀議参与 又 群集指揮 )  元陸軍歩兵少尉  麥屋清済
無期禁錮 ( 謀議参与 又 群集指揮 )  元陸軍歩兵少尉  常盤  稔
無期禁錮 ( 謀議参与 又 群集指揮 )  元陸軍歩兵少尉  鈴木金次郎
無期禁錮 ( 謀議参与 又 群集指揮 )  元陸軍歩兵少尉  清原康平
無期禁錮 ( 謀議参与 又 群集指揮 )  元陸軍歩兵少尉  池田俊彦
元准士官、元下士官
禁錮十五年  元陸軍歩兵軍曹  宇治野時参
禁錮十三年  元陸軍歩兵伍長  長瀬  一
禁錮八年  元陸軍歩兵曹長  渡辺清作
禁錮八年  元陸軍歩兵曹長  大江昭雄
禁錮七年  元陸軍歩兵曹長  尾島健次郎
禁錮七年  元陸軍歩兵軍曹  蛭田正夫
禁錮七年  元陸軍歩兵軍曹  青木銀次
禁錮五年  元陸軍歩兵軍曹  小原竹次郎
禁錮五年  元陸軍歩兵伍長  北島  弘
禁錮四年  元陸軍歩兵曹長  立石利三郎
禁錮三年  元陸軍歩兵特務曹長  齋藤一郎
禁錮三年  元陸軍歩兵曹長  前田仲吉
禁錮三年  元陸軍歩兵伍長  林  武
禁錮二年  元陸軍歩兵曹長  永田  露
禁錮二年  元陸軍歩兵曹長  堂込喜市
禁錮二年  元陸軍歩兵軍曹  新  正雄
禁錮二年  元陸軍歩兵軍曹  伊高花吉
禁錮二年 ( 三年間刑執行猶予 )  元陸軍歩兵特務曹長  桑原雄三郎
禁錮二年 ( 三年間刑執行猶予 )  元陸軍歩兵曹長  福原若男
禁錮二年 ( 三年間刑執行猶予 )  元陸軍歩兵曹長  神谷  光
禁錮二年 ( 三年間刑執行猶予 )  元陸軍歩兵軍曹  井沢正治
禁錮二年 ( 三年間刑執行猶予 )  元陸軍歩兵軍曹  豊岡久男
禁錮二年 ( 三年間刑執行猶予 )  元陸軍歩兵軍曹  新井長三郎
禁錮二年 ( 三年間刑執行猶予 )  元陸軍歩兵軍曹  渡邊春吉
禁錮二年 ( 三年間刑執行猶予 )  元陸軍歩兵軍曹  門脇信夫
禁錮二年 ( 三年間刑執行猶予 )  元陸軍歩兵軍曹  中村  靖
禁錮二年 ( 三年間刑執行猶予 )  元陸軍歩兵軍曹  奥山粂治
禁錮二年 ( 三年間刑執行猶予 )  元陸軍歩兵軍曹  小河正義
禁錮二年 ( 三年間刑執行猶予 )  元陸軍歩兵伍長  梶間治
禁錮二年 ( 三年間刑執行猶予 )  元陸軍歩兵伍長  木部正義
禁錮二年 ( 三年間刑執行猶予 )  元陸軍歩兵伍長  大木作蔵
禁錮二年 ( 三年間刑執行猶予 )  元陸軍歩兵伍長  山田政男
禁錮一年六月 ( 三年間刑執行猶予 )  元陸軍歩兵曹長  堀  宗一
禁錮一年六月 ( 三年間刑執行猶予 )  元陸軍歩兵曹長  川島粂次
禁錮一年六月 ( 三年間刑執行猶予 )  元陸軍歩兵軍曹  窪川保雄
禁錮一年六月 ( 三年間刑執行猶予 )  元陸軍歩兵軍曹  藤倉勘市
禁錮一年六月 ( 三年間刑執行猶予 )  元陸軍歩兵軍曹  山本清安
禁錮一年六月 ( 三年間刑執行猶予 )  元陸軍歩兵軍曹  神田  稔
禁錮一年六月 ( 三年間刑執行猶予 )  元陸軍歩兵軍曹  新井維平
禁錮一年六月 ( 三年間刑執行猶予 )  元陸軍歩兵軍曹  大森丑蔵
禁錮一年六月 ( 三年間刑執行猶予 )  元陸軍歩兵軍曹  井戸川富治
禁錮一年六月 ( 三年間刑執行猶予 )  元陸軍歩兵伍長  内田一郎
禁錮一年六月 ( 三年間刑執行猶予 )  元陸軍歩兵伍長  丸  岩雄
禁錮一年六月 ( 三年間刑執行猶予 )  元陸軍歩兵伍長  福島理本

禁錮二年 ( 三年間刑執行猶予 )  陸軍歩兵上等兵  中島与兵衛
禁錮二年 ( 三年間刑執行猶予 )  陸軍歩兵一等兵  坪井啓治
禁錮一年六月 ( 三年間刑執行猶予 )  陸軍歩兵上等兵  倉友音吉
常人
禁錮十五年  宮田晃
禁錮十五年  中島清治
禁錮十五年  黒田  昶
禁錮十五年  綿引正三
禁錮十五年  黒沢鶴一
禁錮十年  山本  又
罪狀
被告人中、將校、元將校 及 重要なる常人等が、
國家非常の時局に當面して激發せる慨世憂國の至情と、
一部被告人等が其進退を決するに至れる諸般の事情とに就いては、
これを諒とすべきものなきにあらざるも、その行爲たるや聖論に悖り 理非順逆の道を誤り、
國憲國法を無視し、而も建軍の本義を紊り、苟も、大命なくして斷じて動かすべからざる皇軍を僣用し、
下士官兵を率いて叛亂行爲に出でたるが如きは 其の罪 寔に重 且 大なりと謂うべし、
仍て 前記の如く處斷せり。
又 下士官、兵力中罪者一部の者に在りては、
兵器を執り、叛亂を爲すに當り、進んで諸般の職務に從事したるものと認め得べしと雖も、
その他の者に在りては、自らか進んで、本行動に參加する意志なく、
平素より上官の命令に絶對に服從するの観念を馴致せられあり、
猶 同僚はじめ大部隊の出勤する等、周囲の情況上之を拒否し難き事情等の爲、
已む無く參加し、其の後に於ても 唯命令に基き行動したるものにして、
今や深くその非を悔い、改悛の情顕著なるものあるを以て、之等の者に對してし刑の執行を猶豫し、
爾餘の下士官兵は上官の命令に服從するものなりとの確信を以て、
其の行動に出でたるものと認め、罪を犯す意なき行爲として之を無罪とせり。
判決理由書
一、動機と原因
( イ )  村中孝次、磯部浅一、香田清貞、安藤輝三、栗原安秀、對馬勝雄、中橋基明は
 夙に世相の頽廃たいはい、 人心の軽佻を慨し、國家の前途に憂心を覺えありしが、
就中 昭和五年ロンドン條約問題、昭和六年の満洲事變等を契機とする一部識者の警世的意見、
軍内に起れる満洲事變の根本的解決要望の機運等に刺戟せられ、
逐次内外の情勢緊迫し、我國の現狀は今や黙視し得ざるものあり、
まさに國民精神の作興、國内軍備の充實、國民生活の安定等、
まさに國運の一大飛躍的進展を策せざるべからざるの秋に當面しあるものと爲し、
時艱じかんの克服打開に、多大の熱意を抱持するに至れり。
猶 この間軍隊教育に從事し、兵の身上を通じ農山漁村の窮乏、
小商工業者の疲弊を知得して深き是等に同情し、
就中 一死報國共に國防の第一線に立つべき兵の身上に、後顧の憂 多きものと思惟せり。
澁川善助 亦一時陸軍士官學校に學びたる關係より、
同校退校後も在學當時の知己たる右の者の大部と相交わるに及び、是等と意氣相投ずるに至れり。
斯くて前記の者は、此の非常時局に処し、當局の措置徹底を欠き内治外交等共に萎靡して振わず、
政党は党利に堕して國家の危急を顧みず、財閥亦私慾に汲々として國民の窮状を思わず、
特にロンドン条約成立の経緯に於て統帥權干犯の所爲ありと斷じ  ・・・ロンドン条約問題 『 統帥権干犯 』 
斯くの如きは畢竟ひっけょう元老、重臣、官僚、軍閥、政党、際閥等 所謂特權階級が國體の本義に悖り
大權の尊嚴を輕んずるの致せる所なりとなし、
一君萬民たるべき皇國本然の眞姿を顯現せんが爲、速やかにこれら所謂特權を打倒して、
急激に國家を革新するの必要あるを痛感するに至れり。
而して其の急進矯激性が國軍一般將士の堅實中 正なる思想と相容れざりしに由り、
思想傾向相通ずる歩兵大尉 大蔵栄一
菅波三郎、同大岸頼好等の同志と氣脈を通じ、
天皇親率の下 擧軍一體たるべき皇軍内に、所謂同志観念を以て横斷的團結を敢てし、
又 此の前後より前記の者の大部は、北輝次郎 及び西田税 の關係交渉を深め、
その思想に共鳴するに至りしが、特に北輝次郎 著 「 日本改造法案大綱  」 たるや、
その思想根柢において絶對に我が國體と相容れざるものあるに拘わらず
その雄勁ゆうけいなる文章等に眩惑せられ、ために素朴純忠に發せる研究思索も漸次獨斷偏狭となり、
不知不識の間、正邪の弁別を誤り、國法を蔑視するに至れり。
而して此の間起したる、昭和七年血盟団事件、及び 
五 ・一五事件 に於て、
深く同憂者等の蹶起に刺戟せられ、益々國家革新の決意を固め、
右目的達成の爲には、非合法手段も亦敢て辞すべきに非ずと爲し、終に統帥の根本を紊り、
兵力の一部を僭用するも已む無しとなす危険思想を包蔵するに至れり。
斯くて昭和八年頃より、一般同志間の聯絡を計り、又は相互會合を重ね、種々意見の交換を爲すと共に、
不穏文書の頒布等各種の措置を講じ、同志の獲得に努むるの外、
一部の者にありては軍隊教育に当り、其獨斷的思想信念の下に、下士官兵に革新的思想を注入してその指導に努めたり。
次で 昭和十年、村中孝次  磯部浅一 等が不穏なる文章を頒布せるに原由して、・・・粛軍に関する意見書
昭和十年、官を免ぜらるゝや 著しく感情を刺戟せられ、
且 上司よりこの種運動を抑壓せらるゝに及びて、愈々反撥の念を生じ、その運動頻しきりに尖鋭を加え、
更に天皇機關説を繞めぐりて起れる國體明徴問題の進展と共に、其の運動益々苛烈となり、・・・国体明徴と天皇機関説問題 
時恰も
教育總監の更迭 あるや、之に關する一部の言を耳にし、輕々なる推斷の下に、
一途に統帥權干犯の事實ありと爲し、大に憤激せるが、
會々 相澤中佐の永田中將殺害事件 に會し、深く此の擧に感動激發せらるゝところり、
遂に該統帥權干犯の背後には一部の重臣、財閥の陰謀策動ありと爲すに至り、
就中此等重臣は、ロンドン條約以來、再度 兵馬大權の干犯を敢てせる元兇なるも、
而も 此等は國法を超越する存在なりと臆斷し、
合法的に之が打倒を企圖すとも到底其の目的を達し得ざるに由り、
宜しく國法を超越し、軍の一部を僭用し、直接行動を以て此等に天誅を加えざるべからず。
而も 此の行動は、現下非常時に処する獨斷的義擧なりと斷じ、
更に之を契機として國體の明徴、國防の充實、國民生活の安定を庶幾し、
軍上層部を推進して、所謂昭和維新の實現を齎もたらさしめむことを企圖せるものなり。
( ロ )  竹嶌継夫、丹生誠忠、坂井直、田中勝、中島莞爾、安田優、
 高橋太郎、常盤稔、林八郎、池田俊彦 及び 山本又も、
かねてより、我國現時の状態を以て國體の本義に反するものありと爲し、
特權階級を排除して、所謂昭和維新を促進するの必要を痛感しつつありしが、
昭和八年前後より逐次 村中孝次等の思想信念に共鳴し、同志としてこれ等に接触し、
遂に直接行動をも是認するに至れり。
二、計畫 及 準備
( イ )  昭和十年十二月、第一師團が近く満洲に派遣せらるべき旨の報 傳わるや、
 村中孝次、磯部浅一、栗原安秀等は第一師團將士の渡満前、
主として在京同志に依り速に事を擧げるの要ありと爲し、
香田清貞 及び 澁川善助と共にその準備に着手し、相澤事件の公判を利用して、
或は特權階級腐敗の事情、或は相澤中佐の蹶起の精神を宣傳し、
以て社會の注目を集め、 且 同志の決意を促しつつありしが、
今や諸情勢は正に維新斷行の機熟せるものと看取し、爾來各所に於て同志の會合を重ね、
近く決行することを定め、且 これが實行に関關する諸般の計畫 及び 準備を畫策し、
又 歩兵大尉山口一太郎、北輝次郎、西田税、亀川哲也等と 所要の連絡を爲せり。
( ロ )  之が具體案を確定する爲
 昭和十一年二月十八日頃夜
村中孝次、磯部浅一、栗原安秀、安藤輝三 及び亡元航空兵大尉河野壽は、
栗原安秀方に會合し、襲撃の目標、方法 及び時期等に關し謀議の上、
近衛歩兵第三聯隊、歩兵第一聯隊 及び 歩兵第三聯隊の各一部の兵力を出動せしめて、
在京一部の重臣を襲撃殺害し、
別に河野壽の指揮する一隊を以て、伯爵牧野伸顕を襲撃殺害し、
又 豊橋市在住の同志をして 興津別邸の公爵西園寺公望を襲撃殺害せしむること、
及び 決行の時期を來週中とする 等を決定し、
同月十九日 磯部浅一は豊橋市に赴き、對馬勝雄に東京方面の情勢を告げ、
相謀りて 公爵西園寺公望襲撃殺害を確定せり。
( ハ )  同月二十二日夜
 村中孝次、磯部浅一、栗原安秀、亡元航空兵大尉河野壽は、再び栗原安秀方に會合し、
蹶起の日時 及び 襲撃部署等につき謀議を遂げ、
同月二十八日午前五時を期し、同志一齊に蹶起する事に決し、
且 それぞれ部署を定めて總理大臣岡田啓介、大蔵大臣高橋是清、内大臣子爵齋藤實、
侍従長鈴木貫太郎、伯爵牧野伸顕、公爵西園寺公望を殺碍すること、
成し得れば宮城坂下門に於て奸臣と目する重臣の參内を阻止すること、
及び 警視廳を占拠してその機能發動を阻止すること、
並に 陸軍省、參謀本部、陸軍大臣官邸を占拠し、
村中孝次、磯部浅一、香田清貞等より 陸軍大臣に對し、
事態収拾につき善處を要望する事等を謀議決定せり。
( ニ )  同月二十三日、
 栗原安秀は豊橋市に赴き對馬勝雄、竹嶌繼夫に右決定事項を傳達し、襲撃に關する打合せを爲せり。
同日頃、澁川善助は前記計畫を知り、
村中孝次、磯部浅一等と東京小石川水道端二丁目 直心道場その他に於て聯絡の結果、
自らは 神奈川県湯河原町に於ける伯爵牧野伸顕の所在を偵察すること、
及び 同人は直接行動に加わらず、
専ら外部に在りて、被告人等の企圖達成のため策動すること等を謀議決定し、
又 同日夜
村中孝次、磯部浅一、香田清貞、安藤輝三 及び亡元歩兵大尉野中四郎等は 歩兵第三聯隊に會合し、
内大臣子爵齋藤實私邸を襲撃したる後、更に教育總監渡邊錠太郎を襲撃し、
同人を殺碍すること等を謀議決定せり。
( ホ )  同月二十四日夜、
 村中孝次、磯部浅一、栗原安秀、香田清貞、亡野中四郎等は 歩兵第一聯隊に會合し、
蹶起後企圖達成のため陸軍上層部に對する折衝は
村中孝次、磯部浅一、香田清貞等に於て是を担當すること、
及び 部外參加者は二十五日午後七時までに歩兵第一聯隊に集合することを謀議決定せり。
( ヘ )  以上 謀議決定したる事項は極力これが秘密を保持しつつ、
 同月二十五日夕までにその全部 又は 所要の部分を他の同志に通達せしが、
同志は何れもこれを快諾、若しくはこれに同意せり。
但し 麥屋清濟、鈴木金次郎、清原康平は
未だ兵力を使用し 直接行動に出ずるの意思を有せざりしも、
前記計畫の示達を受くるや、
遂に小節の情義に從い、或は鞏制的勧誘を排するの氣力を欠き、
麥屋は中隊附として、
又 鈴木 及び 清原は 各所中隊下士官兵を率いてこれに參加を決意するに至れるものなり。
( ト )  同月二十五日夕、
 村中孝次は亀川哲也方に於て西田税 及び 亀川哲也と相會し、
愈々明二十六日払暁を期し決行すべきことを告げ、
以て同人等と所要の聯絡を遂げ、且 亀川哲也より蹶起資金若干を受領せり。
同日夜、村中孝次、磯部浅一、香田清貞等は歩兵第一聯隊に會合し、
前記襲撃 及び 占拠後 陸軍大臣に對し 要望すべき事項として、
一、陸軍大臣の斷乎たる決意に依り、速かに事態を収拾して 維新に邁進すること
二、皇軍相撃の不祥事を絶對に惹起せしめざること
三、軍の統帥破壊の元兇を速かに逮捕すること
四、軍閥的行動を爲し來りたる中心人物を除くこと
五、主要なる地方同志を即時東京に招致して意見を聽き事態収拾に善處すること
六、前各號實行せられ 事態の安定を見るまで蹶起部隊を現占拠位置より絶對に移動せしめざること
等を 謀議決定し、且 村中孝次の起草したる決起趣意書なるものを印刷交附せり。
( チ )  これより先、對馬勝雄は
 同月十九日 豊橋自宅に於て 磯部浅一の來訪を受け、東京方面の情勢を承知し、
相謀りて同時に豊橋市在住の同志を以て公爵西園寺公望を襲撃殺碍すべきことを決定し、
同月二十日以後、
竹嶌繼夫と共に同志歩兵中尉井上辰雄、同塩田淑夫、同板垣徹 及び一等主計鈴木五郎に對し
これが參加を求めたるに、板垣はその賛否を保留し、他の三名は何れもこれを承諾し、
同月二十三日
對馬勝雄、竹嶌繼夫 及び鈴木五郎は、
聯絡の爲來れる栗原安秀より 東京に於ける襲撃計畫 及び決行日時等に關する決定事項の通達を受け、
静岡県興津町西園寺公望別邸の襲撃も豊橋陸軍教導學校の下士官兵約百二十名を以て
同月二十六日午前五時を期して決行し、
同人を殺碍すること 並にその實行計畫の概要を謀議決定し、
その後 對馬勝雄、竹嶌繼夫等はこれが細部に関し準備する所ありしが、
同月二十五日に至り
板垣徹が兵力使用の点につき敢然反對したる爲、遂に公爵西園寺公望襲撃を中止し、
對馬勝雄、竹嶌繼夫は急遽上京して同志の行動に參加するに至れり。

