あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

續丹心錄 ・ 第二 「 奉勅命令は未だに下達されず 」

2017年05月04日 09時31分27秒 | 村中孝次 ・ 丹心錄

 
村中孝次  
續丹心錄

第二
二月二十七日、
蹶起部隊は小藤部隊として戒嚴軍隊に編成され、南部麹町地區警備に任ぜしめられ、
大なる獨斷行動は至尊の御容認せらるる所となりたるに拘はらず、
逆賊の汚名を冠せられて討伐の厄に遭ひ、且 將校二十氏の免官處分を見たるは、
吾人が奉勅命令を遵奉せず、大命に抗したる徒なりとて宣傳せられたるに由る。
然れども事實は斷じて然らす、
蹶起部隊將校は監禁せらるゝ最後の瞬間まで、一人として奉勅命令の傳達を受けたる者もなく、
又 奉勅命令に基く直属指揮官の命令を受領せるものなし。
其の經緯は左の如く、
從って 吾人は大命に抗するが如き不逞不臣の徒にあらざることを斷言せんと欲す。
一、二月二十六日 戰時警備令下令せらるるや
 蹶起部隊は第一師團長の隷下に於て小藤支隊として編成され、
小藤大佐の指揮に属し、
戒嚴令宣布せらるるや、
引續き小藤部隊として第一師團長の隷下に属し、南部麹町地區警備の任を受く。
而して 二十七日午後、第一次小藤支隊命令下達せられて、
こらに基き各部隊は夫々各大臣官邸、山王ホテル、幸楽等に配宿し、
完全に小藤大佐の指揮下に掌握せらるゝに至れり。
一、然るに翌二十八日朝、
 首相官邸に在りし近衛歩兵三聯隊、中橋中尉に対し、近歩三聯隊長より電話による命令あり、
中橋中尉は通信手の筆記せる該命令を受領してこれを栗原中尉に示し、
栗原中尉は當時支隊本部宿舎と定められたる鐡相官邸に來り、是を余等に示す。
其の内容左の如し。
「 一、奉勅命令により中橋部隊は小藤大佐の指揮に入らしめらる。
 二、奉勅命令により中橋部隊は現在地を撤し歩兵第一聯隊に至るべし 」
右は通信紙に筆記したるものにして、命令の形式を備へず、
「奉勅命令」なる語を反覆使用しあるも、余は何の意なるかを判斷するを得ず、
且 一昨二十六日来、小藤大佐指揮下に在る中橋中尉に對し、
傍系なるべき近歩三聯隊長より 今に至り 斯の如き命令を下達せらるゝは不可解の事に属し、
殊に 「 歩兵第一聯隊に至るべし 」
と あるは麹町地區警備の任にある小藤部隊の任務を知らずして、
「 小藤大佐の指揮に入る 」 べきことを以て直ちに斯く誤解したるにあらずやと考へ、
余は栗原中尉より該命令筆記を受領し、
直ちに陸相官邸なる小藤大佐の許に至り、該筆記を呈し告ぐるに、
「 本命令は何等かの誤解に基くものと判斷せらる、爾後指揮の混亂を來さざる様、近歩三聯隊長に對し御交渉願ひ度し 」
を以てし、同大佐は之を諾せり。
一、小藤大佐の室を出て柴有時大尉に会ふ、
 大尉曰く
「 本朝戒嚴司令部内の空氣惡化して諸子を現位置より撤退せしめんとして、
 これに關する奉勅命令を仰がんとする形勢あるを知り、
山口大尉に之を告げるに同大尉は驚愕措く能はず、
直ちに戒嚴司令官、軍事參議官等に会見して これを抑止すべく努力中なり 」
と。
時偶々 満井中佐來り、
香田大尉他一、二名も來合せたり、
余、満井中佐に對し告ぐるに柴大尉の言を以てし、
且 維新遂行の爲小藤部隊を現位置にあらしむることの切要なる所以を力説し、
同中佐に委嘱するに戒嚴司令官等に極力工作することを以てす。
満井中佐は 「 成否は不明なるも努力せん 」
と答へ、且
「 昨日來、石原大佐等奔走により維新の大詔渙發せんとする運びに至りしも、
 各閣僚は辭表を捧呈しある爲 副書し得ず、
爲に渙發を見ざるなり、形勢斯くの如く、諸君の意志は必ずや貫徹せん、決して大義を誤る勿れ 」
 と。
一、満井中佐及柴大尉去りし後、山口大尉來邸す、
 余の顔を見るや落涙して曰く、
「 本早暁、柴大尉より形勢惡化を聞き、種々奔走せるも我微力及ばず、策盡きたり 」
 と。
余言ふ
「 尚一策あり、統帥系統を經て意見を具申せん 」 と。
山口大尉賛同。
小藤大佐に意見を具申する所あり、
玆に於てか小藤大佐は鈴木貞一大佐、山口大尉と共に第一師團司令部に至り、
堀師團長に是らに關し意見を具申せり。
余は香田、竹嶌、對馬の三氏と共にこれに同行して第一師團司令部に至り、
參謀長室に於て待ちありしが、稍々ありて參謀長舞大佐來り、
「 奉勅命令は未だ第一師團に下達せられず、安心せよ、唯、冀くは余り熱し過ぎて策を失する勿れ 」
と告ぐ。
次で堀師團長は偉軀温顔、余等の前に現はれ、
「 戒嚴司令部に於ては、奉勅命令は今實施の時機にあらずと言へり、
 近衛師團が小藤部隊に對して不當の行動に出づる時は我亦期する所あり、心を勞する勿れ 」

