あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

二・二六事件蹶起 二月二十六日 大臣告示『 諸子ノ行動ハ國體顯現の至情ニ基クモノト認ム 』

2024年02月26日 12時00分00秒 | 道程 ( みちのり )

・・・前項 二・二六事件蹶起 二月二十六日 『 勇躍する、歓喜する、感慨たとへんにものなしだ 』 の 続き

二 ・ 二六事件蹶起 
2月26日 ( 水 ) 

午前10時 
 安藤部隊、三宅坂三叉路に陣地、・・27日正午まで桜田門の手前、半蔵門、隼町に歩哨警戒に当る ・・・安藤大尉「 私どもは昭和維新の勤皇の先駆をやりました 」 
 坂井中尉、麦屋少尉と共に部隊を引率して赤坂見附から平川町に至り、
 市電停留所を中心に三宅坂、永田町、麹町四丁目、赤坂見附に歩哨  ・・・
歩哨線 「 止まれ !」 

午前11時前頃
 村上大佐、三宅坂の安藤大尉に会う
 小藤大佐、山口大尉、陸相官邸に来る  ・・・
香田清貞大尉 「 陸相官邸の部隊にも給与して下さい 」 
 香椎警備司令官、山下少将と参内、川島陸相、真崎、荒木大将と会談す

西田税、首相官邸の栗原中尉に電話す ・・・西田税 (警調書2) 『 僕は行き度くない 』
( ↓ 西田税、第三回公判での供述 )
午前十時頃、三度目ノ電話デ漸ク小笠原中將ト話スル事ガ出來マシタ。
私ハ、
「 陸軍ノ青年將校等ハ遂ニ今朝蹶起シ、多クノ兵ヲ聯レテ重臣ブロックニ向ツテ襲撃シタ様デアリマスガ、
既ニ御承知ノ事ト思ヒマス。斯ウナリマシテハ致方アリマセヌカラ、國家ノ爲一刻モ速ニ事態ヲ収拾シテ頂ク様、
閣下ノ御力添ヲ御願ヒシタイ 」 ト云フ趣旨ノ事ヲ申シマシタ処、小笠原ハ
「 ヨク判ツタ。何トカ考ヘテ、出來ルダケノ事ヲシテ見ヤウ 」
 
ト言ツテクレマシタ。

被告人ノ謂フ蹶起後ノ事態収拾ニ附テノ盡力ト云フノハ何ウスルノカ
國家國軍ニ對スル蹶起青年將校等ノ希望、目的、精神ニ副フ様ニシテ事態ヲ収拾スル様、
盡力シテ貰ヒタイトノ意味デ、約言スレバ、彼等ノ意見ニ合致スル様ニシテ貰ヒタイト云フ意味デアリマス。
此意味ナル事ハ言明シナクテモ、私ノ氣持ヲヨク判ツテ居ラレル小笠原トシテハ、十分酌ムデクレタモノト信ジテ居リマス。

小笠原中將ニ電話ヲ掛ケテカラ、自宅ニ電話ヲ掛ケテ留守番ノ赤澤ヲ呼出シ、
  「 自分は今木村病院ニ來テ居ルカラ、此方ニ來テクレヌカ 」 ト申シマシタ処、
赤澤は午前十一時頃病院ニ來マシテ、「 軍人ガ警視庁ニ居ル 」 ト報告シマシタノデ、
更ニ同人ヲ外ニ出シ、夫レガ蹶起部隊カ鎭壓部隊カヲ確メサセマシタ結果、
蹶起部隊ガ首相官邸、陸相官邸、警視庁方面ヲ占據シテ居ル事ガ判明致シマシタ。