三、行動の概要
斯くて以上 同志は相團結の上、前記各決定事項に基き左の如く行動せり。
1  栗原安秀、林八郎、池田俊彦、對馬勝雄は内閣總理大臣官邸を襲撃し、
 総理大臣岡田啓介を殺害する任務を担當せるが、
二月二十六日未明、所属歩兵第一聯隊機關銃隊下士官等に所要の件を傳達し、
次で非常呼集を行い 機關銃隊全員を舎前に整列せしめ、蹶起の趣旨を告げ、その一部を丹生部隊に配備し、
自ら銃隊下士官兵約三百名を指揮し、
同四時三十分頃兵営を出發し、同五時頃 内閣総總理大臣官邸を襲撃し、
同邸を護衛する警官村上嘉茂左衛門、土井清松、清水与四郎 及び小館喜代松の四名
並に 總理大臣秘書官事務嘱託松尾傳蔵を殺害したるも、
松尾傳蔵を以て岡田首相と誤認し、爲に同人を殺害するに至らず。
2  中橋基明、中島莞爾は、大蔵大臣高橋是清私邸を襲撃して同人を殺害する任務を担當し、
 二月二十五日夜
近衛歩兵第三聯隊第七中隊下士官兵約百二十名を守衛隊控兵と突入隊とに二分し、
前者は歩兵少尉今泉義道をして これを率いしめ、
後者を以て同邸内に侵入して高橋蔵相を殺害すること等を決定し、
翌二十六日午前三時頃、
中橋基明、中島莞爾は同中隊内居住室に在りし今泉義道の許に至り、
昭和維新斷行のため 高橋蔵相の殺害に赴く旨を告げ、
且 行動を共にすべく勧告したるも諾否を明にせざるを以て、
中橋基明は我々と行動を共にすると否とは自由に委す、
但し 蹶起後は當然守衛隊控兵の派遣あるべきを豫想せらるゝが故に、
控兵副指令たる貴官は唯控兵を引率せよと申渡し 同室を立去れり。
今泉義道は事茲に至る、既に已むを得ずとなし、中橋基明の意に從い行動せんと決意するに至れり、
次で同四時頃、中橋基明は非常呼集を行い、明治神宮參拝と稱して下士官兵約百二十名を指揮し、
同四時三十分頃、兵営營を出發し、自ら突入隊を率い、
同五時頃、大蔵大臣高橋是清私邸を襲撃し同人を殺害し、
次で一同 同邸を退去し、中島莞爾は中橋基明の指示により突入隊を指揮して内閣總理大臣官邸に到れり。
一方 今泉義道は暹羅公使館附近に位置し、中橋基明の高橋蔵相私邸襲撃間待機の姿勢に在りしが、
中橋基明と共に襲撃後、守衛隊控兵を率いて守衛隊司令官の許に至り、
次いで 命令に依り坂下門の警戒に任じたる後、
同十一時頃 勤務の交代を命ぜられ 所属聯隊に帰營せり。
3  坂井直、高橋太郎、麦屋清濟、安田優は、
 内大臣子爵齋藤實私邸を襲撃して同人を殺害し、
更に高橋太郎、安田優は教育總監渡邊錠太郎私邸を襲撃し 同人を殺害する任務を担當し、
下士官兵約二百名を指揮し 同四時二十分頃兵営を出發、
同五時頃子爵齋藤實私邸を襲撃して同人を殺害し、
その際 身を以て内府の危害を防がんとしたる夫人春子に対し、過って銃創を負わしめたる上、
同五時十五分頃 一同 同邸を退去し、坂井直、麦屋清濟は主力部隊を率いて陸軍省附近に到り、
猶 高橋太郎、安田優は下士官以下約三十名を指揮し、
予ての計畫に基き赤坂離宮前に於て、田中勝の交附せる軍用自動貨車に搭乗し、
教育總監渡邊錠太郎私邸に向い、
同六時過頃 同邸を襲撃し、妻すず子の制止を排し 同人を殺害し、
同六時三十分頃 一同 同邸を退去し 陸軍省附近に到り、坂井部隊の主力に合せり。
4  安藤輝三は侍従長官邸を襲撃し 侍従長鈴木貫太郎を殺害する任務を担當せるが、
 二月二十六日午前三時頃、非常呼集を行い全員を舎前に整列せしめ、
同三時三十分頃兵營出發、
同四時五十分頃 侍従長官邸を襲撃し侍従長に數個の銃創を負わしめ、
次で 安藤輝三は侍従長に 「 止め 」 を刺さんとせしが、夫人孝子の懇願によりこれを止め、
遂に殺害するに至らず、
同五時三十分頃 一同 同邸を退去し麹町区三宅坂附近に到れり。
5  常盤稔、清原康平、鈴木金次郎は亡野中四郎の指揮の下に警視廳を占拠するの任務を担當し、
 二月二十六日午前二時頃 所属中隊の非常呼集を行い、准士官以下約五百名を指揮し、
同四時三十分頃兵營を出發、同五時頃警視廳に到着し、
道庁司法省側 及び 桜田門側道路上數ヶ所に機關銃、輕機關銃、小銃若干分隊を各配置して
同庁の各出入口を扼おさえし、又 同庁屋上に輕機關銃、小銃若干分隊を配置し、
更に電話交換室に一部を配置して一時外部への通信を妨害せり。
6  丹生誠忠は陸軍大臣官邸を占拠し陸軍省、參謀本部周囲の交通を遮斷し、
 香田清貞、村中孝次、磯部浅一等の陸軍上層部に対する折衝を容易ならしむる任務を担當したるが、
二月二十六日午前四時頃、非常呼集を行い下士官兵約百七十名を指揮し、
村中孝次、磯部浅一、香田清貞、竹嶌繼夫、山本又等と共に
同四時三十分頃兵營出發、同五時頃陸軍大臣官邸に到着し
主力部隊を以て同官邸の表門に位置せしめ、以て特定人以外の出入を禁止せり。
7  田中勝は所属野戦重砲兵第七聯隊の自動車を以てする輸送の任務を担當したるが、
 二月二十六日午前二時三十分頃、
下士官兵一三名に対し 夜間自動車行軍を兼ね靖国神社参拝を為すと称し、
聯隊備付の乗用自動車一輌、自動貨車三輌、側車付自動車一輌にそれぞれ分乗せしめ、
これを指揮して 午前三時十五分兵営出発、
途中靖国神社に参拝し 次で宮城を拝し、
同五時頃陸軍大臣官邸に到着し、磯部浅一の指示により 直ちに乗用自動車に搭乗し、
且 兵二名をして自動貨車一輌を運転せしめ、共に赤坂離宮前附近に到り、
折柄 齋藤内大臣私邸の襲撃を終え、更に渡邊錠太郎私邸襲撃のため待合せ居りたる
高橋太郎、安田優の指揮する部隊に右自動貨車を交附し、
次で同九時頃 栗原安秀、池田俊彦、中橋基明、中島莞爾等が東京朝日新聞社を襲撃するに當り、
乗用自動車一輌、自動貨車二輌を これに交附して その部隊の輸送に充て、
その他 所属自動車或は首相官邸備附の乗用自動車を使用し、以て聯絡輸送に任じたり。
8  栗原安秀、池田俊彦、中橋基明、中島莞爾は、
 同月二月二十六日午前九時頃 下士官兵約五十名を指揮し、
軍用自動車三輌に分乗して東京朝日新聞社を襲い、同社をして一時新聞發行を不能ならしめ、
次で東京日日新聞社、時事新報社、國民新聞社、報知新聞社 及び 電報通信社等の各社を廻り、
決起趣意書を配布し、これが掲載を要求して首相官邸に歸還せり。
9  澁川善助は二月二十三日、
 神奈川県湯河原町に赴き、牧野伸顕の所在を偵察したる上 歸京し、
事件勃發後は外部にありて同志等の企圖を達成せしめんがため、
同月二十七日夜、麹町区九段一丁目 中橋照夫と相謀り、
豫て氣脈を通じ居たる山形県農民青年同盟 長谷部清十郎等をして相呼應して事を擧げしむることに決し、
これが實行のため前記中橋に拳銃及び同實包を与え、
更に栗原安秀に依頼し 某鐵砲店より右拳銃用實包三百發を入手せんとしたるも事發覺して目的を遂げず
同月二十六日以降 歩兵大尉松平紹光等と聯絡し、
外部情報の蒐集に努め これを同志等の部隊に通報し居たるが、
二十八日 安藤輝三の部隊に投じて士官を鼓舞激励し
同日夕 陸相官邸に到り 諸般の助力を爲し、
又 坂井直と同官邸附近警戒線を巡視して區處を与えたり。
10  亡 河野壽は神奈川県湯河原町伊藤屋旅館貸別荘に滞在中の牧野伸顕殺害の任務を担當し、
二月二十五日夜 予て栗原安秀の招致により
歩兵第一聯隊に集合せる歩兵軍曹宇治野時參外兵一名 並に民間同志宮田晃、中島清治、
黒田昶、水上源一 及び綿引正三を指揮し、輕機關銃二銃 その他を携行し、
翌二十六日午前零時四十分頃自動車二輌に分乗出發し、
同五時頃湯河原町に到着し 伊藤屋旅館貸別荘を襲撃して 牧野伸顕を捜索したるも、
これを發見し得ざるにより、同人を焼殺せんとして同別荘に放火してこれを焼燬しょうきし、
又 右襲撃に當り 護衛巡査皆川義孝を射殺したる外、附添看護婦 森すず江に銃創を、
折柄消火のため駆附けたる岩本亀三に銃創を負わしめたるも、
遂に牧野伸顕殺害の目的を遂ぐるに至らず。
この間 水上源一は、
亡河野壽の重傷を負い 再起し難きを知るや 爾餘の者を指揮督励し 率先抜刀し屋内に闖入し、
或は 牧野伸顕を焼殺せんとして家屋に火を放ち、
或は 消火のため駆付けたる者に對し刀を振りかざして威嚇制止に勉むる等の行爲を敢てせり。
亡河野壽等は 右襲撃の際負傷したるに因り、
一同東京第一衛戍病院熱海分院に到りしが、同所に於て各縛につきたり。
11  二月二十六日、東京方面の襲撃を終えたる部隊は、
 豫め計畫せる所に基き 首相官邸、陸相官邸、陸軍省 及び警視廳を占位し、
麹町区西南地区一帯の交通を制限し、
以て 香田清貞、村中孝次、磯部浅一等の陸軍首脳部に對する折衝工作を支援せり。
前記 香田清貞、村中孝次、磯部浅一等は丹生誠忠の指揮する部隊と共に、
二月二十六日午前五時頃
陸軍大臣官邸に到着、陸軍大臣川島大將に面接し、
香田清貞は一同を代表して 決起趣意書を朗読すると共に 各所襲撃の状況を説明したる後、
維新斷行のため善處を要望し、
又 眞崎大將、古荘陸軍次官、山下少將、満井歩兵中佐 を承知して 事態収拾に善處せられたき旨 要請せり。
この間、同日午前十時頃、磯部浅一は
同邸表玄関前に於て、折柄來合せ居たる片倉歩兵少佐に對し、拳銃を以て射撃し、同人に銃創を負わしめたり。 
次で彼等は、折柄來訪したる山下少將より、
軍首脳部に於て起案したる説得文を讀聞け 説示せられたるも  ・・・大臣告示
之に服せず、
第一師管戰時警備の下令せらるるや、・・・命令 「 本朝出動シアル部隊ハ戦時警備部隊トシテ警備に任ず 」 
成るべく これ等部隊は流血の惨を避け、
説得により歸隊せしめんとする警備司令官の方針に基き、

同二十六日夕より
歩兵第一聯隊長 小藤大佐の指揮下に入らしめられ、

次で 同二十七日早朝
戒嚴令の一部施行ありし後も、

前日と同一方針の下に 右状態を持續せしめられたるが、
幹部は之を以て一般の情勢好轉せりと判斷し、益々その所信を深め、
その企圖を斷行推進せんと志すに至れり。
12  同月二十七日朝、
村中孝次は満井中佐等の勧告により陸軍省、參謀本部の執務の便宜を考慮し 同地を開放し、
寧ろこの際 各所属部隊に引揚ぐべき旨 同志に提議せるが
一同の容るゝ所とならず、結局首相官邸 及び 新議事堂附近に部隊を集結することに一決したるを以て、
村中孝次、香田清貞は戒嚴司令部に到り 司令官香椎中将、參謀長安井少將等に對し、
蹶起の趣意 竝に軍上層部に對する要望を述べ、部隊の配備を縮小せる件を説明し、
現警備状態を暫く是認せられたく、否らざれば軍隊相撃の危険ある旨を力説し、
次で 村中孝次、磯部浅一等は北輝次郎より事態収拾に關する電話の示教に基き、
香田清貞、栗原安秀、亡野中四郎等と協議し、
同日午後四時頃 陸相官邸に於て 一部軍事參議官と會見し
事態収拾に關し要請する所ありしが、却って先ず 小藤大佐の命に従い原位置を撤去いるの必要を説示せられ、
一應はこれを諒解せるも撤去意思を確定するに至らず、
而してこれ等部隊は小藤大佐の指揮に基き、同夜より 首相、蔵相、鉄相、農相、文相 各官邸、
料理店幸楽 及び 山王ホテル等に宿營せり。
13  二月二十八日朝、
 村中孝次、香田清貞等は近衛歩兵第三聯隊より 中橋基明に対する聯隊命令として、
「 戒厳司令官は勅命を奉じ 占拠部隊をして速かに歩兵第一聯隊兵營附近に集結せしめらるるにより、
同中尉はその指揮しある部隊を率い、小藤大佐の指揮に入り行動すべき 」
旨の 電話通達ありたるを承知し、小藤大佐に對しその措置の不當を難ぜるが、
會々 小藤大佐は、戒嚴司令官に對し下されたる ・・・ 奉勅命令
占拠部隊を速かに現所属に復歸せしむるべき旨の勅令に基く第一師團命令を受領し
これが傳達を企圖せる時なりしも、同人等の感情の激化甚だしきに由り、しばらくこれを保留せり。
これに前後して 村中孝次、香田清貞、對馬勝雄等は
午前十時頃、第一師團司令部に到り 師團長及び參謀長に對し、
勅命の下令なきよう斡旋方を陳述し 陸相官邸に帰來せるに、
山下少將來邸し、
これ等首脳者に對し 勅命に基く行動の實施近きこと確實なるを以て善處すべき旨通達する所あり、
よって首脳者一同會議の結果 自決の決心を爲し、
偶々説得に來れる師團長 及び 小藤大佐に對しても、陛下の御命令に服従すべき旨誓いたるも、
北輝次郎、西田税等の電話激励と一部幹部中、同朝來 四囲の情勢の急變と各種情報の混亂錯綜とに稽かんがえ、
復歸命令は眞の大御心に非ざるべしと主張するものあり、
又 第一線を指揮しありたる者も情況の不明に基因し、或は流言に惑わされて心境一変變し、
包囲部隊が彈壓の措置に出ずるに於ては 飽く迄 現位置を固守して抗戰せんと決意し、
同月二十八日夕より
首相官邸、新議事堂、陸軍省、山王ホテル等に位置して 戰闘準備を爲すに至れり。
14  斯くて戒嚴司令官香椎中將は、小藤大佐に對しこれ等部隊の指揮權を解除し、
 一般包囲部隊に對し二十九日朝を期し 一齊に占拠地區の掃蕩を下令するに至りしが、
叛亂幹部の大部は 二十九日早朝 ラジオ放送 竝に 撒布せられたるビラ等により、
勅命に基く行動の既に開始せられたるを確知し、
且 包囲部隊の逐次近迫せるを目撃し 抵抗を斷念して、
下士官兵に對し 屯営に歸還を命じ、先に被告人等の手裡を自ら脱して帰營せる數十名を併せて、
同日午後二時頃までに下士官兵の全部歸順せるに至れり。
爾後 山本又を除き 幹部全員陸相官邸に集合し、その多くは自決を決意したるも、
一部の者はその時機に非らざるを主張し、遂に亡野中四郎を除く外一同自決を斷念し、
同日夕 何れも東京衛戍刑務所に鞏制収容せられ、
山本又はその宗教心より同日正午頃逃れて身延山に嚮いしが、三月四日 東京憲兵隊に自首せり。

