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獄中手記 (三) の二 ・ 北、西田兩氏の功績

2017年07月14日 11時33分46秒 | 磯部淺一 ・ 獄中手記


磯部浅一 
二、北、西田両氏の功績
両氏は前述しました様な思想信念に立って、
大正、昭和の思想的國難時代に於て、國體擁護の為に献身的努力をして来た人であります。
学界も政党も國務大臣も、共産主義、社会主義の為めに魅了せられて、国家はあげて左方へ盲進せんとしました。
此の時代に於て、熱烈火の如き愛國心と堂々たる國體理論とを以て、
日本主義思想界を指導して左翼理論に挑戦、之を攻撃し打破したのは、北、西田両氏であります。
左翼理論が華やかであつた頃の右翼浪人は、徒らなる暴力團でしかありませんでした。
此の暴力團に思想を与へ、信念を与へ、理論を教へ、実行を奨めたのは実に 「 日本改造法案 」 以外にありません。
軍隊は左翼思想に災いされなかつたかと云へば、決して然らずであります。
私の知ってゐるだけでも、それは怖ろしい程に、軍内は左翼思想でかきまわされました。
幼年学校、士官学校の生徒で、左翼思想にかぶれて退校になつたものは、数多くあります。
将校中からも相当に左傾したものもあります。 下士官兵中にあつたのは勿論です。
初度巡視の師団長でさえ、共産主義にもいい所があるからねェと云ふ訓話をする程でした。
軍隊の上長官あたりの少し小才のきいた者は、
安雑誌の社会主義、共産主義理論をうけうりして、新思想を小鼻にかけたものです。
青年将校の下宿には一様に、
○○社会主義理論と云った様な、洋綴の本が書棚をかざってゐたものです。
大山郁夫、佐野学、鈴木文治等が、演壇に議会に闊歩して、
國民の英雄をもつて歓呼せられた時代ですから、軍隊だけが独り左傾しなかったとは決して云へないのです。
ほんとうに 滔々たる潮流をなして、日本の朝野を洗ひ流さうとさえしました。
此の潮流の中から、軍隊を救ったものは西田氏で其功、亦 大いなるものがあります。
西田氏によつて与へられたる國體信念を以て、多数青年将校が軍隊内に健在勇闘したのです。
特に、統帥権干犯問題の時には、必死的な努力をしております。
軍部大臣ははじめ中央部の軍人の大多数が、浜口内閣に向って一矢もむくゆることをし得ない時に、
民間の一國民に過ぎぬ西田氏が決死的活動をした事は、
その愛國的奮闘に對して、軍部は大いに感謝せねばならぬ筈です。
又、國際聯盟脱退の時、愛國團體の奮起を促し、
元老重臣の重囲に陥つた荒木陸相等、軍部の強硬派を支持して、
終に脱退させたのも 亦 氏等の奮闘の結果でありました。
數へ来たれば実に多くのかくれたる功績を立てております。
政府の役人や軍人とはちがひ、一國民として自由な立場に於てする愛國運動には、
役人仕事では到底出来ない大きな部面があると云ふことを知ってもらへば、
両氏が國家の爲にどれ程大きな功績を立ててゐるかと云ふことがわかると思ひます。

次頁 獄中手記 (三) の三 ・ 北、西田両氏と青年将校との関係 に続く


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