夫レカラ赤澤ガ私ノ自宅ニ電話ヲ掛ケマシタ処、
「 今栗原カラ電話ガアツテ、西田ハ捕ツタカト問合セテ來タカラ、西田ハ北方ニ行ツテ居ルト答ヘタ処、
 栗原ハ、自分ハ首相官邸ニ居ルト言ツテ大笑ヒシテ居ツタ 」 トノ事デアリマシタ。
私ハ事前ニ栗原ト喧嘩別レヲシタガ、
其ノ際私ガ、君等ガ蹶起スレバ自分ハ捕マルダラウト話シタ事ヲ覺ヘテ居テクレテ、
安否ヲ気遣ヒ、尋ネテクレタト思フトイヂラシイ氣持ニナリマシタシ、
當時寒クテ兵モ可愛サウダガ、彼等ハ兵ヲ何ノ様ニシテ居ルノダラウト思ツタリシマシタノデ、
先方カラ電話ヲ掛ケテ寄越ス位ダカラ、此方ヨリ掛ケラレナイ事モナカラウ、
一ツ連絡ヲシテ見ヤウト思ヒ、首相官邸ノ栗原ニ電話ヲ掛ケマシタ。
ソシテ同人ニ對シ、
「 ドシドシ雪ハ降ツテ居ルシ、兵達ハ寒イデナイカ、兵ノ飯ハ何ウシテ居ルカ 」
ト尋ネマシタ処、栗原ハ、
「 糧食ハ聯隊カラ持ツテ來テクレルシ、防寒具モ持ツテ來テ居ルノデ心配ナイ 」
ト申シマスカラ、
「 君達ハ官軍ノ様ダネ 」
ト申シマスト、
「 官邸ヲ占據シタカラニハモウ動カヌ 」
ト言ヒ、
「 何ウシテ居ルノカ 」
ト申スト、
「 何モシテ居ラヌ 」
トノ事デアリマシタ。
尚、襲撃ノ結果ヲ尋ネマシタ処、
「 岡田首相ハ殺害ノ目的ヲ達シタガ、非常ニ苦戰デアツタ。
 兎ニ角一度様子ヲ見ニ來ナイカ。來ルナラ、溜池迄案内ヲ出シテ置ク 」
ト言ヒマシタガ、私ハ 「 行キタクナイ 」 ト申シテ斷リマシタ。

右ノ様ナ次第デ、夫レ迄抱イテ居タ私ノ豫想ハ全然裏切ラレ、糧食 被服ハ聯隊ヨリ支給シテ居リ、
栗原モ元氣デ呑氣サウニ話シ、一方我々ノ方モ警察ヨリ追廻シテ居ル様子モナシ、
事態ハ惡化シテ居ラヌ計リデナク、却テ好轉シツツアルノデナイカト云フ様ナ氣ガシタノデ、
夫レナラ設備行届カズ、暖クモナイ木村病院ニ居ルヨリ、北方ニ歸ツタ方ガ宜クハナイカト云フ様ナ、
事件前ト變ツタ氣持ニナリマシタノデ、午後北ニ電話ヲ掛ケ、變リハナイカヲ尋ネマシタ処、
何ノ變リモナイトノ事デアリマシタカラ、安心シテ 「 之カラオ伺ヒシマセウ 」 ト申シマスト、
北ハ、「 來テモヨイ 」 ト言ツテクレマシタノデ、「 後刻參リマス 」 ト申シテ置キマシタ。
夫レカラ薩摩雄次ニ電話ヲ掛ケテ狀況ヲ聞キマシタ処、色々ノ情報ガ集ツテ居ル様ナ話デアリマシタカラ、
私ハ 「 自分ハ之カラ北方ニ行クカラ、同家ニ落合ツテ色々話サウ 」 ト申シテ電話ヲ切リ、
同日午後二時頃赤澤ト共ニ木村病院ヲ出テ北方ニ戻リマシタ処、
間モナク薩摩ガ來マシタカラ、北ト薩摩ト私ノ三人デ話合ヒマシタ。
私ハ栗原ト電話デ聯絡シタ狀況ヲ話シ、薩摩ハ世間ノ噂ナド色々ノ情報ヲ話サレマシタガ、
何レモ局部的デ、事實カ流言カ判ラヌ様ナモノモアリマシタ。
・・・
40 二・二六事件北・西田裁判記録 (三) 『 公判状況 第三回公判 1 』 

林八郎少尉 は、二六日の午後
倉友音吉上等兵を供に、銀座の松坂屋に買物に出かけた。
蹶起将校たる白襷をかけ 人々の視線の中、颯爽と店内を歩いた。
林少尉は、晒布、墨汁、筆 を購入し、首相官邸に帰ると
「 尊皇維新軍 」 と、大書した幟を作って、高々と掲げたのである。
 
