あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

昭和維新・磯部淺一 (二) 行動記

2021年04月15日 12時54分32秒 | 昭和維新に殉じた人達

安藤は 部下中隊の先頭に立ちて颯爽として來る。
ヤッタカ ! !  と 問へば、
ヤッタ、ヤッタ と 答へる
 
部淺一

磯部淺一 ・ 行動記 
昭和十年八月十二日、
余は数日苦しみたる腹痛の病床より起き出でて窓外をながめてゐたら、西田氏が来訪した。
余の住所、新宿ハウスの三階にて 氏は
「 昨日相澤さんがやって来た、今朝出て行ったが何だかあやしいフシがある、
陸軍省へ行って永田に会ふと云って出た 」
余は病後の事とて元気がなく、氏の話が、ピンとこなかった。
実は昨夜 村中貞次氏より来電あり、本日午前上野に着くとの事であったので、
村中は仙台に旅行中で不在だったから、小生が出迎へに行く事にしてゐたので、
病後の重いからだを振って上野へ自動車をとばした。
自動車の中でふと考へついたのは、 今朝の西田氏の言だ。
そして相澤中佐が決行なさるかも知れないぞとの連想をした。
さうすると急に何だか相澤さんがやりさうな気がして堪らなくなり、
上野で村中氏に会はなかったのを幸ひに、 自動車を飛ばして陸軍省に行った。

来て見ると大変だ。 省前は自動車で一杯、 軍人があわただしく右往左往してゐる。
たしかに惨劇のあった事を物語るらしいすべての様子。
余の自動車は省前の道路でしばらく立往生になったので、
よくよく軍人の挙動を見る事が出来た。
往来の軍人が悉くあわててゐる。
どれもこれも平素の威張り散らす風、気、が今はどこへやら行ってしまってゐる。
余はつくづくと歎感した。
これが名にし負ふ日本の陸軍省か、
これが皇軍中央部将校連か、
今直ちに省内に二、三人の同志将校が突入したら 陸軍省は完全に占領出来るがなあ、
俺が一人で侵入しても相當のドロホウは出来るなあ、
情けない軍中央部だ、幕僚の先は見えた、軍閥の終えんだ、
今にして上下維新されずんば國家の前路を如何せん
と いふ普通の感慨を起すと共に、
ヨオッシ俺が軍閥を倒してやる、
既成軍部は軍閥だ、俺がたほしてやると云ふ決意に燃えた。
振ひ立つ様な感慨をおぼえて 直ちに瀬尾氏を訪ね、金三百円? を受領して帰途につく。
戸山学校の大蔵大尉を訪ねたのは十二時前であったが、
この日丁度、 新教育總監渡邊錠太郎が学校に来てゐた。
正門で大尉に面会を求めると、そばに憲兵が居てウサンくささうにしてゐた。
これは後に聞いた話だが この時憲兵は、
余が渡邊を殺しに来たらしいと報告をしたとの事である。
陸軍の上下が此の如くあわてふためいてゐるのであるから、
面白いやらをかしいやらで物も云へぬ次第だった。
・・・ 第一 「 ヨオシ俺が軍閥を倒してやる 」 

第二 「 栗原中尉の決意 」 
 第三 「 アア 何か起った方が早いよ 」 
・ 
第四 「 昭和十一年の新春を迎へて世は新玉をことほぐ 」 
・ 
第五 「 何事か起るのなら、何も云って呉れるな 」 
・ 
第六 「 牧野は何処に 」 
・ 
第七 「 ヤルトカ、ヤラヌトカ云ふ議論を戦わしてはいけない 」 
第八 「 飛びついて行って殺せ 」 
・ 
第九 「 安藤がヤレナイという 」

二十二日の早朝、
再び安藤を訪ねて決心を促したら、
磯部安心して呉れ、 俺はヤル、 ほんとに安心して呉れ
と 例の如くに簡単に返事をして呉れた。
本日の午後四時には、 野中大尉の宅で村中と余と三人会ふ事になってゐるので、
定刻に四谷の野中宅に行く。
村中は既に来てゐた。
野中大尉は自筆の決意書を示して呉れた。
立派なものだ。
大丈夫の意気、筆端に燃える様だ。
この文章を示しながら 野中大尉曰く、
「今吾々が不義を打たなかったならば、吾々に天誅が下ります」 と。
嗚呼 何たる崇厳な決意ぞ。
村中も余と同感らしかった。
野中大尉の決意書は村中が之を骨子として、所謂 蹶起趣意書 を作ったのだ。
原文は野中氏の人格、個性がハッキリとした所の大文章であった。
野中氏は十五日より二十二日の午前仲迄、週番司令として服務し、
自分の週番中に決行すると云って安藤を叱った程であったから、
其の決意も実に牢固としてゐた。
・・・第十 「 戒厳令を布いて斬るのだなあ 」 