と云ふ、
余等喜色満面、一大安心を得て陸相官邸に歸來せり。
一、陸相官邸に歸來後、山下奉文少將來りて余等を引接す、
 之より先、
磯部氏は今朝來の余等の行動とは全く關係なく、單獨戒嚴司令部に至り、
石原大佐及満井中佐と折衝して小藤部隊を現位置にあらしむ必要を力説主張したる後、
陸相官邸に來り、栗原中尉も次いで參集し、
茲に香田、磯部、栗原、野中及余の五名は鈴木大佐、山口大尉等立会ひの下に山下少將に會見す。
山下少將曰く
「 奉勅命令の下令は今や避け得られざる情勢に立至れり、若し奉勅命令一下せば諸子は如何にするや 」 と。
事重大なるを以て協議の猶餘を乞ひしが、十數分にして山下少將再び來りて返答を求む。
一同黙然たりしも、栗原中尉 意見を述べて曰く
「今一度統帥系統を經て、陛下の御命令を仰ぎ、一同、大元帥陛下の御命令に服従致しませう、
若し死を賜るならば、侍従武官の御差遺を願ひ、將校は立派に屠腹して下士官兵の御宥しを御願ひ致しませう 」
と 且泣き、且云ふ、
一同感動せらるること深く余等これに同意す。
暫くありて堀師團長及小藤大佐來り、栗原中尉より同一の意見を述べたり。
一、余、事重大にして將校一同に相談し了解せしむる必要ありと思ひ、香田大尉と圖り將校全員至急に參集を乞へり。
 然るに 安藤大尉外二、三士參集せず、
時に余、一同志の問に答へて
「 自刃でもせねばならぬ形勢になりつつあるを以て一同に相談したしと思ふ 」
と云ふや、清原少尉 憤然席を蹶って去る、
茲に於て余自ら安藤大尉に參集を促さんものと思ひ、幸楽に至りしが、
同所の部隊は、戰闘準備を整へ殺気充満し、下士官兵は余を扼して安藤大尉に近づくを得しめず、
遙かに 「 何事ぞ 」 と問ふに、
「 前面の近衛部隊攻撃を開始せんとする形勢にあり、今より出撃す
と答ふ、
余勧告して之を制止せんとするも、怫然色をなして到底肯んずる色なし、
即ち他の同志と相談し援助を乞はんと思ひ、
「 余、再び來るまでは決して出撃する勿れ 」
と警めて歸る。
陸相官邸に入るや磯部、栗原両氏余を呼んで曰く
「 吾人は自刃するを本旨とするにあらず、陛下の御命令に從はんとするものなり、
栗原中尉より山下少將に答へたる所はこの意味なり 」 
と、
余亦 「 大命に従って吾等の行動を律すべきのみ 」
と答へ、之を他に計らんとす。
然るに此時既に陸相官邸を去りし者多く、
偶々北氏より電話ありて余 數分問答の後、電話室より歸り見れば、
既に全員去りし後にて、
僅かに玄關附近に於て一士の急ぎ離邸せんとするを認め、
事情を訊ねしに、
「 各方面に於て全面より攻撃を受くる形勢にある報を受け、一同警備線に就けるなり 」
と答ふ、
余、嗟嘆して思ふ
「 事成行に委す外なし 」 と。
一、安藤大尉は前夜來、赤坂方面の近衛部隊が頻りに對敵行動をとりつつありて、
 今朝來、特に其行動顯著にして、方に攻撃を受けんとする情勢にあるのみならず、
偶々 清原少尉が馳せ来り、怫然として 「 同志が自刃せんと云ひつつあり 」
と告げしを以て痛憤禁ずる能はず、部下に対し 「 戰闘準備 」 を令せるなり。
余この事情を知悉するに由なく、前述の如く陸相官邸に歸り、
磯部、栗原両氏と對談中、
陸相官邸に參集しありし一同に對し 「 幸楽に集れ 」 と伝へしものありて、
香田大尉を始め続々幸楽に趣きつつ