15  大江昭雄 及び齋藤一郎は、
 二月二十五日夜、中橋基明より明朝他部隊と共に蹶起すべき旨聞かされたる処、
大江は豫てより旧上官たる同人より昭和維新斷行の要につき啓蒙を受け、
同人等の企圖の一部を知悉し居たるより、本属の指揮系統を離れてこれに參加せんことを決意し、
齋藤一郎も亦豫てより中隊長代理たる同人が國家革新思想を抱持しあることを知り居たるを以て、
同人が命令に仮託して犯罪を鞏要するものなるを諒知したるも、
平素の情義上これを拒み得ずして參加を決意し、
二十六日非常呼集により中隊兵員と共に中橋基明指揮の下に屯営を出發し、
同五時頃 高橋邸に至り、
齋藤一郎は同邸内屋内に闖入し 蔵相の所在を捜索したる上、
同邸を退去し、次で中橋基明と共に守衛第二小隊長として宮城内の警戒に任じたり。
大江昭雄は輕機二箇分隊を率い、前記高橋邸前方路上において憲兵、警察官に對し警戒したる後、
部下を率いて首相官邸に赴き 栗原部隊に合流し、これと共に行動して居たり。
16  前田仲吉は、
 二月二十五日夜、丹生誠忠より 明二十六日早朝を期し、昭和維新斷行のため蹶起する旨を告げられ、
次で二十六日午前二時三十分頃 同人により決起趣意書と題する檄文を讀み聞かされ、
且 これが配布を受け、更に當中隊の任務等を告げらるゝや直ちに參加を決意し、
非常呼集により中隊兵員と共に丹生誠忠の指揮の下に屯営出發、
午前五時頃陸軍大臣官邸に到着するや、兵五名を率いて陸軍省通信所に至り、
電話等による通信機關の使用を禁止したり。
17  尾島健次郎は、
 二月二十六日午前三時頃、旧上官たる栗原安秀より昭和維新斷行の旨 告げらるるや、
豫て同人より國家維新の思想を注入せられ、これに共鳴し居たるところにより
本属系統を離れて直ちにこれに參加を承諾し、同人の指揮の下に屯営出發、
機關銃小隊長として
兵約六十名を率い總理大臣官邸裏門に到り 各分隊を部署して同邸外部の警戒を爲さしめ、
且 自らその警戒線を巡視し、爾後引續き部下を率いて同官邸に位置せるものなり。
18  林武 及び 新正雄は、
 二月二十五日夜、所属中隊週番士官たる坂井直より 蹶起の趣意を告げらるるや、
自ら進んで本行動に參加する意思なきも上官の言辭に魅惑せられ、
且 平素の命令服従關係に拘束せられ、
その違法なることを推知しつつも 已む無く齋藤内大臣私邸襲撃に參加せり。
猶 新正雄は、出發前、
坂井直の指示により 聯隊弾薬庫を開扉し、實包を取出し これを各中隊弾薬受領者に交附したる後、
指示に基き 分隊長として齋藤内大臣私邸襲撃に參加し、同邸内に侵入して同家裏側の警戒に任じたり。
又 林武は
齋藤内大臣私邸襲撃に當り、輕機關銃分隊長として兵十四名を率い 同邸内に侵入し、
坂井直の命により 輕機關銃を以て女中部屋門戸を破壊せしめ、
同所より屋内に入り 齊藤實の所在を捜索して 階上寝室に闖入し、
坂井直等が齋藤實を射撃したる際、拳銃六發を發射せり、
猶 林武は右襲撃後、渡邊錠太郎私邸襲撃に分隊長として參加せり。
19  永田露 及び 堂込喜市は、
 二月二十五日夜、中隊長安藤輝三より 明朝蹶起して鈴木侍従長を襲撃すべき旨を告げらるるや、
同人が命令の鞏制下に参參加せしめんとするものなるを諒知したるも、
平素の情誼上 これを拒み得ずして出動を決意し、
小隊長の任を帯び 安藤輝三指揮の下に屯営を出發し、
二十六日午前四時五十分頃、前記侍従長官邸附近に到り、
永田露は 第一小隊長として下士官兵約八十名を率い、同官邸裏門より邸内に侵入し、
鈴木侍従長に對し拳銃を發射し、
又 堂込喜市は 第二小隊長として 兵約八十名を率い、同官邸表門より邸内に侵入し、
鈴木侍従長に對し拳銃を發射し、
次で 安藤輝三に随い部下を率いて陸軍省、新議事堂、幸楽 及び 山王ホテル等に位置したり。
20  立石利三郎は、
 第七中隊長たりし 亡野中四郎より本行動に參加を求めらるるや、
所属隊週番士官に何等報告する事無く、統帥を紊ることを承知しつつこれに同意し、
同機關銃隊下士官四名、兵約七十名を指揮し、
機關銃八 及び同實包を携行して野中部隊の警視廳襲撃に參加せり。
21  伊高花吉は、
 安藤輝三の思想にやや共鳴しありしが、
二月二十五日夜、
所属中隊鈴木金次郎に伴はれ、第七中隊長亡野中四郎の許に到り
參加の決意を促さるるやこれに同意し、
同機關銃隊下士官四名、併く七十名を指揮し、
機關銃八 及び同實包を携行して野中部隊の警視廳襲撃に參加せり。
22  北島弘、渡邊清作、青木銀次、長瀬一は、
 二月二十五日夜、
所属中隊に非らざる第一中隊週番士官 坂井直より蹶起の趣旨を告げらるるや、
直ちに これに同意し、
次で長瀬は蛭田正夫に、青木は小原竹次郎に、その旨を伝え、
且 何れも所属中隊週番士官に何等報告することなく、秘かに二等兵の一部を率いて坂井部隊に加わり、
内大臣齋藤實私邸の襲撃に參加せり。
右襲撃後、更に蛭田 及び 長瀬は共に輕機關銃分隊長として渡邊教育總監私邸の襲撃に參加せしが、
特に長瀬一は 同邸外扉を射撃破壊し、或は自ら進んで邸内に侵入し、
安田優に續いて寝室に殺到、既に斃れている總監の背部に對し拳銃を發射せり。
猶 長瀬一は入營前より 國體の研究に志し、且 居常 明治維新志士の言行を敬愛しありしが、
入營後安藤輝三の指導と相俟って、
國體顯現の爲には一身を犠牲とし 直接行動をも爲すも敢て辭せざるの信念を有するに至らるものなり。
23  宇治野時参、宮田晃、中島清治、黒田昶、黒沢鶴一、水上源一 及び綿引正三等は、
 つとに 栗原安秀の思想信念に共鳴感激し、
特に水上は、軍隊を利用するに非ざれば革命は成功し得ずとの信念に基づき、
青年將校中 多數の同志に進んで接近し、自宅その他の各所に於て栗原と會合を重ね、
直接行動の目標、實行方策 並びにその時期等に関し、屡々意見を交換し、
且 同人より多額の資金を受け、ひたすら蹶起の時期を待望し居たるものなる所、
前記の者は二月二十五日 栗原安秀の招致により、
同夜 宇治野時参、黒沢鶴一は擅ほしいままにその本属部隊を離れ、仝隊機關銃隊栗原安秀の許に參集し、
且 亡河野壽指揮の下に在湯河原伊藤屋旅館貸別荘 牧野伸顕襲撃暗殺の任務を授けらるるや、
孰れも勇躍參加したるものにして、
その襲撃に方にては 宮田晃は黒田昶と共に 亡河野壽に從い、
屋内に闖入し巡査皆川義孝を殪したるも、河野壽 及び 宮田も共に重傷を負いたり。
黒田昶は 最初同別荘裏口より闖入し拳銃を亂射し、
次で同別荘裏側道路に廻り 牧野伸顕の脱出を警戒中、
火焔に追われ裏庭湯殿附近に避難せる婦女子數名中同人らしき姿を認め、
直に 「 天誅 」 と叫び 拳銃三、四発發を亂射せり。
宇治野時参は日本刀を携え、最初水上源一に從い同別荘玄関に向いたるが、
同人の放火後は同別荘西南側高地附近に於て、牧野伸顕の脱出 及び 警戒隊の來襲を警戒し、
次で炎上中の屋内に軽輕機關銃を亂射せり。
綿引正三は啓治巡査らしき寝巻姿の男三名を發見するや拳銃を擬して威嚇撃退し、
次で水上源一の放火後は 同別荘東側石垣上に数名の婦女子が非難蹲踞しあるを認め、
その中に牧野伸顕の潜伏しあるべしと直感し、
これに向い拳銃を發射せり。
中島清治、黒沢鶴一は最初外部の警戒に任じありしが、
水上源一の區處により輕機關銃亦は拳銃を以て附近に亂射し威嚇せり。
水上源一の行動に就きては行動概要の (10) に 述べたるが如し。

<註>
陸軍刑法第二十五條による叛乱罪の處斷明文は次の通りである。
第二十五條
党ヲ結ビ 兵器ヲ執リ 叛乱ヲ爲シタル者ハ左ノ區分ニ從テ處斷ス
一、首魁ハ死刑ニ處ス
二、謀議ニ參与シ又ハ群集ノ指揮を爲シタル者ハ 死刑、無期 若ハ五年以上ノ懲役 又ハ禁錮ニ處シ、
      ソノ他諸般ノ職務ニ從事シタル者ハ 三年以上ノ有期ノ懲役 又ハ禁錮ニ處ス
三、附和随行シタル者ハ五年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ處ス

以上
河野司著  二・二六事件 獄中手記遺書 から

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
大谷敬二郎 著 二・二六事件 では
法務官が君らは大臣告示が出る前において叛乱だといったことである。
事件鎮定後の第六十九議会において、
寺内陸相は一議員の 『 何日から叛乱部隊であるのか 』 との質問に対して、
「 彼らが営門を出た時から叛乱である 」 と 答えている。
これからすれば彼らが不法に出動して
重臣を倒し中央要域を占領したことが叛乱行動であったわけであるが、
しかしそれは反乱であって叛乱ではなかった。
当時の陸軍刑法は反乱罪を規定して、

「 党ヲ結ビ兵器ヲ執リ 反亂ヲ爲シタル者 」 ( 陸法第二十五條 ) とあった。
つまり法律的には明らかに反乱であった。
現にこの事件は陸軍刑法第二十五条反乱の罪をもって処罰している。
この反乱行為をしたものに、わざわざ叛乱軍の名を与えたのはなぜか。

彼らが奉勅命令に従わなかったとし、
それは天皇に反逆する行為と規定して、
叛乱軍と名づけたものと解するよりほかはない。
だが、事の実際はすでにみたように彼らを大命に抗した叛乱者としたことは、いちじるしい不当なことであった。
事実、この命令は伝達されていなかったし、
また、彼らには大命に反抗する意思はいささかもなかったからである。
・・・反乱に非ず、叛乱罪に非ず  『 大命に抗したる逆賊に非ず 』 


最期の陳述

2020年09月20日 19時14分49秒 | 暗黒裁判・幕僚の謀略2 蹶起した人達

『 呑舟の魚は網にかからず 』 
超法的の存在であります。
この超法的存在を打破する者は
青年將校の劍のみ可能であります。
・・・栗原安秀


最期の陳述
目次
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・ 
最期の陳述 ・ 村中孝次  『 今回ノ行動ハ大權簒奮者ヲ斬ル爲ノ獨斷専行ナリ 』 
・ 
最期の陳述 ・ 磯部淺一  『 軍上層部ノ證言ハ實ニ卑怯ナル態度ナリ 』 
最期の陳述 ・ 香田清貞 「 自分の気持は捨石となることにある 」 
・ 最期の陳述 ・ 安藤輝三 「 若い者を許してやつていただきたくあります 」 
・ 
最期の陳述 ・ 澁川善助  『 今回ノ行動ハ歴史的使命デアルコトヲ御究明サレンコトヲ希フ 』 
・ 最期の陳述 ・ 竹嶌継夫 「 斯くすることが大御心に副い奉る所以なるべしと考えたのみであります」 
・ 最期の陳述 ・ 對馬勝雄 「 形のみを以て律し 叛亂となすは、正義を無視するものであります 
・ 最期の陳述 ・ 栗原安秀 「 呑舟の魚は網にかからず 」 
・ 最期の陳述 ・ 中橋基明 「 大義のために法を破ったものであります 」 
・ 最期の陳述 ・ 丹生誠忠 「 われわれが天皇陛下のためにやったという気持を認められていないのは残念であります」 
・ 最期の陳述 ・ 坂井直 「 私が死刑になれば 高橋、安田、麦屋、下士官兵に罪なしと断言します」 
・ 最期の陳述 ・ 田中勝 「 大詔渙発の原稿まで作製しておいて説得する必要はあるまいと思います」 
・ 最期の陳述 ・ 高橋太郎 「 蹶起の目的は国体護持にあります」 
・ 最期の陳述 ・ 安田優 「 村中の背後には なにか大なる背景があると信じます」 
・ 最期の陳述 ・ 中島莞爾 「 不義を知って打たざるは不忠なりと信じて奸臣を斬ったのであります」 
・ 最期の陳述 ・ 林八郎 「 われわれを賊にすれば、その結果 軍は崩壊する 」 
 最期の陳述 ・ 水上源一 「 私の氣持ちは、學理的に観察しては判りませぬ 」

・ 
最終陳述 ・ 池田俊彦 「 我々は断じて逆賊などではありません」 

私モ結論ハ北ト同様、死ノ宣告ヲ御願ヒ致シマス。
私ノ事件ニ對スル關係ハ、
單ニ蹶起シタ彼等ノ人情ニ引カレ、彼等ヲ助ケルベク行動シタノデアツテ、
或型ニ入レテ彼等ヲ引イタノデモ、指導シタノデモアリマセヌガ、
私等ガ全部ノ責任ヲ負ハネバナラヌノハ時勢デ、致方ナク、之ハ運命デアリマス。
私ハ、世ノ中ハ既ニ動イテ居ルノデ、新シイ時代ニ入ツタモノト観察シテ居リマス。
今後ト雖、起ツテハナラナヌコトガ起ルト思ハレマスノデ、
此度今回ノ事件ハ私等ノ指導方針ト違フ、自分等ノ主義方針ハ斯々デアルト
天下ニ宣明シテ置キ度イト念願シテ居リマシタガ、此特設軍法会議デハ夫レモ叶ヒマセヌ。
若シ今回ノ事件ガ私ノ指導方針ニ合致シテ居ルモノナラバ、
最初ヨリ抑止スル筈ナク、北ト相談ノ上実際指導致シマスガ、
方針ガ異レバコソ之ヲ抑止シタノデアリマシテ、
之ヨリ観テモ私ガ主宰的地位ニ在ツテ行動シタモノデナイコトハ明瞭ダト思ヒマスケレド、
何事モ勢デアリ、勢ノ前ニハ小サイ運命ノ如キ何ノ力モアリマセヌ。
私ハ検察官ノ 言ハレタ不逞の思想、行動ノ如何ナルモノカ存ジマセヌガ、
蹶起シタ青年将校ハ 去七月十二日君ケ代ヲ合唱シ、天皇陛下万歳ヲ三唱シテ死ニ就キマシタ。
私ハ彼等ノ此聲ヲ聞キ、半身ヲモギ取ラレタ様ニ感ジマシタ。
私ハ彼等ト別ナ途ヲ辿リ度クモナク、此様ナ苦シイ人生ハ續ケ度クアリマセヌ。
七生報国ト云フ言葉ガアリマスガ、私ハ再ビ此世ニ生レテ來タイトハ思ヒマセヌ。
顧レバ、實ニ苦シイ一生デアリマシタ。懲役ニシテ頂イテモ、此身体ガ續キマセヌ。
茲ニ、謹ンデ死刑ノ御論告ヲ御請ケ致シマス。
・・・西田税の最終陳述