・・・林八郎少尉 『 尊皇維新軍と大書した幟 』


正午 
陸軍軍事参議官が正午までに全員参内す

歩三聯隊より 野中隊に昼食届く ・・夕食も
蹶起部隊、古荘次官を通じ、宮中の陸相に 「 蹶起部隊を義軍に認めるや否や 」 の決意を求める

午後1時頃  軍事参議官会議

川島の參内につづいて寺内大將、
それから、ついさっきまで官邸に來ていた眞崎大將が參内してきた。
陸軍省からの急報によってかけつけた軍事參議官は、
東久邇、朝香の兩宮を始め、荒木、西、阿部、植田の諸大將も續々と參内してきた。
一番遅く姿を現わしたのは林大將で、もう正午をすぎていた。
この軍事參議官招集は 山下少將の入れ知恵で事件對策を協議するために、
大臣が宮中に參集を求めたものであった
    
 寺内大將         眞崎大將           東久邇宮          朝香宮            荒木大將
     
 西大將              阿部大將             植田大將           林大將                   ・・・梨本宮 ( ? )
宮中に參集した軍事參議官たちは
東溜り場で情報を収集するかたわらこれが對策について協議していた。
隣室には杉山次長、岡村寧次第二部長、山下奉文軍事調査部長、
石原作戰課長、村上軍事課長それに香椎警備司令官が待機していた。
軍事參議官たちが円陣をつくって何事か協議している。
荒木大將が隣室の山下などを呼びつけひそひそと打ちあわせをしていた。
これをかたわらのソファーによりかかって、見つめていた杉山次長は、
軍事參議官の干渉によって事態の収拾が妨害されることをおそれた。
そこで川島陸相に向かって言った。
「 軍事參議官は陛下の御諮詢があって始めてご奉答申上ぐべき性質のものであるから、
 事件処理にあたっていろいろ干渉されては困る。
 事態の収拾は責任者たる三長官において処置すべきものだと信ずるが大臣の意見をた承りたい 」
「お説のとおり 」 と 陸相はうなずいた。
これを聞いて荒木大將が弁明した。
「 もとより軍事參議官において三長官の業務遂行を妨害しようとする意志は毫も持っていない。
 ただ、われわれは軍の長老として道徳上 この重大事を座視するに忍びないので奉公の誠をつくそうとするものである 」
こんな問答があったのち、
參議官一同はその對策なるものの協議に入った。
まず 川島陸相はその對策を三段にきって、
一、勅命を仰いでも屯營に歸還すべく論す
二、聽かなければ戒嚴令を布く
三、ついで強力な内閣を組織する
と 提案した。
荒木大將はこれに對し、
「 川島案に先だって まだわれわれのなすべきことがある。
 今日までのわれわれのやって來たことを回想すると、
國體の明徴、國運の開拓に努力はしたものの、その實績は挙擧っていない。
それがついに今日の事態を惹起せしめたものともいえる。
この際、もし對策を一歩誤れば取りかえしのつかぬこととなる恐れがある。
これは充分に考えなくてはならんと思う。
ともかく刻下の急務は一發の彈もうたずに事を納めることである。
私はこの際 維新部隊に對して
「 お前たちはその意圖は天聽に達したことである。
 われわれ軍事參議官もできるだけ努力しよう。
それには軍事參議官一同は死をもってこれが實施に當るから、
お前たちは速やかに兵營に歸還し一切は大御心にまつべきである。
お前たちが引きあげたのちにわれわれは國運の進展に努力することができる 」
との主旨で 説得することが大切である、と信ずる。
もしも一度あやまてば皇居の周囲で不測の戰闘がおこり
飛彈は恐れ多くも宮城内にも落ちることは必然である。
この邊も とくと考慮せねばならぬ。
もし、どうしてもこの説得を聞かなかったら川島案のごとく勅命を拝すべく、
なお、これにも應ぜざるときは斷乎これを討伐するより外はない。
なお、この際最も注意すべきことは左翼團体の暴動で、
これがゴタゴタに便乗しておきたら困難をきたすおそれがある 」
眞崎大將もまたおおむねこれと同様の意見を述べた。
その間、荒木大將か眞崎大將かの發言で、
 「維新部隊をその警備にあてるよう取り扱ったらよい 」
との 意見が開陳されたが、
その他の參議官はこれには誰も反對せず、また、積極的に支持もしなかった。
だが、大勢は武力行使を回避し説得によるということに參議官會同の方向を決定づけ 
そこでこの非公式軍事參議官會同では、
軍の長老として蹶起將校に説論し原隊に歸ること勧告することとし、
これがための説得要領を起案することになった。
山下少將が荒木の命で 原案を書き二、三の軍事參議官が修正を加えて一案が決定した。
そして陸軍大臣の同意を得て大臣告示としての成案となった。
これがのちに問題をおこした、いわゆる 「 陸軍大臣告示 」 である。 ・・・大臣告示の成立経過 
陸軍大臣告示
一、蹶起ノ趣旨ニ就テハ天聽ニ達セラレアリ
二、諸子ノ眞意ハ國體顯現の至情ニ基クモノト認ム
三、國體ノ眞姿顯現 ( 弊風ヲ含ム ) ニ就テハ恐懼ニ堪エズ
四、各軍事參議官モ一致シテ右ノ趣旨ニヨリ邁進スルコトヲ申合せたり
五、之レ以上ハ一ニ大御心ニ待ツ
この告示はとりあえず 山下少將をして陸相官邸に赴いて將校に傳達せしめることになった。
一方、この成案を喜んだ香椎中將は
許を得て司令部安井參謀長に電話してこれを隷下部隊に下達することを命じた。