同所に於ける彼我切迫せる事態に刺激せられて、
夫々担任の警備線に就けるものなり、余 亦、これを知る能はざりき。
一、余は事態の推移するところ、早晩皇軍相撃つの悲惨時を惹起するものと判斷し、
 且 皇國維新の祭壇に千數百士の頸血を濺ぐこと
亦 避くべからざる犠牲なるかと観念して官邸の門を出づ。
行くこと数百歩、新議事堂東南角路上にて堀師團長の自動車に遭ふ。
堀師團長曰く 「 何故最前の決心を變化したるか 」 と。
余答へて曰く
「 大命に從はんとする決心に些かも変化なし、
 只 攻撃を受くるならば潔く討死せんと云ひて夫々警備線に就けり、
今や如何ともする能はず、冀くば吾人の死屍鮮血の上に維新を建設せられんことを 」
 と。
師團長は 「 夫れはいかん、夫れはいかん 」 と 連呼して去れり。
これ午後一、二時頃ならん。
一、其後は施すに策なしと思ひ、事態の推移を待つのみ、夜に入りて攻撃を受くること愈々明瞭となり、
 夜襲を受くとの情報もありて警戒を嚴にす。
二月二十九日未明前、野中部隊に從つて新議事堂に移る、
未明時拡聲器を以て宣傳しつゝあるを聞く。
「奉勅命令」なる語を二回耳にせるも他は聽取する能はず、
我等に賊名を着せて討伐する意圖なるべしと直感して、悲憤禁ずる能はず。
一、午前八、九時頃、飛行機より下士官等に對する宣傳ビラ撒布せらる、
 本ビラは戒嚴司令官の名を以て奉勅命令の下令せられたることを明示し、
下士官兵に歸營を促したるものなり。
茲に於て部隊を集結して歸營することに決す。
栗原、坂井 其他二、三士も來り同様の意見を述べ、
午後多少の經緯をへたるも部隊を歸還せしめ、
將校は陸軍省に參集し拘禁せらるゝに至れり。
一、以上は主として余の關知せることなるも此の間
 「 奉勅命令の發令は避け得られず 」 と云ふことを再三回耳にしたるも、
遂に 「 奉勅命令下令せられたり 」 とは何人よりも聞かざる所、
又 特に小藤大佐より奉勅命令に基く命令を下達せられたることも、
又 其意圖あることも更に耳にせることなし、
余個人のみならず、
余の接触せる範囲に於て同志の何人よりも此事あるを嘗て聞かず、
而も二月二十八日早朝より外囲部隊の行動は明らかに敵意を示し、
我に攻撃を加へんとするものの如く、
且 吾人を攻撃せんとする情報は外部より頻々として伝へられ、
爲めに蹶起将校は前任務に基き 夫々警備線を固守し、
不當攻撃を受くるときは潔く憤死せんと決せるのみ、豈大命に抗するものならんや。
一、右の外、これに關し公判を通じて知り得たる所を以下論述せん。
一、小藤部隊を撤退せしむべき奉勅命令は、二月二十八日早朝、戒嚴司令官に下令せられ、
 小藤大佐は之れに基く命令を第一師團より受領せしが、同朝、余等の激昂しあるを見て、
同命令を下達するの危険なるを慮りて下達するに至らず、
更に山下少將と會見時、栗原中尉が代表して
「 大命に服従し奉る 」 と述べたるに力を得て、
この機を逸せず奉勅命令を下達せんと欲して、全將校の集合を命じてるに、
全員集まらざるに四散して遂に下達する機會を逸したるも、
其の後各部隊に至り實質的に命令を下達せりと陳述したるが如し。
小藤大佐の、實質的に奉勅命令を下達せりとは 如何なる意味なるか極めて不明瞭にして、
これに関しては何等具體的陳述なし、
これを蹶起將校の側より見れば、