憲兵報告・公判狀況 24 『 歩兵第三聯隊第一中隊 軍曹・窪川保雄 』

2020年09月18日 16時49分43秒 | 反駁 2 西田税と北一輝、蹶起した人達 (公判狀況憲兵報告)

元歩兵軍曹新正雄以下四十名
第三回公判狀況

元歩兵第三聯隊第一中隊 歩兵軍曹  窪川保雄
法務官  「 昭和維新斷行トカ、國家改造ト云フコトハ、
 前回各被告ト同様ニ、坂井中尉、高橋少尉、安田少尉、麦屋少尉等ニ聽カサレタルヤ 」
然リ。
法務官  「 其際、大眼目トカ相澤公判狀況ヲ記載セル新聞ヲ讀ミ聽カセ、
 陛下ノ大御心ヲ輝カス爲、黒雲ヲ取除ク爲ニハ、重臣、財閥、特權階級ヲ芟除スルニアリト言フガ如キコトヲ聽カサレタル當時ノ感想如何 」
國體ヲ擁護シ、皇威ヲ發揚スルハ、皇軍ノ使命ナルヲ以テ、
實際ニ於テ重臣、財閥ガ黒雲ナレバ、之ヲ芟除スルハ差支イナイト考ヘマシタ。
法務官  「 如何ナル事實ヲ知ルヤ 」
事實ヲ知ラナイカラ不安デシタガ、將校ノ方ガ謂フ位ダカラ間違ヒナイト思イマシタ。
國體顯現ノ爲ニ皇軍ガ蹶起スルハ當然ナリ
ト陳述シ、

坂井中尉等ヲ心服シ絶對ニ信頼シアリタル  旨ヲ答ヘ、
前回被告同様、
同志ニハアラザルモ 將校ト共ニ行動ヲ爲シ、
軍隊トシテノ行動ハ犯罪ニ該当スルモノニ非ザルノ  信念ヲ有シ、
裁判長  「 相澤中佐ガ永田中將を殺害シタルハ如何 」
個人トシテ、上官ヲ殺害シタルハ是認セザルモ、
事實上、永田中將モ暗雲ノ一名デアツタナラ、差支アリマセン。
ト、直接行動ヲ或ル程度是認シ、
暗雲芟除ニ際シテハ軍隊出動ハ當然ナリ  ト再三鞏調シ、次デ、
二十五日夜、明朝払暁ヲ期シテ決行スル旨ヲ坂井中尉ヨリ聞カサレタル際ハ、
大事件ヲ決行スル様デアルガ、
實際、重臣、財閥ハ芟除スル程惡イコトヲシテ居ルカドウカ不安ナリシモ、
事實ヲ知悉しりつくシタルヲ以テ決行スルナラント思考シテ之ニ參加シ、
輕機分隊長トナリテ、齋藤内府邸襲撃ニ際シテハ道路上ノ警戒ニ任ジ、
二十六日午前八時頃、坂井中尉等ニ引卒セラレ三宅坂附近ノ警戒ニ就キタル  旨を陳述し、
裁判長  「 被告は坂井中尉ノ命ニ依リ 三宅坂ノ附近ノ警戒中、
 陸軍省ヘ出勤ノ某大尉ニ向ケ二發々砲シタル事實アルヤ。又、如何ナル理由ナリヤ 」
坂井中尉ト押問答ヲシテ居ツタガ中々解決セズ、
坂井中尉ヨリ實包ヲ持ツテ居ルカラト言ヒナガラ 『 ウテ 』 ト言ツタノデ、
分隊射撃手ハ下方泥溝口ニ向ケ二發々射シタルモ、射撃スル意ニアラズ。
實包ヲ所持シ居ルヲ相手ニ知ラセル爲デアリマシタ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

  平河町の坂井部隊
・・・リンク ↓

・ 私も連れて行って下さい

「 皆御苦労だつた、御機嫌よう 」 

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裁判長  「 被告ハ、若シ坂井中尉不在中ニ通過セントスル將校アリシ場合、如何 」
射撃シマス。
裁判長 
「 何故射撃スルカ。又、皇軍相撃ツ理由如何。三銭切手ヲ張ラナイモノハ射ツト言ヘバ、
 皇軍ハ二派ニ分レテ破壊スルニ至ルコトヲ考ヘザリシヤ 」

上官ノ命令ナルヲ以テ射撃ス。其他ハ判リマセン。
裁判長  「 軍人個人同志ニテ撃ツナラバ、皇軍内ニ於イテ分裂ヲ生ズルガ如キナキモ、
 同ジ陛下ノ御親任得アル皇軍将校ヲ軍隊行動ニ依リ撃ツト言フ理由如何。
某トモ、三銭切手ヲ張ラナイ將校ハ全部暗雲ナリト思考シタルヤ 」
判リマセン。
ト、曖昧ナル答弁ヲ爲シタル後、
二十九日午前十時頃、坂井中尉等ト陸軍省前ニ於テ別レ、
所属大隊長ノ引卒ニ歸隊セリト陳述シ、
現在ノ心境トシテ、
上陛下ノ宸襟ヲ悩シ奉リ、御詔勅迄渙發ニナリタルハ 何トモ申譯ハアリマセン。
ト述ベテ、
午後五時七分審理を終了シ、次回五月十日午前九時開廷スル旨ヲ宣シ、閉廷セリ
( 了 )

二 ・二六事件秘録 ( 三 ) から


最期の陳述 ・ 村中孝次 『 今回ノ行動ハ大權簒奮者ヲ斬ル爲ノ獨斷専行ナリ 』

2020年09月18日 10時23分56秒 | 暗黒裁判・幕僚の謀略2 蹶起した人達


村中孝次

昭和十一年六月四日
最終陳述


1、檢察官ノ論告ハ全面的ニ認ムル能ハズ。
2、日本改造法案ノ説明ヲナシ、改造法案ノ内容ハ決シテ社會民主主義ヲ基礎トシアルモノニアラズ、
 天皇ヲ根柱トシアルモノナリ。
然レドモ、今回ノ行動ハ此ノ改造法案ノ實現ニハアラズ。
此ノ法案ハ理想トスルモノニシテ、改造ノ一指針ナリ。
3、今回ノ行ハ民主革命ニアラズ。
 陛下ノ御爲ニ重臣、財閥等ノ袞竜こんりゅうノ袖ニ隠レテ大權簒奮ヲナセルモノヲ斬ツタノニ過ギザルモノナリ。
4、我々ノ行動ハ已ムニ止マレズ起チタルモノナリ。
 國家危急存亡ノ秋、時弊ヲ今ニシテ改メズンバ國體ノ危機ヨリ、超法的ニ行動ヲナシタルモノナリ。
故ニ、國憲國法ヲ無視シタルモノニアラズ。
即チ、大權簒奮者ニ對スル現行刑法ノ制裁ナシ。
因テ、其ノ犯行者ヲ其儘ニスル能ハザルヲ以テ、之ヲ討ツニハ斬ルヨリ他ニ途ナシ。
5、謀議者トハ 私、磯部、栗原、野中ノ四名ナリ。
 強イテ謀議ノ中ニ入ルノナレバ、安藤、香田 位ナルベシ。
ソノ他ノ者ハ自分ガ部署ヲ決定シ下達シタルモノニシテ、
檢察官ノ曰ハルル謀議ハ行動者タル軍隊ノ部隊トノ聯絡迄モ謀議ノ中にイレアルハ遺憾ナリ。
6、法律論
 今回ノ行動ハ大權簒奮者ヲ斬ル爲ノ獨斷専行ナリ。
党ヲ結ビテ徒ニ暴力ヲ用ヒタルモノニアラズ。
我々軍隊的行動ニヨリ終始一貫シタルモノナルヲ以テ、
此獨斷専行ヲ認メラルゝカ否カハ一ニ大御心ニアルモノナリ。
若シ 大御心ニ副ヒ奉ル能ハザリシ時ト雖モ反亂者ニアラズ。
陸軍刑法上ヨリスレバ壇健ノ罪ニヨリ処斷セラルルモノタルヲ信ズ。
・・・憲兵報告


反駁 1 西田税と北一輝、蹶起した人達

2020年09月18日 05時01分51秒 | 反駁 1 西田税と北一輝、蹶起した人達 (公判狀況)

根本の問題は國民の魂を更えることである。
魂を改革した人は維新的國民。

この維新的國民が九千万に及ぶ時、魂の革命は成就されると説く。
良くしたいという 一念 三千の折から
超法規的な信念に基ける所謂非合法行動によって維新を進めてゆく。
現行法規が天意神心に副はぬものである時には、
高い道念の世界に生きている人々にとっては、何らの意味もない。
非が理に勝ち、非が法に勝ち、非が権に勝ち、一切の正義が埋れて非が横行している現在、
非を天劍によって切り除いたのである。
・・・磯部淺一
今回の行動は大権簒奪者を斬る爲の獨斷専行なり。
党を結びて徒らに暴力を用ひたるものにあらず。
我々軍隊的行動により終始一貫したるものなるを以て、
此獨斷専行を認めらるるか否かは位置に大御心にあるものなり。
若し大御心に副ひ奉る能はざりし時と雖も反亂者にあらず。
陸軍刑法上よりすれば檀權の罪により處斷せらるるものたるを信ず。
・・・村中孝次

反駁 1
西田税と北一輝、
蹶起した人達

目次
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反駁 
此処では、特別軍法会議での訊問に対する答弁を謂う 
・ 
反駁 ・ 北一輝、西田税、龜川哲也 第一回公判狀況 『 公訴事實 』 
・ 反駁 ・ 西田税  第二、三回公判狀況  『 事實審理 』 
・ 反駁 ・ 北一輝  第四、五回公判狀況  『 事實審理 』 
・ 反駁 ・ 北一輝、西田税、龜川哲也 第九、十回公判狀況  『 事實審理 』 
・ 反駁 ・ 北一輝、西田税、龜川哲也 第十一回公判狀況  『 事實審理 』 

・ 西田税、北一輝 ・ 捜査経過 ( 昭和11年2月28日~昭和12年8月19日 )

・ 反駁 ・ 村中孝次 
裁判官は檢察官の陳述せる公訴事實
竝に豫審に於ける取調を基礎として訊問せらるゝ様なるも、

檢察官の陳述せる公訴事實には
前回迄に申述べたる如く蹶起の目的其の他に相違の點あり。

又、豫審に於ける取調は急がれたる關係上
我々の気持を十分述ぶる餘裕を与へられざりしを以て

我々は公判廷に於て十分なる陳述を爲し度き考なれば、
白紙となりて十分陳述の餘裕を与へられ度、

殊に當軍法會議に於ては弁護人を許されざるを以て
我々は自分で弁護人の役目も果たさねばならず、

而も弁護人と異なり身體の自由を有せざるを以て
弁護の資料を得ること能はざる不利なる立場に在り。

此等の點を御諒察の上、
陳述の機會及餘裕を十分に与へられ度し。

・ 
磯部淺一、訊問調書 ・ 眞崎大將の事   『  實ハ 南ト永田ノ策謀デネ  』 
・ 磯部淺一、憲兵聴取書 1 ・ 眞崎大將の事  『 乃公ハ最後迄頑張ツタンダ、林ハ違勅デアル  』
・ 
磯部淺一、憲兵聴取書 2 ・ 事前工作と西園寺襲撃中止 

・ 
反駁 ・ 磯部淺一 村中孝次 香田清貞 丹生誠忠 
・ 
反駁 ・  蹶起将校 全員  『 最後の陳述 』

・ 反駁 ・ 丹生誠忠 以下 村中孝次 迄

・ 池田俊彦、反駁 『 池田君 有難う。よく言ってくれた 』 

・ 
反駁 ・ 牧野伸顕襲撃隊 1 水上源一 宮田晃 仲島清治 「 我々のやった事が惡いとは思って居りません 」 
・ 
反駁 ・ 牧野伸顕襲撃隊 2 宇治野時参 黒沢鶴一 黒田昶 綿引正三 「 國家を毒する者は一掃せずんばならぬ 」 

・ 
反駁 ・ 長瀬一伍長 「 百年の計を得んが爲には、今は惡い事をしても良いと思ひました 」 
・ 反駁 ・ 福本理本伍長 「 相澤中佐はさすがだと思いました 」 
・ 
「 豫審では そう言ったではないか 」 


安田優   
國軍の將來に對するお願
私は斯く申せばとて我々の今回の擧を以て罪なしとなすものにあらず。
又、國法無私するものにもあらず。
唯現在の國法は鞏者の前には其の威力を發揮せずして
弱者の前には必要以上の威力を發揮す。
我々今回の擧は此の國法をして絶對的の威力を保たしめんとしたるものなり。
私は今回の事件を起こすに方り既に死を決して着手したり。
即ち、決死にあらずして必死を期したり。
今更罪になるとかならぬとかを云爲するものにあらず。
静かに處刑の日を待つものなり。

栗原安秀
檢察官は蹶起の趣意を歪曲し、故意に叛徒の賊名を以て葬り、
全く精神をも葬れば、斷じて承服する能はず。
社會民主革命を實行云々は香田淸貞の陳述に略同じなるも、
日本改造法案大綱に附、北、西田等の思想は
決して社會民主主義の思想にあらず と反駁す。
檢察官は現状維持者の代弁者として本事犯を斷罪しあり、
栗原は即ち本件は日本の生成發展の大飛躍の爲の已むに止まれぬ所より
統帥権權干犯者を斬ったのみにて、超法的の行爲なり と鞏調す。
大臣告示、戒嚴部隊編入の件は安藤の陳述と大同小異なり。
奉勅命令は絶對下達されず。
小藤大佐の麹町警備隊長の解任も下達されず。
大臣告示は説得案なりしと云ふも、第一師團には立派に下達され、
刑務所に來る迄説得案なりしと云ふことは明示されたる事實なし。
要するに、陸軍の首脳部が責任を負ひ切れざる様になつた爲
奉勅命令を以て叛徒の汚名を着せ居るものなるを以て、
陸軍が負ひ切れないと云ふなれば、喜んで其處刑を受くるものなり。
( 約二時間に亘り陳述す )

「 いよいよ法廷に立ったときは、
すっかり達観して死を待って居るかの如く至極簡單に淡々と陳述する者もありますし、
せめて裁判官にでも昭和維新の理念をたたきこんでやろうとするかの如く熱烈に陳述する者もあり、
神がかり的にその信念を縷々と述べる者もありました。
又 多少行き過ぎを自認した發言をする者も二、三ありました。
非公開なのは彼等の心残りであったのでしょう。
・・中略・・
彼等は政財界、重臣の腐敗、幕僚ファッショを衝きます。
それを調べずして裁判は出來ないと主張します。
・・中略・・
私達も暗黙の裡に、彼等の指摘する情勢については憂を同じくするところもありましたが 」
・・当時、特設軍法会議の半士・間野俊夫 ( 陸士33期、当時陸軍歩兵大尉 )

磯部の遺書の中に 「 特に航空兵大尉の態度最も悪し 」
と 攻撃されている河辺忠三郎は、言う
「 當時私は間野さんと同じく大尉であったが、下志津の陸軍航空學校の教官をしていた。
元來私は軍人は政治にかかわるべきでないと信じていたから、 決起將校には同情的ではなかった。
軍の統帥をふみにじった怪しからん奴だと憤慨していた。
ところが 軍法法廷で、彼等の陳述を聞いているうちに しだいに彼等に同情するようになった。
國家の腐敗、混乱を見るに忍びず、自らの家庭や生命を犠牲にして國家を建て直そうという 純粋な精神に感動したのだ。
まあ 生命を捨ててかかっている連中は鞏いのだ。
氣魄が違う。
中央の幕僚たちがなんとか責任を免れよう、 履歴に傷がついて出世の妨げにならんように
と保身に汲々たる聯中とは、天地の開きがある。
やった行爲は誰がみても許せない事だが、蹶起する動機の純粋さに判士たちはみな感激した。
彼等は他日 ( 何十年か後には ) みな 神に祭られる人々だ。
銃殺でなく、昔の武士の切腹のように名誉ある死を賜るようにすべきではないかと説く人もいた。
賛成する人も多かったが、陸軍刑法の定めは動かすことはできん。
ついに銃殺に決まった 」
「 間野さんは 彼等の目は輝いて 『 後を頼む 』 と 言っているように、私は思えました、
と書いているが、 實際に死刑の判決をうけた被告が、無期の判決をうけた者の傍にかけよって
『 おめでとう 、おめでとう 』 と言って慰めていた。
無期の連中は しょんぼり うなだれていた事は はっきり覺えている。
死に遅れて すまない という気持があったのではあるまいか 」
・・・須山幸雄著 二・二六事件 青春群像から