午後2時  山下少将、陸相官邸に於て 『 大臣告示 』 を朗読呈示
 香田、村中、磯部、野中、對馬の五人  古荘次官、鈴木大佐、西村陸軍省兵務局長、小藤大佐、山口大尉
・・・山下少將は官邸に赴き將校の集合を命じた。
香田、村中、磯部、野中、對馬、などが會議室に集まった。
古莊次官、山口大尉らも列席した。
一同が集合したのを見て山下少將は、
それでは大臣告示を讀むから皆よく聞くように と 前おきして、
一語一語ゆっくり讀んだ。
讀みおわると
「 わかったか 」
と 一同を見返した。
對馬中尉がまっ先に質問した。
「 それでは 軍當局はわれわれの行動を認めたのですか 」
すると 山下はむっつりした表情で、
「 ではもう一度讀むからよく聞け ! 」
といい、またゆっくり讀み上げた。
「 それではわれわれの行動が義軍の義擧であることを認めたわけですか、
 少なくともそう解釋してよいのですか 」
今度は磯部がたずねた。
だが、山下はそれでも答えなかった。
「 もう一度讀む 」
そして山下は都合三度その告示を讀みあげ、あとは一言も發せず、さっさと引きあげてしまった。
だが、立ち會いの人たちは告示を聞いて愁眉を開いた。
次官は行動部隊を現位置にとどめるよう大臣に申言し盡力しようと出かけるし、
西村大佐も香椎中將に聯絡して、やはりこのままの位置にとどめておくようにしようと、そそくさと官 邸を飛び出した。
・・・ 「 軍当局は、吾々の行動を認めたのですか 」 

・ 
大臣告示 「 諸子ノ行動ハ國體顯現の至情ニ基クモノト認ム 」 
・ 
山口一太郎大尉の四日間 1 「 大臣告示 」 

午後2時30分  宮中で臨時政府会議が開催さる
二十六日の午後二時半、宮中では臨時政府会議が西溜りの間で開催された。
この会議の出席者の一人 内田鉄相のメモがそれである。
この場で川島義之陸相は、一木枢密院議長と閣僚たちを前に、早朝から状況報告を行なった。
そこで述べられた
「 蹶起軍の陸相への要望事項 」 とは
一、昭和維新を断行すること
二、之がためには先づ軍自らが革新の實を挙げ、
      宇垣朝鮮総督、南大将、小磯中将、建川中将を罷免すること
三、すみやかに国体明徴の上に立つ政府を樹立すること
四、即時戒厳令を布くこと
五、陸相は直ちに 用意の近衛兵に守られて参内し、我々の意思を天聴に達すること 
・・・
内田メモ 
・・・ 戒厳参謀長 安井藤治 記 『 二・二六事件の顛末 』 