河野が出発した後、西田氏を訪ねた。
西田氏は、今回の決行に何等かの不安を有してゐる事を余は知ってゐるので、
安心をさせるために、予定通りに着々と進んでゐる旨を知らすためであった。
西田氏の不安といふのは、 察するに失敗したら大変になるぞ、
取りかえしがつかぬ、有為な同志が惜しいと云ふ心配であった様だ。
余は所期には西田氏にも村中にも何事も語らないで、
自力で所信に邁進しようとしてゐたので、
昨年末以来、西田氏に対してヤルとかヤラヌとか云ふ話は少しもしなかったのだ。
所が 二月中旬になって、 在京同志全部で決行する様な風になったので、
一応 西田氏に打ち明けるの必要を考へ、
村中と相談の上、 十八、九日頃になって打ち明けた。
氏は沈思してゐた。
その表情は沈痛でさへあった。 そして余に語った。
僕としては未だ色々としておかねばならぬ事があるけれども、
君等がやると云へば、今度は無理にとめる事も出来ぬ。
海軍の藤井が、革命のために國内で死にたい、
是非一度國奸討伐がしてみたいと云っていたのに上海にやられた。
彼の死は悶死であったかもしれぬ。 第一師団が渡満するのだから、
渡満前に決行すると云って思ひつめてゐた青年将校をとめる事は出来ぬのでなあ
と 云って、
何か良好な方法はないかと苦心している風だった。 余は若し失敗した場合、
西田氏に迷惑のかかる事は、氏の十年間の苦闘を水泡に帰してしまふので相すまぬし、
又、革命日本の非常なる損失と考へたので、 一寸その意をもらしたら、 氏は、
僕自身は五 ・一五の時、既に死んだのだからアキラメもある、
僕に對する君等の同情はまあいいとしても、おしいなあ
と 云った。
余はこの言をきいて、 何とも云へぬ気になった。
どこのどいつが何と悪口を云っても、 氏は偉大な存在だ、革命日本の柱石だ。
我等在京同志の死はおしくないが、氏のそれはおしみても余りある事だ、
どうしても氏に迷惑をかけてはならぬと考えた。
・・・第十一 「 僕は五一五の時既に死んだのだから諦めもある 」 

 第十二 「 計画ズサンなりと云ふな 」 

村中、香田、余等の参加する丹生部隊は、
午前四時二十分出発して、 栗原部隊の後尾より溜池を経て首相官邸の坂を上る。
其の時俄然、 官邸内に数発の銃声をきく。 いよいよ始まった。
秋季演習の聯隊対抗の第一遭遇戦のトッ始めの感じだ。
勇躍する、歓喜する、感慨たとへんにものなしだ。
( 同志諸君、余の筆ではこの時の感じはとても表し得ない。
 とに角云ふに云へぬ程面白い。一度やって見るといい。
余はもう一度やりたい。あの快感は恐らく人生至上のものであらふ。)
余が首相官邸の前正門を過ぎるときは早、官邸は完全に同志軍隊によって占領されていた。
五時五、六分頃、陸相官邸に着く。
・・・ 第十三 「 いよいよ始まった 」 


第十四 「 ヤッタカ !! ヤッタ、ヤッタ 」 

歩哨の停止命令をきかずして一台の自動車がスベリ込んだ。
余が近づいてみると眞崎将軍だ。
「 閣下統帥権干犯の賊類を討つために蹶起しました、情況を御存知でありますか 」
 と いふ。
「 とうとうやったか、お前達の心はヨヲッわかっとる、ヨヲッーわかっとる 」
と 答へる。
「 どうか善処していたゞきたい 」 と つげる。
 大将はうなづきながら邸内に入る。
門前の同志と共に事態の有利に進展せんことを祈る。
この間にも 丹生は、登庁の将校を退去させることに大いにつとめる。
余は邸内広間に入りて齋藤少将に、
「 問題は簡単です、 我々のした事が義軍の行為であると云ふ事を認めさへすればいいのです、
 閣下からその事を大臣、次官に充分に申上げて下さい 」
と 頼むと、
「 さうだ義軍だ、義軍の義挙だ、ヨシ俺がやる 」
と 引受ける。

石原莞爾が広間の椅子にゴウ然と坐している。
栗原が前に行って
「 大佐殿の考へと私共の考へは根本的にちがふ様に思ふが、維新に対して如何なる考へをお持ちですか 」
と つめよれば、
大佐は
「 僕はよくわからん、僕のは軍備を充実すれば昭和維新になると云ふのだ 」
と 答へる。
栗原は余等に向って
「 どうしませうか 」
と 云って、ピストルを握っている。
余が黙っていたら何事も起さず栗原は引きさがって来る。
邸内、邸前、そこ、玆、誠に険悪な空気がみなぎってゐる。
・・・第十五 「 お前達の心は ヨーわかっとる 」 