・・・次頁 東京陸軍軍法會議公判状況 『 憲兵報告 』 に 続く


憲兵報告・公判狀況 30 『 論告求刑・判決、山口一太郎以下三名 』

2020年09月17日 12時00分58秒 | 反駁 2 西田税と北一輝、蹶起した人達 (公判狀況憲兵報告)

   
山口一太郎             新井勲              柳下良二
・・・兵報告・公判状況 29 『 山口一太郎、新井勲、柳下良二 』 の続き

第六回公判狀況
二 ・二六事件公判狀況ニ關スル件
第一公判廷 )
七月十六日午前九時、被告山口一太郎、新井勲、柳下良二ノ三名入廷、
同九時五分 石本裁判長ヨリ開廷ヲ宣シ、
本日ハ論告求刑ヲ爲シタル後最後ノ陳述ヲナサシメ、
然ル後、后日改メテ判決ヲ与ヘル旨ノ説明ヲ加ヘ、
檢察官ヲ促セバ、三名起立ノ儘、大様左ノ如き論告求刑ヲ爲シタリ。
論告
諸言トシテ所謂二 ・二六事件ハ公訴事實ニ於テ述ベタルガ如ク 其犯行極メテ重大ニシテ、
上宸襟ヲ悩マシ奉リ、去ル五月五日ノ開院式ニ際シテハ有難キ御勅語ヲ賜リ、
國民等シク恐懼措ク能ハザル処ナリ。
本事件ノ重大性ニ鑑ミ軍ニ於テハ緊急勅令ヲ以テ東京軍法會議ヲ特設シテ
事件ノ眞相ヲ闡明ニシ、公平無私ナル處斷ヲ下シ、
以テ事犯ヲ抜本塞源的ニ芟除シ、再ビ斯ル重大不祥事件ヲ斷ジテ惹起セシメザラントスルニアリ
( 香田以下謀議決定ヨリ蹶起後迄ノ概要省略ス )
次イデ犯罪事實ニ及ビ、
被告柳下良二ハ機關銃分隊十六ケ分隊ヲ編成装備シテ各々中隊配属ヲ命ゼラレ、
其ノ行動ヲ敢テ爲シ、叛亂行爲ヲ利シ、

被告新井勲ハ所属歩兵第三聯隊第十中隊長代理トシテ
戒嚴部隊ニ編入サレ所命ノ位置ヲ警戒中ナリシガ、獨斷ニテ守地ヲ離レ、
部下將士ヲ引卒シテ靖國神社ニ參拝シ、之ノ行動ヲ以テ戒嚴司令部ニ對シ
反省を促サシメントシタル行爲ハ辱職じょくしょくノ罪ニシテ、

被告山口一太郎ハ夙つとニ靑年將校ト交リ、維新運動ニ没頭シアリ、
二月中旬頃都合ニ依リト稱シテ週番司令ヲ交代シテ彼等ニ便宜ヲ与ヘ、
二十四日夜ハ週番司令室ヲ謀議ノ爲ニ貸与有利ナラシメ、
行動隊蹶起後ハ小藤大佐ノ副官タル地位ヲ利用シテ二十六日陸相ニ對シテ三項目ノ要求ヲ爲シ、
或ハ軍事參議官ト屢々行動將校トノ會合ニハ斡旋ノ勞ヲトリ 有利トナスガ如クナシ、
其他師團長、聯隊長 等上司ニ對シテノ意見具申ノ際ハ
行動將校ヲ單位トナシテ自己ノ行動ヲトリタルハ公訴事實ニ於テモ明ナル処ナル叛亂罪ナリ。

以上ノ如ク犯罪事實ニ於テハ明瞭ナルモ、之ガ意思ノ有無ニ就テ檢討スルニ、
柳下ハ察知シ得ルコトヲ得タルニモ不拘、性温順退嬰的タル爲 之ヲ拒絶スルコト能ハズ、
週番司令ノ命ナリトシテ之ニ服從シ、且、國家革新ニ就イテハ何等ノ識見ヲ有セズト雖モ、
同志靑年將校ヨリ二、三回直接行動ノ話モ窺知シアリタル程度ニシテ、
此点憫諒びんりょうスベキ諸情多々アリ。

新井ニ就イテハ叛亂部隊ニ對シテハ利スル目的ナク、
其ノ行動ニ於テモ大ナル影響ヲ与ヘザルモノト雖、意思ノ點ニ於テハ充分ニシテ、
自ラ命ヲ待ツコトナク守地ヲ離レタリ。
猶、被告ハ嘗テ菅波大尉 ( 當時中尉 ) ヨリ國家革新運動ニ對スル啓蒙ヲ受ケアリタルガ、
其ノ後、直接行動ヲ絶對ニ否認スルニ至レリ。

山口ハ意思ノ點ニ於テハ絶對的タル場合ハ直接行動モ亦已ムヲ得ズトシテ
所謂別格タルノ地位ニアリテ何等問疑ノ餘地ナシト斷ジ、

續イテ犯罪事實ノ證明ニ就イテ按ズルニ、
被告等ノ行爲ノ證明ヲ憲兵ノ訊問調書、證人訊問調書 ( 各關係者ノ分ヲ省略 )、
當法廷ノ供述竝ニ豫審訊問調書、各證據品ヲ綜合スレバ明ナリ。
之ヲ法律ノ適用ヨリスレバ、
柳下良二ニ對シテハ陸軍刑法第三十條ニ該當シ、
新井勲ハ陸軍刑法第四十三條第二項ニ該當シ、
山口一太郎ハ陸軍刑法第三十條ニ該當スル犯罪ナリ、
ト論及シ、
此間ニ於テ叛亂罪、叛亂ヲ利スル罪、
司令官故ナク守地ヲ離レタル罪ニ就テ詳細ニ説明ヲ加ヘ、
本犯ニ對スル檢察官ノ求刑ハ全檢察官ノ意見ヲ總合シ、
或ハ全行動將校ノ量刑ヲ檢討シテ充分審査ノ結果決定シタルモノナリト
懇切ニ之等被告ヲ諭シ戒シムルガ如キ論告ヲ爲シタル後、
無期    山口一太郎
禁錮八年    新井勲
同    柳下良二
ヲ求刑、午前九時四十五分終了セリ。

引續キ山口ヨリ最後ノ陳述竝ニ個人弁論ヲ爲サシメタルガ、
山口
最早靑年將校ノ處刑モ終了シタル今日、
私ノ刑量ノ輕重ニ就テハ申上グルコトハアリマセンガ、
一生獄舎ニ生活スルモノトシテ、
後輩ノ爲又ハ靑年將校ト交ルモノノ爲ニ
私ノ如き轍ヲ踏マザル如ク、
一言申上ゲマス。
所謂別格ト稱スル役ハ
靑年將校ノウチニ交リテ其ノ直接行動ノ畫策ヲ禎知シテ

之ヲ未然ニ防止スルニ在ルコト勿論デアリマスガ、
三年以上モ交ルト其処ニ緊密ナル友情關係ガ結バレ、
最後迄疵庇ニテ通シタイト云フ観念ガ先ニナリテ其去就ヲ誤ルコト明デアリマス。
射タレテ西田税ノ如クナルカ、
飛込ンデ私ノ様ニナルカノ 二道ノ重大危驗性ヲ持ツテ居リマス故、

充分ゴ注意ニナル様御傳ヘ下サイ。
次ニ、拘禁中ニ對空用放射器ノ原理、構造ヲ考究シタル手記ガ原稿用紙ニ約百枚程アリマスカラ、
之ヲ各關係所官廳ニ御届ケ下サイ。
現在使用シテ居ル陸軍對空放射モ私ノ案出シタモノデアリマスガ、
大ナル矛盾ヲ發見シマシタノデ、其ノ儘製造スルト陸軍ノ莫大ナル損失トナリマスカラ、
至急御届ケニナル様御取計リ下サイ。
ト陳ベ、
次デ、新井
私ノ精神ヲ全ク誤解シテ居ルコトヲ殘念ニ思ヒマス。
其當時ノ狀況ヲ御判斷願ヒマス。
大臣告示、戒作命令、師團命令、後日ニ於テ出所不明ノ奉勅命令ヲ受命シテハ
如何ナル判斷ヲ下スベキデアツタデアリマセウカ。
私ハ行動隊ヲ賊軍ト思考スルコトハドウシテモ出來マセンデシタ。
皇軍ト信ジテ居タシ、
猶、謀略ニ依ル僞装命令、告示ナリトスル附言モ何ニモアリマセンデシタノデ、
カカル行動ヲ執ルニ至リ、且、聯、大隊長モ致方ナシトシテ之ヲ認メテ居タデハアリマセンカ。
猶、檢察官殿ハ命令云々ト申サレマスガ、
軍隊ノ統帥命令ハ 「 戰闘綱領 」 ニモアルガ如ク、
上司ノ意圖ヲ案ジテ行フ場合、
時ノ狀況如何ニ於テハ何等刑法上ノ處分ヲ受クルベキモノデハアリマセン。
之ヲ形式上ヨリ見ルナラバ、師團長、戒嚴司令官、陸軍大臣ハ不敬罪、叛亂罪、
叛亂ヲ利スル罪トナルデハアリマセンカ。
私ノ量定ニ就テハ認メラレマセン。
ト檢察官ニ毒附キタルモ、裁判長、法務官ニ押サエラレテ引下リ、

次デ、柳下良二
量刑ニ就テハ申上グルコトハアリマセンガ、私ノ精神ヲ御察シ下サイ。
其他ノ點ハ當公判廷ニ於テ陳述シタル通リデ、何モ申上グルコトハアリマセン。

ト各被告ノ陳述ヲ終リ、
午前十時三十三分 石本裁判長ハ次回判決ナルモ、
追テ期日ヲ通知スル旨ヲ告ゲ、閉廷ヲ宣シタリ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
< 註 > 判決は、次の鈴木五郎以下三名の判決と同日に行われている。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
七月二十九日 午前九時三十分
被告山口一太郎、新井勲、柳下良二ノ三名 出廷後、
直ニ石本裁判長以下着席、開廷ヲ宣シ、判決ヲ爲スベキ旨ヲ述ベタル後、
石本裁判長ハ判決理由ヲ冒頭ニ讀上ゲタルモ其内容ハ曾テ當公判廷ニ於テ各被告ノ陳述
竝ニ公訴事實ト概ネ同様ナルモノナリ ( 此分省略 )
次イデ、證據ノ認定ニ就イテハ、各被告ノ當公判廷ニ於ケル供述、
各關係者ノ證人訊問調書 竝ニ叛亂事件元將校等ノ豫審調書各關係部分ニ基キテ明ナル旨ヲ述ベ、
擬律ニ就テハ
被告山口一太郎ハ陸軍刑法第第三十條 竝ニ第二十九條ニ該當シ、
新井勲ハ同法第四十三條第二項ニ該當シ、
柳下良二ハ同法第三十條 竝 第二十七條ニ該當スルモノナリ、
ト論告シ、主文ハ、
( 叛亂罪 )  山口一太郎    無期禁錮  ( 求刑無期禁錮 )
(辱職じょくしょく罪 )  新井勲    禁錮六年  ( 求刑禁固八年 )
( 叛幇助 )  柳下良二    禁錮四年  ( 求刑禁固八年 )
ニ處スル旨ヲ言渡シ、
午前十時十分閉廷ヲ宣セリ。

憲兵報告・公判状況 22 『 論告求刑』 に続く
二 ・二六事件秘録 ( 三 ) から


最期の陳述 ・ 磯部淺一 『 軍上層部ノ證言ハ實ニ卑怯ナル態度ナリ 』

2020年09月17日 10時01分56秒 | 暗黒裁判・幕僚の謀略2 蹶起した人達


磯部淺一
昭和十一年六月四日
最終陳述


1、事實論ニ附、日本改造法案ノ内容ガ社會民主主義ヨリ構成サレアルトノ檢察官ノ論告ハ
 斷ジテ承服セズトテ、其説明ヲナス。
2、國憲國法ヲ斷ジテ侵シアラズ。
3、軍上層部ノ證言ハ實ニ卑怯ナル態度ナリ。
4、要スルニ、大臣告示、戒嚴部隊ノ編入ノ件ヲ鞏調シ
 併セテ 眞崎大將、山下少將、満井中佐等ノ話ハ確ニ我々ノ行動ヲ有利ニ導キタルモノト思ヒ居タリ。
尚、眞崎閣下ニハ一月二十八日面會シ、其后、森傳ヲ通ジ金五百圓ヲ貰ヒタリ。
又、山下少將ニ附テモ、去ル新宿御座敷本郷ノ會合モ同少將ガ黒幕ナリ。
其時ハ議會解散ニ對シ陸軍大臣ヲシテ署名ヲ拒否 ( 武力一個中隊位ニテ鑵詰 かんきつ ) セシメ、
以テ倒閣ニ導ク陰謀ナリキ
當時之ハ表面相澤公判ノ協議ナリト體裁ヲ作リタリ。 ( 佐賀内閣ノ陰謀カ )
山下少將モ我々ノ行動ヲ是認シ、維新ニ入ル氣分多分ニアリタルヲ思ハル。
4、檢察官ノ論告にモアリタルガ如ク、有難キ詔勅ハ出サレ百世一新シ、
又、軍ハ肅軍ニ邁進アリト聞キ、心私ニ喜ブモノナリ。
・・・憲兵報告


最期の陳述 ・ 澁川善助 『 今回ノ行動ハ歴史的使命デアルコトヲ御究明サレンコトヲ希フ 』

2020年09月16日 10時01分56秒 | 暗黒裁判・幕僚の謀略2 蹶起した人達


澁川善助  
昭和十一年六月四日
最終陳述


1、始メニ裁判官ヨリ開院式ニ賜リタル詔勅ヲ更ニ讀聞ヲ申請シ、讀聞ケヲ受ケタリ。
2、御詔勅ハ誠ニ有難キ極ミナリ。
 我々ノ力及バズシテ御維新ニ入ル事ヲ得ズ、御宸襟ヲ悩マシ奉リタルコトハ誠ニ恐懼ノ至リニ堪ヘズ。
3、社會民主革命ヲ實行シタルニアラズ、國體ノ眞姿顯現ニアツタノデアル。
日本改造法案ノ説明ヲナス。
4、檢察官ノ情状論ヲ一々指摘、反駁否定セリ。
5、今回ノ行動ハ歴史的使命デアルコトヲ御究明サレンコトヲ希フ。
 之を要スルニ、澁川ハ澁川ノ持ツ國體観念ニヨリ七度生代ツテモ
只今考ヘテ居ル陛下ノ御爲ニ盡ス心ニハ變ワリナイト、
最後ニ、今回ノ事件ハ最終ニシテ國體ガ明徴トナリ百世一新サレ、
軍ハ □然ト本義ニ基キ邁進スル様 裁判長其他判士ニ御願ヒスル
トテ、
辯論ヲ終了ス。
・・・憲兵報告


憲兵報告・公判狀況 29 『 山口一太郎、新井勲、柳下良二 』

2020年09月16日 08時48分29秒 | 反駁 2 西田税と北一輝、蹶起した人達 (公判狀況憲兵報告)


山口一太郎         新井勲               柳下良二
・・・憲兵報告・公判状況 28 『 山口一太郎 』 の続き

第五回公判狀況
二 ・二六事件
公判狀況ニ關スル件

( 第一公判廷 )


七月十三日午前九時、
被告山口一太郎、新井勲、柳下良二 出廷、
同九時十三分 石本裁判長ヨリ開廷ヲ宣シ、本日三名ニ對スル證據調ヲ行フ旨ヲ告ゲ、
個人調トナリ、先ヅ新井勲ヨリ
法務官  「 被告ノ豫審調書ニ於テ陳ベタル部分ニ承認セザル部分ハ擇
公判廷ニ申述ベタル方ヲ採擇スル故ニ、 其他ハ全部承認スルヤ 」
新井  「 全部認メマスガ、其ノ精神ヲ認メテ戴キタイ 」
法務官  「 奉勅命令、大臣告示、戒作命令ニ就テハ、 其ノ經緯、當時ノ狀況ハ後デ裁判長ヨリ説明アルヲ以テ省略ス 」
新井  「 招致シマシタ」
ト、續イテ各關係者ノ證リタルモ、大體ニ於テ是認シタリ

