あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

昭和維新・西田税 (二) 天皇に奉呈する建白書

2021年04月26日 15時54分15秒 | 昭和維新に殉じた人達

先般、不幸にして勃發いたしました陸海軍將校の、首相暗殺事件につき、
聖上陛下にはいかに誤宸念遊ばされましたことか、
洵に恐懼の至りに堪えぬところでございます。
しかし乍ら今回の事件は偶發的に起こったものでなく、
その根底には國家の現狀と將來を深憂する
多數の皇軍將校と、愛國靑年群が存在いたします。
政党政治は國家百年の大計を捨てて、目前の党利党略に抗爭を事とし、
財界は皇恩を忘れて私利私慾の追求に餘念がありません。
近年の經濟不況によって、
一億國民の大多數は塗炭の苦境に呻吟いたしております。
洵に餓民天下に満つと申しても過言ではありません。
天下萬民の仁父慈母に存します聖上陛下におかせられましては、
この國民の困窮を救うため、速やかに昭和維新の大詔を渙發あらせられ、
内は百僚有司の襟を正さしめ、財界の猛省を促し、
上下一體となって國利民福の實をあげ、
外に向っては國交の親善を増進して、大いに皇威を發揚し、
以て帝國興隆の基を築かれんことを、
草莽の微臣、闕下にひれ伏して、謹んで奏上仕ります。

・・・
紫の袱紗包み 「 明後日参内して、陛下にさし上げよう 」


西田税 
一夕、墨痕琳漓、
大きな奉書の紙に認めたものを、私に托した。
天皇に奉呈する建白書である。
これを秩父宮にお願いして呉れと言う、私は反対した。
そんなものを天皇が受けとるはずがない。
また、秩父宮が承知されるか、どうか。
・・・・・ だが。 西田の意志は固かった。
死線を越えた彼の言うことだ。 一応、聞き届けなくちゃならない。
そこで、隊に帰って安藤に相談した。
「 よかろう、やってみよう  」と 言う。
翌日二人で秩父宮にお目にかかって申上げた。
意外、宮は即座に承知された。
「 明後日、陛下に会えるから、その折に差上げよう 」
と 申され
「 西田は元気になったか 」
と お尋ねになった。

あとで聞くところによると、 宮中では、
天皇と皇弟秩父宮との間に激論が交わされたという。
この事に関係あったのかどうか分らないが、たぶんこの時のことだろう。
・・・菅波三郎 「 回想 ・ 西田税 」
・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
當時は満洲事變勃發に伴ひ、國内の空氣自然殺氣を帯び、
十月事件の發生を見る等 特に軍部靑年將校の意氣熱調を呈し來れる折柄、
或日、 秩父宮殿下參内 陛下に御對談遊ばされ、
切りに 陛下の御親政の必要を説かれ、
要すれば憲法の停止も亦止むを得ずと激せられ、
陛下との間に相當の激論あらせられし趣なるが、
後にて 陛下は、侍從長に、
祖宗の威徳を傷つくるが如きことは自分の到底同意し得ざる処、
親政と云ふも自分は憲法の命ずる処に拠り、 現に大綱を把持して大政を總攬せり。
之れ以上何を爲すべき。
又 憲法の停止の如きは 明治大帝の創成せられたる処のものを破壊するものにして、
斷じて不可なりと信ずる 
と 漏らされたりと。
・・・ 昭和天皇と秩父宮 2 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
鬼頭春樹 氏が、
その著書 『 禁断 二・二六事件 』 で、

恰も再現ドラマの如く物語る

・・・ 
昭和天皇と秩父宮 1 


この記事についてブログを書く
« 昭和維新・西田税 (三) 赤子... | トップ | 昭和維新・西田税 (一) 戰雲... »