幕僚の一群はその時、
ガヤガヤと不平を鳴らしつつ門内に入り来って、丹生の制止をきかうとしない。
此処で余は一人位ひ殺さねば、 幕僚どもの始末がつかぬと思ひ、片倉を確認した。 その頃、広間では、
陸軍省の者は偕行社、参謀本部は軍人会館に集合との命令を議案中であったので、
成るべくなら早く命令を下達してもらって、
血の惨劇をさけようと考へたので、又、広間に引きかへした。
丁度、集合位置に関する命令案が出来て下達しようとする所であった。
その時 丹生が来て、 とても静止することが出来ません、射ちますよと、云ふ。
余が石原、山下、その他の同志と共に玄関に出た時には、
幕僚はドヤドヤと玄関に押しかけて不平をならしてゐる。
山下少将が命令を下し、 石原が何か一言云った様だ。
成るべく惨劇を演じたくないといふチュウチョする気持ちがあった時、
命令が下達されたので、余はホットして軽い安心をおぼえた。
時に突然、片倉が石原に向って、
「課長殿、話があります」
と 云って詰問するかの如き態度を表したので、
「エイッ此の野郎、ウルサイ奴だ、まだグヅグヅと文句を云ふか ! 」
と 云ふ気になって、 イキナリ、ピストルを握って彼の右セツジュ部に銃口をアテテ射撃した。
彼が四、五歩転身するのと、余が軍刀を抜くのと同時だった。
余は刀を右手に下げて、残心の型で彼の斃れるのを待った。
血が顔面にたれて、悪魔相の彼が
「射たんでもわかる」
と 云ひながら、傍らの大尉に支えられている。
やがて彼は大尉に附添はれて、
ヤルナラ天皇陛下の命令デヤレ、
と怒号しつつ去った。
・・・ 第十六 「 射たんでもわかる 」 


午前十時頃か、陸軍大臣参内、 続いて真崎将軍も出て行ってしまった。
官邸には次官が残る。 満井中佐、鈴木大佐 来邸する。
午後二時頃か、 山下少将が空中より退下し来り、集合を求める。
香、村、対馬、余、野中の五人が
次官、鈴木大佐、西村大佐、満井中佐、山口大尉等立会ひの下に、
山下少将より大臣告示の朗読呈示を受ける。
「 諸子の至情は國體の眞姿顯現に基くものと認む。 この事は上聞に達しあり。
 國體の眞姿顯現については、各軍事参議官も恐懼に堪へざるものがある。
各閣僚も一層ヒキョウの誠を至す。
これ以上は一つに大御心に待つべきである 」
大體に於て以上の主旨である。
對馬は、吾々の行動を認めるのですか、否やと突込む。
余は吾々の行動が義軍の義挙であると云ふことを認めるのですか、否やと詰問する。
山下少将は口答の確答をさけて、
質問に対し、三度告示を朗読して答へに代へる。
次官立会の諸官は大いにシュウビを聞きたる様子がみえる。
次官は欣然とした態度になって参内し、陸軍大臣と連絡し、
吾等行動部隊を現地に止める様 盡力する旨を示す。
西村大佐は香椎中将に連絡し、同様の処置をなすべく官邸を出る。
将に日は暮れんとする。
雪は頻り。
兵士の休養を考へたのだが、
軍首脳部の態度の不明なる限り警戒をとくわけにもゆかぬ。
・・・ 第十七 「 吾々の行動を認めるか 否か 」 


馬奈木敬信中佐が吾々の集っている広間へ来て、
「 吾々もやる、君等は一體如何なる考へを持ってゐるのか 」 と問ふ。
維新内閣の出現を希望すると答える。
中佐は参謀本部では皇族内閣説があるが、君等は如何に考へるかと言ふ。
余が皇族内閣の断じて可ならざるを力説すると、氏も同調する。
この時 満井中佐がドアの所より 磯部一寸来い と呼ぶ。
中佐はイキナリ 「 馬奈木からきいたか 」 と
「 ハア、皇族内閣ですか、石原案ですか、ソレナラ断じて許しませんよ 」 と答へる。
中佐も同感なる旨を告げる。
「 コノママブラブラしてゐるといけない、宮中へ行こう、参議官に直接会って話してみよう 」
と 云ふ意見を中佐が出す。
村中、香田、余の三名は山下少将について、
満井、馬奈木 両氏と共に参内せんとして自動車を準備する。
出発せんとした時、
山下は 「 官邸にて待て、俺が参議官を同行する 」 と 云ひたるも、
余はどんな事があるかもしれんから、 兎に角 宮中に行かうと主張して少将の車を追ふ。
日比谷、大手町あたり市中の雑踏は物すごい。
御成門( 坂下門) に到り 少将は参入を許されたるも、満井、馬奈木中佐、余等共に許されぬ。
止むなく官邸に帰り参議官の到来を待つ。
・・・ 第十八 「 軍事参議官と会見 」 