九時五十分 一先休憩室ニ歸リ、
續イテ柳下ニ移リ、
法務官  「 豫審調書ハ全面的ニ認メ得ザルモ、 其部分ハ當公判廷ニ於テ陳述シタル方ヲ採擇スルヲ以テ、之ヲ認ムルヤ 」
柳下良二  「 認メマス 」
ト、前同様各關係者ノ證人訊問調書、豫審調書ヲ讀聞ケタル処、
何レモ前回公判廷ニ於テ述ベタル通リナリ
ト異議ヲ申立テ、

午前十時十五分終了。

續イテ山口ト交代シ、
法務官  「 豫審調書中否認スル部分アリヤ 」
山口  「 其ノ精神ヲ認メテ戴クコトト當法廷ニ於テ私ノ屢々陳述シタルコトヲ御諒解下サイ 」
ト、續イテ西田、村中、栗原 等ノ豫審調書ヲ讀聞ケタル処、
其ノ精神ニ於テ相違スルヲ以テ、形式上ニ於テハ同一ナリト雖モ、
之ヲ是認スルコトヲ得ズ
ト反駁ヲ繰返シタリ

其後、押収品調ヲナシタルガ、認メザルモノ二、三點アリタル他全部是ヲ認メ、
正午終了セリ

再ビ新井勲ヲ呼出シテ、裁判長ヨリ奉勅命令、大臣告示、戒作命令ノ下達方法、
其精神、戒嚴司令官ノ決心ヲ當時ノ記録ニ基キテ説明シ、
諒解セシメタルモ、認定ニ依リ之ヲ認メ、被告ノ誤認ヲ指摘シテ終了セリ
午後〇時三十五分証據調ノ終了ノ旨を告ゲ、
次回ハ十六日午前九時開廷スル旨宣シテ、閉廷セリ


憲兵報告・公判状況 30 『 論告求刑・判決、山口一太郎以下三名 』  に続く
二 ・二六事件秘録 ( 三 ) から


最期の陳述 ・ 香田淸貞 「 自分の気持は捨石となることにある 」

2020年09月15日 18時45分55秒 | 暗黒裁判・幕僚の謀略2 蹶起した人達


香田淸貞
昭和十一年六月四日
最終陳述


御宸襟を悩し奉り恐懼に堪えず。
論告に民主革命を實行せんとしたとあるも、これは自分の考えとはぜんぜん異なるところにして、
決行したのは國體の障碍を目した者を除き、國體の眞姿を顯現し
特に公判において述べしごとく、昭和元年の御勅諭の精神が實行せられないので、
御勅諭の精神を實行する人が出ることを念願し、
そのような人が出る世の中に致したしと希望したるため。
自分が建設計畫を有するごとく誤解されたるも、それは建設計畫にあらず希望に過ぎず。
つぎに暴力を用いねば現状打開ができぬように妄信したとの点については、
決して妄信にあらず、他に手段なしと考えて直接行動を是認したるなり。
自分の根本の考えは、
直接行動はできるだけ避けて、昭和元年の御勅諭に現われた大御心を實現せんとしたるも、
ついにこれを是認したのは、他の同志中にも策を有するものもなく、
また信ずべき上官にあたりたるも策なきように考えたるがためなり。
つぎに現状の認識において、
立派な御世であるのに自分等が立派な御世でないように考えたとの点については、
昭和の聖代が立派なことは認めます。
この立派な御世に生れたことを光榮に思います。
しかし なお不足があると考えたのは、
現在の日本の使命は より以上のことをしなければならぬ時機に到達していると考えたのと、
御勅諭にもそのことが言われているので 左様だと考えました。
さらに兵力を使用し 軍紀を破壊したとの點については、
實行前にそのことは考えたが、前に言いたるように大なる獨斷と考えたのであって、
獨斷の正非にかかわらず、
このことに關しては陛下の御裁おさばきを受けねばならぬとは考えてはおりましたが、
大臣告示が出て、また 戒嚴部隊に編入されて、
その獨斷の出發點において認められたと思って安心しました。
しかし それをもって全部の責任が終ったとは考えませぬでした。
つぎに論告に肅軍に邁進し政府國政一新に嚮って進んでいるとあった點については、
私は蹶起の使命が遂行されたと喜んで居ります。
刺激を与え、それによって國民全部が大御心を體し、一致して良くなっていると聞き喜んでおります。
この公判において 先程の論告を聞き、
かねて國家の盛衰に關する重大事件なれば
思いきった御裁をしていただきたいと思っておりましたが、
その御方針で邁進しておられることを感じ喜んでおります。
世評はいろいろありましょうが、自分の気持は捨石となることにあるのですから、
それによって國家の躍進ができれば満足の至りです。
ただ形の上より言えば一時は後退に見えるかもわからぬが、
前進し居ることを先程言われ、證拠づけられているように思い喜んでおります。
以上
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1、論告中ニ於ケル、
 北、西田等ノ心奉セル日本改造法案ニヨリ
社會民主主義革命ヲ實行セントクーデターを斷行セントシタリトアルハ
承服出來ザル所ナリ、
何トナレバ今回ノ蹶起ハ
蹶起ノ趣意書ニ明示セル如ク國體ノ眞姿顯現ニヨリ
一路御維新ニ入ラントシタルモノナリ、
ト弁明シタル後、
其ノ他ハ大體檢察官ノ論告ヲ是認シ、
檢察官ヨリ御詔勅ニヨリ百世改マリ軍ハ肅軍ニ邁進シアリトノ言明ニヨリ
蹶起將校等の眞意は認メラレアルハ眞ニ満足スル所ナリ トシ、
行動ノ非ハ陛下ノ御宸襟ヲ悩マシ奉リタルコトハ御恐懼ノ至リニ堪ヘズ
ト結ビタリ。
・・・憲兵報告


憲兵報告・公判狀況 28 『 山口一太郎 』・・行動將校ト一処ニナツテモヨイト思ヒマシタ

2020年09月15日 05時48分49秒 | 反駁 2 西田税と北一輝、蹶起した人達 (公判狀況憲兵報告)


山口一太郎
・・・兵報告・公判状況 27 『 山口一太郎 』 の続き

第四回公判狀況 
ニ ・ニ六事件第一公判廷 公判狀況ニ關スル件

七月十一日午前九時被告山口一太郎、新井勲、柳下良二出廷。
同九時七分 石本裁判長開廷ヲ宣シ、
新井、柳下ノ兩名ヲ即時休憩セシメ、前回ニ引續キ山口ノ事實審理ヲ續行セリ
法務官
「 二月十八、九日頃ニ於テ蹶起ノ様子ヲ知り、二十四日ニ於テハ全ク決行ヲ察知シタルニモ拘ラズ、
 之ヲ阻止スル手段ヲ講ゼザルノミナラズ、自ラ進ンデ週番司令室ヲ提供シタルハ、
其ノ諒解ニ苦シム処ナリ 」
ト冒頭ヨリ阻止ノ意思ナキモノナリト問詰シタルモ、被告ハ前回ノ陳述ノ通リナリトシテ、
彼等ノ動靜査察ノ爲ニハ已ムヲ得ズト 論ジ、
且ツハ過去數年ニ亘リ常ニ未然ニ防止シ來リタル例ヲ擧ゲテ、之ニ應酬セリ
續テ、
法務官  「 二月二十六日ヨリ其行動ヲ順ヲ追ウテ述ベヨ 」
「 1、二月二十六日午前四時三十分頃非常呼集ヲ行フト同時ニ聯隊長、師團長等ニ聯絡シ、
 某少尉ヲ使ツテ他部隊ノ出動ノ有無ヲ偵察シ、私ニテ本庄大將ニ對シ靑年將校ノ蹶起ヲ告ゲ、
尚、目標ハ是々ナラント推測ノ下ニ爲シタリ。

2、午前五時頃ニ至リ聯隊長、師團長等來隊シ、情報蒐集ノ傍ラ善処スベキヲ痛感セルモ、
 何等具體的方策ナシ。

3、午前七時頃師團長ノ命ニ依リ 聯隊長ト共ニ行動部隊ノ偵察竝ニ鎮靜ニ出發シ、
 第一ニ陸相官邸ニ赴キタリ。

4、陸相官邸ニ於テハ彼等ト陸相ト面接シ、傍ニ齊藤少將、澁谷大佐居合セ、 交渉中ナリ。
 其際蹶起ノ趣意書ヲ見ル。

5、石原大佐入リ來テ斷乎彈壓スベキヲ鞏調シタルニ、澁谷大佐ウナヅキテ之ヲ聞キ、
 軍旗ヲ立テゝ討伐スル如ク言ヒタルヲ以テ、磯部憤激シテ軍刀ノ鯉口ヲ切リ、自分ハ之ヲ阻止シタリ。

6、陸相ノ質問ニヨリ、左ノ事ヲ要請ス。
 イ、市民ニ危害ヲ加ヘザルコト、
 ロ、皇軍相撃ハ絶對不可ナリ、
 ハ、速カニ善処スルコト、
ヲ述ベタリ。
時ニ午前九時半頃ナリ。
其ノ時分 眞崎大將來リ、
齊藤少將ハ盛ニ私ト同ジ様ナコトを云フテ、
只ウナヅキテ 「 ソノ通リ、ソウダ 」
トバカリ云ツテ要領ヲ得ズ。
最後ニ總括的ニ私ハ陸相ニ、
要ハ本部隊ハ義軍カ賊軍カヲ明瞭ニセザレバ速カニ解決ハ出來ナイ事ヲ鞏調セリ。

7、眞崎大將退場シ、陸相參内シタル爲メ、自分ハ小藤大佐ト共ニ一師團司令部ニ赴キタリ。

8、司令部ニ於テ 「 一師戰警第一號 」 ノ命ヲ受ケ、・・・< 註 1 >
 尚、注意事項トシテ本部隊ヲ友軍トスルノ口達ヲ受ケ、
續イテ大臣告示ノ印刷物ヲウケテ、之ヲ行動隊幹部ニ配布ス。・・・< 註 2 >

9、其後軍事參議官會議ニ列席シテ、靑年將校ノ意ヲ含ミテ申出ヲナシタルモ、
 荒木大將ヨリ叱責セラレタリ。
即チ、速ニ義軍ト認メ鞏力内閣ヲ造リ昭和維新ニ入ルコトヲ云ヒタルタメナリ。
眞崎大將ヨリモ參謀本部附近ノ撤兵ヲ要求セラレ、行動部隊將校落胆セリ。
二十七日小藤大佐ノ命ニ依リ宿營配置ヲ爲シタリ。
其夜軍事參議官中、阿部、西、眞崎ト行動將校ト會見セリ。
其際ハ殆ド全部ナルモ、栗原ノ不在ナルハ事實ナリ。
其際ノ會見要求項目ハ、
(1)  眞崎大將ニ一任ノコト、
(2)  全軍事參議官ハ眞崎大將ヲ中心トシテ一路邁進スル事、
 之ニ對シテ眞崎大將ハ、
條件ノ一ハオ斷リスル、速ニ現所属部隊長ノ命ニ依リ歸隊セヨ、
「 錦ノ御旗ニ叛クナ 」 ト八釜敷ク申シタルモ、耳ヲカスモノナシ。
阿部大將ヨリ、
今迄トテモ一致シテ來タ、
今後トモ一致スルガ、必ズシモ眞崎大將ノミヲ中心トスル譯ニハイカヌト申シタリ。

10、二十八日情勢惡化シテ奉勅命令ノ出ル氣配ヲ知リ、驚キ且ツハ殘念ニ思ヒ、
 行動將校ヲ極力説得シテ潔ク引上グル様 小藤大佐、山下少將等ト共ニ奔走セリ。

11、一方、幸楽ニアル澁川善助ハ反對意見強ク、首相官邸ニアル栗原 又之ニ應ズル色ナシ。
 爲ニ自ラ戒嚴司令部ニ赴キ
、思切ツタ進言ヲ爲シタリ。
自分トシテモ殆ンド想像ノツカナイ反狂亂體トナレリ。

12、愈々二十八日昼過ギ奉勅命令ノ出ヅルコト確實タル爲メ、
 栗原以下十數名 陸相官邸ニ於テ自決セントシ、私モ亦彼等ト共ニ処決セントシテ、
半紙ニ 「 天皇陛下ノ御命令ニ服従ス 」 ト記シ、
何事カヲ認メ、山下少將、鈴木大佐等ト共ニ號泣ス。

13、然ルニ、磯部淺一來リテ、絶對ニ自決ノ不可ヲ叫ビタル爲メ、
 行動將校中ニハ ダンダン決意モニブルニ至レリ。

14、二十八日夜愈々討伐ト確定シテヨリハ師團司令部ニアリテ、
 二十九日モ一日司令部ニ在リ。  三月一日憲兵隊ニ拘禁セラレタリ。

法務官  「 被告ノ原則ノ如ク上層部工作ヲ爲シタルモノト認メ難シ。
 殊に二十八日ノ戒嚴司令部ニ於ケル言動ハ恰モ行動將校ト同様ナリ 」 ・・・< 註 3 >
申譯アリマセン。
今迄ノ努力ガ無ニナルト思ヘバ落胆ノ餘リ 半狂亂トナツテ勅命ヲ延期スベク申シタノデアリマス。
然シ 此頃カラ殆ド行動將校ト一処ニナツテモヨイト思ヒマシタ。

裁判官  「 被告ハ、磯部、村中ニ對シテ敎育總監更迭ハ 明ニ統帥權干犯ナリト斷ジタリト云フガ、 誰カラ聞イタノカ 」
花菱中佐 ?カラ聞キマシタ。  同中佐ハ眞崎大將カラ聞イタト云ヒマシタ。

裁判官  「 否、本庄大將カラ聞イタノデハナイカ 」
違ヒマス。本庄ハ私ガ聞イタ時ニハ、今更致方ガナイトノミ言ヒマシタ。

裁判官  「 二十六日ノ朝 私物ニテ何故 本庄大將ニ通知ヲナシタルヤ。 然モ襲撃目標迄モ推測ニテ通知シタルハ輕卒ナラザルヤ 」
輕卒デアリマシタガ、參内後ハ申上グル機會ハナイト思ツタカラデアリマスシ、
尚、側近トシテ是非知ツテ戴ク必要ガアリマシタノデ、通知致シマシタ。

裁判官  「 被告ハ敎育總監更迭ノ際ハ統帥權干犯ナリト信ジタルヤ 」
信ジマシタ。」
ト 二、三回問答ヲ爲シタル後、
法務官ヨリ總括的ニ叛亂ヲ利スル目的ナリト云ヘバ、
被告ハ、結果論ヨリハ之を諒トスルモ、
其精神ハ終始一貫國家皇軍ノ前途ヲ憂フレバコソ上層部工作ヲ爲シタリ、
其ノ精神ヲ御推察下サイ
ト歎願スレドモ、法務官ハ之ニ對シテハ諒解ニ苦シミ、
其他ノ部分ヲ指摘シテ常ニ行動将校ノ爲メ 極メテ有利ニ展開セシメ、
遂ニハ其ノ將校等ト同様ノ言動ヲ爲シ、或ハ自決ヲ共ニセントシタル、
一脈相通ズルモノハ事件勃發前ヨリアリタルモノナラズヤト問詰スレ共、之ニ應ゼズ、終了セリ
午前四時十分裁判長ヨリ 次回ハ明後日十三日開廷スベキ旨ヲ告ゲ、閉廷ヲ宣セリ
( 了 )

兵報告・公判状況 29 『 山口一太郎、新井勲、柳下良二 』 に続く
二 ・二六事件秘録 ( 三 ) から
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< 註 1 >
一師戰警第一號
第一師團命令
(二月二十六日午後四時 於 東京)
一、第一師管ノ戰時警備ヲ下令セラル
二、師團ハ昭和十年度第一師團戰時警備計畫書ニ基キ  担任警備地域ノ警備ニ任ジ治安維持ヲ確保セントス
 近衛師團ハ其警備担任區域ノ警備ニ任ズ
三、歩兵第三聯隊長ハ 本朝來出動シアル部隊ヲ合セ指揮シ、担任警備地區ヲ警備シ治安維持に任ズベシ
 但シ 歩兵第一聯隊ノ部隊ハ 適時歩兵第三聯隊ノ部隊ト交代セシムベシ
四、歩兵第一聯隊ハ屯営ニ待機シ後命ヲ待ツベシ
五、歩兵第四十九聯隊、歩兵第五十七聯隊及戰車第二大隊ハ所命ノ地点ニ兵力ヲ終結シ、待機ノ姿勢ニ在ルベシ
六、其他ノ在京部隊ハ第一師團戰時警備計畫書ニ基キ行動スベシ
七、第一師管各衛戍司令官ハ所要ノ警戒ヲ行イ、夫々衛戍地ノ警備ニ任ズベシ
八、本警備ニ在郷軍人及防護團ハ別命アル迄使用スベカラズ
九、予ハ師團司令部ニ在リ
師團長 堀 中將
併セテ次ノ事項ヲ口達セラレタリ
一、敵ト見ズ友軍トナシ、共ニ警戒ニ任ジ軍相互ノ衝突ヲ絶對ニ避クルコト
二、軍事參議官ハ積極的ニ部隊ヲ説得シ一丸トナリテ活潑ナル經倫ヲ爲ス    閣議モ其主旨ニ從イ善処セラル
< 註 2 >