午後3時 
東京警備司令部より第一師団管区に戦時警備令  ( 「 軍隊に対する告示 」 ) が下令、 蹶起部隊、警備部隊に編入さる
村上啓作大佐が 「 維新大詔 」 の草案を川島陸相に一部をみせる  ・・・
維新大詔 
午後3時頃  満井中佐、陸相官邸へ ・・・満井佐吉中佐の四日間 
 東京警備司令部、 「 軍隊に対する告示 」

 
午後3時20分  「 陸軍大臣ヨリ 」 告示さる
午後3時30分  「 陸軍大臣ヨリ 」 蹶起将校らに伝達さる

午後4時  閣議開催さる
一師戦警第一号
命令 「 本朝出動シアル部隊ハ戦時警備部隊トシテ警備に任ず 」 
蹶起部隊、歩三渋谷聯隊長の指揮下に入り現在地警備の任務に就く

午後4時頃 
小藤大佐、第一師団司令部招致せられ
 陸軍大臣告示 ( 諸子の行動とある分 )、
 軍隊に対する告示 ( 二月二十六日午後三時東京警備司令部 )
 第一師団命令 ( 二月二十六日午後四時於東京 )
を 受領す

午後5時30分  小藤大佐、歩一聯隊長室で 陸軍大臣告示、軍隊に対する告示、第一師団命令を下達す
午後六時   澁川善助、
新宿宝亭で有時大尉と松平紹光と會う
昭和維新情報 第一報  午後7時現在・・・澁川善助、福井 幸、加藤春海、宮本誠三 ・・全国の同志に直送す
午後7時東京に警備令が発令のラジオ放送
午後7時30分頃  小藤大佐、
一師団司令部に招致せられ ・・一師戦警第二号、第一師団命令を下達
歩一警命第四号
歩兵第一聯隊命令  二月二十六日  於屯営
一、師団は昭和十年度戦時警備計画書に基き、担任警備地域の警戒に任じ、治安の維持を確保す。
二、予は本朝来行動しある部下部隊及歩三、野重七の部隊を指揮し、
 概ね 桜田門、公園西北角、議事堂、虎の門、溜池、赤坂見附、平河町、麹町四丁目、半蔵門を連ねる線内の警備に任ぜんとす。
歩兵第三聯隊長の指揮する部隊は其他の担任警備地区の警備に任ずる筈。
三、聯隊主力は古閑中佐の指揮を以て待機の姿勢に任ずべし。
聯隊長  小藤大佐
下達法  命令受領者を集め、口達筆記せしむ。


午後8時15分  陸軍省公式発表
午後9時  内閣総辞職  「 速やかに暴徒を鎮圧せよ 」
午後9時頃  三宅坂の安藤大尉の許へ、柴有時大尉、松平紹光大尉、來訪 ・・二人共陸相官邸へ
午後10時頃  軍事参議官と会談、村中、磯部、對馬、栗原、山下少将、小藤大佐、鈴木大佐、山口大尉、立会う
( 眞崎大将 )
「 吾々に總てを委して呉れんか。 委する以上は条件を附けないで呉れ。
 きつとやるから。我々も命がけだ。 今迄は努力が足りなんだ。
今度はきつちりやる。全部一致團結して居る。
吾々がやると言ったら、君達は吾々の懐に飛込んで呉れんか。
然し日本では大御心が一番大事なものぞ。 これは絶対である。
我々が如何に努力しても必ず必ずこの範囲内の努力である。
一度び大御心により決ったならば、お前達は己れを空しくして從はねばならぬ。
之れに反するならば、私は遺憾乍ら君達を敵とせなければならぬ。」
・・・ 磯部淺一
行動記 ・ 第十八 「 軍事参議官と会見 」 
・・・ 山口一太郎大尉の四日間 2 「 軍事参議官と会見 」 
・・・山口一太郎 
軍事参議官との会見 「 理屈はモウ沢山です 」 

部、村中、香田、陸相官邸に宿泊

・・・次頁 
二 ・ 二六事件蹶起 二月二十七日 『 國家人無シ 勇將眞崎アリ、正義軍速ヤカニ一任セヨ 』  に 続く


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