二月二十九日早朝、小藤大佐は山王ホテルに來り、
香田大尉に對し兵員の集合を命ぜしを以て、これに應じて下士官兵を集合せしめたるに、
同大佐は一同に對し、「 余に從つて呉れ 」 と論し、
香田大尉も亦 再三、聯隊長に随従すべきを勧告せるも應ずるものなかりきと云ふ。
而して 右は下士官兵に告諭したるに留り、將校以下に対する命令と感ずる言動は、
其他の機會を通じ一切なかりしなり。
又、同大佐は首相官邸に至り、林少尉其他に對し
「 此の兵を率ひて満洲の野に戰へば殊勲を奏せん 」 等と感慨を漏したるのみにして、
何等奉勅命令乃至撤退のことに触れず、
以上の外 何等命令を下したりと認められる可き事實存せず。
小藤大佐の立場に就ては、言辭を盡すに謝する能はざるものあり、
然れども正式に命令を下達せられざるは勿論、
小藤大佐の言ふが如く
「 實質的に命令を下達せり 」 と認められるべきもの更になし。
一、二月二十八日夜、
 小藤大佐は到底指揮の行はれざるを悟り、指揮を放棄して警備地區を去り、
師團長に其旨を復命し、其指揮權は解除せられたり。
然れども之れに關し、蹶起部隊は何等の命令を受くることなく、
最後迄小藤部隊長の指揮下にありと信じありしも、
指揮全く行はれざるのみか、
外周部隊が攻撃し來ること愈々顯著となりし爲、
去就に迷ひつゝ二十九日になり最後の場面に到りしものなり。
一、之れを要するに 奉勅命令に基く支隊命令は、
 小藤大佐より隷下部隊に下達せられたる事實は全くなく、
之れに反し外周にありし近衛部隊は、
二月二十八日朝より 敵對的行動をとり、同日夕以降は第一師團各隊も亦攻撃態勢をとりたり。
茲に於て蹶起部隊は、
當初命ぜられたる南部麹町地區警備の任より解除せらるることなく
其儘討伐を受くること極めて明瞭となり、
一同は其任務遂行の儘 焼死するの決意をなせるものなり。
而して
二月二十九日朝の宣伝により、奉勅命令の發令を確實に知り、
其内容は概ね 現位置を徹し所属部隊に復歸すべきに在り と推斷し得たるを以て、
夫々これに從って行動せんとして集合しつつあるとき、
討伐軍のため武装解除を受くるに至りしものなり。
吾人をして端的に言はしむれば、
軍當局は陸軍大臣告示を以て蹶起の精神を是認賛同し、
且 戒嚴部隊に編入したることにより蹶起行動を是認したるも、
爾後討伐の必要に迫られ、其理由を抗命と叛逆に求めんとして以上の如き策を弄し、
吾人に 賊名を負はしめたるに非ざるなきか。
吾人は 陸軍大臣に對しては、凡ゆる手段を講じ鞏要鞏請して其決心を求め、
至尊を正しく輔弼し奉る可きことを要請し希望したりと雖も、
至尊に對し奉りて鞏要し奉るが如き結果に陥らざることには、細心の注意を拂へり。
至尊強要の維新斷行は、仮令機構美々たるものたると雖も、
我國體を破壊し、大義を蹂躙し、何んの維新あらんや とは吾人の素懐にして、
平素大いにこれを主張し來れる所にあらずや、
吾人は大義を正し、
國體を護持せんが爲に挺身蹶起せるものなり、
豈敢て自ら國體破壊の事を爲さんや。

村中孝次 丹心録
二・二六事件 獄中手記遺書 河野司 編 から 

前頁  
続丹心録 ・ 第一 「 敢て順逆不二の法門をくぐりしものなり 」 の 続き
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