陸軍大臣告示
二月二十六日午後三時三十分
東京警備司令部
一、蹶起ノ趣旨ニ就テハ天聽ニ達セラレアリ
二、諸子ノ行動ハ國體顯現ノ至情ニ基クモノト認ム
三、國體ノ眞姿顯現(弊風ヲ含ム)ニ就テハ恐懼ニ堪ヘズ
四、各軍事參議モ一致シテ右ノ趣旨ニ依リ邁進スルコトヲ申合セタリ
五、之レ以上ハ一ニ大御心ニ待ツ
・・・ 大臣告示 「 諸子ノ行動ハ國體顯現の至情ニ基クモノト認ム 」
< 註 3 >
・・・彼らは既に小藤部隊に編入され警備に任じておるのに、
わざわざ皇軍相撃つような事態をひきおこそうというのは、一體どういうわけであるのか、
皇軍相撃つということは日本の不幸これより大なるはない、同じ陛下の赤子である。
皇敵を撃つべき日本の軍隊が鐵砲火を交えて互いに殺しあうなどということが許さるべきことであろうか。
今や蹶起将校を処罰する前に、この日本を如何に導くかを考慮すべきときである。
昭和維新の黎明は近づいている。
しかもその功労者ともいうべき皇道絶對の蹶起部隊を名づけて反亂軍とは、何ということであろうか、
どうか、皇軍相撃つ最大の不祥事は未然に防いでいただきたい。
奉勅命令の實施は無期延期としていただきたい
・・・彼らは朕が股肱の老臣を殺戮したではないか 


最期の陳述 ・ 安藤輝三 「 若い者を許してやつていただきたくあります 」

2020年09月14日 18時43分16秒 | 暗黒裁判・幕僚の謀略2 蹶起した人達


安藤輝三
昭和十一年六月四日
最終陳述
檢察官の論告を承って感じたことは、局部的にのみ見ておられる點であります。
即ち 二十六日早朝の部分のみを採り、叛亂罪にこじつけられるように感じました。
全體の行動、軍首脳部の態度、大臣告示、政府の態度等をあわせて考察せられたいのであります。
大臣の告示を説得するための手段なりと軍當局は言われるそうでありますが、
同告示の内容は僞りではありません。
告示は軍當局のみならず當時の閣僚も認めていると信じます。
内容に僞ありとすることは重大問題であります。
ことに第二項は われわれの行動を認めたものであります。
眞意のみを認めるということは、告示全般より見て意味をなしません、
當時私共が告示を陸軍の總意なりと判斷したのが正當であることは、
陸軍の空氣を知る者が皆 肯定し得るところと存じます。
戒嚴部隊に編入したことを方便と稱せられますが、
苟も天皇隷下の部隊に方便で編入するというようなことは考え得ません。
戒嚴司令部の機密作戰日誌は僞造したものと判斷します。
以上の事情より判斷して、私共の行動を全部叛亂なりと言うは當を得たものではありません。
軍首脳部の證言は私共に不利なものゝみでありますが、
私共の蹶起を待望し、その機會に維新に向って邁進する豫定であったことは明かであります。
しかるに大詔渙發まで漕ぎつけ、
一夜にして廟議変更されたるが故に形勢が不利になり、
ついに今日のように私共が苦しい立場に立つことになったと信じます。
簡單に叛亂と片づけられるようになったものではないことを斷言します。
要するに一度義軍として認められた決起軍が、或種の人の策動により顛倒したる立場におかれ、
勅命に抗したりとの理由のもとに立つ瀬なきようにせられたのが今回の事件であります。
なお、論告についての細部意見を二、三 申上げます。
第一、
私どものなかでは、北や西田の感化を受けたり、改造法案を讀んだ者は一部分に過ぎません。
檢察官の改造法案の内容實現が今回の事件の動機目的なりとの意見は、
われわれの行動に慊あきたらぬ一部青年將校の意見をそのまま承認されたもので、
そのような論告は私どもが毫ごうも豫期せぬところでありました。
第二、
私どもが昭和八年頃より同志を獲得し反亂の準備をしたとの檢察官の意見に抗議を申込みます。
同志の一部分には左様な者があったかも知れませんが、大部分は左様ではありません。
第三、
国憲國法を無視したと攻撃せられますが、國法を重んずべき地位にある人が、
國法を無視しましたから、私どもは國法を絶對的のものとするために、
止むを得ず蹶起したものであります。
第四、
勅諭、勅語の解釋をせられましたが、御説明のごとき意味のものではありません。
さらにさらに深遠な意味の御言葉であります。
個人の立場で議論せられるならば兎に角、
公人として議論せられることは大御心の僭上せんじょうと存じます。
次に常盤は野中が死んだために、總ての責任を負わねばならんという不利な立場に居ます。
鈴木、清原は私が命令として同人等の決心の定らぬうちに無理に引張り出したものであります。
二十三日の謀議に坂井が加わったのではありません。
週番司令たる私に週番士官としての同人が報告に來たに過ぎません。
また 同人が第二中隊の下士官を引出したのは、私の指示によるものであります。
自分の執った行動は禁錮一日の罪にも該當しません。
もし叛亂として處斷せらるゝならば、
將校、下士官、軍事參議官、大臣、戒嚴司令官 皆 同罪として處分すべきであります。
處分の範囲を限定したき希望ならば、
野中と私が全責任をもつて終始して居るのでありますから嚴重に處分し、
若い者を許してやつていただきたくあります
以上

今度の行動において大臣告示、戒嚴部隊編入の事實は、
當時軍首脳部ならびに重臣各閣僚に至るまで、蹶起行動を是認したものである。
事件後の今日、大臣告示は説得案となり また 部隊編入は作戰の妙なりというが、
これは小藤大佐が正式に麹町地区警備隊長の命課ありたる以上、
とうじ上層部において蹶起を是認した意思の存在を堪忍するもので、
その後 奉勅命令を出し、しかもこれを反亂部隊に正式に下達しなかったのは
明らかにその態度を豹變したるものと斷言して憚らないところである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1、日本改造法案ヲ信奉シ、社会民主革命ヲ実實行云々ハ、香田淸貞ト同様ノ陳述ヲナス。
2、本回ノ行動ニ於テ、
 大臣告示、戒嚴部隊ニ編入ノ事實ハ當時軍首脳部竝重臣、各閣僚ニ至ル迄
蹶起部隊ノ行動ヲ是認シタルモノナリ。
事件後ノ今日、大臣告示ハ説得案ナリ、又 戒嚴部隊ニ編入ハ作戰ノ妙ナリト云フモ、
之レハ小藤大佐ガ正式ニ麹町地區警備隊長ノ命課アリタルモノナルヲ以テ、
當時上層部ニ其意思ナキニアラズ。
本件ハ奉勅命令ヲ出シ叛亂部隊ニ正式ニ下達セズ、
而シテ豹變シタルモノナルコトヲ斷言シテ憚ラザルモノナリ。
尚、本件ニ關シ村上大佐ノ如きハ大詔渙發ノ原稿ヲ所持開示セル事實ヨリスルモ、
軍上層部ニ改造ノ意思アリタルハ明カナリ。
3、私ノ行動ハ獨斷専行ニアリ、統帥權干犯者ヲ斬ルニアリタルモノニシテ、
私ハ週番司令トシテ確カニ命令ニテ兵ヲ動カシタルモノニシテ、
自分ノ部下將校ニハ斷ジテ責任ナキ
ヲ鞏調ス
・・・憲兵報告


憲兵報告・公判狀況 27 『 山口一太郎 』

2020年09月14日 15時27分58秒 | 反駁 2 西田税と北一輝、蹶起した人達 (公判狀況憲兵報告)


山口一太郎
・・・ 憲兵報告・公判状況 26 『 柳下良二 』 の続き

第三回公判狀況
二 ・二六事件公判狀況ニ關スル件

 ( 第一公判廷 )
七月十日午前九時 被告山口一太郎、新井勲、柳下良二出廷、
午前九時五分 石本裁判長開廷ヲ宣シ、
被告山口一太郎ニ對シ單獨審理ヲ爲ス旨ヲ述ベ、
他ノ二名ヲ即時休憩歸所セシメタリ
續イテ法務官ヨリ山口ニ對シ形ノ如ク訊問ヲ爲シタル後、
法務官  「 被告ハ現在ノ我國ノ現狀ヲ如何観察スルヤ 」
誠ニ憂慮ニ堪ヘザルモノデアルト思ヒマス。
國防ニ、國民政治ニ、國體ノ尊嚴等ニ對シテ、一トシテ安閑トシテ居ラレナイ現狀ナルヲ痛感致シマス。
即チ、現在ノ世相ハ建國ノ本義ニ副ハザルモノデアリマス。
建國ノ本義ハ三大御神勅デ御座イマス。
其一 御神勅ハ人口ニヨク膾炙かいしゃサレアリマス天孫降臨ノ際ノ神勅デ、
 之ハ國防ヲ第一義トシテオ諭シニナツテ居リマス。
勿論歴代ノ天皇陛下ニオカセラレテハ夙ニ御宸念遊バサルル処デアリマスガ、
猶、御輔佐申上グル人々ノ責務ノ重大ナルハ申ス迄モ御座イマセン。
御輔佐ノ如何ニ依リマシテハ、或ハ天照大神ノ大御心ニ副ハナイコトモアルヤモ
計リ知レザルモノアリト信ズルモノデアリマス。
此ノ點ヲ観察致シマスレバ、
我國ノ現狀ノ國防ハ甚ダ不完全ナルモノト言ハザルベカラザルモノデアリマス。
第二ノ御神勅ハ
「 天照大御神手ニ宝鏡ヲ視マサンコト當ニ猶吾ヲ視マサン如クセヨ 」
ト仰セラルル処デアリマス。
是ノ御精神ヲ拝察致シマスレバ、國民生活ノ安定ヲ御諭シニナツテ居ルコトト存ジマス。
此點モ全ク大御心ニ叛キ奉ツテ居ルノデ、一例ヲ申上グレバ、
岩手県ニ於テハ千五百名ノ壮丁中八百名ハ軍事救護を要スルト言フコトデ御察シ下サイ。
第三ノ御神勅ハ
「 高皇産靈尊因テ勅リ曰ク、
 吾ハ則天津神籬及天津磐境ヲ起樹テ當ニ吾孫ノ爲ニ齋ヒ奉ラム。
汝天児屋根命宜天津神籬ヲ持ツテ葦原ノ中國ニ降リ亦吾孫ノ爲ニ齋ヒ奉レ云 」
ト仰セラレテ居リマスノハ、祖先崇拝ノ御諭ト拝察シ奉リマス。
是モ寔ニ懼レ多ヒコトデハアリマスガ、制度ノ欠陥上皇室ノ御祖先御祭ノ儀ノ費用ハ
内務省ノ神社局ニ於テ査定スル現狀デ御座ヒマス。
是ハ何トシテモ御輔佐申上グベキ重臣ガ私利私慾ニ迷ヒテ我國體ノ精華ヲ忘レ、
國民生活ノ安定ト國防ノ重要性ヲ輕ジテ軍民離間ノ言動ヲ平然トシテ云ヒ、
皇室ノ尊嚴ヲ冒瀆シツツアル有様ト観察致シテ居リマス。

法務官  「 此ノ現狀打破ハ如何ニスベキヤ 」
是ノ現狀を打破スル手段トシテハ合法的手段ト非合法的手段ノ二ツガアリマスガ、
非合法手段ヲ使フルカ否カニ就テハ各々認識ノ程度ニ依ルモノト信ジテ居リマスガ、
尠クトモ現在ニ於キマシテハ其ノ手段ヲ用フル程行詰ツテ居ルトハ思ヒマセン。
只、不成功ニ終リ犠牲者ヲ出スニ過ギマセンガ、
其ト言ツテ私ハ最後ノ非合法又已ムを得ナイト思ツテ居リマス。
即チ、合法手段トハ下情上達、上意下達ヲ唯一ノ手段トシテ、
私ハ蹶起將校ノ意見ヲ再三再四上層部ニ通ズル爲、
本庄、荒木、奈良、小畑閣下、池田成彬等ニ
面接シテ居リマシタ。

法務官  「 現在迄ノ思想運動ノ經過ヲ述ベヨ 」
國家改造運動、主トシテ實力行動ヲ前提トシタ運動ニ關係シ
 或ハ關係シアルガ如キ風説ヲ生カシタルモノハ、今日迄ノ非合法ニ一回モ關係シナイモノハナイ、
ト申上ゲテモ良イ位デス。
此間、最初西田ヲ知リ、其ノ後大蔵、柴大尉ヲ知リ、
其後 五 ・一五事件直後ヨリ安藤、香田、栗原、菅波、北 等ヲ知ル様ニナリマシタ。
1、三月事件ニハ建川中將室ニアリタル擬砲彈ノ後始末ニ荒木大將等ガ困ツテ居タノデ、
技術將校ノ關係上便宜ヲ与ヘマシタ。
事件ノ内容ハヨク知リマセン。
2、十月事件ハ事前ニ薄ク知ツタノデ、西田ト畫リテ取止メ運動ニ奔走シ、
 主トシテ私ハ大蔵、柴ヲ説キマシタガ、憲兵隊ノ間違ト思ヒマスガ、
横浜ノ松山旅館ニ二週間拘禁サレマシタ。
3、血盟團事件、五 ・一五事件ニハ直接關係ハアリマセンガ、大體事前ニ其様子ハ察知サレ、
 殊ニ五 ・一五事件ニハ西田ト共ニ極力阻止運動ニ努力シ、
陸軍將校ダケハ村中ヤ磯部ヲ通ジテ止メルコトガ出來マシタ。
其後數回實力行動ヲ爲サントシタルガ、其ノ都度之ヲ喰ヒ止メテ參リマシタ。
私ノ靑年將校ノ渦中ニ常ニ在リテ本運動ヲ凝視スル理由。
1、直接行動ヲ決行セントスル將校ハ立派ナ精神ノ持主デアル。
 故ニ實力行動サヘ行ハナケレバ將來皇軍ノ中心人物トナルデアルカラ、立派ニ育テタイ。
2、私トテモ本運動者ト交リ、私カラ敎ルコトハアリマセンガ、
 合法的ニハ相當役立ツモノト信ジタルニ依ル。
直接行動ヲ阻止セントスルニハ、左ノ要件ヲ必要トシテ、コノ信念デ交ツテ居リマシタ。
(イ)、靑年將校等ニ骨肉ノ愛ヲ以テスルコト。
(ロ)、自ラ國家ノ現狀ニ對スル認識ヲ深ムルコト。
(ハ)、然シテ其ノ行動ヲ監視スルコト

法務官  「 靑年將校ハ被告ヲ別格ト綽名シアルガ、如何 」
山口
   上層部---山口---西田---靑年將校
   上層部--- 山口---大蔵---靑年將校 
   上層部--- 柴 ----大蔵---靑年將校 
トナツテ居リマスノデ、ソンナ風ナコトヲ言ツテ居リマス。
ト述ベ、
靑年將校ノ動靜ヲ監視シ、指導スル爲メ近カントシテ、
或時ハ自宅ヲ開放シテ會合場所トシ、
或ハ西田宅ヲ訪問シテ意見ヲ交換スル等
専ラ接近スルコトヲ本旨トシテ來ルガ、

目黒大尉ノ東京隊附トナルニ及ビテハ、
同期生タル關係上、靑年將校ヲ申送リヲ爲ス形式ヲ執リ、
自分ハ遠ザケタリ。
其後、目黒大尉ノ轉出ニ際シ警告セラレタル コトヤ
柳川閣下ノ御忠告ニ依リ、
昨年暮迄ハ餘リニ接近セザリキ ト陳述シ、
續イテ、

