あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

磯部淺一 「 宇多! きさまどうする?」

2019年03月24日 19時04分25秒 | 首脳部 ・ 陸軍大臣官邸


激昂した磯部 の電話

その宵である。
軍人会館地下室の記者だまりで、
各社の記者が不安と深刻さのいりまじった暗い顔でたむろしているとき、
叛軍側ではない歩三の新井中尉が部下の一箇中隊をひきい、
戦列を離脱して靖国神社に集結との情報が入った。
戒厳司令部の叛軍に対する処置を不満として、
一箇中隊をもって司令部を襲撃するためだといううわさが飛んだ。

事実司令部の中にも一層の混雑を呈してきた。
記者団は色めいた。
そして一人去り、二人去り やがてだれもいなくなった。
見まわすと 朝日の藤井虎雄記者と私のたった二人だけだった。
藤井記者はこれも変わり種で 士官学校三十六期生本科で、ある事情のため中途退校し、
一高から東大を経て朝日に入った男である。
村中 、安藤らとは仙台幼年学校の先輩で、野中四郎大尉の同期生であった。
私と思いは同じであったのだろう。
二人はむしろ新井中隊の司令部襲撃で自らも死んでしまいたいような気持で、黙然とすわりこんでいた。
そこへ私に社から電話がかかって来た。
受話器をとると上田碩三重役で、
「 いま磯部君 ( 浅一 ) から君を捜して社に電話がかかって来た。
しばらくは農林大臣官邸にいるから至急電話をくれとのことだ。特種をとってくれ給え 」
との せきこんだ電話だった。

磯部!
磯部が電話をかけて来たのか、
村中か安藤から私のことを聞いたのだろう。
貴様に会いたい!
オレも話があるんだ!
私は血相を変えて立ち上がった。
だが、私のは特種をとるためではない。
どこから彼に電話しようか?
なるべく司令部から遠い方がよい。
こう考えると私は夢中でいそいで神田猿楽町まで出かけ、
見も知らぬ人のいそうもない炭屋に駆けこんだ。
さいわい耳の遠そうなじいさんが一人いるきりである。
電話の借用を申し込むと、私は わななく手で農林大臣官邸を呼び出した。
兵隊が出てすぐ磯部に代わった。
受話器の中には悲壮な軍歌が聞こえて来る。
「 磯部!宇多だ 」
あれもいおう、これもいおう と思いながら不覚にも、私はまた涙声になってしまった。
磯部の太い男らしい声が応じた。
「 宇多! きさまどうする? 」
簡単な一語だが、意味はすぐわかった。
私に来るか、来ないかというのである。
来いといったって行けるはずがないじゃないか。
蹶起の趣旨は十分にも百分にもわかるが、オレはこの直接行動には賛成じゃないんだ。
声にならぬ声を押しつぶすようにして私は、
「 勅命が下ったんだ。すでに討伐行動は開始されている。
貴様死んでくれ、断じて撃つな! 皇軍相撃を避けてくれ、死んでくれ!」
と必死の思いを一気に告げた。
磯部は、
「 オレの方からは撃たん、だが、撃って来たら撃つぞ! 貴様も防長男児だろう。
防長征伐の歴史は知っちょるじゃろうが?」
きりこむような声で怒鳴り返して来た。
そして奉勅命令は自分らにはまだ示されていない。
お上の聖明をおおい奉った幕僚どもの策動だ、
と私に一語をさしはさむ余地も与えずに防長征伐の歴史をとうとうと説き出した。
ずいぶん長い時間に感ぜられた。
やがて磯部は声を落として、いく分冷静な口調になり、
「 貴様のいうことはわかった。 ところでオレの方から頼みがある。
オレの隷下にはいま七個中隊いる。勝っても負けても今晩が最後だ。
どうせ金は陸軍省が払うんだ。
この七個中隊に今晩最後の四斗だるを一本あてやりたいんだ。
きさま輜重兵じゃないか、持って来てくれ・・・・」
と いやおういわさぬ調子で申し込んで来た。
そのころ私は、もう不思議に冷静な気持になっていた。
頭の中をしきりに、『 小節の信義 』 という勅諭のくだりが往来する。
・・・・おぼろげなることを、かりそめにうべないで由なき関係を結び・・・・
というあの一章である。
理性はハッキリ磯部の申し込みを断われと命ずるのである。
だが、私の頭脳感情は反対に働いた。
いそがしく財布の中を調べてみた。
ある、四斗だる七本くらいの金は、香港から帰ったばかりでまだ持っている。
「 よし、持って行こう 」
私は成敗を度外視して持って行く決心をきめた。
そして官邸で磯部に会い、もう一度皇軍相撃を諌止しよう。
オレも死ぬんだと思い定めた。
磯部は私の返事をきくと、
「 ありがたいぞ、然し今となってはダメかも知れんナ・・・・宇多、きさまと握手がしたいのう・・・・」
と 涙声になって電話を切った

後はもう書きたくはない。
私は挙動不審で憲兵に捉えられ、ついに磯部の依頼を果たし得なかった。
二月二十九日のあけがたのことである。

磯部、安藤!
このオレを嗤 わらってくれ。

目撃者が語る昭和史  第4巻  2.26事件  
新人物往来者昭和31(1956年)年1月
第五章 記者たちの見た二・二六事件
「二・二六反乱将校と涙の決別」  当時電通記者 宇多武次 著
昭和32年(1957年)1月


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