戒厳命令は第一師戒命として、
「 二十六日以来行動せる将校以下を、
小藤大佐の指揮に属し、永田町・・・・の間の警備を命ず 」
と 云ふものである。
余等はこの事を知って百万の力を得た。
然し、何だか変な空気がどこともなくただよっているらしい事には、
しきりに吾が隊の撤退を勧告する事だ。
満井中佐や山下少将、鈴木貞一大佐迄が、撤退をすすめるのである。
満井中佐は、
維新大詔渙発と同時に大赦令が下る様になるだらふから一応退れ と云ふし、
鈴木大佐 又、一応退らねばいけないではないか、と云ふ意向を示す。
余は不審にたへないので、
陸相官邸に於て鈴木大佐に対し、
「一體吾々の行動を認めたのですか、どうですか」
と 問ふ。大佐は、
「それは明瞭ではないか、戒厳令下の軍隊に入ったと云ふだけで明かだ」
と 答へる。
行動を認めて戒厳軍隊に編入する位であるのに、
一応退去せよと云ふ理屈がわからなくなる。
か様な次第で、 不審な点も多少あったが、概して戦勝気分になって、
退去勧告などは受けつけようとしなかった。

・・・第十九 「 国家人なし、勇将真崎あり 」 

午後十一時頃、
首相官邸を本夜夜襲して武装解除をすると云ふ風説ありとの通報を受ける。
余はこの風説は単なる風説ではないと感じたので、
或は吾々の方より偕行社、又は軍人会館を襲撃して、
反對勢力を撃破せねばならぬのではないかと考へ、
栗原に出撃の時機方法を考究しようとの旨を連絡した所、
林八郎がやって来て
「 吾々は戒厳令下なあるから戒厳軍隊を攻撃すると云ふ様なことはあるまい 」
と云ひて、出撃問題は立ち消えとなる。
( 当夜は、各隊ともに安心して休宿した事を後になって知った )
・・・
 第二十 「 君等は 奉勅命令が下ったらどうするか 」 


・ 第二十一 「 統帥系統を通じてもう一度御上に御伺い申上げよう 」 

全同志を陸相官邸に集合させようとして連絡をとったが、 なかなか集合しない。
安藤、坂井は強硬論をとって動じない。
村中は安藤に連絡のため幸楽へ走る。
暫くすると村中が飛び込んで来て、
「 オイ磯部やらふかッ、安藤は引かぬと云ふ、幸楽附近は今にも攻撃を受けそうな情況だ 」
 と 斬込む様な口調で云ふ。
余は一語、 「 ヤロウッ 」 と 答へ、走って官邸を出る。

陸相官邸で自決論が起きたのを耳にした清原が、
アワテテ安藤に之を連絡した所が、安藤は非情に憤ったのだ。
今更自決なんて言ふ理屈はない。
一體 首脳部 ( 同志の ) は何をしているのだ、と云ふ感じを持った。
そこへ村中が連絡に行ったわけだ。
余は奉勅命令を下達もしない前から既に攻撃をとってゐることに関し、
非常な憤激をおぼえ、断乎決戦する覚悟をした。
・・・ 第二十二 「 断乎 決戦の覚悟をする 」 

余は平素、栗原等の実力 (歩一、歩三、近三部隊の實力) を信じていた。
然るにその實力部隊の中心人物が、情況止むなく戦闘を断念すると云ふのだから、
今更余の如き部隊を有せざるものが、
無闇矢鱈に強硬意見を持してみた所で致し方がないと考へた。
栗原は第一線部隊将校の意見をまとめに行く。
余は一人になって考へたが、どうしても降伏する気になれぬので、
部隊将校が勇を振るって一戦する決心をとって呉れることを念願した。
その頃、飛行機が宣伝ビラを撒布して飛び去る。
下士官兵にそれが拾い取られて、
手より手に、口より耳に伝へられて、忽ちあたりのフン意気を悪化してゆく。
「下士官兵に告ぐ、御前等の父兄は泣いている、今帰れば許される、帰らぬと国賊になるぞ」
と 云った宣伝だ。
「もうこれで駄目かな」 と 直感したが、
もう一度部隊の勇を鼓舞してみようと考へ、
文相官邸に引返す。
嗚呼、何たる痛恨事ぞ、
官邸前には既に戦車が進入し、敵の将兵が来てゐる。
しかも我が部隊は戦意なく、唯ボウ然として居るではないか。
・・・ 第二十三 「 もう一度、勇を振るって呉れ 」 

第二十四 「 安藤部隊の最期 」 
・ 
第二十五 「 二十九日の日はトップリと暮れてしまふ 」 


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