法務官  「 合法、非合法ノ被告ノ観念ヲ述ベヨ 」
「 私ノ合法的國家革新即チ上層部工作ハ現社會ニ於ケル方法トシテ最善ナル方法ト信ジ、
 且ハ過去數回ニ亘ル直接行動モ是ニ依ツテ阻止シ、或程度上層部ノ反省ヲ認メマシタ。
爲ニ私ノ上層部工作ハ非合法運動ヲ柔ゲ、是ヲ防グ爲ノ工作デアツテ、
事ヲ起サントスルコトヲ前提トシタル工作デハアリマセン。
然シ、之ノ手段方法ニ依リ萬已ムヲ得ズ功ヲ奏スルコトナク一大不祥事件 ( 非合法 ) ガ起キタル場合ニハ、
是又前者ト同ジク上層部工作ヲ行フコトハ勿論デアリマス。
其ノ工作ノ私ノ原則ハ、
1
、大不祥事件ハ其ヲ以テ絶後トスル如ク其ノ原因ヲ充分探究芟除スルコト、
2、事件責任者ハ公平無私ノ処罰ヲナスコト、
3、同一思想抱持者ヲ彈壓スルコトナク、之ヲ理解スルコト、
等デアリマス。
是ノ原則ニ基キテ事件終了迄一貫シテ來マシタ。

裁判官  「 兵力使用ヲ如何ニ考ヘルヤ 」
絶對的タル場合ハ差支ヘナシ。

裁判官  「 上層部工作即チ ( 事件勃發後 ) 原則第一ノ場合ノ具體案 」
其精神ヲ認メ昭和維新ニ入レルコト。
ト此點ニノミ應酬ヲナシタル後、
法務官ヨリ本事件ヲ察知シタルハ何日ナリヤト訊シタルニ、某日時ヲ明確ニ答ヘルコト能ハズ、
彼等靑年將校ハ昭和六年以降常ニ口癖ノ様ニ實力行動ヲ叫ビアリタリ ト述ベ、
確實性ヲ窺知シタルハ二十四日午後十時頃ナリ ト陳述シ、
之間、再三観念論ニ於テ應酬ヲナシタル後
十八、九日頃 栗原ヨリ事件勃發後上部工作要請ノ件ニ對スル暗示ヲ受ケタルモ自覺ヲ得ザリシ 點ヲ強調シ、

法務官  「 二十四日 彼等等ノ會合ヲ特ニ司令室ニ選定シタル理由如何 」
眞ノ決心如何ヲ知ル爲、各人ノ顔ヲ見ル必要アリタル爲ナリシガ、
其時全ク思詰メテ、最早決行ノ可否ニアラズ、具體策ナルヲ知リマシタ。

法務官  「 諸情勢ヲ推察シテ二十六日頃決行スルコトヲ知リ得タルニモ拘ラズ、何等ノ処置ヲ爲サザル點如何 」
再三申上ゲマシタ通リ、密告彈壓ハ最善ノ方法トオ考ヘノ様デスガ、
其ハ私ノ原則ニ叛キ、且ハ禍根ヲ後ニ殘シマス。
今回ノ事件ト雖モ、必ズ今ニシテ其ノ因ヲ爲シタルナアラズ、
昭和六年三月以來 前後八回ニ亘ル不祥事件ノ凝個體ガ即チ其ノ現レデアリマシテ、
善後処置如何ハ大ナル原因デアリマス。
故ニ彈壓ハ先ヅ不可ナリ。
故ニ本日會合ヲ見テ少シデモ不賛成者或ハ超リード者ガアレバ、
其ヲ説キ伏セテ滅ソウト其日迄考ヘテ參リマシテ、
西田ニモ相談シテ隠密ノ裡ニ暗ニ葬ラウト考ヘテ來マシタ。

法務官  「 二十五日ノ行動如何 」
愈々今晩ト解リマシタノデ古賀中佐ニ會ツテ打明ケ様カト思ツテ室迄這入ツタガ、止メマシタ。
( 茲デ靑年將校ト阻止策トノ板挟ミノ苦衷ヲ訴ヘタリ )

ソシテ夜ハ栗原中尉ノ面會者ヲ點檢シタル処、磯部、村中 ( 和洋服 ) 、中橋ガ來マシタ。
丹生、林ガ出ルコトハ全然シリマセンデシタ。
其処デ夜十時半、二回聯隊内ヲ巡回シ、最後ノ手段ヲ考ヘマシタ。即チ、
1、聯隊内ヲ血ヲ以テ染メ、之ヲ阻止スルコト、
2、黙ツテ送リ出シテ後カラ之を鎭定スルコト ( 上部工作ヲ含ム )、
ヲ考ヘテ、第二案ヲ執ルベク思案シテ寝ニ就キマシタ。
ト陳述シ、
此ノ間彈薬ノ拂出シ、二十六日午前三時ノ出動部隊モ見逃シテ總テヲ諦メ、
天明ヲ待ツテ午前四時過ギ殘留部隊ノ非常呼集ヲ爲シタリ
ト述ベ、
山口一太郎ノ事実審理ハ本日ハ之ヲ以テ終了シ、
次回ハ明十一日午前九時ヨリ開廷スル旨を告ゲ、午後五時閉廷ヲ宣セリ


憲兵報告・公判状況 28 『 山口一太郎 』 に続く
二 ・二六事件秘録 ( 三 ) から


最期の陳述 ・ 竹嶌繼夫 「 斯くすることが大御心に副い奉る所以なるべしと考えたのみであります 」

2020年09月13日 18時41分03秒 | 暗黒裁判・幕僚の謀略2 蹶起した人達


竹嶌繼夫
昭和十一年六月四日
最終陳述


今まで公判廷で申上げたことは一點の僞もありませんが、
これが最後と思いますから、他の者に及ばぬかも知れませんが、
考えて居ることを述べます。
私どもの蹶起により上京し事實においては種々な謀議をやっていますが、
豊橋の最古參として仮令たとえ自分の與あずからぬ計畫があっても責任を負う考えであります。
絶對に民主革命を企圖したものではありません。
自分の心が大御心たりとの不逞の根性はありません。
ただ 斯くすることが大御心に副い奉る所以なるべしと考えたのみであります。
勝手に判斷して大御心を僭上したのでは絶對ありません。
大臣告示、戒嚴司令官の隷下に編入せられたことは、大光明に照らされたような氣がいたしました。
故にその後の行動は軍隊としての行動であります。
頑張って一定地域を占拠したものではありません。
告示は戒嚴司令部が説得要領としてた鞏弁せられますが、
われわれは神聖なる告示と考えました。
また 二十九日まで總ての者が説得したように鞏弁せられますが、
激励ばかりを皆の人から受けたのであります。
兵力使用の點については、豊橋において 皆 必死に議論いたしました。
これが統帥權干犯なることは明かでありますが、
統帥權の根源を犯されていては、
統帥權全部が駄目になるが故に末を紊みだして根源を擁護せんとしたのであります
ちょうど毒蛇に噛まれ手首を切斷し 命を助ける同筆法であります。
もちろんそのことに對しての責任は充分に負います。
殘虐な殺害方法だとのお叱りを受けましたが、殘虐をなすつもりでやったものではなく、
若い者が一途に惡を誅するための天誅の迸ほとばしりに出たことで、
一概に殘虐と片づけるのは酷なことと存じます。
本年 命を終るに際し、
事志と違い 逆賊となり、
修養の足らぬ心を
深く 陛下にお詫び申上げる次第であります。
以上
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1、社會民主革命ヲ實行セントシタル云々ノ點ハ香田ノ申立ニ同ジ。
2、私等ノ行動ガ陛下ノ御宸襟ヲ悩マシ奉リタルコトハ眞ニ恐懼ニ堪ヘズ。
3、豊橋方面ノ關係ニ附テハ自分ガ先任者ニテ指揮下令シタルニ附、
 自己ニ全部其責任ヲ負ハシメラレ度。

・・・憲兵報告


憲兵報告・公判狀況 26 『 柳下良二 』

2020年09月13日 11時38分38秒 | 反駁 2 西田税と北一輝、蹶起した人達 (公判狀況憲兵報告)


 柳下良二
・・・ 憲兵報告・公判状況 25 『 新井勲 』 の続き

第二回公判狀況
二 ・二六事件公判狀況ニ關スル件報告

 ( 第一公判廷 )

首題之件左記報告ス
左記
七月四日午前八時五十分 被告歩一山口大尉、歩三新井中尉、同柳下中尉出廷シ、
午前九時 石本裁判長ヨリ開廷ヲ宣スルト同時ニ山口大尉、新井中尉ニ對シテハ休憩退廷ヲ命ジ、
柳下中尉ノ事實審理ニハイリ、法務官ヨリ型ノ如キ訊問アリタル後、
法務官  「 維新運動参加竝ニ意識ノ有無 」
「 ナシ 」

法務官  「 本事件ノ叛亂將校ヨリ維新運動ニ關シ勧誘若ハ本事件參加ヲ申込レタルコトナキヤ 」
「 維新運動トシテ勧誘サレタルコトナキモ、相澤事件ノ公判續行中、
 安藤大尉ヨリ龍土軒ニ於テ公判内容發表アル筈ニ附聞キニ行ク様誘レタルモ、
關心無キ爲家事ノ都合ニ事附ケテ參加不可能ヲ申出テ止メマシタガ、
安藤大尉ト坂井中尉ハ聯隊内ノ將校中デハ之種ノ運動ニ關心ヲ持ツテ居ルコトハ知ツテ居リマシタ。
其後二月二十三日午後四時頃坂井中尉ヨリ、
「 相澤中佐ノ公判ノ狀況ガ非常ニ逼迫シテ來タシ一般ノ輿論モ沸騰シテ居ルカラ、
 或ハ機關銃隊モ兵力ヲ出ス様ニナルカモ知レナイ 」 トノ話ヲ聞カサレ、
暗ニ其ノ應諾ヲ誘ハレタルガ、
狀況逼迫ノ意味不明ナル爲、午後六時銃隊長ニ其旨報告シタル処、
銃隊長ハ兵力出動ハ絶對不可ナリ、カカル場合アリトセバ銃隊長ニ速報スルコトヲ命ゼラレマシタ 」

法務官  「 二十五日ニ安藤ヨリ何ヲ言ハレテ如何ナル行動ヲ爲シ、其當時ノ感想ヲ述ベヨ 」
二十五日午後十一時四十五分頃
當時週番士官タル私ノ室ヘ某一等兵ガ訪レテ、
其時ノ週番司令タル安藤大尉ガ非常呼集ダカラ直ニ來ル様ニ言ハレタル旨ヲ告ゲニ來マシタノデ、
無刀ノ儘 司令室ニ赴クト、安藤大尉一名ノミ在室シテ次ノ様ナ命令ヲ受ケマシタ。
『 相澤事件ノ本日ノ公判デ眞崎大將ガ證人トシテ出廷サレ重大證言ヲ爲シ、
 相澤中佐ノ行爲ハ巷説ヲ妄信シタルニ非ザルコト事實トナツタ故ニ、
明二十六日午前三時 當聯隊ハ出動シテ帝都警備ノ任務ヲ遂行セントス。
柳下中尉ハ機關銃隊中ヨリ十六分隊ヲ編成シ、
八ケ分隊ヲ野中大尉、四ケ分隊ヲ坂井中尉、
他ノ四ケ分隊ヲ安藤大尉ニ配属スル如ク編成爲スベシ 』
ト半紙ニ書キナガラ命令ヲ下達サレマシタ。
ト當時ノ去就ヲ躊躇シタル狀況ヲ説明シ、暗涙ニ咽ビツゝ聲ヲ落シテ陳述セリ
其時、安藤大尉ハ
 『 安心セヨ、全部我輩ノ命令デアルカラ 』
ト安心ヲ与ヘル如ク申サレマシタノデ、・・・< 註 1 >
斷ルコトモ出來ズ、銃隊ニ歸ヘリ非常呼集ヲ行ヒ、銃隊下士官ヲ週番士官室ニ集メ、
一方銃隊長ノ処ヘ傳令ヲ派シ 至急出懸ケラレル様ニ紙片ニ認メテ遣リマシタ。
兵力出動ノ可否ハ自ラノ判斷ハ全ク解ラナク、態度決定ニ苦シミマシタノデ、
編成ヲ爲シツゝモ銃隊長ノオ出デニナルコトヲ心私ニ待ツテ居タル処、
午前二時四十分頃傳令ガ歸隊致シ、
銃隊長ハ出張先ヨリ未ダ歸宅セザル旨接シ、落胆致シマシタ。
其処ヘ坂井中尉ガ來テ配属ノ分隊ヲ知ラシテ呉レト云ツテ來タノデ、
処命ノ分隊長ヲ渡シマシタ。
其ノ内ニ安藤大尉モ來テ、
應ゼザレバ自分ノ身ニ危險ヲ感ズル狀況ニアツタノデ、
已ムヲ得ズ兵力ヲ出スコトニ決心致シマシタ。
且、週番司令ノ命令デモアルカラ、
正當ノ出兵ニハ非ズトハ知リナガラ、出スコトニナリマシタ。

法務官  「 坂井中尉ガ將校室デ、單ニ不穏ナルニ止メズ具體的ナル話ヲシナカツタカ 」
克ク記憶ハアリマセンガ、齋藤内府邸ヲ襲撃スル様ナ話ヲシタ様デアリマス。

法務官  「 身ヲ以テ阻止スルコトハ出來ナカツタカ 」
將校中デモ安藤大尉ヤ其他トモ特別ニ懇意デアルノデ、
 反對的ノ行動ヲ積極的ニ執ル勇気モ出マセンデシタ。
ト此點再三法務官、檢察官ヨリ追及セラレタルモ、行動ヲ利スル目的ナク、
行動ニ參加若ハ參加セシムル意志ハ全然ナシト應酬、抗辯ヲナシタリ
部隊ノ全部營門ヲ出ルノヲ見テ大變ナコトニナツタト思ヒ、
 營内居住ノ將校ヤ他中隊ノ同僚ヲ尋ネテ善後処置ヲ講ズルコトニ致シマシタ。

法務官  「 被告ハ安藤大尉ヨリ如何ナル命令ヲ受ケタルヤ 」
營内警戒係ヲ命ゼラレタリ。
其後、或中隊デ蹶起趣意書
ヲ見テ其ノ目的ヲ知リマシタ。
其ノ内ニ大隊長、聯隊長モ來ラレマシタカラ其旨報告シ、
週番士官ノ処置適切ナラザルヲオ詫ビシタル処、何等オ小言ハ言ハレマセンデシタ。
二十六日午後三時頃陸軍大臣告示ヲ見テ、
其行動ノ是認セラレタルヲ聯隊長初メ残留將校一同喜ビマシタガ
其後狀況ガ變リマシタ。

法務官  「 其後何ヲシタカ 」
其後ハ師團トノ聯絡將校トナリ、或ハ警戒部隊ノ輕機分隊ノ小隊長トナリ、
 二十九日ニハ歸順勧告ヲヤリマシタ。

法務官  「 現在ノ心境如何 」
週番士官トシテノ処置適切ヲ欠キ、上官各位ニ累ヲ及ボシ、
 部下 下士官九名ヲ叛亂被告人トナシタル罪ハ當然享ケマスガ、
叛亂ヲ利スル精神ハアリマセン故、此點十分御明察ヲオ願ヒ致シマス。
然シ、下士官ノ兩親ノコトヲ思フ時ハ私ノ體ハ如何様ニナラウトモ下士官ヲ扶ケ、
其ノ罪ハ償ヒ度ク思ツテ居リマス。
ト述ベ、本被告ニ對スル審理ヲ終了シ、
山口大尉、新井中尉ノ出廷ヲ待チ、午前十一時四十七分閉廷ヲ宣シ、
次回公判未定ノ儘終了セリ
( 了 )

兵報告・公判状況 27 『 山口一太郎 』 に続く
二 ・二六事件秘録 ( 三 ) から
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
< 註 1 >
安藤大尉はそこで
私に次のような要旨の命令を下した。
1  かねて相澤事件の公判に際し、眞崎大將の出廷による證言を契機とし、
    事態は被告に有利に進展することが明かとなれり。
2  しかるに この成行きに反發する一部左翼分子が蠢動し、
    帝都内攪亂行動に出るとの情報に接す。
3  よって 聯隊は平時の警備計畫にもとづき
    主力をあげて警備地域に出動し、警備に任ぜんとす。
4  出動部隊は第一、二、三、六、七、一〇の各中隊とし、
    機關銃隊は一六コ分隊を編成し、各中隊に分属せしむべし。
5  柳下中尉は週番司令の代理となり 営内の指揮に任ずべし。
私は思わず ハッとした。
遂に行動を起したのかと 寝耳に水の思いで命令を受領した。
安藤大尉は命令を下達し終ると
私の側にきて 「 柳下、この際 たのむよ 」 と いった。
・・・命令 「 柳下中尉は週番司令の代理となり 営内の指揮に任ずべし 」